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第3章 知りすぎていたかも? な男

「グリちゃん〜かかったよぉ〜。これ取って〜」
 秋月 葵(あきづき・あおい)が、パートナーのイングリット・ローゼンベルグ(いんぐりっと・ろーぜんべるぐ)を呼んだ。トレードマークの長いツインテールを今日はお団子にして両側にまとめている。サンダルのまま膝まで海に入り、超感覚で捕まえたカニを使ってタコを岩の間からおびき出して捕まえる、という方法をとっていた。
 タコを捕まえるのは、もちろんイングリットの役目である。
「はいにゃ〜」
 諦め声で、イングリットはそちらに向かう。葵が指さした、カニに夢中になっているタコを捕まえ、ポイッとバケツに放り込んだ。
「自分で捕まえる方が、効率いいのにゃ」
「だってぇ〜、グリちゃん、軍手してるじゃな〜い」
 その軍手を片方貸してとは決して言わない葵だった。
「これはウニを捕るために持ってきたんだにゃ〜」
 ぷしゅーーっという感じで、イングリットの肩がガックリ下がる。
 本当にショックを受けているのだと気づいて、葵はイングリットの両手をとった。
「仕方ないよぉ。ウニ、逃げちゃってるんだもん。
 タコ、海に返したらウニもきっと岩場に帰ってくるよ。だからがんばろっ」
 ふぁいと! グリちゃん!
 葵の心からの励ましに、イングリットも元気を取り戻すように胸いっぱい息を吸い込んだ。
「うんっ! 今日はタコの日! だからあとで一緒に焼いて食べようにゃ〜」
「……えっ。グリちゃん、タコさん食べるの…」
 元気よく、タコを捕まえ出したイングリットの後ろで、こそこそと、葵はバケツのタコを岩場の向こうの海に放しに行ったのだった。


 沖の外海側とは対照的に、珊瑚礁で外海とへだてられた内海では、結構ほのぼのとしたタコ捕獲作戦が繰り広げられていた。
 なにしろ海は美しく澄んでいて、珊瑚礁があるからタコが突然襲いかかってくるような強い波もほとんど起こらない。というか、皆無だ。
 危険なタコはそれこそいたる所にいたが、タケシのように不用意に飛び込んでタコを驚かせ、踏みつけることさえしなければ、もともとの性質が臆病であるタコの方から人を避けてくれる。
「えいっ、えいっ」
 ザブザブ膝の辺りまで海に入ったガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)は、イシュタンから借り受けていた銛を使って、近場にいるタコを突いていた。
「てやっ!」
 掛け声が口をつくものの、狙っているとはとても思えない、面白半分の突きなので、当然持ち上がる銛にタコは付いていない。
 水の中のタコは思いのほかすばしっこく、するりするりと銛攻撃をくぐって逃げて行く。ときには銛に墨を吐きつけ、水を噴いて離脱していく。それが彼女のツボに入ったらしい。夢中になってタコを突いていた。
「危ないけぇの。あんま、深いとこ行ったらいけんよ。足元が見えんなると、踏んでまう可能性があるけぇね」
 シルヴェスター・ウィッカー(しるう゛ぇすたー・うぃっかー)が注意する。彼女は胸元近くまで入っていたが、機晶姫なのでタコに噛み付かれようが全然平気だ。引き剥がされまいと吸盤で張りついているタコを軽々と引き剥がし、持参した海産物入れのメッシュ袋に次々と放り込んでいく。
「ウィッカー、袋貸してくださいなー?」
 タコの引っかかった銛を高く掲げて、ガートルードが嬉しげに笑っている。
 タコを取っただけなのに、まるで何かで優勝したように誇らしげだ。
 紫の紐ビキニを着て、妖艶とさえ思える大人びた外見でありながら無防備な笑顔を浮かべる、そのかわいらしさにシルヴェスターの心も浮き立ってくる。
「ええよ。ちぃと待ってや」
 ザッザッと水を切ってガートルードの元まで戻ると袋を広げて彼女の捕まえたタコを入れ、ついでに自分の腰や足に張りついていたタコを放り込む。
 そんな美女2人のビキニ姿を見ながら、浜でシラギは涙ながらにうんうん頷いていた。
「眼福じゃ、眼福じゃ。こんな光景は、今年はもう見えんかと思うておったが」
「ええ本当に。皆さんとっても楽しそうですね」
 にこにこ。隣に立っていたマリア・クラウディエ(まりあ・くらうでぃえ)が応える。
「うおっ?」
 彼女がそこにいることに本気で驚いて、シラギはバッと横にとびのいた。
「お、おまえさん、いつから…」
「あら。最初からお傍に控えさせていただいておりましたわ」
 ほほほほほ。
 口元に手をあて、楚々とした仕草で言うマリア。彼女の狙いはもちろん、このセレブのプライベートビーチのような美しい浜での特別優待権だった。
(巨タコ討伐? タコ捕獲? 何ソレ? この暑い中、そんな汗臭いことをして私に何の得があるっていうの?)
 である。
 そんなことをしても、大勢の中の1人として埋没してしまうだけだ。みんなと一緒に褒められても、うまみは少ない。それよりもシラギと一緒に行動し、何かと率先して彼の手伝いをしておけば、好印象間違いなしだ。
「私、マリア・クラウディエといいます」
「おまえさんは行かんでええのか?」
「はい。もちろん私としては、皆さんと一緒に闘ったり、タコを取ったりしたいんです。でも、何も持ってきていないし、素手で触る勇気もなくて…。こんな私が傍にいては、きっと、皆さんの足手まといになるだけですわ。ですから、せめてここで応援だけでもと」
「それはまた奥ゆかしい。日本女性の鏡のようじゃの」
 彼女の二心には全く気づかず、感心感心と頷いている。
(よっしゃ!)
 心の中で、グッと握り拳を作った。
(この歳のおじいさんを落とすなら、控えめな女性を装えば一発よ。赤子の手を捻るよりも簡単だわ)
 そう、快哉を上げていたとき。
「不思議ですねぇ。マリアが何を考えているか、手に取るように透けて見えるんです。これも愛の力でしょうか」
 後ろに立っていたノイン・クロスフォード(のいん・くろすふぉーど)が、彼女にだけ聞こえる声で耳元に囁いた。
 反射的、耳に手をあて、振り返ったマリアはノインを睨みつける。しかしノインは得心顔で首を振っているだけだ。
「あっ、シラギさん、あっちでだれか呼んでるみたいですわ」
「えっ?」
 と、シラギが彼女の指差した方向を向いている間に。
 マリアはすばやくノインの背後に回ると膝カックンをしてバランスを失わせ、えいっとばかりに海に突き込んだ。
「なっ…なに?! マリ…」
 バッシャーン。
 水しぶきを上げてタコたちの真上に倒れるノイン。
「な、なんじゃ?」
「ああっ、大変! ノインが!」
 悲鳴を上げる間もなく気絶したノインに助け手を伸ばすフリをして海の方に押しやると、ノインの体はあっけなく波で引っ張られていってしまった。
「ああなっては私には何もできないわ。だれか、彼を助けてあげてね。
 さあシラギさん、行きましょう」
 浜のだれともなしに言い残して、マリアは少々強引ながらもすたすたとシラギを引っ張って歩く。
「嬢ちゃん、あれはおまえさんの連れだったんじゃないんか?」
「いーえ。あれはただの不埒なナンパ男ですわっ」
「そ、そうかの…? そうは見えんかったんじゃが…。
 あ、ちょいと待ちなさい、嬢ちゃん」
「はい」
 ピタ、と足を止める。
 シラギが見止めたのは、難しい顔で考え込んでいる小次郎だった。
「ちょっとおまえさん、今手すいとるかね?」
「え? あ、シラギ殿。はい。何か御用でしょうか」
「さっき見かけたんじゃがの、あのスーツもおまえさんのかの?」
 と、シラギが指差したのは小次郎の私物で、袋からはダイビングスーツが覗いていた。
「ええ。あれは自分のです。珊瑚礁の広がる沖の方をダイビングしようと思って持ってきたのですが」
「ちょうどええ。あれを持って、ワシと一緒に来なさい」
「分かりました」
 ダイビングスーツを取りに行く小次郎。
「嬢ちゃんも、そこまでちょっと付き合ってくれんかの?」
「はい、喜んで。私でお役に立つことでしたら、何なりとおっしゃってくださいな」


 シラギが2人を連れて行ったのは、左の岩場を回り込んだ、海水浴場とは反対側にある小さな船着場だった。
 そこには小さな舟小屋があり、奥の方にはかなり傷んだ2人乗りのボートが置いてあった。置いていたというより、放棄されていたというか……このまま浮かべたら、腐って黒くなった底板が抜けて浸水しそうな代物だ。
「おまえさんらには網の修理を頼みたいんじゃ。巨タコを退治しても、タコを放り出しても、網を修理せんとタコは戻ってきてしまうかもしれんじゃろ。
 これは、前に使っとった物じゃ。大分前からここに放置しとったんじゃが、なに、ちょちょいと修理すれば珊瑚礁までは持つじゃろう」
「えっ? あの…」
(こ、この汚いボロ舟を、まさか…………私に?)
「ワシは浜におって、若い者を監視せにゃならん。料理の者にも呼ばれとるでな」
「で、でもっ、あのっ」
「なに、人手なら他にもそこにおるて。のう、嬢ちゃん?」
「えっ?」
 シラギからの呼びかけに、しぶしぶ扉の陰から出てきたのはミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)だった。
「ボク、男の子だよ、おじいさん」
 罰が悪いながらも訂正する。
 ミシェルは、シラギを見た瞬間、直感的に「このおじいさんには何かあるッ!」と閃いて、こっそり動きを見張っていたのだ。絶対に気づかれていないと確信しきっていたのだが――実際、マリアと小次郎は全く気づいていなかったし――ミシェルだけがそのつもりだったようだ。
「ほっほっ。そりゃ悪いことしたの、ぼうず。
 で、どうする? 手伝ってくれるかの?」
「…………」
 悪いことをした自覚はあったものの、そうするとシラギを見張っていることができなくなってしまう。選択に迷うミシェルだったが、しかし今回に限って決定権はミシェルにはなかった。
「もちろん僕らも手伝わせていただきます、シラギさん」
 現れたのはパートナーの矢野 佑一(やの・ゆういち)だった。
 彼はミシェルの姿が見えないことに気づいて、捜しに来たのだ。
「佑一さんっ?」
「お手伝いするよね? ミシェル」
「……はい」
 佑一に言われては、ミシェルも観念するしかない。
「そうかそうか。ありがとうよ。じゃあここはおまえさんたちに頼んで、ワシは行くとするかのぅ」
 ふぉ、ふぉ、ふぉ。
 笑いながら去っていくシラギ。
(おかしいわ。こんなはずじゃなかったのに…)
 小次郎に指示されるまま、補強用の板を押さえながら、マリアはぐるぐるそればかり考えていた。