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あなたと私で天の河

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あなたと私で天の河
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●それでも心は心

 本日、教導団を出るまでのユマとのやりとりをクローラは思い出していた。
 コンロン本営での事務仕事から帰国した彼は、七夕の話を聞いた。ユマにも特別に、出席が許されたというのだ。
 速やかにクローラは少佐に申し出て同行許可を得たのである。自分がついていなければ……という奇妙な使命感があった。それ以上の感情はない、と思う。
 同行許可と共に、彼がユマの部屋に持ち込んだのが、今日、彼女が着ている浴衣だった。
 緋牡丹が咲きほこる優麗なデザインだ。色白で細身のユプシロンには、よく似合うかと思われた。
「団長と同行する祭典の場だ。いつもの囚人服や制服では格好がつかないだろう」
 素っ気なくそれだけ告げて、クローラは浴衣を手渡した。
 格子の入った窓からの夕の陽差しが、部屋と、受け取ったユマの手に薄朱い光を投げかけていた。
「俺が選んだものだから……センスが合わなくても勘弁してほしい。ちなみに、緋牡丹の花言葉は『富貴』『高貴』というもので……」
 ここでクローラは言葉を失ってしまった。
 着替えろ、という命令だと受け取ったのだろう。ユプシロンは無言のまま彼の目の前で白い囚人服を脱ぎ、下着に手をかけたのだ。
「ま、待てユプシロン! 今すぐ着替えろとは言っていない!」
 慌ててクローラは背を向けた。しかし彼は見た。ブラジャーの間からのぞく緩やかな膨らみを。
 それとともに見た。右半身、正確には肩から鎖骨にかけての、稲妻でも走ったかのような痛々しい縫合痕を。
 かつてユプシロンは戦闘で、追っ手のクランジΞ(クシー)から、半壊するほどの手傷を受けたという。右腕は落とされ、いま繋がっている腕は、教導団が取り付けたものだ。
 肌の白さが眩しかった。それだけに、酷い傷は衝撃を与えた。
「浴衣、ありがとうございました。嬉しいです」
 ぽつりとユマが言った。はにかんでいるような口調だった。
「でも私、上手く着ることができないんです。前はできたのに、新しい腕になってから、不器用で」
「浴衣の着付けくらい出来るが、俺は、その……男だから、誰か女性団員にしてもらってくれ」
 誰か手伝いを呼んでくる、と声高に告げると、早足でクローラは檻房から出た。
 嬉しいです――ユマのその言葉が、ずっと耳に残った。

「ようこそ。歓迎させてもらう」
 山葉涼司の声が、クローラを現実に引き戻した。
 涼司は鋭鋒に手を差し出した。鋭鋒はためらわずその手を握った。
 山葉涼司もたしかに一代の傑物だろう。威風堂々たる感がある。しかし鋭鋒を前にすると一回り小さい――身びいきをするわけではないが、団長のほうがずっと英傑の印象があるな、とクローラは思った。
 それはそうとして涼司のそばにいる少女は誰だろう、恋人だろうか?
 クローラがそんなことを考えていたとき……、
「おーいっ、クローラ、そこにいたのか」
 なんとなく大型犬を思わせる愛嬌ある笑顔で、一人の少年がクローラのところに駆けてきた。
 しまった、とクローラは思った。任務のことで頭が一杯で、パートナーのセリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)のことを忘れていた。
「クロ、僕に声かけるの忘れて出発しただろう? おかげでここまで来るのに道に迷ったよ」
 しかしその口調は怒っていない。お互い長い付き合いだ。クローラの事情くらい、セリオスはよくわかっているのだ。
「すまん」
 素直に頭を下げたクローラは、続いて仰天することになった。
 セリオスが、なんら臆することなくリュシュトマ少佐に近づいたのだ。
「こ、こらっ! その人は上官の……」
 思わず青ざめてクローラはパートナーの頭を押さえ込んだ。
「リュシュトマだ」
 しかし少佐は、特に感情の動きを見せずに答えた。
 だが次のセリオスの発言は、クローラを失神させそうなほど怖い者知らずだった。
 こともあろうに彼は言ったのだ。
「酷い火傷……どうしたんですか? もう痛くないです?」
「@%#$(※言葉にならない言葉) セリオスっ!!
「なんで怒るのさクローラ。だって知りたいじゃないか」
 教鞭が飛びセリオスが打ちのめされるところをクローラは一瞬想像した。しかし、
「正面きって私に問う者は滅多にいない」
 信じがたいがまるで笑っているかのような声で、リュシュトマは言ったのだった。
 しかしその声色は、すぐに冷たい鉄のような言葉に変わった。
「ある戦いで虜囚になり、拷問を受けた結果だ。まれに疼くことはある。しかしそれも年に一、二度に過ぎない」
「ご……ごめんなさい。嫌なこと、訊いちゃったかな……」
 しゅんとなるセリオスの頭を、クローラは地にすりつけんばかりに押し下げた。自身も土下座しそうな勢いである。
「も、申し訳ありませんでした。少佐。なんという失礼を!」
 失態だ。クローラの額には冷たい汗が浮かんでいた。されどやはり、少佐は怒った口調ではなく、
「構わない。友人は大事にするのだな」
 任務を命じる、と静かにリュシュトマは言った。
「私は団長の護衛につく。貴様はユプシロンを連れて見学をせよ。三時間後までに我々に合流すること。過ごし方は自由だ。以上、解散」
「はっ」
 クローラは敬礼をするとユマをエスコートしてその場を離れた。同じようにひょいと敬礼してセリオスも続く。
「少し、怖いけどあの人……」セリオスが言った。「見た目ほど怖くない気がするよ」
 クローラはそれに応えなかった。応える言葉が、見つからなかったからかもしれない。
 代わりに、
「何か買おう。屋台で」
 と言った。
「星みたいだね」セリオスは、紙袋に入った金平糖を、
「よろしいんですか……本当に、いただいてしまって?」そしてユマにはりんご飴を買った。
「ユマは遠慮なく食べてくれればいい。少佐のご命令通りにしているだけだ。これも社会見学だ」
 後半、なぜか不機嫌そうな口調でクローラは告げてそれきり口を閉ざした。
 彼の目の前では、ユマとセリオスが他愛もない会話を交わしている。
「金平糖も食べてみる? 甘いよ。あ、りんご飴って、その外側の袋を取らないと食べられないよ」
「そうですか。ところで、この、りんごって本物なんですか?」
「そうだよ。姫りんごって種類だったと思う」
 それを上の空で聞きながら、クローラは思った。
(「ユプシロンを、『ユマ』と呼んだよな。いま、口に出して……」)
 それまで、彼は心中では『何故か』ユマと呼んでいたが口に出す声は常にΥ(ユプシロン)だった。それが崩れてしまったのだ。
 クローラは最近、自分なりに機晶姫について学んでいた。人間と違い改変操作が可能だが、自立的な判断特性はある……というところまでは理解している。
 だがそれは、『心』と呼んでいいものなのだろうか。機晶姫に心があるのか。とりわけ、兵器としての扱いであるクランジに。
 この疑問を一度セリオスに問うたが、彼は『それでも心は心だよ』と即答した。
 頭で納得することはできなかった。
 ただ『記号で呼んでいい存在ではない』のは確かだ、そう考えるようになったのが最近のクローラなのである。
 その思いが口から出たのかもしれない。
「はい」
 思考の迷路にはまりかけたクローラを、一本の短冊が解き放った。
 セリオスだ。黄色い短冊を渡している。
「願い事、書こうよ」
 人なつっこい笑みとともに、セリオスは短冊に『クローラとずっと一緒にいます』と記して笑った。
「いられますようにとか祈るより報告してしまおうかな、って」
 彼の屈託のない笑みに、クローラもつい口元を緩めた。
「俺はもう少し、大きなことを書くとしよう」
 筆を走らす。『帝国との停戦の実現』と書き上げた。
「クローラはあいかわらず頭カチカチだなあ。こんなときくらいもっとプライベートなことを書けばいいのに」
 ユマはどうするの? とセリオスが目を向けると、彼女は、『浴衣とりんご飴』とだけ書いた白い短冊を照れながら見せてくれた。右手が使いづらいというのは本当らしい。書き方を覚えはじめた子どものように、震えて不格好な文字だった。
「浴衣とりんご飴?」きょとんとするセリオスに、
「白い短冊には感謝の気持ちを書くのでしょう? ですから、今日のお礼を書きました。今はこれくらいしかできないけれど……」
 どうぞ、と、両手で捧げ持ち、短冊をユマはクローラに手渡すのだった。
「いや、これって相手に渡すんじゃなくて、そこの笹にゆわえるんだけどなあ」
 思わずセリオスは笑ってしまった。しかし嬉しげな笑い方だった。
 何と言うべきか、クローラは困った。
 困ったので、
「どういたしまして」
 と受け取ることにした。
 いつの間にか、クローラも笑っていた。