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鏡の中のダンスパーティ

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鏡の中のダンスパーティ

リアクション

【6】

「聞きたい、ことがある」
 一曲分だけダンスに興じた後、水晶の像が近くにあるテーブル席に移動し、東條 カガチ(とうじょう・かがち)は鏡の中の自分にそう前置きして問うた。
 正面の椅子に座った彼女は、穏やかに微笑んでいる。
 肯定の言葉も否定の言葉もなかったが、カガチは言葉を進めた。
「あんたは、すべてが俺と反対だ。
 ……もし、『俺』があんただったら。俺はまともであれたのかな……?」
 女系僧侶の家系に男として生まれ、その僧侶としての力もなく、歪み、狂った自分。
 同じく、女系僧侶の家系に生まれたもう一人の自分は、ちゃんと僧侶としての力があり、東篠家の跡取りとして生きている。
 もしも自分がその場所にそれとして在れたなら。
 歪まなかった? 狂わなかった? まともだった?
 答えを待った。彼女はじっと黙っていた。それでも待って、彼女が口を開いた。
「それは、わからない」
「……そうか」
 待っていた分脱力した。そうだ、わかるわけがない。あくまでそれはもしもであって、人間にはもしもの未来を見る能力はない。
 そんなことわかっていても、でも、どうしても問いたかった。
「わからないけれど、あなたが精いっぱい頑張って生きていることを知っている。必死に、しがみつくように生きていることを知っている。無様でも惨めでもそれでも生きていることを。道なき道を這い蹲って、それでも進むあなたを知っている。そこであなたが大切な人に、出会ったことを、私は知っている」
「…………」
 自分が認められなかった自分を、自分に認めてもらえるなんて思ってなかった。
 狂った自分が、狂っていない自分に認められるなんて。
 その不意打ちのせいか、泣きたくなった。こらえた。
「『私』からも一つお尋ねします。『俺』の人生は楽しい?」
 訊かれたから、代わりに笑った。

 背が高くスタイルの良い、ロングヘアーの女性。それがもう一人のルース・メルヴィン(るーす・めるう゛ぃん)だった。
「この辺なら、そんなに人は居ませんね」
 人ごみや異性が苦手と彼女が言ったので、踊ったりはせずにパーティの中心部から抜け出し、ルースは言った。その一言にさえ肩を震わせる彼女を見て、苦笑する。
「そんなに怯えないで下さいよ。オレはあなたなんですよ?」
「はい……すみません。でも、わかっていてもどうしても苦手で……」
「じゃあ、座るのはあのテーブル席にしましょう。テーブルを挟んでなら、どうです?」
「たぶん大丈夫だと思います」
 彼女が少し微笑んだのを見て、ルースも微笑む。
「こんなに強引に誘っていたら、女性に嫌われますね。でも、多少強引でも相談したいことがあって。すみません」
「いえ……相談って?」
「オレ、今恋人と疎遠なんです」
「恋人と? ……それは、どうして?」
「その。……オレ、女好きでして」
「女好き……」
「はい。それで、しょっちゅうナンパしたりしてたんです。恋人がいるのに、ナンパしちゃったんですよ、オレ。で、ケンカ」
「九分九厘、あなたが悪いですね……」
「結構ズバッと言いますね」
 苦笑してタバコを取り出そうとして気付いた。灰皿がない。それにここはパーティの場だ。タバコを吸うのはマナー違反かもしれない。取り出そうとした手を引っ込めて、口寂しさにジュースを飲んだ。
 せめて酒でもあれば酔えたのかもしれない、とないものねだりを考える。この場には未成年もいるんだから、そんな注文は無理なことなのだが。
「あなたが悪い場合、あなたはちゃんと謝るべきです」
「……ですよねぇ」
「ご機嫌取りも忘れずに。それから、自分が居るのにも関わらず他の女性になびくなんて、と傷ついているのも当然だから、きちんと恋人さんが一番大切で、そこらの女なんて彼女に並びもしないっていうことを教えてあげてください」
「並びも」
「しませんよね?」
「しないですね」
「なら、あなたはわかっていますよ。本当のところで、何をすればいいのか。ちゃんとそれを伝えてください」
 にこりと微笑む彼女に頭を下げた。

「ほへー……まさか鏡の中の人が出てくるとはな。驚きっつーか……世の中なんでもあるんだな、面白ェ!」
 驚嘆とも感嘆ともつかぬ声を上げ、ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)は鏡の中の自分を見た。同じような背格好の、筋肉質な男。自らのことをおっさんと称するような見た目のラルクと違い、年相応の顔立ちをしている。さらに言えばその顔は整っていて、精悍とも呼べる。なかなかいい眼をしている、とも思ったが。
「ねえ、俺と踊らねェか? ただしベッドの上で」
 次の瞬間肩に手をまわされ耳元でそう囁かれたから、精悍・真面目でいい眼をした美青年。そんな第一印象は捨てた。
 どうやらただの軟派な男らしい。勝手に右手が拳を握り、相手の顔面狙って動いていた。
「おあッ、危ねェな」
 難なく拳を止められ、掴まれそうになった。振り払い距離を取る。
「危ないのはテメェの発言だろうよ!」
「まあ、そうかもな。いきなりベッドへ誘うのは非常識すぎるな。まずはどうだ、ダンスでも」
「俺はダンスなんざ踊れねぇよ」
 ゆっくりと酒でも飲みながら、お互いのことを聞いたり喋ったりしたいと思っていたのだが。
 たとえばどんな人生を送ってきたのかとか、今はどうしているのかとか。大切な人間は居るのかとか、ダチは大事にしろとか。
「俺のこと知りてェ知りてェって熱い目ェして見てくるから、そういう気があるのかと思ったんだけどな」
「ねぇよ」
「なくはないだろ?」
「……あー」
 興味は、ある。
 だが勿論そういう意味での興味じゃない。
「というわけでお断りだ」
「まあ、たまには力ずくでもいいかもな、相手って俺だし」
「待て、どういう理屈かさっぱりわからん」
「男ならあるだろ? 征服欲」
「それを自分に発動させる意味がわかんねぇよ! いいからどけこっちに来るな近づくな! それ以上近づいたら殴る! 殴り殺す!」
「鏡の向こうの俺が死んだら、お前ってどうなるんだろうな?」
「知るか! いいからこっちににじり寄るんじゃねえぇ!」
 相手が近づいたら顔面を狙って殴ろうとしつつ、防戦気味のラルクはふと気付く。
「なぁ。あんなとこに水晶の像なんかあったか?」
「はァ? 像なんかより、俺はテメェに興味があんだよ」
「いいから。ホラあれ。瀬蓮とかって言う子の像じゃねぇ?」
 ラルクが像に近づくと、自然と鏡の中の自分も後をついてきた。そして像を見る。遠目から見てもそう感じたそれは、間違いなく高原瀬蓮の像だった。
「気持ちワリーな、等身大の人間の像なんて。こんなのがあるダンスホールなんか出て俺とどこかで」
 セ、まで言いかけた相手の顔を狙って、今度は蹴りを放つのだった。

 少し前のこと。
「へえ、じゃああんたは俺と同じでイルミンスールに通っているわけか」
「パートナーも同じですのよ、ふふ」
 姫北 星次郎(ひめきた・せいじろう)は、ソファに座って鏡の中の自分と喋っていた。
 話を聞けば聞くほど、お互いの相違点は性別の違いくらいしかない。同じパートナーと契約し、同じ学校に通う。
「思っていたよりも違いがないものなんだな」
「だって、私は貴方ですから。もっと奇抜に違っていたほうがよろしかったかしら?」
「そうでもないかな」
「ふふ」
 袖で口元を隠してくすりと彼女が笑う。「そういえば」不意に彼女が呟いた。
「貴方、主催者様のことが気になりません?」
「主催者?」
「いいえ。訊かなくてもわかることでしたね。だって私も主催者様が気になっている。だから貴方も気になっている。違いますか?」
「違わないが……」
「じゃあ、ついてらして。主催者様のところまで行きましょう」
 くい、と手を引かれた。冷たい手だ。少し驚く。鏡の中の自分は低体温症か、末端冷え性なのかもしれない。末端冷え性だとこれからの季節辛いだろうな、なんて思いながら彼女に手を引かれるまま歩いた。
「どこまで?」
「主催者様のお部屋」
「主催者のことを知っているのか?」
「行けばわかりますわ。ふふ」
 赤い唇が弧を描き、艶やかな笑みを形作る。
 綺麗な笑みだった。まるでどこか作り物のような、そんな印象を与える、綺麗すぎる笑みだった。
 星次郎は、少しの不安と少しの期待に心臓が高鳴るのを感じながら、彼女の手を握る指先に力を込めた。
 また、彼女が笑う。身体一つ分前に居たので、星次郎にはその笑みが見えなかった。

 鏡の中の自分は、大学生なんだとはにかんで言った。
「法学科……とは、また小難しそうな学科だな」
「面白いわよ。語学とかディスカッションとか。政治学原論なんかやってると頭痛くなってくるけどね」
「まったくわからん……」
 イリーナ・セルベリア(いりーな・せるべりあ)は話を聞いて眉間を押える。法学なんて専門外の知識だ。わからない。
 そんな風に思っていることを悟られたらしく、彼女は小さく笑う。
「サークル活動にも励んでるわ」
「サークル?」
「部活みたいなものよ」
「何をしているんだ?」
「ギターサークルでギター弾くだけ。小さなサークルよ。最近は軽音部が人気だとかで人数少ないし」
「ギター……へぇ」
「他にはバイトしたりね」
「何をしているんだ?」
「ファミレスで作り笑顔の押し売り。……ところでさっきから私ばっかり訊かれているけど、あなたは? あなたのことは教えてくれないのかしら?」
「と、言われても……」
 教えるようなことは、ないと思っている。
 教導団に入った理由なんて、いい加減なもので人に話せるようなことではない。
 この先のことだって、ぼんやりとしか考えていない。
 ただ、今を生きている。
「……ないな」
「ないの? 好きな人とかの話は?」
「好きな?」
 心当たりのある人物が、居ないわけではなかった。
「……好き、かどうかはわからないが。大事な人は、居る」
「軍人っていう過酷なものを続けているのはその人のため?」
「ああ。出世とかそういうものには興味無いんだ。軍人で何かを成したいと思っているわけでもない。ただ、あの人の傍に居たいだけ」
「ふうん。でも、人間の関係が不変だなんて思ってないわよね? その人に不要と言われてしまったら、あなたはその時どうするのかしら。それからどうするのかしら?」
 逆に問われて考えた。考えたくもないと脳ミソが拒絶して、知恵熱が出そうになる。
 うう、と唸ると、彼女は苦笑した。
「いじめちゃったわね」
「いや……」
「気分を変えるためにダンスでもいかが?」
「踊ったことなんてないぞ」
「なんとなくでいいのよ」
 手を取られるままにダンスホールへ移動して、イリーナは踊る。
 踊りながらも考えたけれど、はっきりとした結論はすぐに出そうもなかった。

「ふむ、ここは備品置場のようですね」
 風森 望(かぜもり・のぞみ)は会場内を散策していた。鏡の中の自分には、まだ会っていない。捜しまわるよりも先に、自分が気になっていることから追及することに決めて、今現在会場を歩きまわっていた。
 何部屋か回り、目当ての物を探しているが見つからない。
 さがしているものは、参加者名簿だった。名簿を見つけて、それから出会った人の名前を片っ端から尋ねていく。名簿にない名前が主催者だ。
「おや。鏡、ですか」
 備品置場の隅に、鏡が立てかけられていることに気付いた。全身が映る細長い姿見で、縁には金や銀で細密な細工が施されていた。綺麗だなと思う。同時に、鏡の中の自分は何をしているのだろうかと疑問に思った。
 自分が、こうやって探究心や好奇心の強いタイプの人間だから、同じように探し回っているか。それとも、真逆なのか。真逆だったら、きっと会場で待っているだろう。もう少しだけ見て回ったら会場に戻ろう。今まで探していて会わなかったことを考えると、恐らくもう一人の自分は、望と正反対の性格。
「さくさく調べてみますか」
 一応は、この部屋も。
 そう思って、鏡の周辺から調べた。
「……おや?」
 床の一部に強い摩擦の跡。絨毯が毛羽立っている。安物の絨毯ではないだろうそれが、肉眼でわかるほど擦れているとなると。
「なんだか、あやしいですねぇ」
 呟いたとき、ドアが軋む音が聞こえた。