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リアクション
一方その頃、艦橋を始めとする他の場所も大変なことになっていた。
「出ましたッ!! 3時の方角!」
飛空艇を揉みくちゃにする渦のような気流に、必死で舵を取るヨハンセンの隣りで、操舵補助のアウインが叫んだ。
「ドラゴンフィッシュです!」
「な……んだ、ありゃあ!」
第2甲板、左舷前方の非常用扉から、外の様子を見た五条武は目を見開いた。
「……ウツボ?」
と、イビー・ニューロがぽつりと言って、
「ウツボはあそこまで邪悪な面構えをしてねえよ!」
と返す。
長い胴体は確かにウツボに似ていると言えなくも無かったが、トゲだか角だか触角だか解らない代物がタテガミのように生え、威嚇するようにがばりと開けられている口からは、非常識な歯並びの牙が見える。
そして何より、この乱気流などまるで存在しないかのように悠然と泳いで向かって来るその姿は、この飛空艇など丸のみできそうに巨大だった。
「くそっ、これじゃ威嚇にもなるか……!」
とにかく、近づかれたら話にならない。
激突などされるだけで命運が尽きそうだ。
武はとにかくトミーガンを乱射する。
「手伝うネ!」
艦橋にいたレベッカ・ウォレスが飛び込んできた。
「頼む!」
武の後方にある別のドアをバタンと乱暴に開いてドア枠に背を預け、片足を向かいのドア枠に乱暴に蹴りつけて突っ張るように身体を固定させ、レベッカは船酔いでダウンしたパートナーのアリシアから引っ張り出してきた光条兵器のライフルを構える。
狙いながら、ち、と舌打ちをした。
「どこが急所かわかんないヨ!」
「弾幕薄いです! 何してるです!」
ハルカが伝声管に向かって叫ぶ。
「何じゃソレ?」
光臣翔一朗がぽかんとして訊くと、振り向いたハルカは
「たけさんに、艦長セリフ集渡されたのです」
とメモを見せた。
<ラー・ハルカイラム艦長セリフ集>
『弾幕薄いのです。何やってるです!』
『ばかめです!』
『男には負けると解っていてもやらなきゃならない時があるのです!』
『この世に神なんていないのです!』
「……随分余裕じゃねーかあいつ」
何か違うのも混じってんぞと思いながら、翔一朗は溜め息を吐いてそのメモをハルカに返す。
実はハルカが全く関係無い伝声管に向かって叫んでいたのはご愛嬌だ。
アウインが悲鳴を上げた。
「親分、もう一匹です! 9時半!!」
「無視しとけ! どうせ2匹同時には来ねえ!
おまえ等威嚇射撃を休めるな! どんどん撃ちまくれ! 回避するから落ちるなよ!!」
後半、伝声管に向かって武達にそう怒鳴ると、ヨハンセンは言うことを聞かずにギシギシと鳴る舵を、力任せにきる。
「きゃあっ!」
「ご主人!」
ぐらりと大きく船が揺れて、体勢を崩したソア・ウェンボリスが、ぼふんと雪国ベアの腹部に倒れ込んだ。
「大丈夫か、ご主人」
「ご、ごめんなさいベア……」
ソアは船酔いで青ざめていたが、それでも慌てて身を起こし、その時今度は反対側に大きく揺れた。
「きゃんっ!」
「ハルカっ!?」
転がりかけたハルカが、ぼふんとベアの背中に受け止められて、ベアは慌てて振り向いた。
「よっしゃソアとハルカはそこのクッションに括り付けとけや!
あんた、死ぬ時は前のめりじゃで!」
「何だそれは――!」
クッション呼ばわりは心外だが、別にソアやハルカがこの酷い揺れの中、うっかり転んでしまった時の衝撃を緩和する為にふわふわな自分の身体を使うというのならそれはまあいいとしよう。
しかしなぜ背中! 普通はこう、抱きしめる感じのシチュエイションなのではなかろうか! というベアの心の叫びは、あまりにも酷い揺れで舌を噛んでしまい、主張することはできなかった。
「こなくそっ……!」
ヨハンセンは苦々しく舌打ちする。
回避はできたが、振り切ることができない。
上下左右から渦巻く気流のせいで、速度が取れない。
「親分、方向を2度修正!」
「りょーかいぃ!」
アウインの指示にヤケクソのように叫ぶ。
「くそっ、まだ雲を出ないのかっ?」
武が吐き捨てた正にその時、急に周囲の風景が変わった。
「うおっ!?」
突然の青空。
「……抜けた……」
イビーが、空を見上げて呟く。
「はあ……、やっとネ……」
レベッカもぐったりと腰を折った後、ほっとしたように笑った。
「はあ……やれやれ」
ついに乱気流の結界を抜け、ヨハンセンはどっと肩の力を落とした。
ドラゴンフィッシュは結界内に生息する魔物だから、雲の外へは追って来ない。
ハルカはぱたぱたと壁際に走った。
「ののさん、大丈夫です?」
船酔いで蹲っている高務野々は、蹲ったまま頷き、全然大丈夫ではなかったのだが、もう平気ですよと小声で答えた。
「島が見えてきました!」
アウインが島影を発見したのは、その翌々日の朝だった。
コハクが窓からその島を見つめ、
「……セレスタインだ」
と呟く。
帰ってきた。ついに。
適当な場所を見つけて、着陸する。
エンジンを止めた飛空艇機関部で、”光珠”を外してしまいこみ、それからコハク達は飛空艇を降りた。
外は、目に見えない霧のような、胸の詰まるような空気が立ちこめ、淀んだ気配に満ちていた。
地面は腐ったような苔に覆われていて歩き辛い。空も濁っていて、太陽の光は遮断されていた。
岩場ばかりの島だった筈なのに、漆黒の、植物なのか金属なのか解らないようなものがびっしりと地面を覆っていた。
樹、のようなもの、が、幾つもそそり立ち、その根元と思われる場所に何かが蠢いているのが遠目にも見える。
「……大丈夫ですか、コハク?」
確かにセレスタインなのに、やはり夢でも何でもなく、ここはもう、かつてのセレスタインではなかった。
立ち竦むコハクに、ぽんと軽く肩を叩きながら橘恭司が声をかけ、見上げたコハクは頷く。
「それにしても……」
と、周囲を見渡しながら、葉月ショウが首を傾げた。
「魔境化した聖地には、瘴気が満ちてるんじゃなかったのか?
息、できるよな……」
かなり息苦しくはあった。話をするのにも少し息が切れる感じがする。
それでも、全く息が出来ないわけではなくて、それが不思議だった。
「……そう言えば……。
瘴気が出なくなったのでしょうか? それとも、何らかの力で抑えられている?」
恭司は周囲を見渡す。コハクは弱っているせいか、それでもかなり苦しそうだが、見渡してみれば、自分を含めた周囲の面々は、コハクに比べれば随分ましな様子だった。
勿論息苦しくはあるようだが、会話や動作に支障が出るほどでもない。
様子を窺うように見渡した後で、恭司はふっと息を吐いた。
「とにかく……行きましょう。
さあ、そろそろ、終わりにしましょうかね」
そう言ってコハクを促した。
黒い岩場で、カレン・クレスティアは荒い呼吸を整えていた。
肺が空気を欲しているのに、ぜいぜいと激しく呼吸をすれば、肺に入ってくるのは禍々しいもので、カレンは激しく咳き込んで、傍らでジュレールはおろおろとカレンの背を撫でる。
「だ、だいじょぶ……。ちょっと、身体がびっくりしたみたぃ……」
空間転移は成功した。
「じゃあ、行くよ」
オリヴィエ博士からの連絡を受けて、再び彼の家を訪れ、その装置の台座の上に立つカレンとジュレールにオリヴィエ博士が確認し、答えて
「お願い!」
と力むカレンに
「まあ頑張って」
と博士は笑った。
「2人の騎士によろしく。じゃあ、行くよ」
そうして転移を行い、発動の一瞬後には、カレンとジュレールは、周囲の気配が全く違うこの場所に立っていた。
だがその一瞬で、2人の全ての魔力が一気に底を尽き、カレンに至っては体力までが激減していて、急激な変化に動けなくなってしまったのだ。
ようやく落ち着いて、2人は周囲を見渡した。
「ここが、セレスタイン……」
空気に邪悪な何かが溶け込んでいるようだった。ずっとここに居続けたら、精神が蝕まれ、別の生き物になってしまいそうだ。
「でもまあ、とりあえず、成功! やったね」
カレンがぱちんとジュレールの手のひらに拳をぶつけて、2人は立ち上がった。
「……行こう!」
そしてこくりと息を飲んで、意志を奮い立たせ、カレンはジュレールを促した。
「千客万来ってこういうのを言うのかなあ……」
オリヴィエ博士は、ふっと遠い目を天に向けた。
「どうでもいいけど、その首捻られたくなかったら、頼みをきいてくれないかしら」
メニエス・レイン(めにえす・れいん)が、そんな煤けた感慨には全く興味が無いと言うように、彼を睨み見る。
「弱い者いじめはよくないよ……。
別にきかないとも言ってないしさ」
オリヴィエ博士は軽く肩を竦めた。
コハクを護る多くの者達がメニエス達の襲撃を警戒していた時既に、彼女等はコハクへの興味を失っていた。
女心と秋の空、今のメニエスは、『全てを滅ぼす虚無の力』を手に入れる気でいっぱいだった。
同行している桐生 円(きりゅう・まどか)は似て非なる。
単に自分が楽しければいい感じだが。
「まあでも。一応忠告しておこうかな……」
ほら私も律儀だし、と、メニエスのパートナー、ミストラル・フォーセット(みすとらる・ふぉーせっと)とロザリアス・レミーナ(ろざりあす・れみーな)を見た後で、もう一度メニエスを見た。
視線を受けて、メニエスは不快そうに眉を寄せる。
「多少の噂なら既に聞いているし、やめておけという話なら意味がないからそれこそやめて欲しいわね」
「うん。言って帰ってくれるなら是非そうしたいところなんだけど君達怖いし。
あのねえ、転移に使う魔力は、全員から平均的に抽出されるんじゃなくて、どうも容量の大きい人から全部取ってから、足りない分を次の人から取る、という感じらしいんだよね。
見た感じ、君が最初に狙われそうだから、まあ気をつけて」
それと、と、博士は自らの額を指差した。
「転移が終わったら、ここに何となく、何かを感じるようになるから。
まあ往復切符の帰りの切符だと思えばいいと思うよ。
もし帰りもこれで帰って来たいなら、額に軽く触れるといいけど、帰りも魔力吸われるから、ちゃんと回復させておいた方がいいよ。
行く時と一緒だった人と帰りも一緒である必要はないけど、魔力不足にならないように気をつけて」
言うだけ言って、じゃあこちらへどうぞ、と、奥の部屋へと歩き出す。
メニエスとミストラルは顔を見合わせた。
「……親切な方ですね」
「バカなんじゃないの」
そして転移をしてみれば、オリヴィエ博士の言葉通り、メニエスは殆ど瀕死状態、ミストラルも消耗していたものの、代わりに円やパートナーのオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)とミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)は殆ど無傷だったので、2人に治癒魔法を施して回復させた。
「じゃあここで一旦別れよう」
とりあえず目先の目的が違う円とメニエスは、ここで二手に分かれることにした。
「じゃあまたね」
と、円はその場を立ち去ると、『カゼ』の姿を捜した。
闇雲に捜して見つかるはずもないとは思ったが、彼の目的もこちらと似たようなもののはずだ。
ミネルバを後ろに乗せ、ほうきで上空から捜し回った。
「円円、アレアレ!」
不意にミネルバが上空を指差す。
2人がいる地点よりも更に高い岩場、崖の上を歩いている人影が見えた。
向こう側へ見えなくなりそうな人影を慌てて追って、高度を上げる。
「『カゼ!』」
声を投げると、人影は止まって振り向いた。
武器を構える様子もなく近づいて来た円達に、怪訝そうに眉を寄せる。
「何の用だ」
「手を組みたいと思ってさ」
円は崖の上に行くとほうきを降り、『カゼ』に嘲笑を浮かべて見せた。
「そっちだって切羽詰ってるんだろ? 息切れしてるのが見えるようだよ、死に損ない。
お互い駒が足りない。そうだろう?」
返って相手を不快にさせるかもしれない挑発は、しかし円の性分のようなものだ。
だが『カゼ』の表情は動かず、微かに瞳を薄めただけだった。
理解できない、というように。
「……お前の目的に、俺を必要としない。
俺の目的に、お前を必要としない」
もーこいつ殺っちゃおか、とミネルバが円に囁いたが、今は駄目だよ、と制止した。
『カゼ』はそれだけ言うと、再び円に背を向ける。
繁るような黒い物体達の中に紛れるように、その姿は見えなくなった。
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