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リアクション
第3章 バーラウンジ
「わぁ……、すごーい」
全員参加のカドリールを終えて、バーラウンジへ移動したアンジーは、自分が一番乗りだったことにドキドキしながらカウンター席についた。
こうこうと照るシャンデリア、壁にかかった巨大なタペストリー、ほのかに桃色がかった大理石といった豪華絢爛とした舞踏会ホールと違い、間接照明が控えめに配置されたこちらは、ぐっとシックなムードが漂っている。ゆったりとしたクラシカルな音楽が流れているが、スピーカーのような無粋な物は見えない。紫檀製ではないかと推察するカウンターの向こう側には、さまざまな飲料の瓶が並べられた棚を背に、いかにもバーテンダーといった姿の男性がグラスを磨いている。
(あの白仮面で隠された顔が、髭を立てたダンディーなおじさまとかだったら、もう完璧…!)
「お客さま、何をお飲みになられますか?」
じーん…と感じ入っているアンジーに、バーテンダーが声をかける。
「あっ、はい。……えーと」
あわててパラパラメニューをめくったものの、名前を見ただけではサッパリ分からない。ここは、中に何が入っているか説明文を記載してくれるような場所ではないらしい。とりあえず、アルコールとノンアルコールのページは別になっているのは分かったが、それでもサッパリだ。
(どうせ飲むならおいしいものを飲みたいし。ここが一番の悩み所よね)
真剣に悩むあまり、メニューにのめり込ませんばかりに顔を寄せていっていくアンジー。そのとき、助け舟を出すように、バーテンダーがオレンジスライスの飾られたロングカクテルを差し出した。
(……これってサービスドリンク?)
「まだオーダーしてないんですけど…」
甘い香りのするきれいなカクテルとバーテンダーを交互に見比べながら、訊いてみる。
「あちらのお客さまからです」
白仮面が右を向く。その視線の先には、いつの間にか、同じようにカウンター席に1人腰かけた女性がいた。
アンジーが自分に気づいたことに、カクテルグラスを揺らして応える。
腰のすぐ上まで背中のあいた、挑発的なオフショルダーの黒いロングドレス姿のその女性は、このバーラウンジに違和感なく調和した美女だった。
(ふわー、すごーい。オトナの人だー)
まるで映画のワンシーンのような光景に、思わず見ほれてしまったアンジーだったが、はっと気づいて席を立ち、カクテルグラスを手に彼女の席まで近づいた。
間近で見ると、本当に絶世の美女だと分かって、なんだかますますドキドキしてしまう。
「……あ、あははっ。あの、これ、ありがとうございます。何頼んだらいいか、全然分からなくて…。ここってすごくかっこよくて、なんだか映画やドラマに入り込んじゃったみたいだなーって思ってたんです。でもまさか、こんなドラマみたいなことする人いないだろうなーって思ってましたから、びっくりしちゃいました」
(って、ああっ! あたしってば何失礼なこと言ってっ。これじゃまるでダサいって言ってるみたいじゃない)
「あっ、あのっ、違うんですっ。あたし、すごくうれしかったんです。それで――」
顔を赤くして、一生懸命先の失言を償おうとするアンジーに、美女はくすりと笑って隣の席を指した。
「座ったらどうかしら?」
「あ、はい。ありがとうございます…」
カクテルを置き、席について、あらためてアンジーは美女へと向き直った。
「これ、ありがとうございます。でもあたし、お酒飲めなくて」
「大丈夫よ、ノンアルコールだから」
「あ、そうなんですか? よかった。こんなにきれいでおいしそうなのに、飲めなかったら悲しくなるところでした」
「ふふっ」
うれしそうにグラスに口をつけるアンジーを見て、美女が笑う。
「おいしー。これ、何ていうんですか?」
「シンデレラ。あなたにふさわしいと思ったのよ。私はエクソシスト」
「エクソシスト、さん?」
こんなきれいな人の名前には、ちょっと不似合いな気がするんだけど…。
そんな思いがそっくり出てしまったのだろう。顔か、声か、両方か。
美女は爆笑した。
「違うわ。それはこのカクテルの名前。私の名前は桔梗よ」
そう答える間も、くつくつと肩を揺らせて笑っている。
「桔梗さん。あたし、アンジーっていいます。よろしくお願いします」
(もうやだ。あたし、絶対耳まで赤くなってる)
きまり悪さを隠すため、アンジーはぐっとグラスをあおった。
「綾、ここならどうですか? 落ち着けますか?」
薄暗いラウンジの一番奥に空席を見つけて、クリスティナ・ローゼンハイムは言った。
神凪綾は彼女の手を借り、ソファに崩れるように座わる。先に脱いでいた羽織を脇に置き、ふーっと緊張を解く彼の横について、クリスティナはウェイターの持ってきた冷たいおしぼりでそっと額の汗をぬぐった。
「ありがとう。
ごめんね。せっかくの舞踏会なのに、こんな不甲斐なくて」
そう呟いて目を閉じる。頭をソファに倒した綾の、少し崩れた襟元から白い包帯が見えて、クリスティナは首を振った。
「そんなこと…。それに、ダンスはさっき踊ったじゃないですか。綾と一緒に踊れて、すごく楽しかった。だから十分です。
それより、苦しくありませんか? 袴も脱ぎますか?」
と、クリスティナの手が袴に伸びる。
「あ、いや、それは大丈夫だから」
脱いだって下は普通の着物だからべつにいいんだけど、それはやっぱりほら、人目ってものがあるし。
薄暗いラウンジで、女性にゴソゴソ下を脱がされてたら、あいつら何をしているんだと思われかねないし。
「そうですか?」
彼が内心何を考えたか全然理解できていないながらも、その意思を尊重することにしたらしい。クリスティナは袴から手を離し、ウェイターが気を利かせて持ってきてくれた新しいおしぼりを取って、綾の額に置いた。
「ごめん、ちょっとだけ休ませて。そうしたらまた、踊れるようになるから…」
そう告げる間にも、すうっと眠りに引き込まれていく。
クリスティナは、そっと襟を広げて、包帯のそばの赤く熱を持った肌におしぼりを広げた。
右肩から袈裟懸けに切られたと、綾は言っていた。
(こんな傷を負ってまでする手合わせに、一体何の意味があるのかしら)
代々古武術を伝える旧家に生まれた彼が、日本人どころか地球人でもないヴァルキリーを恋人とし、彼女とのことを家族に認めてもらうために体を張っていることを知らないクリスティナには、なぜ地球へ里帰りする度に彼がこんな傷を負って戻るのか、理解できなかった。
いくら武道の家だからって、稽古の度に相手にこんな重傷を負わせるのは、間違っていると思うのだ。
綾の実家にこんな稽古があるということを初めて知ったときのことを思い出す。
「手合わせって……真剣でしてるんですか? 木刀とかじゃなくて?」
「うん。うちではそう」
さーっと血の気の引いた顔で本気で驚いているクリスティナに、あっけらかんと綾は言った。
「あはは。大丈夫だよ、ちゃんと止め処は心得てるから。死人出たことないしね」
死ななくったって、大怪我を負って、それが悪化して、おそろしい事態を招くことだってあるでしょう! 弟にそんな傷を負わせるなんて、それって一体どんな兄?!
綾をこんなに苦しめる相手なんか、もうギッタギッタに罵ってやりたかった。地球まで乗り込んでいって、面と向かって文句を言ってもいい、そう思った。
けれど、続く綾の言葉が、クリスティナにその言葉を飲み込ませた。
「兄さん、本当に強いんだ。もう何度も手合わせしてるんだけど、1度も勝てたことないんだ」
憧憬のこもった声。訊かなくても、綾が兄をどう思っているか察しはつく。
綾の大切な兄を罵ったりするわけにはいかない。
「もっともっと鍛錬しなくちゃ。今の僕じゃ全然かなわない。でもどうしても、一太刀当てたいんだ。だって、そうしたら…」
そこで綾はなぜか少しだけ、躊躇した。
「兄さんも僕のこと、頼りになる弟だと思ってくれると思うから」
今思うと、あれはためらった末に別の言葉に置き換えたような気がしないでもなかったが、だけど綾の中に、尊敬する兄に認めてもらいたいという強い思いがあるのは確かだった。
その手段が真剣を用いての勝負であるというのなら、クリスティナも尊重しなければいけない。
「でも、お願いですから、あまり無茶はしないでくださいね」
ぽつり、呟くクリスティナの肩に、ソファを滑った綾の頭がことりと落ちる。
「クリ……ごめ……この……埋め合わせは、必ず……から…」
耳元の囁きに、綾が夢の中でまで自分に謝っているのだと思うと、くすくす笑いが込み上げた。
「約束ですよ? 綾。いっぱい、いっぱい、埋め合わせしてくださいね」
綾のやわらかな髪にすりすりしながら、クリスティナはこのあと彼にどうやって埋め合わせてもらおうかについて、考えを巡らせ始めたのだった。
「のんびりして来いと言われてもな…」
カウンターの角席に座り、シャーティルは1人グラスを揺らしていた。
カラカラカラ、と氷が鳴る音をおかわりと思われたのか、バーテンダーがやってきて、ハチミツ酒のストレートを置かれてしまう。
(ちょっと別のも試してみたいと思ったんだが……まぁいいか)
カラになったグラスを横に置き、新しいグラスを引き寄せる。
にしても、目元がかゆい。
仮面舞踏会とはいえ、ここは舞踏会場じゃないんだから、外したっていいと思う。暗いし、どうせ自分を気にしている者はいない。外したって、きっとだれにも分からない。大体、自分はドラゴニュートで、バレバレなんだから、人のように顔を隠す必要なんてないと思うが…。
(いや、でも万一、だれかの口からあいつの耳に入ると厄介だしな…)
ふと、ここに来る直前の部屋でした会話が、シャーティルの脳裏に浮かんだ。
「シャーティル?」
プッとフェイスは吹き出した。
「それ、君の馬の名前じゃないか。偽名が、よりによって馬の名前? 君、そんなにあの馬を愛しちゃってるの?」
……いや、愛しているのは事実だが。
この別荘に到着して、馬のシャーティルを預けていたとき、階段の上にいた女性とジェイダスの会話を聞くとはなしに聞いてしまったのだ。
「きみには名前がなかったね、マ・プティット。そんなきみには、アンジュという名を付けてあげたよ」
「えっ……天使なんてそんなっ、わたし、とてもそんな柄じゃないですっ」
「そうか。では次の案として、ヒポポタマス――」
「アンジーで結構です!」
次の案って、次に並んでいるのは我ではないか。
アンジュだのヒポポタマスだの、そんな名前を付けられるのはごめんだ。
だから先手を打って「シャーティルです」と名乗ったのだ。
おかしな名前を付けられることは防げたが、おかげでフェイスはダンスの間中笑いっぱなしだった。
あげく。
「この別荘には招待を受けて集まった人ばかりで安全だと思い込むのは危険だ。パーティーにはそぐわない目的を持つ危険人物が、紛れ込んでいないとは限らない。だから、僕はこのままここに残って、ジェイダス校長を影から警備しようと思う。だけど君がそばにいては、たとえこうして僕がドレスを着ていたところで正体がばれるのは分かりきっているからね。今日ばかりはそれはまずいんだ」
「しかし…」
「シャー……ぷぷっ。ごめん。
シャーティルは、せっかくだからバーかプールにでも行って、のんびりしてくるといいよ。案外、気の合う相手が見つかるかもしれないし」
どうしても警備をしたいというのなら、ドレスを着て女装するか、それともゆる族のような着ぐるみ姿になって、だれだか分からない扮装をするか。
そう、フェイスに選択を迫られた結果。
「バーに行っている」
となったわけだった。
一応「何かあれば呼べ」とは言ってあるが、フェイスのことだから、きっとそんなことはていよく無視するのだろう。
大体。
「気が合う相手と言われてもな…」
特に何の期待もなくラウンジをぐるっと見渡したシャーティルは、自分に近づいてくる者がいて、驚きに目を見開いた。
なぜならそれは、フェイスだったからだ。
「どうした? フェイス。うかない顔をして」
乱暴に隣の席に腰を落とす、フェイスからはすっかり女性らしい仕草だとか動作だとか、そういったものが抜け落ちていた。
「影からジェイダス校長の警備をするのではなかったのか?」
頬杖をつき、にこりともしない彼に話しかける。
フェイスはシャーティルをちらと見て、近づくバーテンダーにノンアルコールビールをオーダーし
た。
「そのつもりだったんだけどね」
そもそも、ジェイダスにも気づかれないよう影から警備する、なんていうのが無茶な計画だったのだ。
ダンスの申し込みを断りつつ、炭酸水の入ったグラスを手に、自然に周囲に目を配っていたはずが、気づいたときにはルドルフが彼の前に立っていた。
「お美しいお嬢さん。ホストがぜひあなたとお話ししたいとおっしゃっておいでです」
すっとおじぎをする、仮面の奥の目は、フェイスが何者か見抜いた上で、愉快そうに笑っている。
はたして彼を出迎えたジェイダスが彼の正体を見抜いていても、フェイスは驚きもしなかった。
「きみが何を思い、そうしているか、私には分かる。私を大切に思ってくれる、その気持ちはうれしいが、しかしそれはここでは不要のものだ。ここはルドルフの手によって、完璧に守られている。
きみの役目は――もしそれが必要であるならば――楽しむことだ。私を喜ばせたいと思うのであれば、心からこのパーティーを楽しめ。そのために私はきみを招待したのだから」
「ジェイダス校長、僕は――」
フェイスの呼びかけに、ジェイダスは振り向かなかった。吹き抜けとなった2階へ通じる階段に向かっている。
そして、あとを追おうとするのを阻むようにルドルフがフェイスの正面に立った。
その手を取って口づけながら、ダンスを申し込んでいるフリをして、そっと、彼にだけ聞こえる声で囁く。
「おまえに警備として任にあたらせるつもりがあれば、校長も僕もそうしていた。僕達がおまえに期待しているのは、そういうことではないんだ」
「……っ、分かった」
手を放せとばかりに振り払うフェイスに、ルドルフは残念そうに頭を振って退いた。
「ではまた次の機会に。お美しいお嬢さん」
「……つまり、楽しめと言われたのだろう?」
どう見ても楽しそうには見えない、と言わんばかりの声で、シャーティルが言う。
「分かってる」
「なら、気持ちを切り替えねばな。そんな気分では何を口にしてもうまくはないだろう」
「そうじゃ! そんなくさった飲み方をするのは悪酔いのもとぞ」
突然背後からかかった声に、びっくりして振り返る。
そこにいたのは、ワインを瓶ごと抱えたロングドレス姿の少女だった。
背中が丸あきの、かなり露出の高い大人びたドレスだったが、150そこそこの身長、どう見ても十代半ばといった体つきではインパクト不足だ。中身は男と分かっていても、フェイスの方が格段に色気がある。
「きみ、だれ?」
「わらわはヴァージニアじゃ」
よっこらしょ、といった感じで、フェイスの隣のカウンター席によじのぼり、ドン、とワインの瓶をカウンターに乗せてくる。
「これ、どこから持ってきたの?」
「なに、ちょっとそこの戸をくぐり抜けてな。階段を下りていけば、奥にまだまだごっそりあるぞ。じゃから遠慮は無用じゃ」
「……それ、盗んだって言わない?」
フェイスのツッコミに、ヴァージニアはあきらかに気分を害したようだった。
「どうせわらわが飲むからいいのじゃ! あのバーテンダーめ。わらわは未成年ではないというに、頑固に身分証の提出なぞ求めおって。そんな物、仮面舞踏会に持って来ようはずもなかろうが」
わらわは700歳じゃ!
「ああ、うん。なるほど」
(吸血鬼なのか、この子は)
噛み合わせた口元に牙があるのを見て、フェイスも納得する。
ただ、酒類を扱うバーテンダーとしては、そのへんはやっぱりきちんと確認をとりたかったのだろう。
じっとこちらの様子を伺っているバーテンダーに、大丈夫だとシャーティルが頷いてみせる。それで安心したのか、バーテンダーはもうこちらを見ようとはしなかった。
「さあ飲め。これはわらわのおごりじゃ。…………むっ? そなた、もしやそれは酒ではないのか?」
「これはノンアルコールビール。清涼飲料水だよ」
「むぅ…。そうか。それは残念。
しかし、どんなものとて同じじゃ。あんな飲み方をしていれば、気分が悪くなる一方じゃ。飲食をするときは、楽しく味わうべきじゃな。でなくば、その飲み物を造った者に対しても失礼じゃ」
うわ。話が大きくなった。
そう思ったものの、はじける泡のように軽快な彼女の話し方を聞いていると、なんだか愉快な気分になってきて、フェイスは笑ってしまった。
「失礼か……そうだね。くさくさしていたって、だれも何も得しない」
「そうそう。特に、そなたのような美人はの。美しくほほ笑んでおってこそ、見る者も喜ばせることができるのじゃからして」
「僕はそんなに美人?」
頬杖をして、ヴァージニアを見つめた。ちょっとした遊び心で、誘惑的な意味も眼差しに込めて。
ヴァージニアもまた、ワインを飲む手を休めてフェイスをじっと見返す。
そのまま、1分ほど見つめ合っただろうか?
彼女は、ニッと笑った。
「それはもう、どんな男であれ、ふるいつきたくなるような美人じゃ! もっとも、わらわには負けるがの!」
こらえきれず、フェイスは爆笑した。
「うむ。やっぱり笑っておる方がよい。
よし! 今夜は思い切り飲むぞ! おぬしらもつきあえ。よいな?」
「……はっ、あはは…っ」
止まらない笑いに肩を震わせてシャーティルにもたれかかる。彼の心の中から、負の感情はきれいに払拭されていた。
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