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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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【DD】『死にゆくものの眼差し』

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第四章 女王器をめぐる者


「……そういうわけだ、環菜校長。女王器の重要性は理解している。しかしこの案件の解決にはそれが必要なのだ。女王器の持ち出しと使用の許可をくれ」
 大きな机の上に手をついて、イーオンは頭を下げる。
 一方の御神楽環菜は、いつものように手元の携帯電話に視線を落としていた。
 蒼空学園、校長室。机を挟んだ反対側の御神楽 環菜 は、いつものように手元の携帯電話に視線を落としていた。
 事情を知らない者には、頭を下げられている方の傲岸不遜っぷりが不愉快にも感じられるだろうが、それは一面的な見方でしかない。例えば、休日でも学校に来て、校長室のドアを開放している所などを考えてみれば、この校長が上でふんぞり返っているだけの俗物でない事が見えて来るに違いない。
(見えないとしたら、そいつの眼は節穴だ)
 故に御神楽環菜は、怖れられると同時に信頼されている。
 そして、イーオン・アルカヌムもまた彼女を信頼している者のひとりだった。
 やがて、環菜が息を吐いて携帯電話を机の上に置いた。
「……いいわ、女王器のひとつやふたつ、好き勝手に使いなさい」
 ――室内に弛緩した空気が流れた。両者から少し離れた位置で見守っていたルミーナ・レバレッジ(るみーな・ればれっじ)フィーネ・クラヴィス(ふぃーね・くらびす)も、ひっそりと安堵の息をもらす。
「けど、人員の確保がボランティアにのみ頼らざるを得ない、というのは不安要素ね。この掲示板だと『輸送手段は調整済み』って書いてあるけど、モノの片方はかなりな大きさだった筈よね? トラックとかのアテはついているのかしら?」
「掲示板に書かれてはいないが、現場にいた人間がツテを頼んで準備したと聞いている」
「女王器の使用者はクラーク 波音(くらーく・はのん)アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)が名乗りを上げているけれど、この両者が突然来れなくなった場合はどうするのかしら?」
「現場にいた者が対応する事になると思う」
 環菜はおとがいに手を添え、微かに唸った。
「……隔靴掻痒の感があるわね。緊急事態だから周到な計画は求めていないけど、ある程度の危機管理やリスク対応の方向性が欲しい所だわ」
「ルカルカから、現場有志は一般来館者への対応とか調査とかで一杯一杯だと聞いている。俺とフィーネも、これから至急空京に飛ぶので、詳しい状況はそこから……」
「僕も空京に飛びます」
 入り口から声がした。小脇に書類を挟んだ陽太が、会釈しながらドアを潜ってくる。
「空京入り後、現地からリアルタイムで状況を報告します。簡単にではありますが、蒼学サーバー内に環境を整えました。以後の状況把握は、大分スムーズにできるようになると思います。あと、現時点での状況と、上げられている推論、確定している情報を資料にしました」
 言いながら、陽太は手元の書類を環菜に手渡した。
「仕事が早いわね」
 環菜が答えた。
「現場の苦労も察しはするけど、掲示板ペースだと把握し辛かったから助かるわ」
 「ありがとうございます」、と陽太は頭を下げた。
「あと、もう少しお願いがあるのですが」
「何?」
「現場で対応している有志への支援を」
「具体的には?」
「調査他、各種活動に対する、各方面からの協力。具体的には、有志が調査他、事態解決の為に必要と判断したオプションへの、空京美術館側の協力を勧めていただければ助かります。あと、後日の支払いでもいいですから、活動でかかった費用の必要経費としての処理を」
「……現地有志に対する美術館からの協力の奨励は、空京の市長経由で館長に私から言っておくわ。経費については任せる。買い物の際には領収書をちゃんともらっておくよう、現地人員に周知して」
「了解しました。宛名は『上様』ではなくて、『ビュルーレ絵画事件対策本部』プラス本人名で。但し書きは『品代』はなるべく避けるようにします」
「特に話がなければ今すぐに現地へ飛んで。専用の高速ジェット機を準備するわ。ルミーナ、手配をお願い」
 陽太は会釈すると、校長室を出て行った。
 我に帰ったフィーナは、まだ少し呆気に取られたイーオンを促し、退室した。

「どうした?」
 校長室を出ると、フィーナはイーオンの肩を叩いた。
「手柄をさらわれたとでも思っているのか?」
「……俺の仕事は、女王器持ち出しの許可を取る事だった。仕事は十分に果たしている」
 イーオンは苦笑しながらそう答えた。口調が、どこか自分に言い聞かせているようなのは、気のせいではないだろう。
「聞けば、影野陽太は校長がらみだとやたらと力を発揮するのだそうだ。多少周囲が見えなくなっても、仕方あるまいな」
「美術館で騒ぎが起きたのが大体昼過ぎ――現場でルカルカら有志が調査態勢を整えてこちらに連絡を寄越したのはそこからおよそ一時間弱後といった所だろう」
 イーオンは時計を見た。ルカルカから連絡を受けて、ここに来るまでには、さらにこっちは一時間ほどかかった。
「……たったそれだけの時間で、あれだけの資料なりなんなりを固められるとはな。事務方としては実に頼もしい、俺には到底できん」
「我らは書類を相手にするより、怪物相手の方がやりやすい――お前は任務を果たしたのだ。誇れ、胸を張れ」
「任務を果たすのは当然だ。それ以上、何も感じる必要はないだろう」
「感じているように見えるから、私はこんな話をしている」
 そんな事を話しながら廊下を歩いていると、「ちょっと待って下さい」と後ろから声をかけられた。
 振り返ると、ルミーナが小走りに追いかけてきている所だった。
「? 俺達に、何か?」
「はい。あなた方にお願いがありまして。……あ、影野陽太さんは、どこに?」
「私達を置いて、先に学内発着場に向かっているが……何か問題が?」
「えぇ……あの人はご覧の通り、環菜の事になると突っ走る傾向にあるようです」
 ふたりは頷いた。
「それで、もし暴走しそうになったら、それとなく抑えてもらえませんか?」
「……つまり、うまく手綱を引け、と?」
 イーオンの台詞に頷くルミーナ。
「言葉はアレですが、そういう事です」

 「ビュルーレ絵画事件@空京美術館」スレッドには、「女王器使用について、環菜校長から許可が出た」旨の書き込みがされた。

「お願いだから、ミルザムに会わせて! 至急の要件なんだってば!」
「必要な手続きを踏んでくれ。寄せられる『至急の要件』にいちいち対応していたら、体がいくつあっても足りなくなる」
「人の命がかかってるのよ!?」
「ミルザムが今面会している相手も、シャンバラの未来に関わってくるかも知れん」
「融通利かないなぁ! クィーン・ヴァンガード、評判落とすよ!?」
「護衛担当が融通利いたら話にならん」
 ミルザム邸門前では、ルカルカと葛葉 翔(くずのは・しょう)が押し問答を繰り広げている。
 近くでタクシーから降りた静麻には、想定内の光景だった。
 ミルザムには会うまでが大変だ。女王じゃなくなったとは言うものの、パラミタではそれなりの重要人物であるのは間違いない。スケジュールも密だろうし、本人へのコネがあってもそいつがクィーン・ヴァンガードに通用するか、というとまた話は別だろう。
 静麻は手元の携帯電話を操作しながら、「失礼」と両者の中に割り込んだ。
「蒼学の閃崎と申します。至急の要件です、ミルザムへの取次ぎをお願いします」
 言いながら、携帯電話を差し出して液晶画面を見せた。手を伸ばし、携帯電話を受け取る翔の表情は、怪訝なものからやがて真顔に変わって行った。
「……失礼した。確かに緊急の要件だ」
「ミルザムが多忙なのは分かってますし、スケジュールに割り込むこっちの不躾さも申し訳なく思います。だが、人命がかかっている事案を知らず、直前で話が届くのが止まっていたなんて事になれば、ミルザムもヴァンガードも立場が悪くなるだけです。話は数分もかかりません」
「ちょっと待っててくれ。携帯、少し預かるぞ」
 言うと、ひとたび翔は門の中に引っ込んだ。
「……ひょっとして、あんたも空京美術館の件で来たの?」
 ルカルカの問いに、静麻は頷く。
「知り合いが現場にいてね。電話で俺も駆り出された――あー、慣れない敬語なんて使うもんじゃないな、何度か噛みそうになったぜ」
「携帯でどんな魔法使ったのよ?」
「空京大学のサイトの掲示板にスレが立って、美術館の状況を現在絶賛実況中。知らなかったか?」
「聞いてないわよ、そんな事」
「連携プレーってのは難しいな……お、戻ってきたぞ」
 小走りに戻ってきた翔は、門扉を開き、ふたりを促した。
「五分だ。引き伸ばせても10分以上は無理。それで話を終わらせられるか?」
「二分もかからないわ」
 門から邸宅までいきなり3分もかかった。玄関のドアを開くと、ミルザム・ツァンダが立っていた。
「ごめんなさい、ここで話をさせて下さいね? 携帯電話で美術館の緊急事態は分かりました。私にできる事は何ですか?」
 挨拶をしようとして、ルカルカは思いとどまる。「こんにちは」を言う時間も惜しい。
「現在空京大学にある、蒼空学園へ寄贈された女王器の持ち出しと使用の許可を下さい。状況解決には必要な物品です」
「モノの所有と管理は蒼空学園にあります。環菜さんに話をした方が早いんじゃないかしら?」
「もともとの所有権はツァンダ家にあります。環菜がつかまらなかった場合のための、リスク分散とご理解下さい」
 静麻の台詞に、ミルザムは苦笑した。
「私は保険、というわけね?」
「お叱りお怒りはごもっともです。後日、釈明にうかがわせてください」
 静麻が頭を下げると、ルカルカもそれにならった。首を横に振るミルザム。
「別にそんな事は求めません。女王器は好きなように使って下さい。書面が必要なら、後で起こしてメールやFAXで送ります。――他には?」
「そちらのクィーン・ヴァンガードを少し貸して頂けませんか?」
 静麻の申し出に、隣にいたルカルカと「そちら」と示された翔は眼を丸くする。
「どうしてですか?」
「現在美術館で起きている騒ぎは、十中八九展示中の絵が原因でしょう。
 『模写』という行動がトリガーとなっているようですが、人の心を取り込んでしまう絵画というのは、ちょっとしたトラップとして応用が可能です。テロに使える、と思った不届き者が美術館に押し寄せて作品強奪の暴挙に出ないとも限りません」
「……あるか、そんな事?」
 話を聞いていた翔が顔をしかめた。他の者も、似たような表情をしている。
「起きてからでは遅いです。展示作品が人の心を取り込んでしまうなんて、そもそも誰にも予想できなかった。予想できるリスクには備えるのが無難でしょう。
 そういう警護や護衛には、クィーン・ヴァンガードがいちばん適任と考えます
 さらに言うなら、女王器運搬の際にも護衛の頭数は必要か、と」
「こちらの、翔さんを指名した理由は?」
「先ほどの対応を拝見して、セキュリティには信頼がおける、と判断しました」
(えー)
 ルカルカと翔が渋い顔をした。皮肉を言われているようにしか思えなかった。
「……分かりました。葛葉さん、ここはもういいですから、空京美術館の動きに合流してください。ルカルカさん、葛葉さんのエスコートをお願いいたしますね?」
「分かりました……突然飛び込んできたのに話を聞いて下さって、どうもありがとうございます」
 ルカルカがお辞儀をした。
「葛葉さん、一番早い移動手段で一刻も早く空京に飛んで下さい。お願いします」
「了解しました」
 翔は敬礼した。
「これより〈ビュルーレ絵画事件〉の対応に当たります」

 空京大学掲示板の「ビュルーレ絵画事件@空京美術館」には、有志による助力の表明、各種質問が随時書き込まれていた。
 それらは正直、見ていて気持ちのいいものではなかった。とりわけ質問の書き込みに顕著だが、マナーをわきまえてないものも散見され、「続報はまだか」「詳細を教えろ」「さっさと絵燃やせ」というものならまだ良識のある方、「グズ」「ノロマ」「使えねえ」「引っ込め」などのストレートな罵声なども延々と連なっていた。
 対応しているオルフェリアは、自分の心がどこか荒んで行くのを感じながら、今入ってきた動きを掲示板に書き込んだ。
 「女王器@空京大学使用許可出ました。じきに美術館に到着する予定です」