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人形師×魂×古代兵器の三重奏~白兎は紅に染まる~

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人形師×魂×古代兵器の三重奏~白兎は紅に染まる~
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リアクション

 
 16 力尽くして

 戦闘が激化していく中で重傷者を収容している治療スペースの周囲まで兎達の侵攻は進んでいた。
 契約者が張った結界にぶつかり、時折衝突音と閃光がバリケードの隙間から治療スペースに届く。だが、それにもう声を上げる者はいなかった。小さな少女でさえも。
 虚ろな瞳で重傷者を見つめる彼女は、感覚が麻痺しているのかもしれない。血の匂いに晒され続け、目の前で苦しむたくさんの人々見てしまえば当然の結果ともいえるだろう。寧ろ正常でいられる方が難しいのだ。
 千返 かつみ(ちがえ・かつみ)はそんな少女の前にしゃがみ込む。大丈夫だからと声を掛けようとして、彼の目に少女の痛々しい傷跡と治療の痕が目に入った。血は止まっているようだが、傷跡が綺麗に消えたという訳ではなく、ただ塞がれただけにすぎないようだ。
(こんな、こんな小さな子まで……!)
 自分達がもっとうまく対処できれば。守ることができていたのなら被害はもっと小さかったかもしれない。そう思う事がただの傲慢であるとわかっていても考えはかつみの頭の中をぐるぐると巡った。
 何も言えずに彼はそのまま無言のまま少女を抱き締める。次第に虚ろだった少女の目に光が戻っていく。それは抱き締める誰かの暖かな温もりを感じたからだろうか。少女の目から一筋の涙が流れた。
 涙は溢れ、少女は声を出さずにただ泣いた。まるで泣くことを思い出すかのように。冷たく麻痺した心が暖かな光で溶かされていくかのように。
 少女が泣きやむまで抱き締めていたかつみは、泣き止んだ少女に近くで買ってきておいたジュースを手渡すと立ち上がる。
 彼は思う。仲間たちの様に凄い治療はできないかもしれない、だからこそ自分にできる最大限の事をしようと。
 かつみの背に声が掛かる。医療用具を持ってきてほしいと。彼は医療用具の入ったダンボールからいくつかの包帯とガーゼを取ると、声の方へと走って行った。

「ぅぅ……いた……兎が、兎がぁ……」
「大丈夫です、ここは安全ですから。傷も今、俺が治しますから安心してください」
 安心。その言葉は目の前の肩から先を失った女性に言っているのか、それとも自分に言い聞かせているのか。彼にはわからなくなりそうになる。
 いつもならば誰かが自分のサポートについてくれているが、今は状況的にそんな余裕は誰にもない。一人での治療に不安を覚える千返 ナオ(ちがえ・なお)は不安を振り切るように治療に集中する。
 近くにあったガーゼで即座に止血し女性の傷口に包帯を巻いて行こうとした時、女性がむせ返り激しく吐血。その血は彼の顔に少し掛かった。女性は先程よりも苦しそうに呻いている
 目の前で容体が急変したことに戸惑い、誰かに助けを求めようと周囲を見渡すナオ。しかし重傷者が次々と運び込まれ、フォローに回れる者はだれ一人としていない。
「ぁ……ああ……俺は……」
 困惑し我を見失いそうになる彼の目の前で女性の命の火は、消えようとしていた。息が途切れ途切れになり、瞳は空を漂う何かを見るようにふらついている。
 その時、彼の脳裏に先程エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)に掛けられた言葉が浮かんできた。
 一人で出来ると信じている、そのたった一つの言葉で彼の胸に勇気が溢れていく。
(大丈夫、きっと出来る。俺なら、この人を……助けられますッ!)
 傷口に手をかざし、目を閉じて意識を集中する。
(吐血という事は、内臓がやられている……傷が内臓まで達してしまっているという事か。それならば内側の傷を優先して治癒、外側の外傷は出血を抑える為に傷口を塞ぐだけにして後回し、最優先は内蔵の回復)
 回復魔法をかけながら、彼は頭の中で優先順位、手順を瞬時に組み立てながら治療に当たる。
 そのおかげで女性の呼吸は次第に安定し、一命を取り留める事に成功した。静かに呼吸する彼女をみて、ナオは大きく息を吐いて壁に背を預け、つかの間の休息。といっても、重傷者はまだ数多くいる長くは休めない。せいぜい数秒程度であった。
(……大丈夫か?)
(あ、はいっ。大丈夫ですっ)
 テレパシーで心配そうに声をかけてくれたかつみに明るく彼は返す。もう一人で治療する不安はどこにも無かった。

「くっ……なかなかに辛いものがあるな」
 持続的にグレーターヒールを放ち続けるエドゥアルトはその額に汗を滲ませていた。このグレーターヒールをもってしても、重傷者の傷を塞ぐにはしばらく放ち続けなけらばならなかった。
 なぜなら運ばれてくる重傷者は皆、普通の医者であればお手上げの状態であったからである。
 腕が喰いちぎられているのは軽い方で、腹部をごっそりと削られていたり、両腕を失った者もいる。爪や牙による激しい裂傷によって顔の判別がつかない者も珍しくはない。
 多くの者が絶命していないのは兎が小型生物であった事が理由のようだ。傷は即死するには浅く、楽観視するには深い。まるで地獄の責め苦であるかの様に。
 重傷者の数は時間と共に膨れ上がっていき、トリアージの緊急を示す識別の色も見え始めている。治療を行う者の手が圧倒的に足らないのである。
 果たして、苦しまずに即死する方がよかったのか、運ばずに介錯として一思いに楽にさせてやった方がよかったのか。
 治療を待ち、助けを求めながら苦しみ続けているのを見続けたエドゥアルトは、何が最善かわからなくなりそうになる。
(気を確かに持て。治療する側が、助ける力を持つ側が、先に倒れてどうする……!)
 自分に言い聞かせるように心の中でその言葉を繰り返し、むせ返るような血の匂いの中、彼は治療に専念した。
(今は目の前の者達を助ける事だけ考えろ、倒れる限界までやってやるッ!)
 気を張り直した彼はグレーターヒールを放つ続ける手に更に意識を集中させるのであった。

 治療の指示が飛び交う中、近くまで呼び寄せたかつみにノーン・ノート(のーん・のーと)は他の者への支持を託す。
「この騒がしさの中ではかつみ、お前に伝令役を頼んだ方が確実だ、いいな。エドゥはそのまま重傷者の治療、おそらくトリアージしてくれる人がいるだろうからそれをよく見て、緊急性の少ない怪我人はナオに対応させろ。不安になっているようなら声をかけてそれを取り除いてやることも忘れずに」
 簡潔かつ確実に手早く指示を飛ばすとノーンはかつみを走らせる。
 その背中を見送って周囲を注意深く見まわした。
 重傷者の治療の手は足りず、運び込まれた者達の三分の一を治療したといった所か。緊急性の高い者から優先的に治療してはいるが、全てに対応しきれない分どうしても重傷者でも待たせてしまう所がある。
 歯がゆい思いだった、助ける為の力はあるのだ。だが、圧倒的に時間と人手が足らない。目の前の者を助けている間に、苦しみ痛んでいる誰かの声は尽きない。
 命の取捨選択……してはいけない事であり、あってはならないことであるが……現在の切迫した状況下では綺麗事は言えなかった。
 出来うることならば全員すぐに助けてやりたい。だが、それができない以上、緊急性が高い者を優先しなくてはならない。
「かつみやナオには……辛い出来事になりそうだ」
 今は忙しさによって気にしない状態ではあるが、全てが終わって落ち着いた時……その時こそ治療していた側へのフォローが必要になるであろうことを予見しながら、ノーンは重傷者の治療に当たっていく。