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第二章:温泉を探せ!
 スパリゾートアトラスの周辺の荒野は、アトラスの傷痕の近くのためか、多くの温泉が噴出している。
 崩御の危機は脱したものの、いまだ危篤状態であるエリュシオン帝国のアスコルド大帝を癒す風呂を作成する命を受けたのは、エリュシオンの設計士兼建築士で、最近は蛮族研究家と皮肉られる事の多いセルシウスである。彼は、大帝を癒す温泉を探すために泉質調査員たちに同行していた。
「これも違うな……くッ……大帝を癒す風呂を早く見つけなければ!」
 岩場から湧き出るお湯を見つめていたセルシウスが、余裕の無い表情を見せると、
「セルシウスさん。大帝の事を心配されるのはわかりますが、焦っても見つかるとは限りませんよ?」
 セルシウスに声をかけたのは。セルシウスと同じく大帝の身を案じる早川 呼雪(はやかわ・こゆき)であった。
「うむ……呼雪と言ったな? 貴公の言う通りだ……焦っては駄目だ」
「お気持ちはわかります。俺も大帝とは戦争状態の頃対峙して言葉を交わした事がありましたから……今はその容態を案じています」
 呼雪はそう言うと、少し遠い目をする。
「自分自身をも犠牲にしてエリュシオンと、パラミタをも守ろうとしていた彼ですから。パラミタが救われ、次代に帝位を譲った後も健在でいられる未来を実現する為に、快方へ向かう良い温泉があるなら是が非でも見つけたいと俺も思っていますよ」
「……そうだな。今、大帝を失くす事だけは避けなければならない」
 二人が大帝に想いをはせていると、少し乱暴な声が聞こえる。
「おい、あんたら! そっちはどうだ? 見つかったか?」
 呼雪と同じ泉質調査員のカールハインツ・ベッケンバウワー(かーるはいんつ・べっけんばうわー)がやって来る。
「いいや。駄目だ。カール、そっちは?」
「マグマと普通の温泉ならゴボゴボ出てるけどな。病を治す良い温泉なんて本当にあるのか?」
 ずぅぅーん、とセルシウスが凹むのを見た呼雪が慌ててカールハインツを制止する。
「あ、あるって! 絶対!!」
「オレにはそうは思えないけどな」
「そ、それにしても、カールがこんなところで泉質調査員のバイトなんて珍しいよな? 暑かったり結構危険な調査だが、参加するようなメリットがあるのか?」
「オレはヨーロッパの温泉大国、ドイツ出身だぜ?」
「……ひょっとして、それだけで?」
「ああ、バイトの面接は3秒で合格だったな」
「そっか……カールが泉質調査に詳しいとも思えないけれど、相談や協力し合いながら作業を進めるから、知り合いがいてくれると助かるな」
「知り合い? あんたの知り合いってアレじゃないのか?」
 カールハインツがそう言って指さした先には……。
「待てー!」
 くるぶし程までの赤いマグマをバシャバシャと飛び散らせて、火トカゲを子供のような目で追いかける高身長の男、ヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)の姿があった。
「ったく、さぁ、温泉スパで呼雪とのんびり出来ると思ったのに、泉質調査だって? えーえーえー、そりゃ、大帝が心配なのは分かるけどさ!」
 マグマを両手の水鉄砲でピューと飛ばすヘル。火トカゲは嫌がって逃げていく。
「でも呼雪の為なら火の中水の中ってね! おーい、呼雪ー! この温泉はどうー?」
「ヘル。どう見てもそれは温泉じゃないし、俺は熱いのは苦手だ」
 マグマの中で手を振るヘルを見ていた呼雪がハッと思い出す。
「(……そういえば、ヘルは昔温泉を掘った事があるんだったな)」
 と、期待の眼差しでヘルを見つめるが、ヘル自身にその想いは伝わらず、無謀にも氷術でマグマを冷やそうと試みていた。
「うわー! 流石マグマ! 術を使った瞬間に蒸発する!? でも、僕も負けるもんかー!!」
「……いいのか、パートナーの無駄な努力を放っておいて?」
 カールハインツがそう言うが、呼雪は黙ってヘルを眺めている。
 ヘルがノリツッコミや一人で喋り続けたりしているのは、呼雪にとってはいつもの事なのである。
 彼自身、そんなヘルが嫌いな訳じゃなく、どちらかと言えば好きだけど……人前ではそういう態度は出したくないと思っていた。が、今は大帝を救う仕事がある。
「ヘル!」
「ん? 何?」
「昔、温泉を掘った事があるよな?」
「え? 確かに……あるけど、今はもう流石に無理だよー」
「……そうか」
「湧いてる温泉で良い泉質のがあると良いんだけどね……【風の便り】で大地の囁きを……聞けるかー!」
「……俺のパートナーでも無理なようです。やはり地道に泉質調査を続ける方がよいみたいですね」 
 残念そうな顔で呼雪はセルシウスにそう言い、
「ところで、セルシウスさん? 俺、泉質調査って初めてだから何をしていいかわからないんです。温度やサンプル調査をするなら指示を貰えたら……万がいちヘルみたいにマグマ風呂を掘ってしまったら……俺、熱いのは苦手だし」
「困ったな……私も泉質調査というのは初めてなのだ」
「……じゃあ何でここにいるんだ?」
 カールハインツがジト目でセルシウスに尋ねる。
「うむ。貴公らシャンバラの民の知恵を借りれば何とかなると思ってだ」
「他力本願すぎるぜ」

 マグマ風呂で火トカゲと別れたヘルは、謎のパンフレットを見つけていた。
「あ、呼雪ーこれあの温泉だよ! へー今こんな風になってるんだー!」
 呼雪がヘルの持つパンフレットを覗き見る。
「ああ……温泉神殿か」
「……って呼雪行った事あるの? ずるいー!」
「行ったも何も……」
 その温泉はかつてヘルが魔法で掘り当てた温泉に他ないし、いつか、ヘルを見て「派手な方でございますね……」と言っていた黒髪の青年執事兼管理人の事を思い出す。
「じゃあ、今度は二人っきりでしっぽりまったり……」
 と、呼雪に纏わり付くヘル。
 呼雪は暫し無表情でなすがままにされていたが、セルシウスとカールハインツの目がこちらに向いていない事を確認すると、静かに、だが確実に肘をヘルのみぞおちに叩きこむ。
「おうふ……」
 プルプル震えて悶絶するヘルを横目に、呼雪は『温泉神殿』のパンフレットを配っていた者の存在を少し思い出していた。
 そこに……。
「温泉て言っても、あたしはシャバの風呂は大抵お断りだからね……全く、世知辛い世の中だよ」
 そう言って、手にザルをぶら下げて現れたのは弁天屋 菊(べんてんや・きく)である。
「刺青があるだけで、他の客が萎縮するからだろう?」
 カールハインツが言うと、菊は苦笑する。彼女の身体には自身のアイコンと誇る弁財天の刺青があるのは一部で有名だ。
「そうは言うけど、薔薇学の兄さんなら、刺青やタトゥーの1つや2つ入れてるんじゃないのかな?」
 菊のパートナーであり、ギギ ガガへと変身し、マグマ風呂に入られるだけの装備を装着していたガガ・ギギ(がが・ぎぎ)が、カールハインツに尋ねる。
 ガガは、出発前に、菊を門前払いしようとしたスパリゾートアトラスの運営に「『刺青の方はお断り』ではなく、『刺青の方は、もんもんの湯へ』とでもやっといたほうがトラブルを避けられるんじゃないの?」と提案していた。
 運営がガガに「どういう意味ですか?」と尋ねる。その返しもガガの想定内だった。
「あとは口コミで近日オープンとか、刺青入れてる人間を見かけたら、もうすぐ大手を振って入れる温泉ができるぜ」
 と、『もんもんの湯』ができるのを規定路線化しておくことで、外堀を埋める作戦もそこには見え隠れしている。そして、今度はもんもんの湯へカールハインツを誘おうとしたのである。
 学び舎の事を言われて少しムッとした顔でカールハインツが返す。
「あるわけない。波羅蜜多実業高校じゃないんだ」
「へぇ。意外だな」
 菊が驚いた顔をする。
「少なくともオレの知ってる限りに人間には居ない。第一、美しい肌を傷つける行為等理解に苦しむぜ」
 カールハインツの否定に、ガッカリだよ、と愚痴をこぼす菊。
 今までも刺青のために各地の温泉で入浴お断りをくらってきた菊は、スパリゾートアトラスでも同様の扱いを受けていた。
「昭和の銭湯と銘打ってるようだが、紋々背負った御仁がふつーに背中洗って、品評会だか展示会だか判らないような雰囲気が無ければ、とてもじゃないが昭和の銭湯とは言えねぇ」
 自分の信じるポリシーを貫く菊は、スパリゾートアトラスから即座に踵を返し、「無いなら自分で紋々歓迎な銭湯を、“真・昭和の銭湯”と銘打って営業だ!」と、そう思って今回の泉質調査に参加したのだ。
 その完成イメージも彼女の中にはハッキリとした形であった。
 看板は『もんもんの湯』。「間違って別の“もんもん”(悶々)を期待する奴がやって来るかもしれないが、それは知ったこっちゃねぇ」とは菊の言葉である。
 彼女が参考にしたのは、日本の青森県青森市に実在する『酸ヶ湯温泉』の大浴場。脱衣所は分かれてるが中は混浴のスタイルであり、余力があれば他に男女別の小浴場でも作るか、とも考えていた。
 ……が、今回は事業主の募集では無かったため、仕方なくその夢を一旦奥に仕舞う菊であった。
「まぁ、いいや。で、セルシウスにカールハインツに呼雪! 温泉を見つけるにはこれを使うんだよ」
「これは……?」
 菊から渡されたザルを見るセルシウス。そこには、卵と野菜と、塩の小瓶が収められていた。
「料理でもする気?」
 呼雪が菊に尋ねる。
「料理って言ったら料理だね。でも、身体にスゲェいい料理さ!」
 菊は自分の持っていたザルからセルシウスに卵を一つ渡す。
「これは? む……生ではないな。しかし、ゆで卵でもない」
「割ってみな」
 セルシウスが割ると、中から半熟の白身が垂れてくる。
「こ、これは……一体!?」
 菊に促されたセルシウスが温泉卵を一口食べる。
「!!!!!」
 カールハインツと呼雪が、セルシウスの頭上に雷が落ちるのを見ている。
「う……うまっ!!」
「温泉卵ってヤツだ、エリュシオンにはないのか?」
「無い! というより、何だこの卵は!? 黄身が固まり白身は半熟!! どんな魔法だ!?」
「魔法じゃねぇよ。温泉の力さ」
 笑った菊は、温泉卵や温野菜が美味しくできる温泉が良い温泉だと、セルシウスに教える。
「つまり、このザルを持って目星を付けた温泉に投入し、食して判断する……と?」
「話が早ぇな。ま、そういうこった。これが泉質調査には欠かせないんだってわかったろ? つーか、エリュシオン独特の茹でて食べるモノはないのか?」
「茹でるか……ニョッキ程度しか思い浮かばんな」
 シャンバラに来て以来、舌が肥えてしまったセルシウス。そのもっぱらの食事は蒼木屋のエリュシオン店である事は黙っていた。
「よし! これで大帝のための温泉が見つけられる。カールハインツ、呼雪。私達の調査の未来は明るいぞ!」
 無邪気に喜ぶセルシウス。彼の姿に一抹の不安を感じたカールハインツと呼雪が顔を見合わせる。一方、菊はヘルに『温泉神殿』のパンフレットを見せられ、何か味のある顔で頷くのであった。