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惑う幻影の蜘蛛館

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惑う幻影の蜘蛛館

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「あれ? ここはどこでしょうか?」
 広い館の中で、杜守 柚(ともり・ゆず)はひとりキョロキョロと周囲を見回していた。お手洗いに向かうため、広間を出た柚はそのまま、館の中で迷子になってしまったようだった。
「困りました。三月ちゃんもいませんし」
 パートナーの杜守 三月(ともり・みつき)も今、柚の近くにはいない。どうしたものかと柚が考えていると、柚は視界の端に、見慣れた少年の姿を捉える。
 高円寺 海(こうえんじ・かい)。柚の想い人の後ろ姿だ。見間違えたりなどしない。
「あ! 海くん!」
 自然と柚の声は嬉しさで大きくなる。しかし、柚の呼びかけに、海はまったく反応しない。
「ま、待って、海くん! 海くんっ!」
 さらに名を呼んで、柚は海に駆け寄っていく。しかし、海は振り返らない。さらに必死に駆け寄っているのに、海との距離は一向に縮まらなかった。
「なんで? 待って、待ってよ、海くん! お願い、置いてかないで!」
 柚は叫ぶ。それでも海は振り返らない。そのまま段々と海の姿は離れ、いつの間にか海は見えなくなってしまった。 
(どうして……なんで……ぐすっ)
 急に悲しさが柚を襲う。どうしようもない孤独で、柚の瞳からは涙がこぼれた。
『……おーい、柚ぅー』
 そんな時だ。柚の耳に、三月の声が聞こえた。三月は、どこかのんびりとした口調で、落ち込む柚の心を揺さぶる一言を告げた。
『あんまり寝てると、海に会えなくなるよー』
 その一言で、柚はバッと顔を上げる。
(いや……海くんに会えないなんて、絶対イヤッ!)

 □□□

「――海くんっ!」
「おっと!」
 突如、幻覚から覚め、柚は起き上がった。ポフンと、柚の顔が何かにぶつかった。感触から、誰かの胸に顔をぶつけたと直感的に気づいた。
「おー、さすが柚。海が絡むと効果あるね」
 そう呟くのは三月だ。だが、声がしたのは柚の後ろからだった。
 じゃあ、この目の前にいる人は誰だろうと、柚は顔を向け……驚愕する。
「か、海くんっ!」
 柚が胸に飛び込んだ相手は、海だった。つまり、柚は海の胸に顔をこすり付けていたと言うことになる。
「……柚。大丈夫?」
「は、はひぃ。だ、だだだ大丈夫ですっ!」
 あまりのことにこれでもかと赤面し、柚はドモりまくっていた。
 だが海はキョトンとしたまま、視線を周囲に向けた。
「大丈夫ならいい。今のうちに安全なところに避難して」
 そう告げる海の視線の先では、生徒たちが巨大な毒蜘蛛を相手に、必死の攻防を繰り広げていた。
「アニスは『清浄化』で幻覚を見ている人たちを救出。ダンタリオンとルナは、俺のアシストを頼む」
「わかったよー!」
「うむ、了解じゃ!」
「はいはいですぅー!」
 和輝の指示に従い、アニスたちはそれぞれ行動する。
「おい、天禰! 毒蜘蛛は俺がぶちのめす。お前は、回復とサポートを!」
「うん、わかったよぉ! 又兵衛、頑張って!」
 薫に応援されながら、又兵衛はイライラをぶつけるように毒蜘蛛へと向かっていった。
 それでもなお、毒蜘蛛の攻撃は弱まらない。その場にいる生徒たち全員が、長期戦を覚悟した。

 ■■■

 館の広間では、生徒同士の会話も行われている。それぞれが館のことを話の肴に、他愛無い会話を楽しんでいた。
「……ええ、そうですね。私もいろいろ楽しませていただきました。ふふっ」
 そんな会話の中心に、水無瀬 愛華(みなせ・あいか)はいた。この館で知り合った生徒たちに囲まれ、楽しげに会話している。
 普段の彼女は、お世辞にも社交的とはいえない引っ込み思案な性格だった。そんな彼女が、何故か今は会話の中心にいる。
(すごい。私、こんなに皆と打ち解けられてる)
 そんな状況を一番驚き、楽しんでいるのが愛華自身だった。いつも、したくてもできなかったことが今は出来ている。それが嬉しくてたまらないのだ。
 だが、
(でも、……なんだろう、この感じ。何か、物足りないような……)
 自分の夢が叶っている。だというのに、愛華はどこか空しさのようなものを感じていた。
「……おっ。ここにいたのか、愛華」
 そんな愛華のもとへ、愛華を探していたらしい美樹 辰丸(みき・たつまる)が近づいてきた。
「た、辰丸?」
「うむ。なんだ、愛華。貴様が人前で、気さくにしゃべっているので、びっくりしたぞ」
 そういつもの調子で辰丸は愛華に話しかける。それを前にし、愛華は思い切って辰丸に聞いた。
「……ねえ、辰丸? 私、変われましたよね? いつもみたいに、ウジウジしてる私なんかよりも、今の私のほうがいいですよね!」
 変わった自分の姿を褒めてほしい。そんな想いから告げた言葉だった。
 妙な気迫のこもった愛華の言葉に、思わず辰丸のほうが圧される。
「うむ? なんだかよくわからんが……」
 そう前置きし、辰丸は当然のように、
「俺は、いつもの愛華のほうが好きだぞ」
 そう答えた。
 瞬間、愛華の中でくすぶっていた空しさが消えていった。
「……ははっ、なんですかね。こっちのほうが落ち着きます」
 無理した自分よりも、いつもの自分を認めてくれた辰丸に、愛華は照れながら、『ありがとう』といつもの小さな声で呟いた。


 館でのパーティーが始まってから、それなりの時間が経過していた。勘の良い生徒たちのほとんどは、幻覚から目覚めている。
 そんな中、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)は、未だ幻覚の世界から抜け出せずにいた。
「うーん……一体、ここのどこがおかしいのでしょう?」
 そんな言葉すら漏らしている。しかし、完全に違和感を持っていないわけではない。彼女も心の奥では、この世界の異常性に気づいていた。
(ここが現実じゃなくてもいい。今は、何も考えないでここにいたい)
 そんな甘い考えが、フレンの思考を止めていた。
「――む、こんな所にいたか!」
 そんなフレンのもとへ、ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)が現れた。
「ったく! 手間をかけさせんなよ」
「マスター……マスターもここにいたんですね」
「当たり前だ。おら、いつまでもボケっとしてんだ。この世界は幻だ。さっさと現実に戻るぞ」
 そう言って、ベルクはフレンの手を掴む。そのまま、強引に引きずっていこうとした。
 だが、それをフレンは拒絶した。
「ま、マスター……その、私は、ここに居たいです」
「は? お前、何を、」
「ここはいいところです。ここにいる限り、私は自由でいられる気がします。里の事も何もかも忘れて自由に……」
 弱音をフレンがこぼす。
 その弱音を聞いて、ベルクは――
「こ、のっ……ドアホッ!」
 怒鳴り声を上げた。
「ふざけんなよ! 俺は意地でも、お前を連れて帰るぞ。里のことを忘れて自由になる? 馬鹿言ってんじゃねえ! お前にそう思わせるのは……こんなニセモンの世界じゃなくて、この俺なんだよ!」
 力強くそう告げるベルク。もはや告白と言って差し支えない言葉を受け、フレンはキョトンとしていた。
「お前の人生、全部が俺のモンだ。わかったら、さっさと現実に帰るぞ!」
 フンと鼻を鳴らし、ベルクはそう告げた。それを聞き、フレンはハハッと笑みをこぼした。
「ありがとうございますマスター。例え幻でも嬉しく、家臣の私には勿体ないお言葉」
「……ん? ちょ、ちょっと待て! お前、ひょっとして俺まで幻だと思ってんじゃ、」
「もう大丈夫! 私、復活です!」
 元気にそう答え、フレンは立ち上がった。
 ただひとり、ベルクだけが「待て、お前誤解してるぞ!」と必死に弁解を続けていた。