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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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エンジェル誘惑計画(第1回/全2回)

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第8章 嫉妬


 美少年とのデートを終え、ヘルが鼻歌まじりに美術展示室に戻っていく。
 展示室の前で、壁によりかかる人物の姿を認め、その足が止まる。
「何かな? 僕にラブレターでもくれるのかい?」
 薔薇の学舎生徒の弩永順(いしゆみ・えいじゅん)はヘルの軽口には乗らなかった。
「……シモンの振り回される性格は知ってるだろうに、わざわざ振り回すような言動をするな。酷だ」
 ヘルはニヤリと笑う。
「いやぁ、ああいうムキになっちゃう所がかわいいから、ついついイジメたくなっちゃうんだよねえ」
 そう言って、ヘルは美術展示室に入っていった。
 永順は静かに考える。
(分かっててやっていたのか。何が目的だか……)


 陸上競技の練習を終えたバロムが、校庭の脇に腰を下ろして水筒の水を飲んでいる。
 そこへ守護天使リア・ヴェリー(りあ・べりー)が爽やかな笑顔で近づいた。礼儀正しく凛々しい雰囲気の彼は、さながらピンクの髪の王子様といったところだ。
「君がバロムさん? 僕はリア。シモンさんについて話を伺いたいのだけれど……いい、かな?」
「シモンの奴、また何かやったのか?!」
 笑顔だったバロムの顔が、一転して曇った。リアは彼を落ち着かせるよう、穏やかに説明する。
「そうじゃないよ。ただシモンさんについて教えてほしいなって思ったんだ。シモンさんってヘルさんとつきあってから変わったそうだけど、具体的に、シモンさんがどのように変わったのか知りたいんだ。昔はあそこまで怒りっぽくなかったのかな?」
 バロムはうなずいて言う。
「ああ、さすがに大人しいとか優しいって事はないけど、出会った頃はあんなに誰に対しても攻撃的な奴じゃなかったよ。出会ったって言っても、今年の二月に学舎の紹介でパートナーになった時だから、そんなに前でもないけど。その頃はもう少し、かわいい感じだったんだけどなぁ。ヘルが五月に編入してきてから、なんかツンツンイライラするようになってさ。人の悪口もよく言うようになったし」
「ヘルさんとはその時からのお付き合い? きっかけは? わかったらでいいので教えてくれたら嬉しいな」
 リアはぺこりと頭を下げた。バロムは気を良くしたようで、ドンと胸を叩く。
「俺で良かったら、なんでも教えるよ。……ヘルが編入して数日して、ある日、気がついたら、もうシモンとベタベタしてた感じだな。何があったかは、分からないんだ。うわー、教えるって言っておきながら、全然、役に立つ話してないな、俺」
 リアは笑顔で首を横に振る。
「そんな事ないよ。参考になった。あと、バロムさんはシモンさんに昔のように戻ってほしいのかな?」
「そりゃそうさ。今は、なーんかギスギスしてるし……俺、パートナー人選、間違えたかなぁ」
 パートナーと聞いて、リアは自身のパートナー、明智珠輝(あけち・たまき)に頼まれていた事を思い出す。
「そうそう、僕のパートナーの珠輝からも質問があったんだ。えーと」
 リアは頼まれた通り、珠輝から手渡された手紙を読みあげる。
「『バロムさんは男性と女性どちらが好きですか? 両刀使いの男子は恋愛対象ですか?』…………」
「…………」
 嫌な沈黙が訪れる。リアもまさか、手紙がこんな内容だとは思わなかった。
(珠輝、自分で聞けー!)
 リアは心の中で、パートナーに怒った。バロムがひきつった笑いを浮かべて答える。
「『ごめんなさい。俺は女の子が好きです』って言っておいて……」


 リアの話を聞き、黒衣をまとう優雅な美青年が悲しげに眉をひそめる。
「そうですか、それは残念……。しかし、それはそれでまた、そそるというものです……ふふ」
 紳士的な雰囲気に反し、その含み笑いはひたすらに妖しい。彼がリアのパートナー、明智珠輝だ。
 珠輝はその足で、シモンを探しに向かった。

 妖しげな気配を感じてシモンが振り向くと、校内に飾られた半裸の美少年像に隠れるようにして珠輝が彼の様子をのぞいていた。
「うわ?! な、何だ?」
 珠輝は鷹揚に笑いながら、像の陰から進み出た。
「これは失礼いたしました。密かに観察させていただきましたが、さすがはヘルさんに愛されている方。お綺麗ですね…!」
「そ……それは、どうも」
 シモンは珠輝に気おされ、逃げ腰になる。珠輝はさりげなく彼の逃げ道をふさぎながら、優しく言った。
「お美しいシモンさんの色々な所を知りたくなってしまいました。たとえば、ヘルさんとのなれ染めや好きな所などは、ぜひお聞きしたいですね」
「それは、まあ、ヘルは優しくしてくれるし、色々と分かってくれるから……」
 そう言うシモンの頬が、少々赤くなる。
「ほほう、あなたのような優れた方の心をつかむとは……どのように?」
 珠輝はさらにシモンを持ち上げつつ、その事を聞き出しにかかる。
 で、しばらく後。
「ヘルにそんな風にソコを触られると、もうメチャクチャにして欲しいって……。……。しまった! 何を言わせるんだ?!」
 思わず珠輝に問われるがままに話してしまった事に気づき、シモンは怒っているのか恥ずかしいのか真っ赤になる。珠輝は優雅な笑顔で言った。
「ナニも気にやむ事はありませんよ。シモンさんが大事な所をそういう風にされるのがイイなんて、私は誰にも絶対言いません。……ふふ」
 シモンは赤くなったまま、ちょっと泣きそうな瞳で言葉を失っている。根は素直でダマされやすいのだろう。
 珠輝は鷹揚にうなずきながら言う。
「なるほど。貴方のヘルさんへの気持ちはよく分かりました。しかし嫉妬やイジメ……美しくありません。綺麗なお顔が台無しです。
 どうです? 砕音さんと正々堂々、ヘルさんを賭けて勝負なさっては。砕音さんと貴方、どちらが凄いかヘルさんに魅せつけて差し上げましょうよ! シモンさんが勝てばきっとヘルさんは、貴方の虜ですよ」
 シモンは目をしばたかせた。
「決闘って事? ……そうだな。罠をしかけても、色々隠しても、砕音を守ってる奴らが邪魔して全然、成功しないもんな。決闘って事にすれば、一対一だ」
 シモンがその気になったのを見て、珠輝はほくそ笑んだ。
(イケメン達の愛憎の揺れ動き……。しかと見届けましょう……! ふふ)

「砕音アントゥルース、おまえに決闘を申し込む! 負けたら、ヘルの事はあきらめてもらうぞ!!」
 シモンにそう言って手袋を投げつけられ、砕音はまたも、ぽかーんとする。
「えーと、これはどういう事なのかな?」
 砕音は、シモンに付き添ってきた珠輝に聞く。
「ヘルさんを賭けて、貴方とシモンさんで決闘をしていただきたいのですよ」
「でも俺、そのヘル・ラージャって人を知らないし、薔薇の学舎に来て何日も経ってるけど、まだ会ってもいないよ?」
 だがシモンは聞かない。
「さてはおまえ、決闘が怖いんだな?! そんな見え透いたウソをつくな!」
 砕音は困る。
「本当に知らない人なんだけどな……。だいたい決闘って何をするんだよ?」

 珠輝が紳士的態度で説明する。
「お二人とも背中合わせに立ち、一歩、二歩、三歩で振り向き、拳銃でお互いを撃ってください。ああ、弾は練習用のモノですから、当たっても気絶するだけです。……気絶中にナニがあっても責任は取れませんが」
 砕音が焦った声で止める。
「ちょちょちょちょーっと待った! どうやって決闘するのかは聞いたけど、実際に決闘するとは俺は一言も言ってない!」
「何をおっしゃいますやら。どうヤればいいのかは、実際にヤッてみるのが一番分かりやすくてイイのですよ」
 珠輝は実に優雅な笑顔で言う。砕音は(ハメられた……)と思うが、すでに周囲は、決闘の話を聞きつけて集まってきた生徒たちで囲まれている。すでに決闘用の古めかしい銃も無理やり渡されていた。
 一方のシモンは、入れ込んだ目をして、決闘をやめるつもりはなさそうだ。
 なおシモンはローグで、拳銃は一応撃ち方を知っている程度の知識だ。砕音は大きくため息をつく。彼が自分の銃の経験を語る機会はついに与えられなかった。
 珠輝が宣言する。
「さあ、お二人ともよろしいですか? ……1……2……さ」
 言い切る前に砕音は振り向き、遅れて振り向いたシモンの顔面に、隠し持っていた砂を投げつける。「うわ?!」とシモンが驚いているスキに、その額に銃口を当てていた。
「俺の勝ち〜」
 珠輝がさすがに呆れた様子で言う。
「何を言っているのですか。これでは反則負けですよ」
「え、そーなの? じゃあ、ヘル君の事はあきらめよう、うん」
 それまで驚きで硬直していたシモンが砕音に詰め寄ろうとするが、砕音はそそくさと逃げてしまう。怒り心頭のシモンを、学舎の生徒たちが囲む。
「大丈夫か、シモン? ロクでもない奴だな、あの教師」
 珠輝は砕音の去った方を見て、いぶかしんでいた。
(集団イジメを止められるかなぁと思っての決闘でしたのに……みずから顰蹙を買いに行かれるとは、砕音さんはドMなのでしょうかね?)
 もうひとつ奇妙な事があった。
 決闘の要であるヘルがこの場に来ていない。彼に話さず進めた決闘とはいえ、校内が騒ぎになったのだから知らないはずはないだろう。


 それより少々、時間は遡る。
 美術展示室にも、校庭方面の騒がしい声が聞こえてくる。
 ヘルは、綺麗に汚れを拭き取られた天使像に、いつものように身を寄せていた。エンジェル・ブラッドが無くなった無残な跡に指先を入れ、クスクスと笑いながら、そこをえぐるようになでる。
 展示室に薔薇の学舎生徒の早川呼雪(はやかわ・こゆき)が入ってくる。彼にとって、校庭の喧騒は煩わしい。
「自分を賭けられての決闘に立ち会わなくていいのか?」
「そーいうの興味ないからねえ。二人で僕を取り合わなくても、僕は両方ともお相手するのにな」
「あいかわらずだな」
 ヘルの言い様に、呼雪の言葉に軽蔑の色が混じる。普段通りの冷淡な対応だ。しかし演技する必要はなかった。
「それに、二人が争ってるからって、相手はその中から選ばなきゃいけないって事は無いと思うよ」
 ヘルはそう言って意味ありげに笑いながら、呼雪の黒髪をなでてくる。呼雪はスッと身を離す。
「ここでは拙いだろう……?」
 彼は意味深に濁すと、展示室を出ていこうとし、扉の前で足を止める。ヘルがニヤニヤ笑って追いかける。
「まあ、ここって今、ちょっとうるさいよね」
 呼雪は赤い瞳でヘルを睨むと、彼を待たずに展示室を出る。

 シモンが来るのは、呼雪の予想より時間がかかっていた。
 そこは学舎内の薔薇園の一角。ベンチがひとつあるだけの、小さな広場だ。シモンは鬱屈が溜まると、この場所に来て一人ですごしている。
 決闘に勝とうが負けようが、満たされる事のないシモンがこの場に来るのは確実だと思われたのだが。
 呼雪の耳元でヘルが楽しそうに笑う。
「ここって、けっこう人が来そうだよねー。君って以外と、誰かに見つかるかもって緊張感が好きなタイプ?」
 ヘルのふざけた発言にも、呼雪は反論しない。いや、できなかった。ヘルは呼雪の服の中に手を差し込み、容赦なく深い場所に触れてくる。
「……ッ」
 呼雪は声を出しそうになり、奥歯を噛みしめて押し殺す。
 シモンを呼び込み、見せつけるという本来の目的からすれば、多少は声を出した方がいいのだろうが、ヘルの指に与えられる感覚に呼雪は混乱して何も考えられなくなっていく。
 ヘルは鼻先で笑って言う。
「そんなに声を出すのが嫌なら、腕か指でも噛んでたら?」
 ヘルにとっては「声を出せ」という意味だったのだろうが、音楽活動に打ち込んできた呼雪には指は特別なものだ。
「そんな事……できるか……!」
 焦点をなくしていた瞳に意思を戻し、呼雪はヘルを睨んだ。ヘルは驚き、それからニィッと笑う。
「へえ、ただの冷血漢かと思ったら、そういう目もできるんだ。抵抗されると、そそるよねぇ」
 その声を聞きつけて、決闘を終えたシモンが足早にそこに駆けつける。
「ヘル、来てたんだ? ……?!」
 その場に立ち尽くすシモン。呼雪は少しでもヘルを遠ざけようと腕に力を込め、シモンに向けて言った。
「お前の理想は、本当にこの無節操な吸血鬼なのか? そうまでして独占したい相手なら、イジメなんて低俗な事をして自らの価値を下げるより、相手を振り向かせるくらい自分を磨いて努力したらどうだ……男の嫉妬は醜いぞ」
「うう……」
 シモンは嫌々をするように首を振りながら、後ずさりする。
 この状況でも、ヘルがまぜっかえすように言う。
「決闘なんかしなくても、僕は何人でもいっぺんにお相手するよ。さあ、おいで」
「ヘルの馬鹿ーッ!!」
 シモンは泣きながら、その場を走り去った。
「ありゃ、だいぶコントロール効かなくなってるなぁ」
 ヘルが一人ごちる。
 呼雪も彼から体を離し、そこを去ろうとする。ヘルが呼雪の腕をつかんだ。機械に挟まれたように、腕が動かせない。
ヘルはボヤくように、呼雪に言った。
「こーなったらお詫びに君が砕音、オトしてきてよ。あいつオトせば、混沌でも虐殺でも何でもヤリやすくなるんだからさ」
「……離せ」
 背筋に冷たい物を感じつつ、呼雪は言う。ヘルはため息をついた。
「じゃあ離してあげるから、せめて今度、何か聴かせてよ。あ、もちろんイイ声でもいいんだけど」
 ヘルは呼雪の指に軽く口付けると、腕を離した。


 薔薇の学舎生徒の黒崎天音(くろさき・あまね)は知的好奇心にかられ、コンピュータで情報を探していた。
 裏で流れている天御柱学院の卒業者名簿を、どうにか手に入れる。
 天御柱学院は蒼空学園の教師を多く輩出しているが、その中に砕音アントゥルースの名前は無かった。
 天音は他に、研修に来ている蒼空学園生徒やネット上の交流サイトで、砕音についての噂や普段の様子などを聞いてまわった。
 曰く「優しく、押しが弱い」
「若い男の先生で顔もいいから、女子によくからかわれる」
「本来は地理の教師だが受講者が少ないので、冒険に役立つトラップも教えている」
「蒼空学園に来る前はNGOに所属し、アフリカやアジアの援助に行っていた」
「頭痛持ちで、病院に通っているらしい」
「パートナーの少女型機晶姫アナンセ・クワクとは、少々距離をとった関係」
「アメリカ人だが、母親が日本人」
「十歳の時に両親が事故死して、民間援助機関の保護、援助で育ったらしい」
 彼が学舎に来てから気になる点は、ヘルが砕音に直接会おうとしない事だ。砕音も天使像を見に行っていない。さらに砕音は、ヘルを知らないと言う。
(誰か本人から何か聞いてないか、それとなく探ってみるか)
 天音は生徒が集まりそうな場所へと向かう。
 同じ薔薇の学舎生徒シャンテ・セレナード(しゃんて・せれなーど)が彼に目を止め、呼び止めた。
「君は最近、砕音先生の事を色々と聞きまわっているようだけど、なぜですか?」
 シャンテは砕音を守ろうと考えて、学舎の生徒が砕音に嫌がらせをしないか気を配っていたのだ。
「先生に興味があるんだよ」
 天音はさらりと答える。興味は興味でも、他の生徒とは方向性が違うのだが。
「ええー、そうなの?」
 と言いながら、そこに砕音本人が現れる。とりあえず何か聞いておかないと怪しまれそうな気がしたので、天音は砕音に聞いてみた。
「先生は学校でいじめられたりしませんでした? アントゥールス……偽り、なんて苗字で」
「それはきっと俺のご先祖が嘘つきだったから……いや、祖父母の代とはろくに話した事がないから、俺が勝手にそう思ってるだけなんだけど。それに俺、子供の頃、あんまり学校、通ってないからなぁ。フリースクールにちょこっと出たくらい。大学じゃ俺は飛び級で入ったちびすけで、まわりはお兄さんお姉さんだったので、そんな事にはならなかったな」
 砕音がすらすら答えるので、天音はもうひとつ聞いてみる。
「そういえば先生の名前って、砕く音って書くんですよね。僕の名前も、天の音って書いて『あまね』と呼ぶので気になるんですが……砕く音だと、ガリガリとかバリバリいう音なんでしょうか?」
「むぅ。ガリガリ・アントゥールスよりはバリバリ・アントゥールスの方がいいな。まあ、もともとがサイオンって、父親が自分の乗ってる車の名前から安直につけたんだけどな。漢字は日本人の母親が『これなら強そう』って適当な字をあてた。……写真あるけど見る?」
「それは、ぜひ」
 砕音は携帯電話を出し、データから一枚の写真を探す。いかにも軽薄で「チャラい」と評されそうなヤンキーカップルが写っている。背後には金色の車。
「これ、俺の両親。その後ろの車が、サイオンってブランドね」
 砕音が言う。一緒に写真を見ていたシャンテが微笑み、彼に聞いた。
「お二人の前にいるお子さんが先生ですか? 面影がありますね」
「うん。10歳の時のな。……6、7歳に見えるとか言うなよ。昔はちっこかったんだ」
 そこに騒々しい男が現れた。
「ヒャッハー! 見ぃつけたぜ、性帝陛下! これからその美少年どもを食うところか?!」
 パラ実の南 鮪(みなみ まぐろ)だ。
「ち、違うって。俺の親の写真を見せてただけだ」
 砕音がどうにか反論して、携帯の写真を見せる。
「んん〜どれどれ? イヤッハー、このレディース、なっかなかの巨乳だぜ!! ん? なんだ先生にはパラ実の血が流れてたのか! 性帝陛下がぬるい所属校から追放されたあかつきには、パラ実の外道リーダーとしてスカウトするぜ!」
「……はい?」
 当惑する砕音にかまわす、鮪はシャンテと天音をむんずと捕まえる。
「これより景気づけに、性帝砕音陛下による男同士でも出来る略奪愛の課外授業を開始する!」
 しかし、そこで背後から魔法の火球や投げ縄が鮪に飛んだ。イエニチェリと彼に従う生徒たちが鮪を取り押さえる。
「この脱獄犯め! おとなしく反省室に戻れ!」
「ぐおー!! 離せ! 性帝陛下に反逆する愚か者どもめー!!」
 鮪は大騒ぎしながら連行されていった。


 ニシキゴイが群れ泳ぐ池のほとりに、シモンは座りこんでいた。
 時々、餌をもらえるかとコイが水面に上がってくるが、シモンは想いに沈み、それに気づいていない。
「こんな所にいたのか」
 背後から声がかけられる。弩 永順(いしゆみ えいじゅん)だ。シモンは応えない。永順は彼の横に行くと、同じように座った。
「アントゥルースを追い出したところで、気など晴れないだろう? ヘルの一言を聞き流せないほどの何か……悩みがあるんじゃないかな?」
 永順はシモンを責めずに、ただ聞いた。
 静寂が訪れる。コイがたまに立てる水音だけが聞こえる。永順は静かに待った。
 だいぶ時が経ってからシモンが口を開く。
「……母が家を出ていったんだ。若い派手な男とやり直すって。お金のために父さんと結婚したのは間違いだったって……。それに怒った兄さんも家を出てっちゃうし、父さんはすっかりふさぎこんで、母親似のこの顔を見るたびに辛そうな顔をするんだ」
「それで薔薇の学舎に?」
 シモンはうなずく。
「ここなら女はいないしね。そういう事も忘れていられると思ったんだ。でもバロムがね……『自分を生んでくれた人を、悪く言っちゃいけない』とか『女の子には優しくしなきゃ』とか。今回だって『イジメはいけない』って……そりゃあ、あいつはいつでも正しいさ……。ヘルなら、それも分かってくれたと思ったのに……」
 シモンが言葉を途切らせる。永順は、ふぅと軽く息をついた。
(まいったな……。寂しいのに、それを素直に表せない、という事か)
 永順はシモンに言う。
「味方が欲しいなら、何もパートナーに限らなくてもいいだろう? それでヘルの口先に踊らされるなど、馬鹿らしすぎる」
 永順の言葉に、珍しくシモンが素直にうなずいた。
「……うん。もうヘルとは距離を置きたいし……あの先生も、どうでもいいや」
 シモンは砕音へのイジメをあきらめた。
 永順に話したことで、心のつかえも、すべてではないにしろ取り除かれたようだ。