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第六章 お医者様たちといっしょ。


 ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)は、空京大学の医学部に所属している医学生だ。
 医学生であるならば、実際の現場で様々なことを見たい、知識を得たいと思うのは至極当然の事。
「すんません、病院での研修や手伝いを認めてくれませんかね?」
 言葉遣いは悪くても、誠心誠意大学側に頼みこんだ結果OKをもらえて。
「空京大学のラルクだ。まだまだ見習いの域にも入ってない身だが、どうかよろしくたのんます」
 ここ数日、聖アトラーテ病院でお手伝いとして働いている。
 最初の日は、回診に付き添う程度。次の日には、検温や投薬を少しだけ手伝い。その次の日は、簡単な外傷治療を手伝わせてもらった。
 見て回るだけでも違ったのに。
 現場での動き方、患者への接し方、アフターケア。それらを見て、色々と衝撃を受けた。自分が知らなかった事、現場で当り前に行われていたこと。
 それだけで、いい勉強になったのに。まさかここまで手伝わせてもらえるとは思わなかった。
「そう、そこの処置は――」
「こっちの薬っすよね?」
「覚えがいいな、君は」
 医師からそんな言葉を受けて、嬉しくなった。一線で活躍している医師にそう言われたのだ。喜んでもいいだろう。
 という思いは、一瞬だけ。
 まだ、まだ。
 まだ医者になれたわけじゃないから、喜ぶのは一瞬までだ。
「っす、ありがとうございます!」
 礼を言って、包帯を替えていく。手慣れた作業だ。自分でも、完璧に近いと思っている。
「じゃああとは、302号室の患者の湿布と包帯を替えて。それで、今日の実習は終わりだ。あとは見学していなさい」
「うす、行ってきます!」
「ラルク君」
 302号室へ向かおうと、病室を飛び出しかけた時、医師に声を掛けられて足を止めた。
「何すか?」
「君は、本当に覚えが良い。見ているだけでもどんどん吸収していくし――このまましばらく、研修を積んでいかないか」
「……へ?」
 予想外の言葉に、素っ頓狂な声。
 思いもよらなかった。
 ただ、本当に、現場の空気に触れられれば。研修できれば。自分の、医師としての経験やレベルアップができればな、と思っていただけなのだ。
 だから、評価が嬉しいし。
 その言葉が嬉しいし。
 やっていけるのなら、やっていきたいとも、思うから。
 バッ、と頭を下げる。90度の礼。無礼なほどに、腰を曲げた。
「先生! これからも、よろしくお願いします!」


*...***...*


 職業体験として、看護師の勉強ができると聞いた久世 沙幸(くぜ・さゆき)は、よし、と小さく拳を握る。
 沙幸ももう高校生。そろそろ、将来のことを考えるべきである。
 となれば、必要なのは社会勉強や経験だ。職業体験ならそれらをスキルアップさせていくことができるだろう。
 それに、ナース服を着てみたいという気持ちもあって。
 職業体験に申し込んだ。

 そうして聖アトラーテ病院にやってきて、まず目についたのは。
「わー……すごく、おっきなおっぱい……」
 泉 美緒だった。正確には、美緒の胸だ。
 いや、胸に見惚れているばかりじゃなくて。
 仲良くなるためにも積極的に話しかけて行かねば。
「こんにちは! 私、蒼学の久世沙幸だよっ。気軽に下の名前で呼んでね!」
 まずは、自己紹介。おっとりとした表情でいた彼女は、にこり、綺麗に微笑んで。
「百合園女学院所属、泉美緒と申しますわ。よろしくお願いいたします、沙幸さん」
「さん付けはなんだかくすぐったいね」
「そうですか? では、呼び捨てにいたしましょう。沙幸」
「うん、その方が呼ばれ慣れてるっ。私も、美緒って呼んでいい?」
「構いませんわ。同時期に同じ職業体験を選んだこの縁、大事に致しましょう」
 いちいち丁寧で優雅な所作で、美緒は握手を求めてきたりして。
 それに返すことを、やっぱりどこかくすぐったく思いつつも握手。その時に笑った美緒の顔が、妙に年相応で、それまでのギャップにどきりとした。
「そ、れにしても」
 誤魔化すように、話題転換。
「お医者さんは繁盛しない方がいいっていうけど……外来の患者さんだけじゃなくって、入院の患者さんもいっぱいみたいだね」
 ざっとされた説明では、どこの病室もほぼ満室だとか。
 季節の変わり目だからだとか、ろくりんぴっくがあったからだとか、原因はいろいろあるのかもしれないけれど。
「なんだか大変そうだね」
「そうですわね……。お互い、頑張っていきましょう」
 二人で仲良くガッツポーズなんかして。
 いざ、回診のお手伝い。

 病院食の配膳。
 患者さんの看護ケア。
 そして医師の診察や検診のサポート。
「看護師の仕事って大変なんだねぇ……」
 ナース服を着たかったから、という理由だけで選ぶには、少々ハードである。
 きっと、本当に看護師になったらもっと大変なのだろう。容易に想像がつく。
 休憩時間をもらったので、自販機でジュースを買って休んでいると、
「きゃっ!?」
 美緒の短い悲鳴が上がる。
 何事、と美緒の姿を探すと、
「もう、沙幸さんったら。わたくしに黙ってナースの職業体験に行ってしまうなんて……」
「み、美海ねーさま!?」
 美緒の胸にダイブしている藍玉 美海(あいだま・みうみ)の姿を見つけて心底驚いた。
「なんでここに……!」
「沙幸さんが心配で。仮病を使ってこっそり様子を伺いに来ましたわ」
「休憩時間中の美緒の胸を揉むのはこっそりとは言えないんだもん!」
 沙幸の注意にも美海は動じず、「あら、この子美緒さんといいますのね。わたくしは藍玉美海。よろしくお願いします」ちゃっかり自己紹介を済ませたりして。もちろん、胸に顔を埋めたまま。
「よろしくお願いいたします。ところで、お身体の調子は……」
「うふふ。さきほど言った通り、実は仮病ですの。ご心配なさらず」
 触りたいだけですし、という美海の本音が沙幸には聞こえた。
「もぉー、ただでさえみんな忙しくお仕事しているのに、仮病を使って迷惑かけたらダメなんだもん!」
 なのでそう怒るけれど、
「ふふっ。そんなに拗ねなくったって、ちゃんと構って差し上げますわよ?」
 斜め45度くらいに捉えられて、くらりと眩暈。
「ねーさまぁ! ほら、美緒だって嫌がって……」
「美緒さんの素敵おっぱい、やわらか〜ですのね」
「遺伝ですの」
「素晴らしいです……! このようなおっぱいが遺伝! 美緒さんの家系は楽園ですのね」
「そんな、褒めすぎですわ美海さん」
「…………、嫌がってるんだよ……ね?」
 あれ? 私の常識、おかしい?
 崩れて行く自分の中の常識に、再び眩暈を感じながらも。
 美緒の胸に顔を埋めた美海のことが、ちょっと羨ましく思えたり、して。
「? 沙幸、どうしました? あ、もしかして、沙幸も……」
「ちっちちち、違うんだもん! 私、そんなイケナイこと、しないんだもん!」
 思わずそう断ってしまった事を、後から悔んだりしたとか、しないとか。


*...***...*


 後輩が看護師見習いとして頑張っているとの情報を得た毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)は、こそっと病院内に忍び込み。
 泉 美緒に対して、先輩としての挨拶やら後輩指導やらをしてみようかな、と考えた。
「我の名は毒島。泉の先輩に当たる者だ。今日は泉に注射の仕方でも教えようと思って来たのだよ」
 右手に注射器を持ち、刺す真似をして。
 不審がらせないように微笑んでおくと、美緒は笑顔で「よろしくお願いしますわ、毒島先輩」と言った。素直というかなんというか、そんなにあっさり信じてしまっていいのだろうかと思うほどに、純粋で真っ直ぐな返事だった。
「先輩として、色々教えてやろう」
 思わず頭を撫でくり撫でくり。
 もっとも、大佐の目的は教えることよりも、どさくさに紛れて患者に悪戯を仕掛けることなのだが、それは勿論秘密である。
 薬学のスキルを持つ大佐にとって、注射程度ならお手の物。
「まず、こうして……こう。上手くやれば痛みはほとんど感じない」
「先輩、お上手なのですね」
「慣れているからな」
 適当な犠牲者に実験薬を投与することで、とは言わない。
「ところで、注射器の中身はなんなのです?」
「生理食塩水だ。害はない」
「そうなのですか」
「…………」
 言うこともあっさり信じるし、どこかぽえぽえしているし。
 なんだか危なっかしい娘だ、と感想を抱きつつも実験を続ける。
「さ、次は泉がやってみろ」
 注射器を美緒に渡し、「そこを圧迫して」とアドバイスを交えながら打たせてみて。
 患者が痛くなさそうにしているので――もっとも、上手い下手よりは、美緒の胸を見て面食らっているうちに終わったという感じだったが――美緒が「どうでしょう?」と嬉しそうに尋ねてきた。
「中々の腕前だ。……さて」
 最初に注射器を手にしてから、10分少々。
 生理食塩水だと偽った注射器の中身の、アレが効果を表すのは大体15分前後。
 投与はしたし、美緒に注射の仕方を教えることもできたし。
 任務完了。お役目達成。
 さあ、逃げるか。
「ではな、泉。我は用事ができたので失礼する。また機会があれば会おうではないか」
 正規のルートではなく、窓からバーストダッシュで駆け出して行って――。
 背後から、「な!? ふ、服が破け――うわマッチョに!?」という、慌ただしげな声が聞こえて。
 ひとり、ほくそ笑む。
 注射器の中身は、服が破ける程度にマッチョになる薬。
 男性にばかり投与して回ったから、女性のトラウマを作る事もないだろうし。
 ちょっとした遊び心だ、と自己弁護。
 それに、1時間もすれば元に戻る害のない薬だ。
「少しの騒ぎも、退屈な病院生活にはスパイスになるであろう?」
 くつくつ、喉奥で笑い、病院から遠ざかっていった――。


*...***...*


 聖アトラーテ病院が大忙しだと言う話を、百合園女学院を通じて聞いた七那 夏菜(ななな・なな)は、ボランティアに来ていた。
 ボランティア、と言っても医療従事していない夏菜のこと。できることといえば、小児病棟に入院している子供の面倒を見ることくらい。
 それでもいくらか力にはなれたらしく、看護師さんに「七那さん、ありがとう」と声をかけられたり、子供に好かれたりして、楽しくボランティアが出来ていた。
 そして、ボランティア二日目の今日。
 昨日と同じようにお手伝いをする最中、階段に一人でうずくまっている少女を見つけた。
「……?」
 どうしたんだろう。具合が悪いのかな。
 声をかけようと思って、少女に近づくと、目が合った。
 透き通るような白い肌は滑らかで綺麗。大きな瞳と、それを縁取る長い睫毛にどきりとする。不安と怯えに揺れる緑色の瞳。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「お姉ちゃん……だれ?」
 彼女が首を傾げると、やや長めの緑の髪がさらりと揺れた。
 不思議な髪の色と目の色をしている。場違いに、夏菜はそう思う。おどぎの国に迷い込んだみたいだ。綺麗なのは見た目だけじゃなくて、声もだと思った。
「なにか、あったんですか?」
 いつまでもぼうっと彼女を見ていたい欲求を振り払い、夏菜はそう問いかける。
「…………私の話……、聞いてくれる?」
 おずおずと、少女は口を開く。
 その様子が、母性本能というか、庇護欲というか、そういうものをいたく刺激してきて。
「お兄……じゃない、お姉ちゃんに、話してみて?」
 隣に座って、優しく優しくそう言うほかないじゃないか。
「お姉ちゃんなんだ?」
 意外そうにそう言われてどきりとしつつも、誤魔化すように笑顔ひとつ。誤魔化されてくれたのか、少女は「まあいいや」と言ってから。
「お姉ちゃん、地球の人だよね?」
 問い。
「うん、そうだよ」
「私ね、アリスなんだけど……私のパートナーの人が、ついさっき亡くなっちゃって……」
「えぇ!?」
 パートナーの亡くなったアリスはどうなるのだろう? 夏菜の周りで、そんなことになった人は居ないからわからない。
 だから、「どうなるの?」と性急に言葉を要求。
「このままだと……私も、消えちゃうの」
 寂しそうに、悲しそうに、まるで今から消えて行くような儚さで、少女は言った。
 きゅぅ、と胸が締め付けられるような、想い。
 なんだろう、この気持ち。この子を見ていると、守ってあげたくなる。助けてあげたくなる。
「私……、消えたくないよぉ……」
 泣きそうな声で、そう言って。立てた膝に顔を埋めて、少女は言う。
 ぐす、ぐす、と洟をすするような音がして。ああ、泣いているの? 泣かないで。
 頭にぽん、と手を置いて、撫でる。
「えっと……、もしボクと契約したら、消えなくて、すみますか?」
 ひとつ、提案。
 彼女が泣きやんでくれるなら。
 してみても、いいかなぁっと思って。
 少女は驚きに顔を上げ、それからおずおずと頷いた。
「よかった。じゃあ、ボクと契約しましょう。そういえば、名前はなんていうんですか? ボクは、七那夏菜。よろしく、ね?」
 握手。とばかりに手を差し伸べて尋ねると。
「私はノン……、勿希。お姉ちゃんと契約したから、七那 勿希(ななな・のんの)だね」
 ぎこちなく、笑んで。
 よろしく、と二人で言い合って。
「お姉ちゃん。……ありがと」
 勿希が頬に、触れるだけのキスをしてきて。
「〜〜っ!?」
 顔を真っ赤にしつつも、彼女が笑ってくれたから。
 まぁ、いっか。

 ……危なかった。
 あのままでは、契約したくもないような男と契約するところだった。
 勿希は、逃げてきたのだ。無理矢理契約されそうになったところから。
 思わず逃げ出したまでは良かったけれど、見つかっても終わり、見つからないで居てもこのままだとどうなるかわからない。
 そんな折、夏菜が声を掛けてくれたから、チャンスだと思った。
 出来る限りの演技をして。
 嘘も吐いて。
 夏菜と契約できたのは僥倖だ。
 優しい夏菜に嘘をついてしまったことは、気が引けるけれど。
 それでも、今は心から助かったと思っている。
 ごめんね、お姉ちゃん。
 いつか、ちゃんと言うから。
 今は、こんな猫かぶりで、ごめんね。