薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

【金の怒り、銀の祈り】決意。

リアクション公開中!

【金の怒り、銀の祈り】決意。

リアクション


*囚われの身の上*



 それは、ルーノ・アレエが映った動画が配信された当日。

 ルーノ・アレエの閉じ込められた暗い部屋に、食事が入り口のそばに置かれた。そしてそのまま扉が開け放たれ人が入ってくる。有栖川 美幸(ありすがわ・みゆき)は湯の入った大きな桶とタオルを抱えていた。

「有栖川 美幸……いつまで私は閉じ込められるのですか?」
「ルーノさん……服を脱いでください。髪も、綺麗にしないと。脱いだら、ベッドの下に腰掛けてください」

 問いかけの答えは得られず、言われるがままに、纏っているだけの布切れを脱ぎ捨てる。今なら扉が開いている。一人ならばねじ伏せて逃げることが可能かもしれない。
 そんなことをふと想った。
 だが、ルーノ・アレエは言われるがままにベッドの下の敷物に直接腰掛けた。
 有栖川 美幸は部屋の中に置かれている水盆にお湯を入れ、その中に赤い髪をたらし、櫛で梳いていく。すでにその流れも手馴れたもので、髪の毛を手早く乾かすと、今度は身体をぬぐわれていた。

「……なぜ、逃げないのですか?」

 見透かしたような問いかけに、ルーノ・アレエは力なく微笑んだ。

「ここで逃げても、扉の外に誰かがいる」
「さすが、優秀ですね」
「気配の読み方を、私の母に当たる方に教わった。そして、油断をしてはならないことを、友から教わりました」
「……どう、思われますか?」

 もくもくと、だが手際よくというよりもゆっくりぬぐう様は、恐らく話がしたいのだろうと悟ったルーノ・アレエは聞こえる程度の小さな声で答えた。
 有栖川 美幸は、携帯の録音機能にサイコキネシスを用いてスイッチを入れた。

「私には、私を大事に想ってくれる仲間がいます。彼らも大事です。ですが、私にとっては過去の仲間と言うべき彼らの嘆きが……こんなにも、強く訴えかけてくるのが苦しいとは思いませんでした」
「あなたは、皆さんの元に帰りたいのですか?」
「わかりません。ここから逃げおおせても、きっとオーディオは私をこうして責め立てる事をやめないでしょう。この金の機晶石がある限り」
「兵器として、稼動するまで……?」
「兵器化がどうなるのか、私自身にもわかりません。ただ、恐らくは自爆装置に近いだろうということだけは理解しています……ただ、それが何回も使えるものらしいということも」
「パラミタを、消してしまいたい?」
「……多くの友人から、多くの知識も得ました。いつの時代も、発展のためには必要な非道な実験がありました。研究者とはそうしたものを求めるのだと言うことも。ただ……こんなこと繰り返さないためにどうすればいいのか、そこまで考えを及ばせたときに聞こえてくる声が……『ニンゲンを消してしまえ』と……」

 そこで、スイッチを切った。それは、後ろから辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)が新しいシーツを抱えて持ってきたからだった。

「荷物を忘れていくでない。重たいではないか」
「すみませんでした。ルーノさんの清拭も終わりましたし、身支度をしていただかないと」
「え?」

 首をかしげて問いかけると、辿楼院 刹那の抱えたシーツの下から服が出てきた。豪奢な真っ赤なドレスだった。アクセサリーまで用意されているようで、椅子に座らされるなり、簡単な化粧も施された。

「どういう、ことですか?」
「今日はオーディオさんに会いにいくことになっています」
「……それにしても、こんな身支度をするのはおかしい」
「少し、眠っていてもらおう」

 辿楼院 刹那は首筋に一撃加えると、そのままルーノ・アレエはぐったりとした。有栖川 美幸が鋭く見やるが、平然とした顔で「あまり疑うようなら、眠らせるよう言われている」と答えた。






 携帯を眺めていた綺雲 菜織(あやくも・なおり)はメールの返事を返さないでいることを、若干心苦しく思いながらも装飾の施された重たい両開きの扉を開いた。

「オーちゃん、彼女を引っ張り出すんだって?」
「その呼び方はやめろといっている」

 オーディオは、書斎のような部屋のにおかれていた革張りの大きな椅子に腰掛けていた。代わらず金色のツインテールを揺らしながら、青銅色の瞳を鋭く向けた。だが、その温度を感じない瞳ににこやかな表情で答えた。

「だから、代わりのあだ名を思いついたら変えるといっているだろう?」

 アンティークの豪華な家財道具に気後れせず、使い慣れた我が家のような様子で腰掛ける綺雲 菜織は、平然とオーディオの部屋に出入りをしていた。
 それが気に入ったのか、それ以外の連中は決してここに入れないのだが、彼女だけは入ることを許されていた。飾られた調度品の中に、一つだけ古ぼけた写真がかけられていた。

「……オーちゃん」
「なんだ?」
「この写真……」
「置いてあったから置いてあるだけだ」

 そういって綺雲 菜織のほうには一切顔を向けないようだった。だが、これだけの絢爛な調度品の中、何の変哲もない写真をおくとは思えなかった。

「どことなく、この子供の表情がオーちゃんに似ていると思ったんだよ」
「そう、か?」

 わずかに声に嬉しさが含まれたのを知って、やはりこの写真に映るのが彼女の存在を示すものなのだと改めて認識した。
 その写真の人物が誰なのか、緋山 政敏からある程度の情報を得ていた綺雲 菜織にはわかっていた。

 イシュベルタ・アルザスが映っている硝子がやけに綺麗に磨かれているのをみて、『彼女』は『弟』に逢いたいのだろうと確信した。

(隣に移るのは誰だ? エレアノールという女性は髪が黒くはないし、アルディーンという女性ならば、教導団のランドネアと瓜二つと聞くが……)

 まぁいい。と視線を戻し、強がりなオーディオの機嫌を損ねないように別の話題を切り出した。

「広報活動ばかりで、募集した若者達は退屈しているようだったよ?」
「いいのだ。人が集まれば集まるほどいい」
「集めてどうする? 噂どおり、粛清でもするのかい?」
「ここに集まった人間は、機晶姫を大事にしたいから集まったのだろう? そうではない人間たちを消せばいいだけのことだ」
「……君は、嘘が上手ではないね」

 綺雲 菜織の言葉に、オーディオは眉間にしわを寄せた。だがそれに対する答えは返ってこなかった。

「まぁいい。私は、ルーノ君と話がしたいんだが……構わないかな?」
「勝手にしろ。間もなくこちらに来る。例の開始時間、三十分前までなら許可しよう」
「ありがとう、オーちゃん」

 そういって、オーディオに歩み寄って、その頭をなでる。鼻を鳴らし、振り払って背中を向けた彼女が、わずかに照れているのだということを綺雲 菜織は理解していた。
 ほんの一月の間のことだったが、ようやくここまでわかることが出来た。
 そこへ、扉をノックするものがいた。
 オーディオの返答を待って後、東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)はゆっくりと部屋に入ってくる。

「支度が出来た」
「いいだろう。だが、私は少しばかり用ができた。ここにつれてきて構わない。見張りはこいつに一任する。東園寺も来い」

 顎で使われるのは本意ではない、というのが顔に表れていたが、口には出さないまま、パートナーのバルト・ロドリクス(ばると・ろどりくす)とともに、部屋を出て行った。
 入れ違いで入ってきたのは、車椅子に座り、眠っていたルーノ・アレエの姿だった。髪は綺麗に巻かれて緩やかなウェーブを造り、薄化粧もしているようだった。何より、その身にまとうドレスが豪奢だった。
 だが、話に聞く彼女の雰囲気とはあっていないように思えた。車椅子を押しているのは、中華風の装いの辿楼院 刹那だった。

「気絶しているだけじゃ。間もなく目が覚めるじゃろうて」
「……ありがとう」

 そう言葉を告げるも、表情が変わることなく彼女も部屋を出て行った。肩を叩くと、すぐに意識を取り戻したらしいルーノ・アレエに、綺雲 菜織は改めて挨拶をする。

「綺雲 菜織だ。覚えているか?」
「え、ええ。有栖川 美幸には、お世話になっています」
「お世話、か。囚われの身の上だとしてもそういえるのか」
「例えどんな状況であっても、私を身奇麗にしてくれたり、食事を用意してくれるのは彼女だから」

 力なく微笑む様子は、神経が磨り減っているからなのだろうか。わずかに心配した綺雲 菜織は、薄化粧の施された褐色の肌に指を滑らせた。

「君は、どうしたいのか聞いてもいいだろうか?」

 その問いかけに、ルーノ・アレエは一瞬何を問われているのかがわからないかのように、ぼうっとした表情で綺雲 菜織の顔を見つめた。そして、はっとしたように睫を伏せた。

「沢山の、機晶姫たちの嘆きを聞きました。いえ、見ていました……。仲間になれたかもしれない、兄弟だったかもしれない。私たち機晶姫は、人の胎内から生まれるわけではないから……血の繋がりよりも、それ以外に絆を求める……ほんの短い生ではありますが、私はそれを痛いほどに実感しました」
「なら、君の望みは君がはぐくんだ絆を優先すべき、だろう?」
「……わかりませんっ」

 きっぱりと言い放たれ、綺雲 菜織は目を丸くした。

「少しでも気を抜けば、私はこの身の奥にある怒りに飲み込まれそうなんです。私自身は彼らを愛しいと思っている。愛している人たちがいる。なのに、私の胸の中にあるこの機晶石は、人間を滅ぼしたいと願っているんです……っ」
「それは、君の機晶石だろう? 君の心はどこにあるんだ?」
「機晶石は、脳であり心であって……」
「人間はね」

 ルーノ・アレエの言葉をさえぎるように、だが優しげな声色で綺雲 菜織は話し始めた。

「頭に脳が入っている。でも、心は……ここにあるんだよ」

 そういって、自分の胸元を指差した。にっこりと黒い瞳を細めて笑う。

「君の心だって、そこじゃないはずだ。教えてくれないか?」 

 その言葉に、ルーノ・アレエは涙をぽろぽろと流し始めた。そこで、オーディオによって扉が開かれて、彼らの会談が終わってしまった。オーディオは泣いているルーノ・アレエを見やって、鼻で笑った。

「同胞が死んでいったのが、いまさら哀しいか? 一人だけぬくぬくと生きてきたことが、いまさら虚しいか?」
「オーちゃん、そう虐めるものではないよ」
「まぁいい。菜織、しばらく外で待機だ。撮影の時間になればまた呼ぶことになるだろう」
「わかったよ」

 そう一言だけ告げて、綺雲 菜織はすれ違いざまにルーノ・アレエの涙をぬぐった。まるで、「君が言えなかった言葉は承知した」そう言いたげな笑顔を浮かべていた。

「例え何を話したところで、貴様の使い道は決まっているのだよ」
「……この機晶石が望みなら、引き抜けばいいじゃありませんか」

 ルーノ・アレエはオーディオに対しては気丈に言葉を発した。その様子が愉快だったのか、口元を歪めて笑った。

「貴様が、一度その名を名乗った後にな」

 喉の奥で低く笑うと、オーディオはルーノ・アレエの額を人差し指で小突いた。その次の瞬間、目の前に火花が散ってまたルーノ・アレエは意識を手放してしまった。











 次に意識を取り戻したとき、ルーノ・アレエはカメラの前に座らされていた。カメラの横には、オーディオが腰掛けていた。逃げようにも、座らされている両脇を、東園寺 雄軒たちに押さえられていた。

「貴様のいう言葉が正しいなら、もう一度ここで言ってみるがいい」
「……」

 綺雲 菜織の笑顔がよぎった。そして、きっぱりと言い放った。

「機晶姫に対する非道な行いを、決して許しはしません。いざとなれば、戦いも辞さない覚悟です」

 自分が言った言葉にルーノ・アレエは驚いた。自分のいいたい言葉じゃない。ルーノ・アレエは更に言葉を重ねた。

「非道な人間どもに鉄槌を。我らが同胞の与えた苦しみを彼奴らにも与える」

 愉快そうに口元を歪めたオーディオがカメラのそばから離れテイクのが見えた。東園寺 雄軒たちに立たされている自分が、もはや自分の身体ではない何かになってしまったようだった。そのまま、ルーノ・アレエは意識を手放してしまった。
 カメラが置かれていた部屋から出てきたルーノ・アレエの表情が、絶望に打ちひしがれているのを見やって、綺雲 菜織は愉快そうに笑うオーディオに声をかけた。

「オーちゃん」
「なんだ、菜織」
「彼女の言語回路を弄ったのかい? 楽しそうだね」
「……ああ、愉快でたまらないよ」

 にこりともしないでそういった綺雲 菜織の言葉に、オーディオは口元を引き締めて答えた。まるで、それを言われて興が覚めたとでも言わんばかりに。
 ルーノ・アレエを抱きかかえているバルト・ロドリクスは、機晶姫というより鎧に近い風貌の外見からか、感情が一切伺えない。
 東園寺 雄軒は、抱きかかえられたルーノ・アレエの頬をそっとなでた。彼女は哀しげに顔をゆがめて、涙を流した。

「兵器が、心を持つからこうなるのですよ」

 その涙すらも鼻で笑い飛ばすと、東園寺 雄軒はオーディオの後について別れた。オーディオは部屋に着くなり、東園寺 雄軒にデータが入ったチップを投げつけた。

「これを先に流した動画と編集し、一緒に流せ」
「……あなたが欲するものは、あれで得られるのか?」
「なに?」
「俺が知るあの女なら、ここまで回りくどいことはしないだろうな。まるで、幼い子供が思い付きをこなしていくかのようだ」

 黒い瞳が冷ややかに青銅色の瞳を貫いた。東園寺 雄軒はわずかな違和感を確かめようと更に口を開いた。

「本当にあなたは、アルディーンですか?」
「私はオーディオ。あの忌々しい女の名を呼ぶな」

 そう吐き捨てると、オーディオは手をひらひらさせて出て行くように促した。一瞬顔をしかめたが、東園寺 雄軒はおとなしく従った。扉の外に出ると、一呼吸置いて重たい扉に背中を預けた。

「……まぁ、子供の遊戯に付き合うのも一興でしょう」

 そういいながら、自分の口元に笑みを湛えると、言われたとおりの仕事をするためにオーディオの書斎を離れた。