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【Tears of Fate】part2: Heaven & Hell

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【Tears of Fate】part2: Heaven & Hell

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●狙撃手たち

 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は空を見上げた。
 戦車の色だ。あるいは、兵士の鉄兜の色――いずれにせよ、新品のそれではなく、歴戦を経て戦いの洗礼をたっぷりと浴びた鈍色(にびいろ)、疲れたような色だが、不思議とローザはこの色が好きだった。
「来たわね」
 ローザの口元に笑みが浮かんでいる。
 ――なんだろう、この気持ち。
 幼き頃、滅多に戻らぬ父が、帰宅すると聞きベッドで眠らず待っていたときのような。
 あるいは、花束を買って恋人の家に急いでいるような。
 そんな気持ち。
 宿敵を待つ、気持ち。
 好みの色の空とともに、不謹慎ながら幸せを感じてしまう。顔面は迷彩塗装のせいでぴんと張ったようになっているが、またそれがいい。あとはナパームと、ガソリンの匂いでもあれば最高なのだが。
「DEAD OR DIE(死か、然らずんば、死を)……」
 祈るようにローザは呟いた。
 森は静かだ。黄金虫のような魍魎島、その南部に僅かに残る密度の高い森、ローザマリアはこの場所に上陸して淡々と戦闘準備を整え、今、このときを迎えていた。
 クランジΙ(イオタ)、いまだ顔を知らぬ強敵。けれどこれまで二度、彼女とは銃弾を応酬した。
 今日も彼女は来る、そんな確信がローザにはある。この島を攻めるとして、自分ならどうするか、その結論はすぐに出た。
(「兆弾を使うと判明した以上、そのメリットを最大限活かせる場所は跳ね返る物が無数に存在する南の森しか考えられない」)
 仮に遮蔽物の少ない北岸から上陸すれば、すぐに位置が特定されてしまうだろう。狙撃手としての自分を活かす道も南しか考えられなかった。
 一度も顔を見たことはないが、イオタには強烈なシンパシーを感じるローザである。そのプロフェッショナルに徹したところには敬意も抱いている
(「イオタ。あなたにアドバンテージをあげる。跳弾の名手なら森は絶好のフィールド、跳ね返せる物は無数にあるもの。おまけに……」)
 彼女はもう一度鈍色の空を見た。
 針で軽く突くだけで大量の雨がこぼれそうな空だ。
(「コンディションは最高。身を隠しおおせるにはこれ以上の状態はないでしょうね」)
 だからいいのだ。それだから、これほどぞくぞくするのだ。
 ここでイオタと戦い、
「勝つ。必ず」

 魍魎島の北岸に戦艦と大量の機晶姫たちが上陸したのはそれから間もなくのことだった。
 さして間を置かず、密かに南岸にも上陸者が姿を見せた。

「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にもみよ! 然り! 妾こそイングランド女王エリザベス?世だ!」
 大音声でグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)は名乗ると、森の手前で量産型クランジを待ち受けた。機械蜘蛛、機械犬も引き受ける気概だ。兵は神速を尊ぶ、目にも止まらぬ速さで剣を抜き、次々と斬りつける。
「その名乗り、どちらかと言えばまだわたくしのほうが近いような気がします」
 踵を殆ど地に触れない走法で、上杉 菊(うえすぎ・きく)がグロリアーナに併走する。菊は弓に矢を構えているも、放つは最小限とし、グロリアーナに並びつつ敵方の全体像を見極めていた。
「はは、最近、こういうのも面白いと思ってな!」
「最初からエリザベス?世と明かしてしまうのは、いきなり印籠を取り出すようなものでは……?」
「なぁに、今回は『巻き』よ、『巻き』。妾らはローザとクランジΙの舞台を作り上げることが目的ゆえこれでよい」
「『巻き』だなんて……そんな言葉どこで覚えてきたんですか」
「テレビ」
「でしょうと思いました」
 軽口を叩き合っているようだがそればかりではない。二人は息を合わせ敵を引きつけつつ、南岸の大体の状況を見て回ったのである。
 北岸に比べればずっと数は少ない。また、北岸のように戦艦を乗り付けてきたわけではなく、あらゆる兵はボートのようなもので上陸したようである。
「見積もり通り、のようですね」
 空を見上げ菊は、使い魔の紙ドラゴンのメッセージを読み取った。ドラゴンは低空飛行した拍子にクランジの電磁鞭に捕らわれ墜落したが、目的は果たした。
「ならば妾たちのやることは決まったな。菊媛」
「無論です」
 二人は同時にサイコキネシスを発動させた。
 降り出した雨の中、南岸の各所で爆発が起こった。音こそ小さけれど威力は絶大。岸が崩れ大量の機晶姫を海に叩き落としたかと思えば、深い落とし穴が開き犬や蜘蛛を叩き落とす。
「あっけないですが、これで南岸上陸部隊の兵力大半を削ることができたようです」
 そもそも少数の敵だったからこそ可能だったのかも、と菊は言い、残った敵(そしてこれは、罠の存在を知って動揺している敵でもある)を掃討すべく矢を放った。
 雨にそぼ濡れた髪をかきあげ、女王の英霊は剣を構え直した。横殴りの雨が口の中に入り込んでくる。氷雨だがシャワーのようでもあった。走り回って火照った体には丁度いい。
「この一戦は二人の舞台。あの者達だけで決着をつけねばならぬ戦いだ。何人たりとも介入は罷りならぬ――そう。誰であれ、また何者の意思であれ、介在させる事はできん」
 我らは舞台を守るのみ、そう告げてグロリアーナは残敵に挑みかかるのだった。

 雨足はみるみる強まり、多少の波はあるが概ね滝のようになる。雷鳴も轟き始めた。
 その中を、匍匐しながら森に這い入る姿があった。
 黒のアーマーに黒髪、防水の整った黒いスナイパーライフル。
 葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)である。作戦本隊とは外れることになるが、手薄な南側を自主的に選び吹雪はここに来ていた。歩哨として警戒しようと思っていた矢先、菊とグロリアーナのここまでの経緯を目にしたのである。
(「黒髪の姫様と金髪の姫様……ですか? あの二人……確かローザマリアさんという方のパートナーでしたね」)
 吹雪は特殊部隊の出身、ゆえに軍人の行動がえてして、大きな作戦の一部であることを理解している。
 観察してわかった。菊とグロリアーナが、何らかの意図を持って森から人を遠ざけようとしていることに。
 ならば森に入ってみたいと思うのは当然だろう。出ていって二人に協力するべきか迷ったものの、好奇心が上回った。それに、菊とグロリアーナのあの奮戦ぶりなら、爆弾で数の随分減った敵に倒されることはなさそうに思えた。
 それゆえの匍匐である。森に入るなり爆弾が破裂する可能性も考え唾を飲み込んだが、幸い、そのような目に吹雪が合うことはなかった。
 大樹の一つに背を付け、吹雪は呼吸を整える。
 空が暗いせいか、森はより鬱蒼と、不気味な印象を与えた。
 ぴし、という音がしたかと思いきや、硝煙と焦げの匂いが吹雪の鼻を突いた。
「来たようですね……」
 彼女はさして驚かなかった。無論、まったく何も感じなかったわけではない。ただ、動じなかったのだ。
 身を伏せ、樹の裏側にまわった。一秒前まで彼女がいた場所に第二の銃弾が撃ち込まれた。これは吹雪がスナイパーであったからこそできた芸当である。自分だったら間髪置かず二発目を放ち仕留める――そう本能的に知っていたからこそ彼女はこれを避けることができた。
 樹の反対側に隠れ、吹雪は無線のスイッチを入れた。
「現在、南側の森にて敵と交戦中、至急増援願います。敵は狙撃手、恐らくはイオタと呼ばれるクランジかと。繰り返します。現在……」
 ヘルメットの側面に銃弾が命中した。
「!」
 いくら防弾だからといってこれは厳しい。一瞬、吹雪は地面に叩きつけられてしまう。
 だが彼女の生存本能は痛みを超越した。
 吹雪は匍匐前進で逃れた。必死だった。いかに防弾アーマーであろうと、装甲の隙間を撃たれてはおしまいだ。イオタならそれができる……直観ではあるが吹雪はそう確信していた。
 無線機がやられた。ヘルメットの内側から凄まじい雑音がする。加えて、バイザーのあるヘルメットではこの雨の中振りだ。吹雪はこれを投げ捨てた。少し離れた場所から、どさっ、という音がした。
 ヘルメットに銃弾が当たる音が聞こえた。同時に、吹雪は正反対の位置に飛び別の樹に隠れスナイパーライフルを構える。
 息が荒い。胃の底からじわじわと恐怖がせり上がってくる。明らかに格上の相手だ。しかし恐怖とともに、なにか幸福感のようなもの感じてしまう。スナイパーという者が宿命的に有する『緊張感への中毒症状』なのだろうか。
 滝のような雨で視界が確保しづらい。イオタの銃弾が毎回、少し外れているのはそのせいだろう。
「直線上に敵……なし」
 スコープを覗いて吹雪は敵の姿を探した。
 ぷっ、と彼女のポニーテールを結わえていたバンドが解けた。総髪になってしまう。
「跳弾!?」
 今度は確実にわかった。銃声でかき消そうとしているようだが、弾丸は一度か二度、どこかに当たって反射している。
 人間業とは思えない。だが、この森という状況を確実に利用しているのだ。雨風はもちろん、湿度まで計算しての狙撃なのだろう。
 ここで死ぬかもしれない。
 吹雪は思った。
 だが、
「せめて一矢、むくいてみせます!」
 銃を構え直して飛び出す。跳弾ができるとして360度どこからでも撃てるとは限らない。ならば一か八かだ。
「正面は……!」
 吹雪に幸運が味方した。
 雷が光ったのだ。
 木々の間に見えた光、ほんのわずかな、針ほどの点だったけれど……。
 スコープが雷光を反射したものに違いない。
「そこです!」
 絞るように引き金を引いた。
 当たった……のだろうか。それは判らない。
 吹雪は土砂の中に顔から突っ込んでいたからだ。