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リアクション
第三章 末路
●征服王
大階段を降った先は一層に暗かった。
相も変わらずに通路は十人前に広かったが、明かりといえば壁際に並んだ炎灯ばかり、それも疎らに設置されているものだからどうにも距離感が安定しない。それはフリューネの視界さえも曇らせた。
「くっ」
刹那に気付いてそれを避けたが、神官兵の放った矢はフリューネの頬を掠り裂いた。
「あぁもう! やりづらいっ!」
「フリューネ!!」
「えっ――――――!!」
フリューネの直背後で鏃が弾けた、そしてフェイミィ・オルトリンデ(ふぇいみぃ・おるとりんで)の『サイドワインダー』が後続の矢を一度に打ち落とし、彼女を守った。
「まだ…… 来る……」
向き直ったリネン・エルフト(りねん・えるふと)は鏃が飛び来た通路右壁面へと『曙光銃エルドリッジ(曙光銃エルドリッジ)』を向けた。
暗がりの中を何かが蠢いている。濃度の高い黒闇部は扉のない部屋の口だろうか、そこから弓を携えた神官兵が一斉に雪崩れ出てきた。
「休み時間の…… 廊下じゃないんだから……」
「そんな―――っ! 楽しげな―――、くっ、様には見えない―――わねっ!!」
台詞だけは暢気なリネンにフリューネは律儀にもツッコミを入れていた。
神官兵たちは無駄に近い距離で射してくる為、矢を避けるのも弾き落とすのにも余裕は殆どに無い。
先頭に立って盾となる事で先程の挽回をしようと意気込むフリューネであったが、どうにも後手に回っていた。
「ちょっと退いてな!」
フェイミィの号令で6名の『オルトリンデ少女遊撃隊(武官)』が隊列を成した。
「雑魚は頼むぜ、みんな」
隊女たちが前衛に出た。マルドゥークの兵たちもこれに並んで壁を成した。通路の先を塞ぐ兵塊はフェイミィの『なぎ払い』が発破した。
「さぁ、一気に行くよ!」
フェイミィの声にリネンも銃撃から拳撃へと切り替えて続いた。『バーストダッシュ』や『則天去私』を駆使し、雑魚の壁を一枚ずつ剥き開けていった。
「小次郎さんっ!」
リース・バーロット(りーす・ばーろっと)が戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)の背を呼び止めた。「居ました! ネルガルです!!」
右壁面並びの一室。同じく扉は無いが口は大きい、部屋の奥に玉座に腰掛けるネルガルの姿が見えた。
「一人…… でしょうか」
室内にはネルガル一人、他に人影はない。
「いえ、満ちていますね」
小次郎の『殺気看破』が見抜いた。玉座から左右に延びる幕間から、またここでも左右の扉から神官兵が現れた。
「用意の良い事で」
「行くぜ」と風祭 隼人(かざまつり・はやと)、そしてアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)が飛び出した。その後方にルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)とリースが位置取り続く。
「人が死ぬのは、好きじゃない」
「分かってるよ」
隼人の言葉に風祭 天斗(かざまつり・てんと)が応えた。魔鎧として装備されている天斗は言葉だけでなく己がスキル『ヒプノシス』で寄り来た神官兵を眠らせ応えた。駆ける先にネルガルの歪口が見えた。
(俺が隙を作る!!)
隼人飛ばした『テレパシー』、それを受けたリースが「それならば」と『光術』を放って援護した。
部屋の中央で、隼人のすぐ背面で光が弾けて広がった。
「ぬっ」
ネルガルはとっさに袖で片目を覆い、
「小癪な」
と、もう一方の手を天へと伸ばした。
逆光の中、ネルガルの視界で隼人の影が揺れている今の間に隼人は一気に間合いを詰め―――
「隼人っ! 上だ!!」
「なっ!!」
頭上に現れた4本の矢が、弾丸のように墜射してきた。
隼人、アキラ、ルシェイメアは外に開いてこれを避けたが、追撃の墜射が4本続いた。
奪われた視界の中での即座の反撃。ネルガルが手を振る度に『我は示す冥府の理』による降矢が襲う、その数は遂に20本にも及んだ。
「南の園ってなっ!」
『バーストダッシュ』の速度に加え、『アクセルギア』と『ダッシュローラー』を装備した事で高速での切り替えしもなんのその、隼人は降矢の雨帯をどうにか抜けてネルガルの左方へと躍り出た。
「くらえっ!!」
ネルガルの左胸を狙いて隼人は『魔導銃』の引き金を引いた。しかしその銃弾は、ネルガルの体に届くより前に風の壁に当たり阻まれてしまった。
「ふん」
ネルガルが発したは『風の鎧』、風壁は見事に銃弾の勢いを削いで落とした。
ネルガルが右手を隼人に向けた。
(『風の鎧』を解除して『我は誘う炎雷の都』ってか?)
隼人は後跳して間合いを取った。
「ふん、また逃げるか―――ん?」
『風の鎧』に銃弾が当たった。今度は右前方からの狙撃、狙撃手はルシェイメアだ。
攻撃に転じるべく『風の鎧』は解除しようとしていた、その矢先の狙撃には確かに虚を突かれたが…… ネルガルははそれも「無駄な事を」と鼻で笑った。
「マルドゥークも居ないというのに、まったく良くやるものだ」
「心外じゃのう。彼が居なければ何も出来ぬような、わしらではないわ」
「………… その言葉、我が国民の口から聞きたかったものだな」
ルシェイメアの銃口、そしてその背面から飛び出したアキラをネルガルはその目で捉えた。同時に隼人も左方に開いて駆けだしている。
魔力を込めた両の手が上がる。左右からの挟撃を迎するべくネルガルが『風の鎧』を解いた瞬間だった。
小次郎の『ロングハンド』が彼の左腕をひしと掴んだ。
「ぬっ」
「捕らえましたよっ!!」
小次郎がグリップを力の限りに引き振り抜いて上体を揺り引く、そこへアキラとルシェイメアが飛び込んだ。
アキラはネルガルの襟元を握り潰して押し倒した。ルシェイメアは後方の自軍兵へ「来るな」と手を突き出した。
「さぁ、捕まえた」
馬乗りになったアキラが言った。「答えてもらおうか、この戦いの始まりを」
打倒はネルガル、しかし殺害しただけでは事は終わらない。戦いの発端を知らずして真の解決はあり得ない。
「イナンナ様のもっとも忠実な神官だったアンタが、なぜ彼女を裏切った」
言葉をぶつけても返りはない、胸部にも腕にも力は込められていない。体だけを見れば観念したように見える、しかしネルガルの口は固く噤み閉じられていた。
「答えろ! アンタの野望はここで終わりだ! すべて終わったんだ!!」
掴んだ襟ごと地に叩きつけた。
首の根が折れる程に何度も打ちつけては引き上げ、そして打ちつけた。それでもネルガルの口から言葉はない、口元は僅かにも緩まない。まるで人形に話しかけているような、決して返ってくる事のない虚無感にも酷似しているようで。
アキラは唇先を震わせた。
「アンタは『自殺して終わり』なんて醜態を晒すような奴じゃない…… そうじゃないはずだ! ………… 答えろ! ………… 答えろよ…… 何が目的だったんだ」
途切れぬように、絞り出すように。
「国全体を敵に回してまで…… アンタが望んだものは…… アンタの願いは何だったんだ」
「………… 敵は『この国』だ」
切に願いて渡した問いに男は応えた。
ネルガルの瞼は静かに僅かに落ちていた。
「余の相手は初めから『この国の全て』だった。…… いや、この国の歴史や慣習までもが余には『愚の積み重ね』にしか思えぬのだ」
「………… 何の話だ? この国は女神の力、そして大地の恵みと共に歩んできたんだろう?」
「共に歩んできただと? 違うな…… この国は生かされてきたのだ。女神の力に! 豊かな自然に! 約束された富に溺れてきた、それがこの国の歴史なのだ!」
無気なる抗いを見せていた目は、鬼気迫る色を帯びていた。その眼光に一矢の乱れもない。
「努力せぬとも大地は枯れぬ、同じに動けば作物は育つ! 知らぬであろう。この国の農耕術も治水技術も500年前に記された文献と何一つ変わっていないのだ! 変わるはずがない変える必要がないのだ全ては女神により与えられるのだからな!」
カナンにやってきてから出会った人々の笑顔を思い出した。自分たちの支援に喜ぶ顔、そしてシャンバラの科学技術や農耕術に驚く顔、それらはとても純粋でまるで子供のような瞳をしていた。子供のように純粋で子供のように無垢で子供のように無知な瞳で……。
「この国にとっての自然とは与えられるものなのだ、生きる術の全ては享受される恩恵を前提に構築されている。何も変わらない変えようともしない、今もこれまでもこれからもこの国は歩みを止めたままなのだ!」
「それは…… でも、術を守り伝える事も必要で、そうして人々はこの国で生きてきたんだろ―――」
「向上欲を無くした個体を、生きているとは言わん!」
何をもって生きると言うのか、その定義付けをしたがる者ほど生きることに余裕を持っている者である。不自由があってこそ、苦境の中にあるほどに生きる力に貪欲で、生きる術を追い求める。しかしこの国にはその姿勢すら無い。
「だから砂に埋めた、と?」
ルシェイメアが小さく言った。
「女神を封じたのも、国を支配して砂に埋めたのも全て、民に不自由を与えるため……」
豊穣の力に頼ることも出来ず、日常の資本すらも失った。国を治める領主たちも動けぬ状況に追いやった。頼るべき対象をことごとく排除することで、己が力で立ち上がらざるを得ない状況を作り出すために。
「神官たちは皆、余の狙いに同意した。この国の発展を人々の進化を一人一人の自立を願った、犠牲もまた礎になると信じ、鬼となりて余に仕えた」
「なっ……!」
ネルガルの神官服が沸き震えている。アキラは襟元を掴む手に力を込めたが―――
「イナンナも各国の領主も貴様等シャンバラの者も、先導する者は手を差し伸べるべきではないのだ!」
「うわっ!!」
発動したのは『我は纏う無垢の翼』だろうか。同時に放ち溢れた魔力はアキラの手を吹き解き、そして彼は宙に浮かびて見下ろした。
「人々の自立は目前だ。その妨げにしかならぬ貴様等にはここで消えてもらう」
「させるかっ!!」
トマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)の斬撃がネルガルの右腕皮を斬り裂いた。
音速を超えた一撃だったが、ネルガルは紙一重でどうにか避けた。
「ちっ、気づかれちまったか」
「畳み掛けて下さい、このままが良いです」
魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)は辺りを見回してからトマスに告げた。
「逃げ場は無いでしょう、強攻策に出る可能性はありますが」
自分たちが入ってきた右扉からはマルドゥークや彼の兵たちが雪崩れている。
正面入り口にはどうやら自分たちよりも先に入りていた生徒たちやその後方にはフリューネの背も見える。左扉方向には小次郎や隼人らが位置取っている。
魯粛の博識は瞬考の後に『壁でも破壊しない限り逃げ場は無い』と結論付けた。
「外は私が」
「よし、御輿は僕たちが―――ん? 何だ?」
右腕に『仕置きの鞭』が巻き付いていた。柄を持ち引くのは聖・レッドヘリング(ひじり・れっどへりんぐ)だった。
「行かせませんよ」
「何だ?」
何が起きた? 聖は神殿に突入する際には自軍側に居たはずだ、それがなぜ今自分の邪魔をしている。
彼だけじゃない、【龍雷連隊】として共に突撃してきた松平 岩造(まつだいら・がんぞう)、武蔵坊 弁慶(むさしぼう・べんけい)の両名もまたキャンティ・シャノワール(きゃんてぃ・しゃのわーる)に銃を向けられていた。
「何をする! 止めるでござる!」
「退きませんわよ」
主の盾として弁慶が立ちはだかるが、キャンティは『機関銃』の銃口を向け、そして掃射した。
「ぐっ、ここにきて奴に仕官するつもりか……」
「そんなこと、するはずがないですわ」
「なっ! ならばなぜ」
「殺気のある人は、今はダメなのです」
「何を分からぬ事を。岩造様っ!!」
己が体と『ガーゴイル』を盾にして『機関銃』の正面に出た。その隙に岩造がネルガルへと斬りかかる。
「離せ! 僕も行くんだ!」
「なりません! いま彼を殺してなりません」
「なぜだ! なぜ奴を庇う!」
室内に入りた時、聖はネルガルの目的を聞いた。想いを知った。国を支配し民を虐げた理由、その狙いを知った、だから。
「確かに彼のやり方は間違っていたのかもしれません、それでも今は彼を排除するだけでは何も―――」
ネルガルの胸骨をマルドゥークの剣が砕き貫いた。
「ぐぅぉっ」
ネルガルの頭上に飛び出した岩造が『則天去私』による拳撃を叩き込んだ。
『ドラゴンアーツ』で強化した拳は宙に浮いたネルガルを『風の鎧』ごと吹き飛ばした。
「うおぉぉぉおおおおおお!!」
着地したと同時に駆けだした。岩造の声に体を起こし「余を舐めるなよ若造が!!」と振り向いた時だった―――
マルドゥークの剣がネルガルの胸部を貫いた。
鬼血に満ちたその顔を隠すようにマルドゥークはネルガルの懐に飛び込み、そして暴れ牛のように頭で突いては一気に剣を引き抜いた。
「ごふっ…… ぉお………… おおおおお」
呻きながらに胸元へ添えた手を、マルドゥークは腕ごと切り落とした。こうなってしまってはもはや『我は紡ぐ地の讃頌』や『大地の祝福』といった魔法は使えない。
「終わりにしようネルガル」
「ぅふふふ、ふははははは、これこそ余に相応しい最後だ!! 惜しむらくは民が自らの足でこの地に立つ姿を見られんことだな……」
「……すまぬ。だがその役割はオレ達老いぼれではない、若人達に託す時なのだ!」
英雄の剣が、ネルガルの肩から腹までを斬り裂いた。
ネルガルの体は紙のように空気を掴んで―――
膝は突くまいと踏み留まった、しかしその足も長くは保たないだろう。今にも砕け折れてしまいそうな程に大きくまた小刻みに揺れていた。
「ぐっ…… ぅ…… 我が…… 我が理想を成すまでは………… 立ち止まる暇など与えては、ならぬ」
霞み消えゆく視界の中でネルガルが最後に捉え見たのは自国の軍兵たちであった。
西カナンの軍勢か、よくぞここまで辿り着いたものだ。抗戦も決起も進軍さえも強き光の下で起こった事には感心できぬが、少しは己が力で抗う事を覚えたであろう。
力で従わせた者も居たが、多くの神官兵たちは我が思想に同意し、命を賭して余に尽くしてくれた。ここで…… 余の命が尽きようとも………… ぐぅっ、くっ…… 愚かしき悪習に再び身を浸ける事も無かろうて。
ふっ、それだけでも女神に抗った甲斐があったというものだ。
何も聞こえぬ、視界も消えた、それならば胸の風穴を通して天を見上げてやろうではないか。
「くくくっ、我が生き様に! 一片の悔いなし!!」
天を見上げるが如くに地に倒れた。その死相は命尽きても民を虐げ不自由を与える征服王の歪顔であった。
神聖都キシュ、漆黒の神殿、神官長の間にて征服王ネルガルの命がここに散った。