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ホタル舞う河原で

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ホタル舞う河原で
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『今夜、あたしたちと一緒に夜祭りへ行きませんか?』

 寮の部屋を訪ねてきたレオーナ・ニムラヴス(れおーな・にむらゔす)に誘われて、夏來 香菜(なつき・かな)は夜祭りへ出かけることにした。
 2人きりでの誘いだったら、たぶん受けなかっただろう。顔と名前は知っているがそこまでの知り合いでもないし、オープンな性格のレオーナは、ある方面ではとても有名だった。
 その噂話を耳にしている香奈としてはためらいがないわけではなかったが、彼女のパートナーのクレア・ラントレット(くれあ・らんとれっと)が後ろに控えめに立っていて、一緒だというのが分かったので応じたのだ。
 夜祭りに行きたい、と考えていたことも大きく作用したと思う。
 結果として、元気はつらつ1000%のレオーナと一緒に回る夜祭りは、香奈が想像していた以上にハチャメチャで、ハイスピードで、目が回るようなハプニングの連続で……香菜が「ちょっとレオーナ!」と叫び、クレアが「まあまあ」となだめるような場面も1度や2度ではなかったわけだけれど、終わってみれば――そしてこれは祭りだったのだと思えば――結構満更でもなかった。


「んねっ? 楽しかったでしょ?」
 この数時間を一緒に過ごすうち、すっかり打ち解けたレオーナは、ミニりんごあめをかじりながらニヤッと笑う。
 その手には、金魚すくいで獲った金魚が入ったビニール袋(大)とか、セルフわたあめ機でつくった巨大なわたなめとか、水風船とか、ヤキソバとか、もうとにかく夜祭りの屋台で購入した物がてんこ盛りで、しかもそれがすべて規格外サイズだ。
 後頭部には今人気の特撮ヒーローの仮面をひっかけ、口にはふきながし。
 そんな格好で「楽しかったでしょ?」と訊かれては、香菜としても苦笑するしかなかった。
「まあそうね」
 さっ、とレオーナが手を差し出す。
「……なに?」
「手、つなご。ここ、暗いし。足元危ないでしょ」
 香菜はその手をじっと見て、「いやよ」と言った。
「あなた、さっきまでその手でイカの姿焼き食べてたでしょ。ソースのにおいがするわ」
「えー? そっかなー?」
 くん、と顔に近づけてにおいを嗅いだあと「ま、いーか」と笑う。そして、ケンケンパの要領で、前に向かって片足飛びを始めた。
「あなたこそ危ないじゃない。浴衣でそんなことしてたら、転ぶわよ」
「だいじょーぶっ。
 それより香菜こそ、さっきから何してんの?」
 ふともものあたりをピシャリ、二の腕のあたりをぴしゃり、とたたいている。
「蚊がいるのよ」
「なーんだ。香菜も浴衣着てきたらよかったのに」
「学生だもの。出歩くときは制服に決まっているでしょう」
「かたいんだぁ。さすが委員長」
 あははっと笑う。
 ピーッとふきながしを鳴らして歩くレオーナを、香菜はどう理解したらいいのか迷っているような表情でため息をついた。
「香菜さま、こちらをお使いください」
 後ろからクレアがそっと虫除けスプレーを差し出す。
「ありがとう」
 スプレーをかける香菜に、クレアはためらいつつも思い切って話した。
「あの……今、レオーナさまは少し……おかしいのです」
「私には少しどころじゃないように見えるけど?」
「あ、いえ」クレアはあわてて頭を振る。「もともと明るくて元気な方ではあるんです。ただ、ちょっと最近、おつらいことがあって……でも、それを表に出して気づかれて、皆さんに気遣われるのが嫌いな方ですから……」
「反対に、いつもどおりを装って、あんなにうわすべりして落ち着きがなくなっていると」
 ああそれなら分かると、香菜はスプレーをクレアに返し、レオーナへと目を向ける。その先でレオーナは今度は動きをぴたりと止めていた。
「レオーナ?」
「レオーナさま?」
 先までと180度違う、まるで電池の切れた人形みたいに立ち尽くしているレオーナを不審に思いつつ、そばへ寄る。レオーナは少し上の闇を見ていた。
「どうかしたの?」
「ホタル」
 すっと伸ばした指が闇の一カ所を指す。その先で、チカッと小さく何かが光った。
 それをはじめとして、あちこちで似たような光がちらちらと明滅する。それはレオーナの言うとおり、ホタルの群れだった。
「あ」
「まあすごい」
「これね、昨日タケシが言ってたのは」
 昨日の放課後、教室での会話を香菜は思い出す。
「こんな場所があったなんて、知りませんでした。とってもきれいですね」
 はにかみながら言うクレアに、「そうね」とうなずく。
 ホタルに目を奪われた3人は、それからしばらくの間言葉を発することなく舞い飛ぶホタルを見つめていた。
「そろそろ行きましょう」
 そう声をかけようとして、香菜はレオーナを振り返る。
「ね」
 レオーナはホタルに視線を向けたまま、だれにともなくつぶやいた。
「ホタルって、死んだ人の魂って聞いたことあるけど……どれか、あのおじいちゃんだったりするかな。死んだわけではないから、違うのかな」
「おじいちゃん?」
「あ、あのですね……」
 意味が分からない、と眉をしかめる香菜に、横からクレアが説明をした。
 レオーナはカナンの幻のオアシスへ行ったとき、そこに閉じ込められた女性シャディヤと青年ジャファルの恋の成就の手助けをしたのだ。
「レオーナさまのおっしゃる「おじいちゃん」というのは、魔術師の罠によって閉じた輪廻の輪を繰り返していたジャファル青年の年老いた姿、老ジャファルのことです」
「なるほど。
 でも、その魔術師は倒されてシャディヤは解放、2人は今は幸せなんでしょう?」
 どうしてレオーナが落ち込む必要があるの?
 香菜の疑問はもっともで、レオーナは微妙な笑顔を浮かべる。
「……うん。おじいちゃんも、あの2人を見て満足したような最期だった。でも……なんて言うのかなぁ。なんか、やりきれない切なさみたいなのがあって。
 おじいちゃんが不幸せだったとかいうのとは違うし、そういうの、思ってもいけないような気がして……」
「そうね。察するに、そのおじいさんは純粋に、その女性の解放を願っていたんだと思うわ」
 はじめは愛だっただろう。しかし罠にかかり、過去へ落とされ……それが成就しないことへの絶望もあったに違いない。しかし長い年月を経るうちに彼のそういった想いは浄化され、残ったのは彼女を救いたいという思いだった。でなかったら、鍵を他人に渡そうと思うだろうか? そして渡す相手は、それだけの年月を離れて生きても彼女への想いを失わないほどに彼女を愛していると知る相手――ジャファルだった。どこまでもシャディヤを愛し、守ってくれるに違いない人物。シャディヤを救い出す一端となれたこと、そしてジャファルに託せたことを、彼は喜んで悔いなく逝ったに違いない。
「……うん。それはそうなんだけど……」
 クレアが前に出て、レオーナを見つめた。
「レオーナさま。レオーナさまは、ご自分がそれほどまでに人を愛せないのではないかと、ご心配なのですね?」
『いずれ世界征服し、可愛い子猫ちゃんとお姉さまだけの、神聖百合帝国を築くの!』
 レオーナはそう公言してはばからず、かわいい女の子を見ればナンパに精を出し、肉食女子そのものの生き方をしてきた。だれもに平等に愛をそそぐ反面、1人に縛られることはない。それゆえに、たった1人の女性を何十年と想い続けながら自分以外の人間に託して心から満足し、逝った老ジャファルに強烈に憧れを感じるのだろう。
「や。心配っていうか。
 こんなあたしでも、あんなふうにだれか、たった1人の女の子を愛せるのかな。いつか、この世から消えるときに、あんなふうに満足して消えられるのかなーとか考えたら、ちょっと不安な気持ちになっちゃって。
 ごめん。こんなの、ちっともあたしらしくないよねっ」
 あははははーっと笑ってごまかそうとするレオーナに、フン、と香菜は鼻を鳴らして腰に手をあてた。
「何言ってるのよ。この世にはね、ちゃーんと運命の相手っていうのが存在してるのよ。レオーナは単に、まだ巡り会ってないってだけ。心配しなくても、そういう相手と出会ったらちゃーんとビビビってくるんだから!」
 堂々と胸を張ってしかりつけてくる香菜に、レオーナは思わず「ぶっ」と吹き出す。
「び、ビビビって……ふっるーーー! 死語だよそれーーーっ」
 香菜ってば、いつの人間?
「ちょっと! 私が言いたいのはそこじゃないでしょ!」
 腹をかかえて爆笑していたレオーナは真っ赤になって反論する香菜を見て、目じりから涙をぬぐうと飛びついた。
「あーーーもーーー、香菜ってばかわいいっっ!!」
「あ! ちょ! 何すんの! 離れ――」
 いきなり抱きつかれ、ぶつかられた勢いに押されて――あと反射的に避けようとしたのだが逃げそこなって――香菜は後ろにのけぞった。
 支えようと左足のかかとが一歩後ろへ踏み出すが、そこにあったのは空気だけだ。
 香菜は必死にバランスを取り戻そうと腕をぐるんぐるん回したが、もう遅かった。
「ありゃ?」
「レオーナさま、香菜さま!」
 クレアが驚きに目を瞠るなか、どぶんっ! と音をたてて水面に落下する。
 幸か不幸か、そこはひざまでもない水深だった。夜の川で溺れることはなかったが、レオーナは額を、香菜はおしりをしたたかに川底にぶつけて「いたた」とさする。
 川べりでおろおろと心配するクレアの前、頭から水をかぶってびしょ濡れになった互いの姿に、2人は申し合わせたようにどっと爆笑したのだった。