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【両国の絆】第四話「『それから』と『これから』」

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【その後の彼らの物語――学びの一歩】



「先の事件が嘘のようですね」

 フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)が感慨を込めて呟いたのは、ディミトリアスの講義室だ。
 先日の誘拐騒ぎの折に、襲撃者(というより実質契約者の方が暴れていた気もするが)によって大分酷い有様になっていた教室の中も、ディミトリアス本人とその友人達の協力もあってか、きちんと元の姿を取り戻している。
 普段から校舎の中でも人通りの少ない場所故の、教室内を漂う独特の静けさも元の通りだが、変化したものもある。その一つが、教室を彩る生徒達の数の変化だ。
 フィーア・レーヴェンツァーン(ふぃーあ・れーう゛ぇんつぁーん)と、彼女に誘われたリューグナー・ベトルーガー(りゅーぐなー・べとるーがー)もその内の一人で、特にフィーアは、先日の授業を燕馬の寝坊のせいで受けられなかったこともあって、張り切った様子で教室のドアを潜った。
「新入りのフィーアですぅ。先輩方、よろしくお願いしますですよぅ」
 明るい笑顔に、先輩に当たるジェニファたちもにこりと笑って応じると、フィーアは授業の準備中のディミトリアスに向かっても笑いかけた。
「ディディさんも、改めてよろしくお願いしますねぇ」
 自分のことらしいその呼び名を、少し照れ臭そうではあったが咎めないでいたディミトリアスであったが、どうやら気になっていたのは別のことらしい。その視線が誰かの姿を探して首を傾げるのに、フィーアは先手を取ってにっこりと笑みを深めた。
「……え、前回とメンバーが違う? フィーア、何の事だかさっぱりですぅ♪」
 どう聞いてもさっぱりではない様子だが、更に首を傾げるディミトリアスに、やれやれといった調子で首を振ったのはリューグナーだ。
「燕馬なら来ませんわ。……もとい、来れませんわ」
「来れない?」
 ディミトリアスが鸚鵡返しに問うと「ええ」とリューグナーは溜息を吐き出した。
「あれだけフィーアが口酸っぱく言っていたというのに、講義の事など忘却の彼方に追いやったかの如く寝過ごした……というか未だ寝てますわ」
 呆れて言葉も無い、と言った様子のリューグナーに、ディミトリアスも思わず苦笑した。そういえば、先日教室へ飛び込んできた時も、寝坊したと言っていたように思う。どうやら今度こそ起きて来れなかったらしい。「そうか」としか答えようの無いディミトリアスに、フィーアとリューグナーの二人は声を揃える。
「そういう訳なので、えぇ、全会一致で『放っておこう』と」
「お寝坊さんを起こすのは時間と労力の無駄だと悟りましたぁ!」
 さもありなん、とディミトリアスが苦笑を深め、授業の準備に戻る中、その背中を見ていたリューグナーは密かに笑みを違う方向に深めた。
(『一万年前の生きた知識』……くふふ、実に興味をそそられる話ですわ。授業が楽しみですわね)

 そうして、授業の準備を進めるディミトリアスが、その背中を妙な寒気が襲うのに首をかしげている中で、ジェニファとマークはそれぞれ違う思いで教室を眺めていた。
 先日の式典でのジェニファのアイディアが功を奏したのか、あるいは演習場で作られた古代魔法による結界が魔法大国エリュシオンの眼鏡に適ったのか。閑古鳥教師の異名を取るディミトリアスの講義は、誘拐事件の折の人数までは超えないまでも、今までの寂しい人数から考えれば、かなり賑わっている方だ。ジェニファは単純に、ディミトリアスも嬉しいだろうな、と喜んでいるが、マークのほうは何となく複雑な心境ではあった。別に閑古鳥でいて欲しかったと言う訳ではないのだが、何人もを相手にするタイプの教師、には申し訳ないがディミトリアスが見えなかったからだ。
 残る一つは、この人数が最後まで残るとはとても思えないということだ。聞いた話だが、最初もそれなりに多かった生徒がどんどん減っていったと言うから、その二の舞になるのは目に見えていて、マークは少し申し訳ない気持ちになるのだ。
(……また、減っていくのに……がっかりしないといいですけどね)
 とはいえ、そこまで落ち込んだりするようなタイプではないことも、これまでの授業で何となく把握はしている。いずれにしろ、授業が始まればはっきりするだろう、とマークはノートを開いた。

 そして、始まりの区別すら付かないような静けさで、授業が始まった中。
 フレンディスは他に聞こえない程度のかすかな音で、小さく溜息を吐き出していた。
 ポチの助が、近況の話も出来ないうちに用事があると言って去っていってしまったからだ。事件の際のその活躍を含め、いろいろと話たいことがあっただけに、耳と尻尾がしゅんとうなだれたのだが、逸れも一瞬。「今度ご褒美として”ぷれみあむどっぐふーど”をお渡ししにお伺いましょう」と決意を定めると、ぱっと表情をまた変えると「マスター、聞いて下しまし」と、こちらも授業を受ける準備を進めるベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)の方へ身を乗り出した。
「私、この度の誘拐事件の失態に反省致しまして……やはり私はマスターのお側で護衛をしておくべきという結論に至りました」
「ん、ああ……」
 それが先日の授業で結果的に誘拐される人間を出したことへの反省なのだと悟って、ベルクが曖昧に応じていたが、フレンディスは一人、リベンジに燃えてぐっと拳を握り締めた。
「故に、今日こそディミトリアスさんの睡眠を誘導させるお言葉には負けませぬ! いざ勝負なのです!」
 そうして、決意を新たにしてからものの数秒後。カウント10を待たずにノックアウトされたフレンディスの頭は机の上で完全に睡魔の手中に落ちていた。すやあ、と心地良さそうに緩い顔をするフレンディスの横顔には、誘拐事件の折に飛び込んだ、あの凛々しさは無い。予想外のところに潜んでいた最強の敵に早くも屈したフレンディスに、ジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)は思わず苦笑した。
「三秒持たない勢いだったね……尤も、誘拐事件発生から殆ど寝てなかったみたいだから、丁度いいのかな?」
 声を潜め、こそこそと囁いて笑いながら、ジブリールはふとそのことについて思考を揺らした。しぐれに誘拐されてオケアノスの遺跡へ行き、そのままヒラニプラに飛ばされたのだ。時間も事件も怒涛に過ぎていったため、結局全貌を聞かずじまいだったせいで、幾らか伏された発表のこともあり、結局のところ何がどうなったのか判らないことばかりだ。その中で、ジブリールが気になっていたのはしぐれのことだ。倒されたとは聞いたけれど、それ以上ははっきりしない。利用されていた少年の遺体はエリュシオンへ返されたと言うから、しぐれの魂はもう既にナラカへと還ったのだろう。
(死人って言ってたから生きてなさそうだけど……魂だけでも救済されるとといいね)
 そんなことを思いながら、ジブリールはぐっと腕を軽く伸ばすと、「オレも今回はちょっとだけ疲れちゃったかもね」と再びベルクの方へと視線を戻した。
「ここに居ると一緒に寝ちゃいそうだから、フレンディスさん連れて外で待ってるよ」
 そう言って、フレンディスを揺すり起こすと、まだ少し寝ぼけ半分な顔に少し笑う。一応、色々と託されたからには面倒を見ないとね、と、こっそり胸の内で呟きながら、腰を浮かせかけたベルクを手で「いいから」とジブリールは制した。
「ベルクさんは気にせず存分に受講しててよ……ずっとフレンディスさんやオレ達を優先してきてるんだ。そろそろやりたい事を優先してくれないと、本気で胃炎悪化しちゃいそうだし?」
 最後は軽く冗談めかして出て行ったジブリールの背中を、目を瞬かせて見送ったベルクは、ふっと小さく苦笑した。子供にああ言われては、真面目以上に励むほか無いではないか、と。そう気持ちを改めると「ディミトリアス先生」とベルクは授業の切れ間のタイミングを見計らって、手を上げた。
「まず、勝手に今回、実践訓練を受けた上での感想と意見なんだが……」
 その言葉に、先日の旧演習場での結界の件かと思い至ったディミトリアスが、その言葉の続きを待ってくれているようなのに、ベルクは少しばかり躊躇いながらも続ける。
「俺としてはもっと実践経験を重ねてぇ所だが、現状の実力……毎回先生のサポートが無ぇと碌に発動出来ねぇのは駄目だ」
 遺跡では護符の力があり、元々魔法陣の力もあった。結界を張る際は、最終的にディミトリアスがいると判っていたからこそ行え、結果叶えられた無茶だ。勿論後一歩のところまで迫っていたのだし、いきなりの実践にしては大きな成果には違いないが、真剣に学ぶと決めた以上はそれでは足りない。珍しく身を乗り出すような勢いで、ベルクはディミトリアスに願い出た。
「よって実践で使える知識を自然と身につけるに至るまで、古代語について学ぶのは従来通り。ただ今後確認も兼ねて時折でも実践訓練があると有り難ぇんだが……」
「賛成ですわ」
 それに声を上げたのは、新入りのリューグナーだ。
「折角生きた魔術が学べる機会ですもの、折角ならこの目で見て、味わって確かめさせていただきたいわ」
「そうだな……」
 そんな生徒達の言葉に、ディミトリアスも少し考えると頷いて見せた。
「ジェニファにも言われた通り……確かに、もう少し実際的なことも、触れておいた方が良いだろうな」
 その言葉にほんの少し哀愁が漂っていたのは気のせいではないだろうが、学ぶことに貪欲な生徒達は、悪いとは思いながらもそれを黙殺したのだった。

 そうして、ベルク達元々の生徒が真面目に授業を受けている傍ら。
 フィーアやリューグナーが何とか粘っている中で、案の定。次々と沈んでいく後輩達に、ベルクはジェニファやマークと顔を見合わせると、やっぱりこうなったか、と苦笑半分と言った様子で、くすりと小さな笑いを溢した。一同その心の片隅に、不憫と名高い彼の教師のことだから、またきっと騒動に巻き込まれるだろうと言う予感も、そっと胸に抱きながら。