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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 13

 清泉 北都(いずみ・ほくと)クナイ・アヤシ(くない・あやし)は手を握り合い、夏の終わりの一夜を共に過ごしていた。
 二人とも浴衣だ。クナイの着付けは、北都が手伝ったものである。北都の右手、クナイの左手には、それぞれザカコ・グーメルの店で買ったりんご飴があった。
 少し、会場から遠のいたようだ。中心から離れただけで、あの賑わいがまるで夢――縁日の光は蛍のそれに似て、雑踏音ですら、夜の潮騒のように幽かな音色となる。
「この辺で食べようか」
 ぽつんと空いたベンチに、北都はクナイを誘った。周囲に人の姿はなかった。
「いいですね。ほどよく静かで、ほどよく明るい」
 だから、とクナイは微笑んだ。
「北都の顔も、よく見えます」
「だとしたら、舌の色もわかってしまうかな」
 北都はりんご飴を口に含んだ。赤と緑の二色から、彼は敢えて緑を選んでいた。
「りんご飴って、食べた後舌の色が変わっちゃうんだよね。幼い頃、同級生と『あっかんべー』を見せ合ったりしたよ」
「あっかんべーの話は、前に聞いた事があります」
「……あれ、そうだっけ?」
「ええ、でも」
「でも?」
「そのときは舌を見せてくれませんでした。実際に食べていたわけではないので」
 クナイの右手が北都の左肩に触れていた。いや、触れているというよりは、少し、指先に力をこめてつかんでいた。唇を、彼の唇に寄せて、
「見せてくれませんか。北都の、舌」
 わざと吐息が当たるようにして請う。北都はわずかに肩を震わせた。隠したかったけれどきっと、クナイの指先に震えは伝わったと思う。
 まるで蛇に魅入られた雲雀のよう。言葉が喉から出ることはなく、北都は求められるままおずおずと、うっすら緑に染まった舌を出す。ほんの先端だけ、零れさせるように。
 それだけで、クナイには充分だった。
「私にも色が移るか試してみます?」
 唇と唇、今やわずか数センチの距離を、クナイは一気にゼロにした。
「……んっ」
 怯え逃れようとする北都の舌を、クナイは決して逃さない。自らの舌で絡め取った。歯と歯の間をこじあけ、熱い内側にするりと侵入する。
「んんっ……」
 甘い声を洩らしたのはどちらが先か。クナイは北都を、ベンチの背に押さえつけている。そのまま覆い被さるようにして永遠に思える十数秒、濃厚なキスを交わした。
 愛おしさのあまりクナイの指先は、北都の肩に食い込むほどに力が込められていた。
 しかしこのとき北都の腕も、クナイの細い背を折れるほどに抱きしめていた。
 息が苦しくなって互いは互いを放した。はずむ息のままクナイは前髪をかき上げる。
「緑色、移ったでしょうか?」
 濡れて甘く光る舌を見せて微笑む。
 北都は口元を拭った。こんな情熱的なキス、慣れていない。思考がまだ、正常に復さない。
「判らない」
 だから、これだけ告げるのが精一杯だ。
「じゃあ、はっきりそれとわかるまで試しませんか」
 再度顔を寄せるクナイの胸に、右の掌を当てて北都は彼を拒んだ。
「ごめん、これ以上は……」
 同時に北都の左手は、浴衣の内側に指を這わせようとするクナイの右腕をつかんでいた。
「どうして」
「好き、って言う理由があるから。……だから、一時の感情に身を任せたくない」
 クナイは瞼を半ばまで下ろした。再度開いたとき、彼の瞳(め)は笑みをたたえていた。
「ありがとう。今はその気持ちを、嬉しく思います」
 微笑んだまま北都の頭を撫で、浴衣の襟元を直して呼びかける。
「他のパートナー達へのお土産を買って帰りましょうか」