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死いずる村(前編)

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死いずる村(前編)
死いずる村(前編) 死いずる村(前編)

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■□■序章


 これは、死いずる村で惨劇が繰り広げられる以前の序幕である。


□■数日前――昼下がり


 機晶都市ヒラニプラの郊外、シャンバラ教導団。
 曇天。灰色で継ぎ目のない厚い雲が、低く広がり外界を覆っている。
 雨が降り出しそうな、そんな窓の外を一瞥してから、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)はモニターへと視線を戻した。彼の緑色の瞳が、教導団のイントラネット上にある情報を渉猟している。知的な面持ちで、彼は様々な記録を見ていたが、その内にある一つの事件の情報に目をとめた。
「山場村は、何年も前にダムに沈んでいる――?」
 思わず呟いた彼の声に、すぐ隣にいたセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)が顔を向ける。
「どうかしたの、クローラ」
「嗚呼、アクリトがフィールドワークから帰ってこないという情報があって、少し気になって調べてみたんだ」
 クローラは考え込むように僅かに首を傾げた。黒い髪が揺れる。想起しているのは、空京大学の元学長で、現教授のアクリト・シーカー(あくりと・しーかー)の事だった。
「フィールドワークの行き先は、山場村だという。だが、記録では、山場村は既に廃村になっている。ダムの底に沈んでいるらしいんだ」
「つまり存在しない村にフィールドワークへ出かけて、戻ってきてないって事だよね」
「そうなるな。どちらの情報も誤っているとは考えがたい」
「何のフィールドワークへ出かけてるの?」
 趣味の良いカジュアルな装いの袖を正しながら、セリオスが首を傾げた。茶色の瞳が真摯にクローラを見る。
「民俗学――と、なっているが……直前にアクリトがわざわざ取り寄せて閲覧した資料は、感染症のものだ。本当に民俗学のフィールドワークに出向いたのかも怪しいものだな」
「感染症?」
「そうだ。TSEと、ひいては蛋白質性感染粒子の論文を取り寄せている」
「仮に民俗学というのが表向きの理由で、実際には感染症関係の調査に行ったんだとすれば――その上、戻らないんだから、すごく危険なんじゃないかな」
「アクリト本人の安否も分からない、が、それ以上に何らかの感染症があるとすれば、これは一個人の判断でどうにか出来る代物では無いだろうな。最悪の場合、様々な土地に伝播する。蔓延は阻止しなければならない」
「危ないよ」
「何も感染症と決まったわけではないだろ。それに、アクリト本人の安否も、山場村の情報の真偽も気になる。仮に本当に沈んでいるのだとすれば、あるいは現存するのだとしても、一方の情報は訂正する必要がある。放置するのは得策ではない。だが、情報が少なすぎる。調査するべきだ」
 情報の正否、ことイントラネット上に並ぶ情報の真贋は、軍の秩序の保持に直結する。規律を遵守する為にも、捨て置ける事ではないのかも知れない。
 いつもにまして怜悧な色の宿るクローラの表情に、セリオスは少し考え込むような顔をした。それから破顔し、穏やかな笑みを浮かべる。
「分かったよ。クローラがそう言うんなら、僕も行くよ。ちょっと怖いけど」
「怖いんなら頭でも撫でてやろう」
 親友から返った言葉に、揶揄するようにクローラが言う。
 すると肩をすくめて、セリオスが視線を逸らした。
 ――怖いのは、君に何か起きないか、なんだけどね。
 そうは思ったものの、セリオスは何も言わない事にして、安全にこの調査が終わる事を祈りながら、短く息を吐いたのだった。
 丁度、彼の視線が向いた窓の外では、灰色の雲を切り裂くように一羽の鴉が飛んでいった。


■□前日――昼下がり


「……どこだ、ここは」
 アキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)が、辟易したような顔をして、鬱蒼と茂るブナ林の中で、木の葉を踏んだ。色づき始めた木の葉が、道を覆っている。顔を上げれば、未だ青々とした葉の波の合間から、穏やかな陽光が降り注いでいた。
 確かに長閑な場所だ。
 いかにも、不思議の国に迷い込んでしまいそうな、どこか英国庭園のようで無秩序の中にある秩序を感じさせる、自然の息づかいが聞こえてくるよう場所でもある――が。
「どうやらチョット道がずれちゃったミタイネ」
 さも困ってしまったというように、アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)が小さな手を白磁の頬へと宛がった。アリスは、人形師リンス・レイスの手によって作られた、動き話す魂を持った人形である。
「ちょっと?」
 疲れたように眉を顰めてから、アキラは深々と溜息をついた。

 きっかけは、少しばかり前の事だった。

「なぁ、アリス。『不思議の国』って、一体どんな所なんだ?」
 アキラの問いに、アリスが美しい金色の髪を揺らしながら、青い瞳を向ける。
 ――アリスがいつも口にしている『不思議の国』。
 漠然とした興味から、アキラは尋ねたのだった。
 すると紅茶によく合うクッキーを、アキラであれば指先二つで摘んで食べられる茶菓子を、懸命に両手で掴んで、囓りながら、考えるようにアリスが虚空を見据えた。
「聞くより行った方が早いわヨ」
 アリスの返答に、アキラはカップの中身で喉を潤しながら、小刻みに頷いた。
「まあそれもそうだ、暇だからちょっと行ってみるか」
 ――そもそも、行けるのだろうか?
 そんな好奇心も手伝って、アキラはアリスに誘われて『不思議の国』へと出かける事にしたのである。

 だが。

「不思議の国……て、いうか村?」
 辿り着いたのは埼玉は秩父の山中で、歩き回っている内に、神社や、その更に遠方に見える村の存在にアキラは気がついた。
「不思議の国へようこそ♪ ――まぁ正確に言えば、完全に迷ったワネ」
「おいおいおいおい」
 歩きながら、アキラは頭痛を覚えたのだった。