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夢の中の悲劇のヒロイン~ミーミル~

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夢の中の悲劇のヒロイン~ミーミル~

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 ミーミルは幸福の王子ならぬ王女になりきっているせいか、ぴくりとも動かない、ようにアルツールやクレオパトラには見えた。それは柱の下にいるせいかもしれないが……。
「物語の再現なら、人間とツバメと王女側で、直接会話はできないって考えるのが自然かな」
 彼らより少し遅れて物語に入った風祭 隼人(かざまつり・はやと)が呟いた。
「ミーミル、聞こえてるんだろう?」
 ミーミルはかすかに頷いたように見えた。しかし、だからといって意に介した様子はない。
「私がまだ生きてた頃のお話です。私は宮殿に住んでいました。私は富と友人に囲まれて、それはそれは幸福で、涙がどんなものか知りませんでした。そして幸福のままに死にました。ですがここからはこの街の全ての悲惨な出来事が見えるのです。そしてここからお針子が見えるのです。彼女には小さな子供がいて熱を出しているのに、痩せこけて傷ついた手では満足な食事も与えられないのです。そして子供の看病も満足にできないまま、次の舞踏会までに、その手にある衣装に刺繍を終えなければならないのです」
 ミーミルはぽろぽろと涙をこぼす。
「どうかツバメさん、私の王冠のルビーをあのご婦人に届けてください」
「分かった」
「ちょっと〜、解決策が分からないのに物語を進めないでよぅ」
 抗議するヴェルチェに隼人は答えた。
「俺はミーミルが『幸福な王子』の物語を選択したことを尊重してやりたいんだ」
 数ある物語の中からこの話を選んだのには、ミーミルなりの理由があるはずだというのが隼人の考えだ。
「連れ戻すのには賛成だが、彼女に満足してももらいたいってところかな。……ミーミルはどんな結末を迎えたいんだ?」
「私は困った人を助けたいだけです」
「やっぱ現実も家族も忘れてるのか。物語を展開させた上で思い出させた方がいいみたいだな」
 物語と全く違うことをしても、彼女には受け入れがたいだろうなと思う。親子のもとにルビーを持って行けば、何か思い出すきっかけになるかもしれない。
「私も持ってくよ!」
 もう一羽の小柄なツバメ、蓮見 朱里(はすみ・しゅり)が隼人に同行を申し出る。
「でもでも物語の通りじゃなくて考えてることがあるんだ」
 残念ながらヴェルチェは計画の一部を断念した。遠くからも他のツバメが飛んでくるのがたくさん見える。これでは、宝石や金箔を運ぼうとするツバメを、一人ひとりぶっ飛ばして阻止するのは無理そうだ。
「ってーと?」
「本当の幸せや優しさって、一方的に与えることじゃないんじゃないかな」
 隼人がツバメはルビーをくちばしにくわえ、朱里がその横に並んで、二羽は涙をこぼし続けるミーミルの元から飛び立った。
 眼下の赤い煉瓦屋根はとても暖かそうに見えるのに、冬の寒さが人間でいたときよりも厳しく感じる。
 白い聖堂の横を飛び、宮殿を通り過ぎようとしたとき、物語の通りに、その光景は何故だかはっきり目に入ってきた。宮殿のバルコニーに一人の美しい少女が恋人と一緒に出てきたのだ。そしてこれも何故なのか、台詞が耳に飛び込んでくる。
「次の舞踏会のために、サテンのドレスに刺繍を注文したのよ。でもお針子っていうのは怠け者だから」
 二羽は川を越え、ミーミルが言ったとおりの家を見つけ出すと、開いている窓から中に入る。
 これも物語の通り、男の子はベッドの上で熱でうなされており、母親は疲労で椅子に座ったまま眠り込んでいた。
 隼人はテーブルの上にルビーを置くと、男の子の顔を羽であおいだ。男の子が眠りにつくのを見届けて、二人はミーミルの元に戻る。
 ──翌日、朱里は再び男の子のところに舞い戻った。
 枕元には男の子の欲しがったオレンジが置かれ、テーブルには金貨が積まれている。母親はいない。ドレスがないところを見ると、届けに行ったのだろうか。
 彼女がくちばしで窓をつつくと、寝ぼけ眼の男の子の目がぱっちりと開いた。朱里は口にくわえた花をかざして見せる。その花は、パートナーのアイン・ブラウ(あいん・ぶらう)が昨日ミーミルに捧げてくれたものだ。
「こんな冬にツバメがいるなんて!」
 朱里は驚く男の子を誘導して、ミーミルの元に連れて行った。
 そこには街の住人に扮したアインがいて、朝の清掃を行っている。像を拭き、周囲を掃いて花やパンを供えながらミーミルに話しかけた。
「たとえ君がどんな姿になっても、僕には分かる……辛いだろうが、もう少しだけ我慢してくれ」
 像の周囲の樹には、巣箱が幾つも紐が結びつけられ、中には藁が敷き詰められている。これもアインが作ったものだ。
「ここにツバメが住んでるの? ボク夢の中で、ツバメに会ったような気がするんだ」
 男の子はアインに駆け寄っていった。
 機晶姫故か感情表現に乏しい彼は、なるべく村人になりきってみせる。
「住んでいるのではないですよ。旅立つ前のツバメが凍えないようにしているのです」
「そのお花! やっぱり昨日ツバメさんが来てくれたんだね」
 男の子はミーミルを見上げると、にっこり笑った。
「ありがとう王女様。きっと王女様が素敵だからツバメさんもここにいるんだね」
 まだ小さい男の子には、ツバメのルビーでオレンジが買えたことは分からないらしい。それでも昨日から全てが一転したことは肌で感じているのだろう。
「今朝お母さんがオレンジを買ってきてくれたんだ。何だかいいことがあったんだって」
「──そりゃあ良かったな」
 返答できないミーミルに代わって、男の子に返したのは本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)だった。
「幸福の王女様も分かったってさ。早くお母さんのところに帰りな」
「うん!」
 駆け去っていく背中を見送って、涼介はミーミルに向き合う。
「娘を失った母親がいます。その娘の姿というのが王女、あなたそっくりなのです。お願いします。どうか、その母親に一目会ってあげてください」
 聞こえているのかどうか彼には判断がつかない。
「……ここは現実じゃない、夢の世界なんだ。エリザベート様のことを強く思えば、きっとこの悪夢から目覚められるはずだ」
「……母親……?」
 ミーミルの呟きは、彼には分からない。
「お母さん……なんだか気になる言葉……」
 涼介は無表情の像を見つめて心の中で呟いた。──セッションが終わるまでに、あと何度ダイスを振れるのだろうと。