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魔法使いの遺跡

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第3章 繋がる音 1

 目の前には全裸のパートナー、サンドラ・キャッツアイ(さんどら・きゃっつあい)がいて、そんな彼女を呆れた目で憐れむように見ていたのはリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)だった。
「えっと……歌を極めるにはこういう過程が必要だって……あと、『見られても恥ずかしくない体だから』って言い張れば大丈夫って聞いたんだけど……」
「………………あのね、歌を極めるのに服が邪魔なわけないでしょ」
 何がどう間違ってこのような結果に至ったのか。リカインは呆れ果てて頭を抱えた。
(まあ、大体原因は……あの“本”でしょうけど)
 現況への責任追及も大切だが、それよりもまずやることがある。リカインはサンドラに上着を着せて、しゅんとなる彼女に優しく言い聞かせた。
「『見られて自分がどう思うか』じゃなくて、見せられた方がどう感じるかを考えること。幼稚園児じゃないんだからそれくらい……」
「なるほどっ! 全裸になると歌を極められるんだなっ!」
「……って、絶対ハナも真似しちゃ駄目だからね!」
 いそいそと自分まで脱ぎだそうとする童子 華花(どうじ・はな)に警告を発するリカイン。着物を着ている彼女は、格好が格好だけになかなかすぐには脱げない様子だった。イケない道を歩み出す前に、彼女を引き戻す。
(と言っても……結局原因はアレなんでしょうけど)
 とりあえずサンドラには服を着ることを言い含めて、リカインは探した。なにせここにはあの超絶怖がりのモーラがいるのだ。あんな変態に見つかってしまっては絶対に――
 と、発見したときにはすでに遅かった。
「弱気で実力が出せない? そんなの服を着て閉じこもっているからに決まっているだろう! さあ! 勇気を持ってオープンユアブレスト! 胸をはだけて真なる己を開放するがいいわ!」
「いやああああぁぁっ!」
 ふわふわと浮遊する石造りの変態魔道書――禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)に追いかけられて、モーラは泣き喚きながら逃げ回った。追いかける変態魔道書はアシッドミストをガスのように放射してモーラの服を溶かそうとしている。これが魔道書でなければ、もはや変態どころか変質者の域であった。
 そんな魔道書の醜悪な息がモーラへと迫ろうとする。
 が――横合いからの気合の入った攻撃がそれを阻んだ。
「せいや」
 ゴスッ!
「あぎゃああああぁぁぁ!?」
 魔道書を砕く勢いで、怪力の籠手を身に付けた手刀がめり込む。悲鳴をあげる魔道書はさておいて、自分の手を優しげに労わりながら、リカインはモーラを背後に引きやった。
「まったく……この子まで毒されたらたまらないわ。…………大丈夫? モーラ君?」
「えぐ……ひ、ひぐっ……」
 涙をこらえるモーラ。
 人生で初めて変態に追いかけられるという事態を味わった彼女は、どうしていいのか分からずパニック状態であった。リカインはギロリと河馬吸虎を睨んで、奴をおとなしくさせる。
 どうやら今のショックで、モーラのこれまで我慢していた恐怖が一気に溢れ出てきてしまったようだ。いくら見習い魔女とはいえ、まだ年端もいかない少女である。ましてあのような変態に追いかけられてしまっては、――まあ色々と混乱するだろう。
 そんな彼女に、青年の手が差し出された。
「手、繋ごう? 実は俺も怖いから、二人で手を繋げば、温かいし、少しは怖くなくなるから」
「…………ヴィナ……お兄ちゃん……」
 ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)は優しげなほほ笑みでモーラを見つめていた。その手を握ると、温かなぬくもりが感じられる。
「……えへへ……」
 モーラはヴィナに抱きつくようにして、手をぎゅっと握った。
「ふーん……ヴィナ君ってそういう趣味があったんだ?」
「別にそういうわけじゃないよ。ほら、人の温もりって何だか安心するって言うからね。少しずつでも、そうして慣れていけたら良いんだよ、きっと」
 リカインのからかうような言い方に、平然と微笑を返すヴィナ。
 彼の言うとおり手をつないでいると安心できるのか、モーラは嬉しそうに笑っていた。
 もちろん、それだけで全てが安心できるというわけではない。壁にお化けのように映った影や、魔物が徘徊する物音。他人にとっては些細なことでも、彼女はつい震えて立ちすくんでしまう。
 だが、ヴィナのパートナーであるウィリアム・セシル(うぃりあむ・せしる)が、そんな彼女の震えてしまう対象を一つ一つ調べてくれた。
 恐怖には、正体が分からぬからこそ恐怖を感じるものもある。ならば、その恐怖をぬぐうためにはその正体を明かしてしまえばいい。単純なことではあるが、効果的だ。一人であれば恐怖に立ちすくんだまま動けずに終わってしまうかもしれないが、今はヴィナたちとともにいる。
 一つ一つ。確認できる毎に「大丈夫だよ」とほほ笑みかけるヴィナ。ウィリアムはモーラの相手は彼に任せて、自分はそれを見守ることに徹していた。
 傍から見れば、それは兄二人と妹との光景のようで――レジーナ・アラトリウス(れじーな・あらとりうす)はほほえましそうに笑っていた。
 ヴィナとウィリアムのおかげであろう。やがて、モーラは安定した落ち着きを見せ始める。そんな彼女に、何気なくレジーナが話しかけた。
「ところで……モーラさんはどうしてお師匠様に弟子入りされたんですか?」
「どうして……?」
 その質問は想定していなかったのか、モーラは首を傾げた。自分でも『はっきり』とした答えがあったわけではない。そのため、悶々と悩み始める。
 そんな彼女を見ていると、金住 健勝(かなずみ・けんしょう)はうずうずとしてしまってしょうがなかった。そもそも先ほどから我慢が重なっている。本当は何かにつけて怖がるモーラに『そんな弱腰で魔法使いが務まるでありますかー!』とか言ってやりたかったのだが。
(分かってますよね、健勝。あなたが喋るとすぐ軍隊式に持っていってしまうんですから……お黙りくださいね?)
(…………りょ、了解であります)
 ニコニコと笑顔でドスを利かせてくるレジーナに、健勝は逆らえなかった。ここにはいわゆる上下関係のようなものが完成されており、逆らうと後が怖いのである。
 もちろん健勝も何気ない世間話をしようとするときはあるのだが――ギロリとした殺意の目を向けられると、すごすごと引き下がるしかなかった。普段は礼儀正しいレジーナだが、健勝の軍隊式の性格には大変辟易していると見える。
 どうしようもない契約者にため息を禁じ得なかったとき、ようやくモーラが質問に答えを返した。
「や、役に立ちたかった……から、ですかね」
「役に立ちたかったから?」
「こんな弱虫で気の弱いわたしでも……魔法が使えるようになったら少しは他人のために何かできるかなって……そんな、気がしたから……です」
 自分が言うことが身の丈に合ってないと思っているのか、彼女は恥ずかしそうにぼそぼそと言った。しかし、そんな彼女を笑うような者はいなかった。それよりも、ヴィナや健勝たちは感心したように目を見開いていた。
 まだ幼いながらも、モーラは自分なりに将来を見つめようとしていた。そんな気がしたのである。
「いや……立派なことだと思うよ」
「で、でもわたし……怖がりだから……いっつも失敗ばかりで……ほんと……ダメですよねこんなんじゃ」
「大丈夫。だって、俺達は生きてるじゃない。楽しいことと同じくらい、怖いことがあったって不思議じゃないよ」
 当たり前のように、平然とヴィナは言い聞かせた。いや事実、彼はそれが当然だと思っている。誰しもが、完成されている存在ではない。そして誰しもが同じ存在ではない。虫が怖い人もいれば、お化けが怖い人だっている。それで良い。それだから『個々』というものがあるのだ。
「モーラちゃん、怖いって思うことは悪いことじゃないと思う。何も感じない人よりずっと人らしい。あなたは人一倍感受性が強いのだと胸を張ればいい。大事なのは、目を背けないことだと思うよ」
「私も、そう思います。モーラさんはそれでいいんです。でも、そんな自分から逃げようすることだけはしないこと。それだけは、大事なことだと思いますよ」
 レジーナも、ヴィナに賛同して答えた。そしてそんな二人に続いて、ぴょんぴょんととび跳ねるように華花が言った。
「そうだぞモーラ姉! オラじゃきっと、一人じゃ遺跡にくることすらできなかったぞ……だからモーラ姉は自信を持っていいんだと思うぞ! それに、こんなに友達がいるんだ、きっと今回の冒険も大丈夫。もちろんオラも頑張って手伝うから、きっとお宝見つけて帰ろうな!」
「華花ちゃん……」
 華花のそれは根拠のない言葉だったかもしれない。しかし下手な弁を尽くすよりも、モーラにとってはありがたいと思えた。自分よりも小さい子供だっているのだ。自分だけが泣き虫でいるわけには、いかない。
「そうですね……! 華花ちゃんの言うとおり、皆さんで、一緒にお宝を見つけて帰りましょう!」
 自らに気合を込めるように、モーラは杖を握る手をぎゅっと寄せた。
 彼女を見てリカインは穏やかに微笑していた。ヴィナたちがモーラの兄のようなものであれば、華花は妹なのかもしれない。
「どうしたの? リカインさん」
「……ううんなんでもないわ。行きましょう」
 怪訝そうに聞いたサンドラに濁すような答えを返して、リカインはモーラたちの後を追った。