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ひとりぼっちのラッキーガール 後編

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ひとりぼっちのラッキーガール 後編

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第32章


「……」


 唐突に、アリス・ドロワーズは目を覚ました。
 前後の状況が把握できない。

 どこか、さわやかな風が吹く草原だった。
 近くには公園。遊具で遊ぶ人々の姿。

 ふと自分の姿を確認した。
 いつもの身体じゃない。
 10代後半の女性の姿。


「ああ――懐かしいなぁ」


 アリスはそっとため息をついた。
 自分が人形として生まれ変わる前の、魂のかたち。
 つまりは、生前の姿。


 公園の方から、ボールが転がってきた。それを追ってきた小さな女の子が一人。

「……」

 アリスがボールを拾うと、その女の子は足を止め、少しまごまごしているようだった。知らない人には注意して、とでも言われているのだろうか。

 アリスが先に口を開いた。

「これ、あなたのボール?」

 小さな、ピンク色のゴムボール。どこにでも売っているような。

「――うん!」

 しかしその女の子は、誇らしく頷いた。まるで宝物を自慢するかのように。

「一緒に、遊ぼっか?」

 優しく微笑むアリスに、女の子は満面の笑みを浮かべた。

「うん!!」


                    ☆


 公園に移動する。
 ノーン・クリスタリアは尋ねた。


「ねぇ、あなたはどこから来たの?」

 その子は黙って首を横に振った。知らないのか、言いたくないのか。

「そっか……ね、遊ぼうよ」

 その子とキャッチボールをして遊んだ。
 元気いっぱいの女の子は、時折とんでもない方向にボールを投げてしまうが、どんなに遠くても必ずそのボールを自分で拾いに行った。

「そのボール、宝物なの?」

 ノーンの問いに、子供っぽく笑う。

「いいでしょー。これ、おとうさんがくれたんだよ!!」

「そっか……大事な、たからものなんだね」

 ノーンはその頭をそっと撫でる。女の子は、不思議な顔をしてノーンを見上げるのだった。


                    ☆


 大谷地 康之は呟いた。


「俺はさ……とんでもねぇ勘違いをしてたよ」

 少女は、不思議そうな顔を康之に向けた。
 いつの間にか、ボールをなくしてしまったようだ。

「どうしたの、お兄さん?」

 少女と真正面から向き合った康之は、告げた。

「俺は……事情もよく知らないのに、アニーって娘を救出すればそれでいいと思ってたんだ」
「……アニー……?」
 きょとんとしたような、少し驚いたような、少女の顔。康之は続けた。

「違うよな。今の恋歌や――『恋歌』って呼ばれ続けた子たち。それに、恋歌の親父さんまで……。
 みんな、色んなモンに囚われて……少しずつ間違って……それでも止められない……。
 そんなみんなを救わなきゃダメなんだ!!」

「……れん、か」
 少女の表情が、少しだけ曇る。

「でもさ、俺……正直、恋歌のこと、よく知らねぇし……親父さんのことも知らねぇ……」
 何かを思い出したように、少女は言った。

「思い出した。恋歌はわたしだよ」
 そんな少女の両肩に、康之はそっと手を置いた。真剣な眼差しが、少女を射抜く。

「そうとも……だから、こうして直接触れることができた『恋歌』達は、救わなきゃいけないんだ!!
 どうしていいか本当は、ぜんぜんわからねぇ……でも……」

「……でも……?」
 ちょっとだけイタズラっぽく、少女は微笑んだ。


「わからねぇけど……必ず救ってみせる!! 絶対にだ!!!」


 根拠のない啖呵を切る康之。
 その様子を見て、少女はコロコロ笑う。

「あは……よくわかんないけど……それ、わたしのこと……なんだよね……?」
 少しだけうつむいて、少女は応えた。

「あの……その……ありがと……」


                    ☆


「ねえ、君のしたいこと、教えてよ」


 南條 託は聞いた。

「したいこと……ねぇ……」
 少女は脚を投げ出すようにブランコに腰掛け、託を見上げる。
 いつの間にか、遊具も随分と数を減らしてしまったようだ。

 少女はもうブランコで遊ぶような年齢ではない。ぶらぶらと脚を遊ばせながら、少女は応えた。
「……お父さんも、あの娘も嫌い。だいっきらい……だから、あたしは……」
 少女の目が鋭く光った。
 す、と託は腰を落とした。少女と目が合う。

「うん……でも、その後はどうするの……?」
 少し面食らったように、少女は視線を外した。
「……その後……?」
「そう、その後だよ。
 お父さんやあの娘を憎んだり、羨ましいって思うのはわかるよ。
 でも、そんなことしたって、その後の君はどうするのさ?」
 拗ねたように口を尖らせて、少女は呟く。

「え……わかんないよ……そんなの……あたしは、とにかくアイツらを……」
 託は少女と目線を合わせたまま、続ける。

「……そんなことはさせない……して欲しくないんだ。
 だってそんな悲しいことをしたって、何も……本当に何も残らないのに。
 君たちの存在すら……なかったことにしてしまうような……そんなことは……」

「だって、だってしょうがないじゃん!!」
 少女は怒ったようにブランコから跳ねた。

 少し、雨が降ってきたようだ。


                    ☆


 雨を避けるように公園の隅の東屋の椅子に座った茅野瀬 衿栖は、少女に語りかけた。


「お父さんを憎むのはわかります……でも、あの娘は許してあげてもいいんじゃないですか?」

 水溜りを蹴って、少女が衿栖に詰め寄る。
「冗談じゃないよ!! あたしはそんなに心が広くないもん!! だってあの娘――ズルいじゃん!!」

 一拍置いて、衿栖が口を開く。
「――ズルい――ですか?」

「ズルいよ!! 結局、生まれつきラッキーだったってことじゃん!!
 こっちがすごい頑張ったってお父さんは見向きもしてくれないのに、あの娘だけ最初っから特別扱いだよ!!」
 衿栖はそんな少女を、優しい微笑みで包んだ。
「羨ましい……ですか?」
 少女は顔を赤らめ、そっぽを向いてしまった。

「ち……違うよ! 羨ましくなんかない!!
 でも許せないよ!! 一人だけお父さんに可愛がられてさ!!」
 衿栖はその様子を少しだけ、悲しい顔で見つめた。
「お父さんが、あの娘にばかり愛情を注いでいる……そういう風に見えるんですね」
 少女も、瞳を伏せてこくりと頷く。

 長い睫が、雨風に揺れた。

「ですが、あなたのその想いに駆られて道を外してしまっては……あなたは戻れなくなってしまいます」
 真剣な衿栖の声に、少女は怯えるように顔を上げた。

「もどれなく……?」
 少女の実体を持たない身体が、仄暗い瘴気を発し始めている。見つめた掌が少しだけ透けた。
「イヤ……イヤァ!!」

 雨の中を、少女は走り出す。

「待って!!」
 その後を追って衿栖もまた走り出した。


                    ☆


「ねぇ……君は、どうしたかった、のかな」


 博季・アシュリングは、雨に濡れる少女の背中に語りかけた。
 長く伸びた髪が、雨を吸って艶を帯びる。

 美しい、と思った。

「どう、したかった……?」
 病的に白い少女の顔が振り向いた。

「うん。君がしたいこと、僕が少しは手伝えるよ。この身体を使ってさ。
 もう少し、この世界を見てみるかい?
 やりたいこと、あるかい?」
 博季は、佇む少女を見つめた。

 何か言いかけて、少女は口を閉じる。
 伏せがちな視線を追って、博季は呟いた。
「……そうだね……本当の望みは……叶えてあげられない……よね」

 雨が、その呟きを小さくかき消していく。

「あ……あのね!!」
 少女は叫んだ。博季は黙って、その続きを聞いた。

「あたしさ、やりたいこといっぱいあったんだ!!
 外を思い切り走ったり、誰かと遊んだり!!」

 一歩ずつ、博季は歩み寄った。

「おいしいゴハンも食べたかったし、それで、誰かとおいしいねって話しもしたかった!!」

 一歩、また一歩。

「キレイなお風呂も憧れてたし……あったかくて、柔らかいベッドも欲しかった」

 また一歩、あと一歩。

「それで、安心して眠って……いい夢みれますようにって……おやすみって……」

 雨に混じって流れる雫をかき消すように。

「もっと……もっと、生きたかったよ……したいこと、いっぱいあったんだよ……あった……のに……」

 優しく、少女を抱き締めた。

「あは……へんなの……」

 博季に抱き締められながら、少女は呟いた。


「どうして……あなたが泣いてるの……?」


                    ☆


「ねぇ、君たちの本当の名前を教えてよ」


 少女は応える。

 空を指差して、雨雲から差し込む光の名を告げた。
 遠くの森を指差して、木の名を告げた。
 風を指差して、その心地よさを告げた。
 花壇を指差して、花の名を告げた。
 地を指差して、動物の名を告げた。
 川を指差して、清らかな流れの名を告げた。
 降り注ぐ雨を指差して、雫の名を告げた。
 自らの胸を指差して、心の温かさの名を告げた。
 天を指差して、星の名を告げた。
 Dの14号というような無機質な記号の名を告げた。
 悲しい顔をして、首を横に振った。
 耳に響く、美しい音色の名を告げた。
 本を指差して、遥かなる英知の名を告げた。
 綺麗な瞳に映る、全てのものの名を告げた。
 胸に宿る、ほのかな恋心の名を告げた。


 衿栖は微笑む。
「――いい名前ね」

 アリスは頷いた。
「いい名前だわ。よければずっとここにいてもいいのよ」

 康之は歯を見せて笑った。
「おう、いい名前じゃねぇか……」

 託は微笑んだ。
「覚えておくよ――君たちは確かにここにいたということを。四葉 恋歌なんかじゃない……君たちの、本当の、名前を……」

 ノーンは涙と共に呟いた。
「ねぇ……みんなができなかったことを……今の『恋歌』ちゃんに託すことは……できないかな?」

 そして博季は、彼女たちをそっと抱き締める。
「うん……せめて……次は君たちが幸せになれるように……祈っているよ……」