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リアクション
第3章 バルコニーにて
2人の間に天も地もなく。その世界にはただひたすらに互いのみが存在する。
そんなくちづけをかわした2人。しかし直後、ジュリエットは母親に呼ばれて立ち去ってしまった。
あの美しく気高い女性は何者か。
通りかかった召使いに尋ねたロミオは、彼女が仇敵・キャピュレット家の1人娘であることを知る。
ジュリエットもまた、彼が憎むべき相手・モンタギュー家の1人息子であることを聞かされたのは間違いなかった。驚愕の表情で振り返った、彼女の目に浮かぶ恐怖が何よりの証だった。
ロザラインに恋をしたと思ったとき、姪という立場ですら絶望したというのに、まさか娘とは!
最初からそれと知って出会えたなら、憎むこともできただろう。ロザラインが彼を軽蔑の目で見たように。
だがもう遅すぎた。手に残るはやわらかな彼女の感触、そのぬくもり。心にあるのは、ひたすら彼女を愛したいという願いだけ…。
「うーん。ちょっとくさいね、シヅル。酔いすぎだよ、それは」
タシタシタシ。エピは地面をつま先で叩いて駄目出しをした。
「ちょっとくさいくらいがいーんだよ、これはロマンチック・ラブストーリーなんだろうからさぁ」
「あと、ナレーションしないときはマイクはずした方がいいと思うね!」
――カチカチ、カチカチ。
エピによる駄目出しが出る間も、どこかで何かが書き込まれている音がする。
スポットライトが消えるように、世界は暗転した。
「ねぇ、まだできないの?」
厨房の入り口で中を覗き込みながら、水鏡 和葉(みかがみ・かずは)は中にいる人たちをせっついた。
もういっそのこと、自分が中に入ってカップに汲みたいが、もう今でもきゅうきゅうに人が立ち働いているし、こんな古めかしい厨房ではどこに何があるかも分からない。
「早くしないとジュリエットが庭から戻ってきちゃうよ!」
いらいらしながら待っていると、召使いの女性がくすくす笑いながらホットミルクの乗ったトレイを差し出してきた。
「はい。お待たせ。お嬢さまによろしくね」
「ありがとう」
きちんとお礼を言ってから、和葉はトレイごと受け取った。
それを、今度はこぼさないよう気をつけながらジュリエットの部屋へ運んでいく。
「和葉。物語を引っ掻き回してはいけませんよ。俺たちはリストレイターなんですから」
絶対的に光源の足りない薄暗い廊下を進んでいると、背後から、そんな言葉がかかった。
振り向かなくても分かっている。神楽坂 緋翠(かぐらざか・ひすい)だ。だから和葉はわざと無視して、足を止めたり速度を緩めたりといったような動揺は見せなかった。
「分かってるよ」
いや、全然分かってない、とその背を見ながら緋翠は思う。
緋翠は見てしまったのだ。宴に紛れ込んで早々にジュリエットを見つけたまではよかったが、可憐な彼女を見た瞬間に、和葉はすっかりのぼせ上がってしまっていた。
「ボク、決めた! ボクがあの子を守ってあげるんだ!」
え? 何から?
いきなりの宣言にとまどっている間に、和葉はさっさと動いてジュリエットの部屋付きの小間使いと入れ替わってしまった。
そして今もかいがいしく、ああやって寝る前に飲むホットミルクを届けに行っているわけだが。
(まぁ、和葉にとって守るというのがああいうことを言うのであれば、まだまだ心配する必要はないのでしょうね)
曲がり角を曲がって消えた和葉を追って、緋翠はゆっくり歩を進めた。
「無理よ、オルフェリア。わたし、もう死にたい…」
そんな言葉とともに扉が開き、ジュリエットが部屋に戻ってきた。
「お嬢さま」
サイドテーブルへカップを下ろしていた和葉が笑顔を作る。しかしそれもつかの間。ジュリエットが顔を赤くして動転しているのを見て、さっと顎を引いた。
「お嬢さま、一体何が――」
「しっ」
横について、彼女を支え歩いてきたオルフェリア・クインレイナー(おるふぇりあ・くいんれいなー)がまったをかける。
「そんなことを言っては駄目です。ロミオさんは、ジュリエットさんが現れるのを待ってるのです」
「だって……わたし、あの方がいらっしゃるとは知らなかったんですもの。知ってたらあんなことは絶対、絶対、口に出したりはしなかったのに」
ああ、死んでしまいたい、とジュリエットはベッドの上に泣き崩れた。
「わたし、家名を捨ててくれたらいいのに、なんて言ってしまったのよ? もう駄目だわ。きっとロミオさまはわたしのことをお嫌いになってしまわれたわ。なんて愚かなことを口にする女だと…!」
「お嬢さま…」
わあわあ泣いているジュリエットを慰めようとしたが、和葉もどうすればいいか分からない。
「でも、ロミオさんはまだお外で待っているのです。多分」
「そんなことないわ! もう帰ってしまわれたに決まってる! それに……それに、こんなお顔、見せられないわ! 和葉、おまえ庭に下りて、ロミオさまがいらっしゃらないのを確認してきて。それでもし……もしいらっしゃったなら、もうお帰りになっていただいてちょうだい」
「分かりましたっ」
役目を与えられたことにほっとして、部屋から飛び出していく和葉。
だがその瞬間、オルフェリアは時が止まったことに気づいた。
あのカチカチいっていたキー音が消えている。
(きっと、これではいけないのです。そうしたら、このお話はここで途切れてしまうのです)
ベッドの上に伏せた状態で固まっているジュリエットを見て、オルフェリアは心を決めた。
「ジュリエットさん、わたしにジュリエットさんの代わりを務めさせてくださいね」
胸の前でぎゅっと両手を握り締め、オルフェリア扮するジュリエットは、月明かりのバルコニーへと出て行った。
「おお、ロミオさま。なぜあなたはロミオさまでいらっしゃいますの? 先ほどわたしは家名をお捨てになってと申し上げました。ですがそれが無理というのであれば、どうぞわたし1人を未来永劫愛してくださるとお誓いになって。さすれば今宵を限りに、わたしもキャピュレットの名を捨ててみせましょう…」
と、そこまで口にして、下にいるに違いないロミオへと顔を向ける。
しかしそこにいたのはロミオにあらず、セルマ・アリス(せるま・ありす)だった。
(えーっ? えーっ? なぜですー!? どうしてセルマさんがロミオさんなのですーっ!?)
まばたきするのも忘れ、赤面して見上げているところからして、セルマもそこにいるのがジュリエットでなくオルフェリアだと気づいているらしい。
よくよく見れば、セルマはだれかと重なっているように、二重写しになっている。おそらくセルマにも、ジュリエットと重なってオルフェリアの姿が見えているのだろう。
「…………」
「…………」
硬直したまま見つめ合う2人。
うじうじ悩むロミオの代わりにジュリエットと受け答えするだけだとばかり思っていたのに、まさかのオルフェリア登場に、すっかり度肝を抜かれていたセルマだったが、やがて彼は、オルフェリアが自分のセリフを待っているのだということに気がついた。
「た……ただひと言、ぼくをあなたの恋人と呼んでください…。そうすれば洗礼を受けたも同じこと。そのお言葉は穢れたこの身を洗い流し、ぼくをロミオではない者へと生まれ変わらせるでしょう。
ぼくの尊きあなた。ぼくはこの名前が今、世界で最も憎らしい」
(って、何言ってるんだ俺はーーっっ!! うあーっ、オルフェさんだぞ、あれはーっ)
セリフの恥ずかしさに心の内で身悶えるセルマだが、再びカチカチ音が聞こえ始め、場面はどんどん進行していく。
「ああロミオさま、どうしてこちらへいらっしゃったのですか? あなたのお身分をお考えになれば、見つかれば死も同然のこの場所へ」
「わが力の及ばぬことであるならいざ知らず、どうしてできることをせずにいられるでしょう? この胸に燃えるあなたへの恋心を押し殺すくらいなら、10や20の白刃などいかほどでもない。こうしてあなたのお姿を拝し、そのお声を聞けるというのに、あなたのお身内が何の邪魔となりましょうか」
「まこと恋はどうにもならぬもの。まさかこのような力を持っているとは、わたし、今日の今日まで知りませんでした」
つと、ジュリエットの手が階下のロミオに向かって差し伸べられる。
「ロミオさま。わたしは本当に愚かで甘い女。出会ったばかりの殿方に、しかも仇敵のモンタギュー家のあなたに、唇を許してしまいました。きっと、端葉な女とお思いでしょうね。でもどうかお信じになられて。わたしの心は真実あなたのもの」
(ああっ……セルマさん、これはジュリエットさんのお言葉なんですー、でもでも、オルフェともそんなに違っては……はうーっ…)
「ぼくは誓う!」セルマはさっと頭上の月を指した。「木々を白銀に染める、あの美しき夜の貴婦人、月の投げかける光にかけて。未来永劫ただ1人、ぼくはあなただけを愛すると!」
(うわーっ、言っちゃったよーっ。いや、それは本当に偽りなく俺の気持ちだけど、でもでも………………うわーうわーうわーっ)
「ああ、およしになって。日を追うごとに形を変えていく、あの浮薄な月。あんなふうにあなたの御心まで変わってしまっては、わたしの胸は張り裂けて二度と元には戻れなくなってしまいます」
「では何にかけて誓えばいいのでしょうか。あなたにぼくの想いが真実であると知ってもらうためには」
「誓ってほしくなどないのです。わたしのほしいのは誓いではなく、あなたの真心。もし、どうあってもとおっしゃるのであれば、あなたご自身にかけて誓ってください。あなたこそわたしの神なのですから…」
――カチカチ、カチカチ。
2人は修復完了後、恥ずかしさにひと晩中、互いの発言を思い出しては身悶えすることになったらしい。
――カチカチ、カチカチ。
どこかで修復の進む音がする。
真っ白なページに、あらたに書き込まれていく新しい物語。
「……ふん。あのような年端もいかぬ小娘たちなどどうでもよい。情けなきはこの2家よ。もはや何が原因かも分からぬ争いに町を巻き込み、そこに住む者たちの平和を脅かすとは。彼らを守護すべき貴族の風上にもおけぬ」
「ねえねえライザ。さっきからあなた、ちょっとおかしいわよ?」
ぶつぶつと何事かをつぶやきながら、暗闇に包まれた廊下をまっすぐ歩いているグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)と、少し離れた距離から後ろをついていくローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)。
つぶやいている中身はほとんど聞こえなかったが、漏れ聞こえてくる端々から、何か不穏当なことであるのは間違いないようだ、とはローザマリアにも見当がついていた。
なにしろここに現れたときから、すっかり目が据わっている。
「まぁ!? いけません、お客さま。こちらの棟はどなたも立ち入ることが――」
ふいに部屋から出てきた召使いを、グロリアーナはすばやく当身で気絶させる。
ずるずるすべり落ちた体を、人目につかないよう柱と壁の隙間に押し込んだ。
「……何か、やりたいことがあるのよね。分かった、今回はあなたにつきあうわ」
あなたのことは信じているし。
肩をすくめ、ローザマリアはグロリアーナについていく。
グロリアーナの向かったのは大公・エスカラスの寝所。
彼になり代わろうとしたグロリアーナだったが。
「! きみたちは…」
突然部屋に押し入ってきた2人に驚き、ソファから立ち上がる。
それは、ルオシン・アルカナロード(るおしん・あるかなろーど)だった。
「もう大公役をゲットしてる人いるわよ。諦めたら?」
こそこそ。ローザマリアが後ろからグロリアーナに耳打ちする。
だが肩越しに彼女に向けられたグロリアーナの冷静な視線が、彼女の決意の強さを語っていた。
つきあうと言ったのだから、仕方ない。
伸ばした手の先に、緑のレッサースフィアが現れる。
グロリアーナの手には、既にレプリカ・ビックディッパーが。
「――問答無用というわけか」
彼女たちが何もない空間から得物を取り出したのを見て、ルオシンもまた、己の剣・エターナルディバイダーを心に描いた。
ここは夢の世界。そして彼らにはクリエイター権限があり、その思いは世界の構成をも変えられる。
ルオシンとしては戦いたくはなかったが、武器を手にやる気満々の2人を前に、無抵抗でやられる気もなかった。
(コトノハめ…。一体どこへ消えたのだ?)
ルオシンは心の中で唸った。
一緒にドアをくぐったはずなのに、彼女はいつの間にか消えてしまっていた。彼女を一刻も早く見つけ出すため、そして両家の争いを治めるためにもともとの原因は何だったのかを探るため、この町で一番の権力者であるエスカラス大公に扮することにしたのだったが。
まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
まだ部下が帰ってこない今は、エスカラスを降りるわけにもいかない。
剣を構えるルオシンに向け、2人は同時に別方向から切りかかっていった。
(きゃあっ!! ルオシン!)
屋根の上から逆さまに乗り出して室内を覗き込んでいたコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)は、叫びかけた口元を覆った。
彼女は正義のヒーローまぼろし天狗として活動すべく、いつそのときがきてもいいように準備して、出番を待っていたのだ。
ルオシンが見知らぬ世界での彼女の安否を心配して、捜してくれるのは分かりきっていたから、灯台元暗し作戦、つまりルオシンの近くに隠れていて、見つかりそうになったらコソコソ居場所を変えたりしていたわけだ。
(ルオシン、危ない! ああ、どうしましょう…)
2対1ではいかにルオシンでも分が悪すぎる。しかも室内で、動きも制限されている。
彼女たちも何かを狙っているようで、一気にたたみかけようとはしていない。
助けに行くべきだとは思うが…。
この格好で?
コトノハは、あらためて自分の服装を見た。これを服装というならばだが。
全身肌色タイツに黒いマフラー、股間には巨鼻の天狗面。
(ああっ!! これで戦って、もしルオシンにわたしだとバレたら、もう……もう死んでお詫びするしかッ)
ハラキリ、切腹。
「そんなのイヤーっ!!」
思わず屋根の上で叫んでしまった。
だが室内の緊迫した状況は、彼女の決断を待ってはくれない。
2人はルオシンを壁の一角へ追い込もうとしているようだった。それと知って右に逃げようとしたルオシンのすぐ横に、すかさずローザマリアが卓上にあった像を投げつける。
ぐらりと重心を崩したルオシン。
すかさずグロリアーナが何かを取り出した、そのとき。
「ちょっと待ったー!」
バリンと大きな音をたて、夜風がビュウと吹き込む。
それと同時に、すちゃっと何者かが室内へ飛び込んできた。
「どこのだれかは知らないけれど、体はみーんな知っている! 弱きを助け強きをくじく・まぼろし天狗、ただいま参上!」
黒いマフラーをなびかせ現れた痴女に、一番驚いたのはグロリアーナかローザマリアかはたまたルオシンか。
まぼろし天狗に目を奪われたままのグロリアーナの手元からしびれ粉がサラサラ飛んで、ルオシンにかかる。
「ううっ…」
目くらみがして、立っておれずその場に膝をついた。
「きゃあ! ルオシン!!」
床に崩折れた夫の姿に、まぼろし天狗ならぬコトノハが表れた。彼しか目に入らず、駆けつけようとする彼女のうなじにローザマリアの手刀が入る。
「こちらを風上にしてくれてありがとう」
遠のく意識の中、そんなささやきが闇に響く。
ルオシンとまぼろし天狗はローザマリアたちによって背中合わせにぐるぐる巻きにされると、駆けつけた衛兵たちにより、大公の命を狙った侵入者として地下牢に放り込まれたのだった。
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