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【ザナドゥ・アフター】アムトーシスの目覚め

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【ザナドゥ・アフター】アムトーシスの目覚め
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第2章 ビバ・かくし芸大会 2

 マクフェイル・ネイビー(まくふぇいる・ねいびー)は歩いていた。
 緊張に身体を硬くすることもなければ、かといって怠惰な態度で挑むわけでもない。音と、視界と、気配と。それら全てを平常心の中に感じとって、自然と意識に溶け込ませるのだ。さすれば、何か問題が起きたとき――己の手が勝手に剣へと動き出すことを彼は知っていた。
 とはいえ、彼の存在は一般人にとってはかなり目立つものであった。なにせ、その容姿は選ばれた者にしか手にできないような繊細かつ優美なものなのだ。力強き蒼き瞳に、見る者を振り返らせる、同じく美しき青い髪。彼自身が望まぬとも、道行く者は彼に目を惹かれてしまうのだった。
(先ほどから、民の視線が集中していますね…………。私の気配もまだまだですか……。剣士の道のりは遠く険しい)
 そういうことではないのだが、彼は自分の魅力というものにまったく気づいていないようだった。
(そう言えば、警備に出る前にルカさんやサイクスさんが兜は被らないようにと言っていましたね。あれは、私自身の未熟さを自覚させ、より自分を磨くことを示唆していたのでは……)
 思慮深いと言えば聞こえはいいが、考えすぎるのが球にキズだ。
 警備に出ようとするマクフェイルに群がる兜反対派の女性たちはみな、イケメン保護団体に所属しているに過ぎないのだが、そんなことを彼は知るよしもない。
(さすがです……ルカさん、サイクスさん)
 間違った認識により二人に心の中で深々と礼をして、マクフェイルは警備を続行した。
「おや……あれは……」
 と、その視線がある一カ所で止まる。
 そこにいたのは、トマスのパートナーにして、今回警備も担当しているミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)だった。凛々しい顔の眉根を寄せて、険しい表情を浮かべていた彼女に、マクフェイルは近づいた。
「ミカエラさん」
「マクフェイルさん……」
 こちらに気づいたミカエラが振り返る。が、その意識は先ほどまで彼女がじっと見つめていたある男に集中していた。
「どうかしたんですか?」
 不穏な空気を察してか、マクフェイルの声も小声になる。
 ミカエラは、沈めた声音で彼に答えた。
「どうも……怪しい気配を感じさせる男がいまして。もしやと思って、監視しているのです」
「怪しい気配……」
 ミカエラの視線を追ったその先にいたのは、ローブを身に纏い、目深くフードを被った人影だった。
 アムトーシスではローブを身に纏った人物そのものはさして珍しくもない。魔術師であれば当然の装いであるし、この芸術の街では、時には塗料や塵で汚れた身体を隠すために、マナーの一環としてローブを纏うこともあるのだ。
 しかし、そこかその男の様子はおかしかった。まるで何かタイミングをうかがうように、周りに視線を泳がせている。
(もしかして――)
 そう思ったそのとき。
 マクフェイルの予感は的中した。
(ナイフッ……)
 ローブの男が懐からきらめかせたのはひと振りのナイフ。瞬間的に、マクフェイルとミカエラは男に向かって駆け出していた。
 すると、男もまた二人に気づく。しまったと言いたいところを押さえ込んだような舌打ちを鳴らして、男は脱兎のごとく逃げ出した。



『右手には英雄の剣、左手に英雄の盾。汝、吐蕃の鎧を身につけよ。さすれば道は開かれん』
「それ……誰の言葉でふか?」
「俺」
「…………」
 雑踏の中心に当たる場所で、花妖精のリイム・クローバー(りいむ・くろーばー)は自分の契約者である青年にきょとんとした視線を向けていた。
 十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)。19歳。蒼空学園所属。職業、見習い聖騎士。それが、リイムの契約者の青年だった。
 見習い聖騎士という職業で分かる通り、彼はいまだ修行の身である。その途中こうして、アムトーシスでなにやらイベントが開催され、しかもそこには要人も集まっているということを聞きつけてた彼は、すぐさま有志として警備に参加するに至ったというわけなのだ。聖騎士としてはむしろ当然のことだと自負していて、彼もやる気にみなぎっていた。
 その結果が、このお抱え騎士のようないかにも目立つ威厳ある格好である。こうすれば不審人物もうかつに手を出せまいと、彼なりに考えた方法なのだった。
「リーダー。それじゃあ、僕は空から見回りを続けるでふ。何かあったらすぐに呼んでください」
「おう、了解」
 リイムは光る箒にまたがると、空へと舞い上がっていった。
 それからしばし、目立ちまくる宵一が周囲に睨みをきかせながらしばらく経ったとき。
 ふいに、ある方向から騒がしい声が聞こえてきた。何事かと目を向けたそのときには、騒ぎの中心は自分のほうへと向かってきている最中であった。ナイフを持ったローブの男。そいつが、目の前の一般市民をなぎ倒そうとする。とっさに、宵一は市民の前に飛び出した。
「あでっ……」
「大丈夫ですか、十文字さん!」
「マ、マクフェイルさん……」
 男に吹き飛ばされた宵一のもとに駆け寄ってきたのは、同じ警備仲間のマクフェイルだった。少し遅れて、ミカエラも追いつく。
 どうやら、彼らがあの男を追いかけていたらしい。
「あ、ありがとうございます!」
 振り返ると、宵一が守った市民――幼い息子と母の親子が必死に頭を下げていた。勢いで相手の刃が当たり、頬を切った宵一に、息子が少し泣きそうな目を向けている。
「はは。これぐらい大丈夫だよ。それよりも、お母さんを守ってあげな」
 宵一は笑いかけて頬の血を手の甲でぐいっとぬぐった。
 続いて、自然と目を合わせたマクフェイル、ミカエラと一緒に、すかさず男を追って走り出す。
「あいつはいったい……?」
「さあ……分かりません。でも、放っておけないのは確かです」
 フードの奥で見えた男の目は明らかに凶刃の輝きを放っていた。
 男を追いかけながら宵一が空を見上げると、箒に乗ったリイムもすでに男を追い始めている。
 その隣にはカルキノスの姿もあった。
「へへ……俺たち空の警備部隊から逃げ出せると思うなよ!」
「…………二人だけでふけど……」
「……それを言うなよ」
 地上にいる宵一にこくっとうなずきを返して、リイムとカルキノスはさらに加速を続けた。



 ローブの男が逃げた先――そこにいたのは、同じく警備で巡回していた綺雲 菜織(あやくも・なおり)有栖川 美幸(ありすがわ・みゆき)、それに大岡 永谷(おおおか・とと)だった。
「菜織さんっ……捕まえてください!」
 振り返った菜織たちは、マクフェイルの声と彼らの状況を見て、わずかに目を見張る。だが、次の瞬間には、瞬時に冷静な判断を下していた。千早と緋袴姿の永谷が、くるっと一回転して地下手に対して水平の構えを取る。横目で見合わせた菜織が、美幸と一緒にマクフェイルたちとは逆側に回った。
 正面には永谷。左右を挟む菜織とマクフェイルたち。そして、背後に逃げようとするものの、それをぶおっと翼をはためかせて降りてきたカルキノスと箒に乗ったリイムが阻んだ。もはや、ローブの男に行き場はない。だから男は、ナイフを威嚇に使いながら、魔法の構えを取った。それに気づいた永谷が、とっさに唱える。
「させません!!」
 それまで巫女姿の礼節をわきまえていた影響か、ここに至っても丁寧語で言い放つ永谷。
 彼の言葉に従って、〈シーリングランス〉の力がローブの男の力を封じた。
「くっ……」
「菜織さん! 今です!」
「任された!」
 永谷の合図に従って、男を捕らえにかかる菜織。男は反撃に転じる。
 魔法が使えないとなれば、男が抵抗できる手段はその身体とナイフしかなかった。ナイフはその刃渡りは短いが、それゆえに、素早い動きが可能だ。相手のしなやかな腕が鞭のように動き、菜織の頬を刃がかすめた。
 が――その姿が次の瞬間にはかき消える。
(なるほど、〈ミラージュ〉……さすが菜織さん!)
 相手に幻を見せる幻影魔法を用いた菜織は、すでに敵の横合いに回っていた。とっさに攻撃の方向を転換させる男。菜織は、その攻撃を避けると同時に一気に踏み込んだ。〈アクセルギア〉――脚力に巨大な加速を与えるスキルが、敵の懐への侵入を許す。
 そして、
「はああああぁぁッ!」
 岩さえも破砕するような気合いと力が練り込まれた〈疾風突き〉が敵の身体で爆発した。思わず声にすらならない嗚咽を吐き出した敵は、その驚異に圧倒されたか、とっさに逃げだそうとする。背中から、ローブをぶおっと巻き上げて現れたのは、漆黒の両翼だった。
(翼の魔族……っ!?)
 その正体に驚く面々。が、それよりも敵を逃してはならない。
 空へと浮遊した魔族がその場を立ち去ろうとしたのを、菜織のフォローに入った美幸が逃がさなかった。その身体能力を向上させ、壁伝いや水面を走ることを可能とする〈軽身功〉。その気の力によって跳躍した美幸は、相手の手首を取り、構えていた拳銃の柄でその頭を殴りつけた。
 ダン! と、地面に叩きつけられる魔族。
 魔族が、震える手をどこかに伸ばそうとして、ばたりと気絶したのはまもなくのことだった。
「お手柄だったな、美幸」
「た、大したことないです。私はただ……菜織さんのために必死だっただけですから」
 頬を桃色に染めて、美幸はパタパタと手を振った。
(それに……万一の事があれば、……あのぐーたらが危険ですし……)
 ぶつぶつと何かを言っているが、それが菜織たちの耳に入ることはない。
 ほどなくして――気絶していた魔族はリイムがどこかから持ってきたバケツの水をぶっかけられて目を覚ました。魔族は一瞬、とっさに再度攻撃の姿勢を取ろうとする。だが、決して自分の状況が分からぬほど愚かでもなかったのだろう。ナイフも菜織の手に奪われているのを見て取って、もはや逃げ出す術もないと悟ったのか、彼はただ意気消沈したように立ち尽くした。
 彼がバルバトス軍の生き残りであることは、もはや誰もが予測できていたことだった。
 彼女の軍にいた翼ある魔族のそのほとんどは、他の魔神の軍へと編成されたが、中にはこうしてバルバトスの無念を晴らそうとするためにどこにも所属せず生き続けている者もいる。そのとき、狙われるのは確実にシャムスかアムドゥスキアスか。あのときの戦争でバルバトスに刃向かった敵軍の要人だ。それを懸念しての警備であったが、予感が的中したことは良くも悪くも、むなしいものだった。
「俺は、必ずバルバトス様の無念を晴らす。そのためなら……たとえこの俺自身の命をかけてでも――」
 歯がみしつつ、執念を語る魔族。
 と――次の瞬間。菜織は魔族の頬を殴りつけていた。
「死者の無念は晴らすべきもので間違ってはいない。だが……」
 彼女は、魔族の後頭部をガッと掴むと、それをぐいと引き寄せて自分の顔との距離をほぼゼロにした。
「それが、彼女の本当に望むものか? あのとき、お前たち魔族のために戦った彼女の本当に、願っていることなのか?」
「……き……貴様に……なにが……」
「バルバトスが死んだとき、傍にいた者がいる。彼は言ってたよ」
 心なしか、その声音は少し哀しげだった。
「満足そうに、逝ったとな」
「…………」
 魔族の男は、菜織の深く溶け込んでしまうほどの黒い瞳の中に憔悴しきった自分の姿を見た。
 バルバトス軍で戦ったときの自分は、もういない。だが、ならばその無念は、どこに行くというのだろうか。どこに……。
 菜織が手を離すと、男は立ち続ける気力も失ったようにくずおれた。それは抜け殻のようなものだった。彼のことを、彼の過去を、菜織たちは知らない。だが、彼が、自分がバルバトス軍であることに、バルバトスに仕えていたことに、生きる意味を見いだしていたことだけは分かる。それを失った今――彼は自分が生きる意味すらも見失ったに等しかった。
「あきらめないでくださいよ。そんなことぐらいで……!」
 だが――そんな彼を叱咤した声があった。魔族の男が振り向いたそこにいたのは、地に向けて下ろしている両の拳を、ぎゅっと握りしめる美幸だった。
「私だって、我慢していることはあります。馬鹿らしいですけど……時々、バカだって思いますけど!」
 彼女は、自分に言い聞かせるように叫んだ。
「だけど、それでも――」
 張り上げた声は、空にかき消えてしまう。それが自分の寂しさや、やるせなさをあざ笑っているかのように見えて、美幸は涙目になった瞳をキッと持ち上げた。
 そして、魔族の腕を掴んで引っ張っていく。
「お、おい……貴様……なにを……」
「こんなときは、なにか甘いものを食べれば気が落ち着くんです! あなただってそうなんです! 糖分不足です! 甘酒飲みますよ甘酒! 神社で売ってるみたいなんで!」
「……あ、甘いものって、そういうことじゃ……」
「いいから! とにかく今はそういう気分なんです!」
 美幸はツカツカと道を踏みつけながら魔族の男を連れていく。
「神社って、あそこのことでしょうか?」
「……だろうな。よし、ここはサイクス君とアムド君にも連絡をとって、みんなで一杯といこうか」
「菜織さん……あなた、まだ20歳になったばかりじゃないんですか? 俺はまだ未成年ですし……」
 渋い顔になってじろりと菜織を見つめる永谷。菜織は、ごまかすように笑った。
「固いことを言うなよ、大岡君。無礼講というやつだ、無礼講。マクフェイル君と十文字君も行くだろ?」
「――ですね」
「もちろん」
 二人の返事は軽やかで、菜織たちはそのまま美幸の後に続いていく。
 永谷は仕方ないといったようなため息をつく。そして、せっかくの神社だから巫女姿も映えるだろうと気分を切り替えると、遅れて彼女たちを追っていった。