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◆数学の章「腹が減っては戦(勉強)はできぬ」

「うーうー」
 頭を抱えて数学の教科書とにらみ合っているのは猪川 勇平(いがわ・ゆうへい)である。
 彼は意外と、というと失礼だが、成績は中の上であったりする。……数学以外は。
「乗算ってどうやるんだっけ?」
 もはや追試どうのこうのとか、数学が苦手というレベルではないが。
 そんな彼の横で優しく微笑んでいるのはウイシア・レイニア(ういしあ・れいにあ)である。清楚な雰囲気ある彼女が勇平の隣にいると
「あ、付き添いかな」
 に見えるが、彼女。こう見えて肉体派である……いや、こう言うと語弊がありそうなので言いなおそう。言葉より拳で語る方が好きなのだ。
「……何か? 私に言いたいことでもあるのですか?」
「い、いえ何でもありません」
 勇平は悲鳴を飲み込みながら自分の勉強へと戻る。しかし乗算が分からない彼に、問題が解けるわけがない。
 もちろん、数学を教えようとしているものもいた。
「数式は逃げも隠れもしないし、アンタたちを決して裏切ったりしない」
 そう声を上げて黒板に数式を書いているグラルダ・アマティー(ぐらるだ・あまてぃー)だ。
 力強い彼女の言葉に、勇平以下、数学が苦手なものたちが半信半疑といった顔をする。ウイシアは首をかしげながら微笑んでいる。勉強しなくていいんで……あ。ナンデモナイデス。
「公式をただ暗記して数字を当て嵌めるよりも『この数式で何が出来るか』を理解したほうが頭に入り易いわ」
 言いながらグラルダは次々と黒板に式を書きなぐっていった。追試で必要と思われるものを厳選している。生徒たちは慌ててそれをノートに書きとめようとしたが、グラルダが制する。
「黒板の文字を目で追うだけでは意味はない。まずは理解、それからよ」
 そう。ただ文字を書き留めるだけで、説明を聞き逃す生徒は多い……実体験ですか、とか言わない。
「アタシがそれを今からアンタたちに、遺伝子レベルで叩き込んであげる!」
 遺伝子レベルですか!
 数学の生徒に混じっていたOBKは「なんだかすごそうだ」と思った。意味はよく分かってない。だっておばかさんだもの。
「よし。数式で何ができるか、か。がんばるぞ」
 勇平はグラルダの話を聞いて再びやる気を取り戻すが、乗算のやり方が分からない彼である。式がまるで呪文に見えて仕方ない。
 一方のグラルダはグラルダで
(何が分からないのかしら?)
 勇平が一生懸命なのは分かるのだが、なぜそこで悩むのか理解できずに考え込む。
 そんな悩む2人を前にして
「勇平くん。私、お腹が空きましたわ」
「え、ウイシアさんべんきょ」
「何か?」
「イエ、ナンデモナイデス」
 にっこり微笑むウイシア。勇平はそれ以上何も言えずに押し黙る。
(でもたしかに腹へったなぁ)
 時計を見てみると勉強を始めてから大分経っていた。そろそろ一端食事休憩といきたいが
「いい? この数式は――」
 一生懸命教えようとしてくれているグラルダに悪い気がして、勇平は何も言えずに勉強を続けた。


 そしてこちらは、
「いいか、イコンってのはだな」
 なぜかイコンについて硬く語っている斎賀 昌毅(さいが・まさき)と、熱心に話を聞いているマイア・コロチナ(まいあ・ころちな)だ。天御柱学院の生徒である。
「つまりこういうことで」
「違う! さっきも言っただろ。そこはだな」
「そんなに怒鳴らなくても」
 実は昌毅。イコン関連の試験を落としたから教えてくれ、とパートナーのマイアや知り合い何人か(実はOBKメンバー)に泣きつかれ、他の学校でも聞きたい奴がいるかもと、まったくの善意で勉強会に参加している。OBKに唆されていることに、本人はまるで気づいてない。
 イコンは追試関係ないんだけどなー、と周囲は昌毅を見ているが、勉強しているには違いないので追い出すのは忍びなく。まあいいかと見守っていた、のだが少々声が大きい。
「なぁイコンの装甲ってさ」
「ん? ああ、確かにイコンの装甲はこのイコプラの装甲と一緒で」
 OBKメンバーに問いかけられた昌毅は、なぜだかイコプラの話に移動した。
 雲行きが怪しいぞ。
 そう思ったのは近くに座っていた緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)だ。彼は勉強目的でここにいるのではなく、なんだか楽しそうだなと思ったのと、勉強会なら静かだろうし作業が進みそうだ、ということで1人黙々と資料のまとめをしていたわけだが。
(そもそもなぜイコンの話をしているのでしょう?)
 遙遠は首をかしげて昌毅見た。その時、昌毅を煽っている1人の生徒に目を細める。
(先ほどから何か色々問題が起きているようですが、これもその1つのようですね)
 どうしたものだろうか。遙遠は思って昌毅を見る。段々と声が大きくなり、周囲の生徒たちが困惑した様子で彼を見ている。昌毅自身に悪意がないと分かるだけに、止められないのだろう。
「ここを見てくれ。イコプラは」
(もう少し様子を見ますか。誰かが止めてくれるのを願いましょう)


「あー、めんどくせー」
「ロア。その態度は友人とはいえ失礼だろう」
 だるそうなロア・ドゥーエ(ろあ・どぅーえ)に、パートナーのレヴィシュタール・グランマイア(れびしゅたーる・ぐらんまいあ)が怒ろうとしたのを、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が苦笑しつつ止めた。気にしてないから、と。
 今回勉強するのはロア1人なのだが、レヴィシュタールにグラキエス、さらにはゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)ベルテハイト・ブルートシュタイン(べるてはいと・ぶるーとしゅたいん)の4人が教師側だ。
 ちなみにロアが追試を受ける教科は全部であったりする。課題未提出や出席日数が足りない、という理由もあるが。
 今回はとりあえず理数を学ぼうとしていた。
「狩りでは獣の体つきからとれる肉の重さを計算できる癖に、どうして理数がダメなのか理解できん」
「まあ落ち着け、レヴィシュタール。計算ができる、ということは考え方を工夫すればできるはずだ」
「そうですね。どうもロアは文章の読み取りが苦手なようですし、コツをつかめれば」
 グラキエスは3人の話を聞き、ふむと頷いた。
「だとすると数式を狩りや獲物に置き換えて考えてみたらどうだろうか?」
「置き換えるって、どうやるんだ?」
 めんどくさい、と思いつつも。ロアはグラキエスに問い返す。久々にグラキエスと会えたこともあるし、単位を落とすとレヴィシュタールがうるさいというので、勉強をする気は一応あるのだ。
 正直、計算は大体の目算と勘で十分。語学は相手に通じればよく、音楽や美術は勉強してどうするんだ、というのが彼の持論だったりするが。
(……ん? あれ。俺もしかして追試全部?)
 意識が少しずれたロアだが、グラキエスがたとえば、と話し始めたので耳を傾ける。
「たとえばこの数式なら、これを獲物と考える、とかだな」
「これが獲物? 43.6だろ?」
「……ロア。どうしてあなたは」
 あっさりと答えをあげてしまったロアに、額を押さえるレヴィシュタール。答えを確認したグラキエスが「すごいな」と驚き、ゴルガイスは苦笑いした。
「しかし途中式がないと点数がもらえないのでは?」
「そうだな。減点対象だと思う」
「問題はそちらというわけだ」
「はあっ? 答えだけじゃダメなのかよ。ほんとめんどくせーな」
「ロア! 分かっているのか。お前が追試に落ちたらパートナーの私も一蓮托生だ! 何が何でも追試をクリアしてもらうからな!」
「分かってるっての(あーうるせー)」
 ロアの態度にレヴィシュタールがさらに声を上げようとするが、ベルテハイトがなだめる。
「説教の時間がもったいない」
「ぐっ」
 2人がそんなやり取りをしている間、グラキエスはどうしたら分かりやすいだろうかと考え込んでいる。ロアはぼーっとそんなグラキアスを見て「美味そうだな」と小さく呟いた。幸いなことに、誰の耳にも入らなかったが。
「普段、ロアはどうやって獲物の計算をしているんだ?」
「どうって……改めて言われてもなぁ。勘?」
「勘だけじゃあそこまで正確には答えられないと思う」
 ロアもまた真剣に悩み始める。普段、特に意識せずしてきた行いを説明するのはとても難しい。
 首を捻る2人の赤い髪が揺れた。
(我が友がここにいたら、きっと喜んだだろうな)
 一緒に悩み考えているロアとグラキエスを見て、ゴルガイスの胸にはこみ上げてくるものがあった。
「ゴルガイス? 何か言ったか?」
「いや……真に落ち着くべきは我の方かもしれんと思っただけだ」
 隣にいたベルテハイトが怪訝そうにゴルガイスを見るが、その時にはいつもの彼へと戻っていた。
 ベルテハイトがさらに口を開きかけた時、ロアがグラキエスにかぶりつきそうになったので、慌てて止めに入った。
「上手くいってたと思えばすぐこれか!」
「ロア、落ち着け」
「ん? 俺は別にかまわな」
「ほら、本人がいいって言ってるじゃねーか」
「グラキエス! 助長するな」
「あー! 腹減った!」
「……仲良きことは良いことだ」
「ゴルガイスも! 笑ってないで止めろ」

 どうやら、なごやかなようで数学の授業にも波乱がありそうだ。