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リアクション
chapter.3 空京大学(2)・論文評価
学長室へと入り込む生徒たち。まずアクリトが目を通した論文は、入室者のひとり、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)のものだった。
「1.論文テーマ 蒼空学園の現状と理想について」
『2.序論・現状等
御神楽環菜氏が暗殺により死去
その遺言により学園運営権の山葉涼司への移譲が行われ
山葉氏による御神楽体制と同じ方式で学園運営が行われている
御神楽体制は故人の私財によって学園が設立されたこともあり
校長・理事長・生徒会長を故人が兼任し強烈な権限の元で学園を運営、「支配」していた
同時に山葉氏に故人程の才能や実績はないことも知られている
3.仮説
このような運営支配体制である蒼空学園の状態或いは現状を
歴史を学んでいる者として専制国家的であると分析する
4.実証分析
御神楽体制と専制国家の類似性は
A支配者の絶対的な権威と権力及び支配
B国或いは学園が支配者個人の所有物として認識されている
C臣民或いは生徒が支配者の自己に対する支配権を受け入れている
D支配者が国或いは学園に対する支配権の譲渡を行ない、被支配者はそれに服従している
5.考察・結論
専制国家においては支配者が平凡未熟な場合、優秀な臣下が支えそれにより国が保たれていた
中国春秋時代の斉の桓公は管仲を宰相に迎えて覇者となったが管仲の死去ののち国を傾けた
周は単独では280年の王朝だったが諸侯の助けにより約730年続いた
君主と臣下の関係が良好で明君或いは賢臣のどちらかが存在すれば国は長く保たれるのである
以上から蒼空学園の現状より導かれる理想的な状態は
山葉氏が自身の未熟と故人と同様の支配が出来ないことを自覚すること
その上で生徒の中から側近となる者を集め不足を補う側近団ないしブレーン集団を形成すること
学園という性質上、山葉生徒会長を中心とした生徒会を結成し学園運営に当たるのが良いと結論する』
「ふむ、なかなか本格的なものを書いてきたようだな」
読み終えたアクリトが祥子に言った。
「一応教師を目指している身ですから」
これくらいは当然、といった様子で祥子はアクリトに答える。それはどこかアクリトに対するアピールにも見えた。
「まだ教育者になっていない立場で言うのも変かもしれませんが、こういう場合先達としては、影から支える方が山葉校長のためかもしれません。自主自立、独立独歩を助けるのも教育者の役割だと思いますので」
アクリトに物申す祥子の様子を、すぐ後ろでパートナーの同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)と那須 朱美(なす・あけみ)は見守っていた。いや、朱美はどちらかと言えば見守るというよりもそわそわ落ち着かないでいる、と言い換えた方が正しいか。
「ねえ静香、大丈夫かな、あんなこと言っちゃって」
ぼそぼそと小声で朱美が言うと、静かな秘め事――通称静香が答えた。
「もしかしたら母様は、緩衝材になろうとしているのかもしれませんわね」
「緩衝材?」
「アクリト学長は御神楽環菜への義理とか親切心で今回の言動に及んだのでしょうけど、メガネ……もとい、山葉校長の人となりからすれば拒絶されるのは当然ですわ。ですから母様がそこでワンクッションを置いて、補佐や後見を申し出る程度に案を修正して反対が出ないようにしようとしてるのだと思いますわ」
「な、なんだか難しいね……」
「では問うが、ちょっとの風で右へ左へと軋む木があるとしよう。このままではいずれ木が折れ、周りを巻き込んでしまうとしたら……外から補強することと、木を抜いてそこに新しく丈夫な木を植えること、どちらが効果的だと思うかね?」
「……それは」
祥子が言葉に詰まる。その空間に新たな言葉を投げ込んだのは、祥子同様に論文を提出しに来ていた騎沙良 詩穂(きさら・しほ)だった。
「先生、よろしいでしょうか。そう仰られる先生に、ぜひ詩穂の論文を読んでいただきたいと思います」
やや険しくなっていたアクリトの表情を見て詩穂は一瞬怯んだが、それでも彼女は自分の書いたものを手渡す。
「蒼空学園の現状と理想について」
『蒼空学園を例えるなら「橋」であり、現状は大きな柱を失った状況に似ています。
現在の山葉校長は、その柱を数本ではなく、『意地』で全て背負っている様に見えてとても辛いです。
言葉は厳しいですが、今の山葉校長はその橋を渡って、外交に赴きに行くには向いてないと思います。
私は蒼空学園の学生でした。
その頃から今に至るまで多くの人達の支えがあったからこそ、今の私、これら先の私があるはずです。
蒼空学園は校風から、人間関係を深める場であり、人々や他校との『橋』の中心であるべきが建学からの理想の姿であると私は思います。』
「なるほど」
アクリトが詩穂の文章を読み終え、彼女を見据える。
「つまり、現在の山葉君に校長職は荷が重過ぎるが、私がそこに納まっても理想の形ではない、ということかね?」
眼鏡の奥から、アクリトの瞳が詩穂を刺す。詩穂は少しの間黙っていたが、やがてその口を開いた。
「論文だから感情は一切抜きだったのですが、見破られましたか……」
観念した、といった態度で、そこから詩穂はアクリトに自分の願いを語り始めた。
「失礼ですが今回の件、校長先生は頭の回転が速いから、すぐ先のことが見えてしまうのだと思います。でも……ひとつだけ、お願いがあります。山葉先輩……いえ、山葉校長を理屈抜きで、少しの間でいいので人間として長い目で見て頂けないでしょうか?」
「人間として?」
その一部を繰り返したアクリトに、詩穂はさらに続けて言った。
「人は良い恩師との縁があれば、時間はかかれど必ずや育つ……詩穂はそう思います。お互いが心配をかけつつも、それでも支えあうのが社会だと詩穂は考えています」
そう言う詩穂はどこか悲しそうにも見えた。涼司も、アクリトも、どちらもひとりでたくさんのことを抱えすぎているように彼女には思えたのだ。
「意見のひとつとして、受け止めておこう」
詩穂の主張に対し、アクリトは短くそう答えた。
祥子や詩穂も先ほどの生徒たち同様に涼司のフォローを示唆する文を書いたことで、アクリトはさらに思考を働かせることとなった。挨拶をして去っていった祥子と詩穂を見送った後、彼はしばしの間目を閉じた。
ここまで生徒の自主性が強いとは意外だ。
心の中でそう呟く。そこからさらに奥へと思慮を潜らせようとした彼を、新たな入室者が遮った。ノックと共に部屋へと現れた生徒は、藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)だ。彼女もまた論文を出しに来た生徒のひとりのようだ。パートナーの亡霊 亡霊(ぼうれい・ぼうれい)と宙波 蕪之進(ちゅぱ・かぶらのしん)を引き連れて、優梨子はアクリトに論文を差し出した。
「アクリトさん、論文のテーマでピンと来ましたので、どうか私の大作を読んでいただけませんか?」
アクリトが用紙を受け取る。それは確かに、今までアクリトが見たどの論文よりも多くの文章量があった。あまりのボリュームに呆然としたのか、思わずパートナーたちも一切喋らず動かずの姿勢である。アクリトはびっしりと書かれたそれに、ざっと目を通す。
タイトル「カリ・ユガ〜蒼空学園の現状と理想について〜」
『御神楽環菜校長の逝去により、蒼空学園は不安定な状況にある。
一例を挙げれば、王たる環菜氏を欠いた心理的な側面の危うさであるが、これは危機であると同時に、可能性を孕んだポジティブな混沌と見ることもできよう。
そも、環菜氏が殺害されるに至ったのは、古代の祝祭に起源を持つろくりんピックの最終競技においてである。襲撃者の意図はどうあれ、これは「祭儀における贄」の意味を孕み得る。
チャクラムによる首の切断もまた、象徴の領域において重要な意味を持つ。首は生命の宿るものとして信仰の対象となり、斬首にはおのずと象徴的意味が付きまとう。
インドにおける自分の首を断つカーリー図像(「チンナマスター(断頭女)」)は、このことの傍証となろう。
首とカーリーの関わりからは、夫神シヴァ神の「ムカ・リンガ(顔を持った男根)」像も挙げられる。頭部と男根は石器時代の像においてはしばしばイメージを重ねて造型される。サロメはヨハネの生首に執着し、口付けて、歓喜する。
生首は、シヴァ神の象徴たる、リンガなのである。
ここにおいて、環菜氏の属性である「経済」に重要な意義が見出される。経済→金→金精様(男根・豊饒の神)という意味の転換が可能とされ、女王の身の危うい昨今において、シャンバラ国土全体の豊饒を補強する機能を呪術的にもたせることが、可能となるのである。
ここで空京を窺うに、御神楽講堂という、まさに彼女の名を冠する施設の存在に気付く。
空京の霊的守護の危うさはかねて指摘されていることであるが、環菜氏の首という呪物を彼女の属性を持つ「神殿」に収めることは、これの効果的な補強となり得よう。
御神楽講堂を抱える空大は、インド出身の学長を抱える、シャンバラ九学校中もっともインド色の強い教育機関である。パラミタにおいてリンガ崇拝の伝統を主導するにも適切である。
先述のシヴァ神はカリ・ユガにおいて世界の破壊と再生をなす神であり、また、自身はカーリーに殺される神でもある。その死が世情の混迷を加速させる環菜氏の首を「ムカ・リンガ」として扱い、かの神との照応を図ることは、心理的・魔術的に有意義であろう。
ここで視点を転じれば、首の霊性は、シャンバラにおける干し首作りの習俗が特に意識するところでもある。呪物の運用においては、魔術一般の理論のみならず現地の習俗・呪術を使用し風土に溶け込むことが、効果を高め人心を昂揚させることに繋がろう。
一方で、環菜氏の胴体にもまた、意味を持たせることができる。もとは首とつながっていたが故、感染呪術の素材として最適なのであ
る。
結論:
蒼空学園には環菜氏の胴体を、御神楽講堂には彼女の干し首を安置し、もって空京・ツァンダの鎮護としつつ、蒼学・空大の魔術的なリンクのキーとし、協調を図ること。
これこそが蒼学・空大両校による理想的な処置であると、ここに提言する』
「……」
読み終えたアクリトが、無言で優梨子を見る。優梨子は心なしか笑みを浮かべ、「どうでしょう」とでも言い出しそうな表情をしているようにも見える。
「……間違っていたら失礼だが、君は強化人間とかそういった類の」
「いえ、地球人です」
「そうか……不躾な質問をしてすまない」
それ以上アクリトは、優梨子に何も言わなかった。満足気に部屋を出て行った優梨子を見て、アクリトは呟く。
「この大学にも、様々な生徒がいるな……」
ふう、と息を吐くアクリト。しかし彼はこの後、さらに生徒の多様性を知らされることとなる。
それは、論文を収納しようとアクリトが自分の机に戻った時だった。
彼は机の上に、未開封の封筒を見つけた。
「ん……? これも論文か……?」
封筒を開けると、予想通り中から論文が書かれた紙が出てきた。アクリトはざっとそれに目を通す。
『現在の蒼空学園は、「俺が蒼空学園だ」という言葉の示すとおり、山葉涼司の私物と化しています。しかしこれは理想的な状態とは言えません。
山葉は以前から「メガネ」の愛称で知られており、今もかけていないメガネに手を伸ばす姿が見られるなど、彼自身メガネに愛着を感じ、また必要としているのは明らかです。
しかし現在の蒼空学園は御神楽環菜を失い、また山葉が視力矯正を行ってしまった結果、大幅にメガネが足りていません。
このような状態の山葉に蒼空学園を任せるのは不安だと言えます。
山葉はその挙動から自分を見失っていることが明らかであり、また学園の生徒からの支持も得ていないからです。
今の蒼空学園と山葉にメガネが必要なのは明らかですが、そのメガネを供給できるのは、メガネの学長であるアクリト氏を擁する空京大学をおいてほかにありません。
アクリト学長が蒼空学園すなわち山葉を支配することで、蒼空学園および山葉が正しい方向に導かれるものと思われます』
「……なんだ、これは。うちの生徒が書いたものなのか」
アクリトは怪訝な顔で用紙を見た。そこには確かに、空京大学の生徒である湯島 茜(ゆしま・あかね)の名前が書かれていた。
「湯島茜か、憶えておこう」
パソコンに向かい生徒のデータベースを開くと、アクリトは茜のところに赤文字で「要勉強」と打ち込んだ。
なおその頃、構内では茜が危険な発言をしているのが目撃されていたようである。
「かつての幼なじみを失って強がっている少年と、それを導こうとする知的な年上の男性! これだよ! 今の蒼空学園にはこういうのが必要だよ!」
というようなことを楽しそうに言っていた、と目撃者は証言している。
彼女の論文はおそらくアクリトの意図とかけ離れたものであったが、元薔薇の学舎生徒という立ち位置としてはあながち間違いとも言い切れないのかもしれない。
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