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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
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リアクション


●洋上にて

 蒼いシルクの布をアイロンがけするように、なめらかにクルーザーは海原をゆく。
 蹴立てられた白い泡はきめが細かくて、封を切ったばかりのシャンパンのよう。
 船上、手すりに両腕をあずけて、水無月 睡蓮(みなづき・すいれん)は潮風にはためくプラチナの髪を手で梳いていた。ビキニの水着姿だ、腰に巻いたオレンジ色のパレオがよく似合っている。
「わざわざ船を貸しきってクルージング……今日は、玖朔さんにしては珍しい趣向のお誘いですね」
「そうかい?」
 いくらかとぼけた口調で、霧島 玖朔(きりしま・くざく)はヨットパーカーを風に遊ばせていた。目にはサングラス、パーカーの下は水着があるだけだ。
「あれからどれだけの時間が経ったことでしょう」
「さあ? 数年、かな」
 玖朔は具体的な年数を口にしなかった。
 パラミタに来てからどれだけ経ったか、という意味なのか、
 睡蓮と自分が近しい関係になってからどれだけ経ったか、と訊いているのか、
 それともあの、最後の戦いから数えての話なのかわからなかったからである。
 だがどれであっても、玖朔には胸を張って言えることがある。
 その数年は充実した日々であった、ということだ。
 玖朔の軌跡をここで振り返ってみたい。
 彼はシャンバラ教導団にて、パラミタをめぐる冒険や様々な任務で活躍してきた。火薬の匂い、密林の湿気、ナイフが閃光弾を反射する輝き……そういったものに満ちた日々だった。階級は少尉止まりで軍人としては大成しなかったとはいえ、その経験、それに、パラミタで得た沢山の出会いは、なににも替えられぬ貴重なものであったと思っている
 ――とはいえなにより充実したのはあまたの女性たちとの……。
 ふと、よからぬ回想が挟まりそうになって玖朔は軽く首を振った。
 今は目の前の睡蓮に集中しよう。
 なにせせっかくの、ふたりきりなのだから。
 この広い洋上、貸し切りのクルーザー、好天に静かな波、ロケーションとしては最高ではないか。
「来てくれて嬉しい」
 さりげなく、するりと玖朔は睡蓮の肩を抱いた。
「ここなら、他人の目はないし……」
 言いながら彼女の髪をかきわけて、形のよい耳の尖端を甘噛みする。
「もう、このお膳立てって、そういうことをするためのものだったんですか?」
 睡蓮はくすぐったそうな声を発するが拒まない。振り向いて彼に身を任せた。
「太陽の下で、ってのもいいもんだろ?」
 玖朔は屈み込んで彼女の両脚に片手を回し、横抱きにして抱き上げた。
 睡蓮は直接こたえず、ただ、視線を逸らすようにした。
「私は構いませんけど」
 そういうことだ。
 玖朔は睡蓮を抱いたままビーチチェアに上がり、仰向けに身を横たえて自分の胴の上に彼女を跨がらせた。
 そうして落ち着くと、いつのまにか解いた睡蓮の長い髪を手にして、
「この匂い……好きだな」
 と鼻に近づけたりする。
「ちょ……誰も見ていなくたって恥ずかしさというものは……」
「なに。俺たちの間に遠慮は無用、だろ?」
 この数年の関係を思い出させるように玖朔は笑む。
 といっても、彼女の恥ずかしがる様子がそそるのも事実ではあるが。
 睡蓮の近況についても触れておこう。
 彼女は無事に天御柱学院を卒業したものの、特になにも変わらない生活を送っている。卒業後も鉄 九頭切丸(くろがね・くずきりまる)らパートナーと共に、海京でのらりくらりと研究者生活をしていた。
 たまに昔の知り合いたちと連絡を取り合ったり、興味本位でアブナイ仕事に手を出してみたり、といったイレギュラーなイベントはあるが、世事や出世にはあまり興味がないこともあって、飛び抜けて有名になったり豊かになったりはしていない。
 ただ、今日のようにささやかで、けれども脳細胞には刺激的な生活を楽しむにはこれ以上の状態はないといえよう。
 刺激的な生活……そう、このとき、体の芯を貫くような刺激が、睡蓮を走り抜けていった。
「あっ……うン」
 甘い声まで漏れてしまう。一方で玖朔は、
「これでもか!」
 とわしわし、両手を使っていた。手に余るほどたわわな睡蓮の胸を、存分にもてあそんでいるのである。空気の足りていないゴムまりのような感触、ビキニの薄布がいささか邪魔だが、ときどき指を使って、その隙間から彼女の敏感な部分に刺激を与えるのも楽しい。
 それではいよいよ薄布のほうにはご退場願って――というとき、
「お邪魔するよ」
 ガタっと音がして、船底に続く床板が開いた。
 最初にのぞいたのは、二本の角。
 彼岸花のような色つやの髪がつづいて、窮屈そうに身を捩りながら這い出てきたのは伊吹 九十九(いぶき・つくも)だ。
 じろりと刃物のような視線で、九十九はふたりを睨めて、
「鬼の王たる私をこんな狭いところに押し込めておいて、自分はなにをしてるの!?」
「押し込めてない押し込めてない! って、なんでここに!?」
 玖朔が目を丸く暇もあらばこそ、
「私もいます。お忘れなく」
 と、さらなる密航者が姿を見せたのである。
 鮮やかなブロンドに瑠璃色の瞳、雪の日の朝のように白い肌。ハヅキ・イェルネフェルト(はづき・いぇるねふぇると)だった。
 ハヅキが身を包んでいるのは挑発的な黒い水着、フリルのデザインがまるでランジェリーのようだ。
 睡蓮は硬直してしまって、ただ、滑り落ちるようにしてデッキに尻餅をついた。長い脚を投げ出しているあたりがなかなかセクシーだがそれはさておき、
「まったく油断も隙もあったもんじゃない。ほら!」
 むかっ腹を立てた様子で九十九は玖朔を立ち上がらせ、
「念のため尾行して、こうして船に潜んでいたのです。さあ行きますよ」
 ハヅキも協力して、まだあっけに取られた風の彼をハッチの下に押し込んでしまった。
 パタンと床板ハッチが閉じた。
 船上にはひとり、睡蓮だけが残された。

 ほの暗い船底は、クルーザーの備品が置かれた場所だが、ここで九十九とハヅキはやおら、玖朔に迫るのである。
「あれから何年も経ったというのに……まだ他の女に目を奪われてるの?」
 私がいるでしょう、と言うなり九十九は、巫女服の肩をずらして豊満な谷間を露出させ、玖朔の右手をその内側に導く。
 かつて玖朔を嫌っていた日々が嘘のようだ。パートナーと契約者という関係でありながら、ずっと宿敵同士のように仲違いしていたのがいつの間にか、九十九は彼に完全に心を奪われた状態になっていたのである。玖朔の反応が鈍いのが気に入らないのか、九十九は唇を彼の首筋に寄せ熱い吐息を浴びせた。
 アピールならハヅキも負けていない。
「思い切ってこんな水着を選んだのも、リンクスに喜んでもらうためです。どうぞご鑑賞ください。よければその下も……」
 恍惚とした表情でハヅキは彼の左手をとり、その指先を口に含んでぴちゃぴちゃと音を立てた。唇を離すと、荒い息づかいとともに囁く。
「私は成長しました。戦士としてはもちろん、機晶姫として必要なバージョンアップをたびたび行ったことで女としても十分に」
 教導団の機晶姫としてパートナー契約した当時、ハヅキは玖朔からほとんど頼られず、互いに疎遠がちだったこともあり、本来あるべき信頼関係を築けなかった。だが数年かけ辛抱強く無茶なサポートでも遂行し続けた結果、現在はパートナー以上の関係を結ぶにいたったのである。
 そして今、残された一線を越えてもいいとハヅキは思っている。そのための大胆さだった。
 九十九は胸のみならず角(彼女の弱点)を彼に握らせ、ハヅキもまた彼に太股をすりつけている。甘い匂いに船室は満ちた。
 ところが玖朔は彼女らに溺れることなく、やんわりとこう言った。
「悪いが、今日は彼女と過ごすために来たんだ」
 女癖という意味ではかなり悪い部類の玖朔だったが、それは今日までの話だ。
 彼は鋼鉄の意志をもって自制死、優しく九十九を押しやり、そっとハヅキから離れたのである。
 なおも迫ろうとするふたりだったが、
「…………」
 突然、無言の硬い感触に肩をつかまれてすくみあがった。
 それは冷たく、ごつごつした手甲につつまれた手。
 二メートルを優に上回る甲冑。
 いつの間に来ていたのか、鉄九頭切丸が九十九とハヅキの背後に忍び寄っていたのだ。
 九頭切丸はなにも言わない。
 そもそも声を発する器官すらない。
 だがその有無を言わせぬ姿勢は、
「これ以上抵抗するなら海に投げ捨てる」
 と言っているかのようだった。
「船室の荷物に隠れていたのね」
「く……っ」
 九十九が先に離れ、ハヅキも諦めたように下がった。
「ならば今日は、見守るだけにしましょう」
 ハヅキは静かに息を吐き出した。なに、これからもチャンスはある。
「そうそう。焦ることないわ。私、長寿な英霊だもんね」
 つん、と九十九は玖朔の鼻を指でつついて、
「孫の代まで付きまとってあげる」
 などと艶然と微笑むのだった。
「孫の代……?」
 さしもの玖朔もちょっと不安げな顔をしたが、それはまたいずれ考えることにする。
「では、頼むぞ」
 九頭切丸に会釈して、ハシゴを使ってデッキに戻っていくのである。
 九頭切丸は彼を見上げている。なにも言わない。
 かすかにうなずいたように見えた。

 玖朔はハッチを閉じるや睡蓮を抱きすくめた。
「待たせたな」
 当然パーカーは脱ぎ捨ていている。九十九とハヅキに刺激されたせいか、かなり昂ぶっているのだ。だがその様子を見せずに、ごく自然に彼は言う。
「一緒にいるために悪いところは改善しよう」
 女癖のことを言っている。実際、船室で堪えきったのは快挙であろう。
「その代わり、こっちは俺のものだけどな」
 そのときもう、玖朔の顔は睡蓮の胸の谷間にうずまっており、両手は巧みに彼女のパレオを外し、その下を留める紐を外しにかかっていた。
 ところがこの、玖朔にとっては歴史的(?)発言に対して、睡蓮が見せたのはキョトンとした反応だった。
「もう、そんなのいいんですよ。私はいつもの九朔さんが好きなんです」
「えっ!?」
 玖朔は顔を上げて睡蓮の顔を見る。
「臆病で引っ込み思案な私の手を引いて、『外の世界』に連れて行ってくれる王子様、それが玖朔さんなんです。だから」
 母親のように姉のように、そして妻のように、睡蓮は彼を優しく包み込む。
「私にいたずらしてほしい、怒らせてほしい……いけないことだからいい。だから、そのままでいてくださいな?」
 玖朔はしばし言葉を失った。
 睡蓮の口調に嘘はない。無限の優しさが伝わってきた。
 けれどその優しさは底無し沼のよう、なんだか、足を踏み入れるのが怖い気もする。
 だが悩むのはやめよう。自分らしくあれと言ってくれているのだから、自分らしく睡蓮に愛を注ぐまでだ。
 ――ええい、ままよ!
 決意とともに、玖朔は睡蓮の唇を吸った。