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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 05

 鈴の鳴るような可愛らしい声が、道行く人々に呼びかける。
「ヨーヨー釣りですよー。楽しいヨーヨー釣り、いかがですか〜」
 呼びかけるのは神代 明日香(かみしろ・あすか)、目の前には水槽を低くしたようなプールが置かれている。プールには色とりどりの水風船が、ぷかぷかと浮き沈みしていた。流水の仕組みがあって、風船はゆっくりと流れていて楽しい。
 夏の風物詩、ヨーヨー釣りである。これがエリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)の屋台なのだ。
「明日香が手伝ってくれて大助かりですぅ〜♪」
 明日香とお揃いの浴衣着て、エリザベートはにこにことしている。実際、明日香が手伝わなければ色々失敗していたことだろう。なぜって最初、エリザベートは、取られたら損なのですぅ、とヨーヨーを重くしたり、釣りに使うこよりを粗悪なものにしようとしていたからである。変な商売っ気を出して裏目に出るところだった。
「ヨーヨー釣りは一回の費用も安いですが原価も安いので、取られにくくして単価を稼ぐよりも集客が重要だと思いますよぉ」
 と明日香が忠言してくれなかったら、評判の悪い店になっていたことだろう。それはヨーヨー釣りの主旨に反する。
 だからエリザベートの屋台『イルミンスールヨーヨー』は、下手な人でも簡単に二個は取れ、最大五個まで提供するという安心設定となった。表示はしていないが一つも取れなかったとしても、一つ進呈してくれるという嬉しいサービスつきだ。楽しい空間と思い出こそが、この店の提供物なのである。
「お客さんもたくさん来てくれましたねぇ」
 エリザベートは眼を細める。子どもやカップルが中心だ。釣りの指導をする明日香の性格の良さも手伝ってか、ほのぼのとした雰囲気が醸成されている。普通の水風船ばかりではなく、パンダや猫や蒼空学園のメガネを描いたものも浮き沈みしていて目にも愉しい。
「ノルンちゃん、休憩がてらお使いに行ってもらえませんか?」
 ノルニル 『運命の書』(のるにる・うんめいのしょ)にヨーヨーを一つ手渡し、明日香はそっと耳打ちする。ノルニルは軽くうなずいて、
「夕菜さんも行きましょう」
 と神代 夕菜(かみしろ・ゆうな)を誘った。
 十五分ほどして、二人は差し入れを手に戻ってきた。
「ふんわりクレープですわ。色々な味を買ってまいりました。包み紙に味が書かれておりますのでお好みのものをお選び下さい」
 夕菜の言葉に真っ先に反応したのはエリザベートである。カスタード味を手に取ってかぶりつく。
「わーい♪ 遠慮なくいただきますぅ〜」
 あんまり急いだものだから、クリームがほっぺにくっついていた。
「エリザベートちゃん、動かないで下さいねぇ」
 明日香がふきとってあげる。
 こうして見るとエリザベートは随分と幼い。イルミンスール校長という立場上様々な義務を背負ってはいるが、その実は無邪気な七歳の少女なのである。
「美味しいですね」
 と言いながらミーミル・ワルプルギス(みーみる・わるぷるぎす)は、そっとノルニルに目配せした。ミーミルも事情を知っていた。これは、御神楽環菜の屋台『KANNA』製のクレープなのである。ノルニルが持っていったヨーヨー水風船は、かわりに環菜に手渡してきている。こっそりとエールの交換をしてきたというわけだ。とはいえ、ライバルの店に行ってきたという実情を知ったらエリザベートがヘソを曲げてしまうかもしれないので、各人そのことには触れないのだった。
 ところが、
「ああ、おいしかったですぅ……これ、御神楽校長の夜店のクレープですよねぇ?」
 ふいにエリザベートがニヤリと笑った。
 夕菜とノルニルは顔を見合わせるも、
「えーっと、その……はい」
 結局、夕菜は認めるほかない。
「とてもおいしかったから、そうじゃないかと思ったんですぅ。御神楽校長のお店なら、最高のスタッフが集まるでしょうからぁ」
「競い合うのも結構ですがお祭を楽しみましょう、という伝言を告げて購入しました。この店のヨーヨーをお土産に……」
 いけなかったでしょうか、とノルニルはエリザベートを見るも、意外やエリザベートは怒ったりしなかった。
「それはよかったのですぅ。ライバルがへなちょこだったら面白くないのですぅ。それに、お祭だってしょんぼりなものになっちゃうはずですからぁ」
「お母さん、大人になりましたね……」
 思わずミーミルは胸を熱くする。
「エリザベートちゃん、立派ですぅ」
 明日香が褒めると、エリザベートはエヘヘと笑って、猫のように身をすり寄せてきた。
「ライバルがお菓子を極めるなら、私たちは娯楽を極めるのですぅ〜」
 エリザベートの宣言で、一同のやる気は高まった。

 食べ物のみならず様々なアイデア店舗があるのが、イルミンスール側の特徴だろうか。
 珍しい夜店のひとつに、師王 アスカ(しおう・あすか)の屋台がある。アスカはイラスト描き(似顔絵)の店を立ち上げていた。
「はい、いらっしゃ〜い。屋台、『絵描き雲』へようこそ〜。さりゆく夏の面影を、イラストの形で残さない? ちょっと時間を時間をもらえば夏の思い出に相応しい絵を私が描かせてもらうわぁ。お代は絵が完成した後で、もちろん気に入ってもらえなかったらお代は結構……タダで構わないわ♪」
 始まった途端に好評を博し、いつしか『絵描き雲』の前には行列ができている。だけどアスカは焦らない、色鉛筆を握ってモデルに呼びかけた。
「絵を描く際じっとしなくていいわ、むしろ喋ったりしてて〜。自然体のお客様の方がとてもいい絵が描けるという私なりのジンクスねぇ」
 実際、二人連れや三人連れの場合は、静止しているより動いているほうが表情に華が出るのだ。たとえば恋人同士、その様子から、つきあいはじめたばかりか、長い信頼関係があるのかわかる。無論そのことが絵に直接反映するわけではないが、『味わい』という彩りを添えることになるのは確かだ。
 描く時間はわずか数分、その数分間は、祭の喧噪も聞こえなくなるくらいアスカは集中する。貴重な思い出を、持って帰ってもらいたいと思うからだ。
 描き終わった客から代金(気に入らないという人はいなかった)を受け取り、絵を手渡すのはルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)の役目だ。絵とともに彼はクッキーを渡している。
「有難うございました。このフォーチュンクッキーはサービスとなっている。一人一個、自由に取ってくれ」
 ルーツの端麗な容姿に、クッキーを受け取ったまま呆然となってしまう女性客があった。説明を求めているのかとルーツは勘違いして、
「フォーチュンクッキーって言うのはクッキーの中に今日の運勢が書かれた紙が入っている、まあ……おみくじの一種だな」
「……あの私、今夜は一人で予定もないんですけど」
「そうかい? それでも来て良かった、と思えるよう、祭を楽しんでいってくれ」
 女性客の目がハートマークになっていることにルーツは気づかない。自分の容姿や、それが異性を魅了してやまないという事実には無頓着な彼なのである。立ち去りがたい様子の彼女に、
「あ、アスカの描いた絵はがきが欲しいのか? そっちはエリザベート校長の絵はがきで、隣は環菜校長の絵はがきだな。両方? 有り難う。じゃあ、お代はこちらに」
 てきぱきと営業して笑顔で手を振った。天然というか、悪意も他の意図もまったくない。
 ルーツは視線を移した。懸命に色鉛筆を走らせるアスカを眺めて思う。
(「アスカ、生き生きしている。よほど楽しいらしい……、いつもと違う感じがしてなんか新鮮だ。ほんとに絵が好きなのだな」)