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リアクション
『夜へと移るイナテミス』
イナテミスの街を夜の闇が包み込む。祭りの賑やかさはそのままに、どこか幻想的な雰囲気が加わった通りを、非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)とパートナーたち、ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)、イグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)、アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)が歩いていく。
「『SIZ特区』の代わりに、イナテミスが魔族を受け入れることになったのですわよね。
どんな感じか気になってましたけど、今日見た限りだと、よくまとまってると思いますわ」
「そうですね……今日はお祭りだから、というのもあるかもしれませんけど……。もしかしたら日常では、衝突がしょっちゅう起きているのかもしれませんけど……せいぜいケンカくらいで、刃傷沙汰等に発展せずに拒絶反応無く、受け入れられていると……良いですよね〜」
ユーリカの言葉に、近遠が普段より少し饒舌に答える。イナテミスの今の方針は、元をたどれば近遠の『SIZ特区』の提案に行き着く。結果として街の方針を決定づけた一人として、今日街がこのように感謝祭を行え、平和であるというのは気分が晴れる思いだろう。もし逆にあちこちで刀傷沙汰が絶えず、険悪な雰囲気漂う街となっていれば、さぞかし心苦しい思いをしたであろう。
「今日一日、街を見させてもらったが……最初はある程度警戒していた。戦乱の記憶が新しいからな。
だが、今ではあまり心配する必要はないと思っている。少なくともこの街では、魔族の受け入れが円滑に行われているのだな」
「そうですわね。今日の感謝祭を経て、今後人間と精霊、魔族の関係がどう変化していくか、楽しみ――」
イグナの発言に合わせる形で言葉を紡いでいたアルティアめがけて、開けられていた窓から何かが飛んでくる。咄嗟にイグナがアルティアの前に立ち、飛んできた何かをキャッチすれば、それは台所に置かれている『たわし』だった。
「? どうしてたわしが飛んできたのかしら?」
ユーリカの疑問は、すぐに解消された。先程たわしが飛んできた窓から、今度は男女の言い争う声が聞こえてくる。
「あなた! また飲み過ぎたのね!」
「いや、まあ、あはは……いやー、いつもの店が飲み放題やっててな、つい……」
「もう……今日はお祭りだから大目に見ますけど、明日また同じようなことをしたら、どうなるか分かっていますね?」
「分かった、気をつける。……ところでさっき、たわしが飛んでいった気がしたんだが……」
ひょい、と窓から顔を見せたのは、大柄な男性。一見人間のように見えたが、頭には一対の角が生えていた。
「探しものは、こちらですか?」
「おっ、サンキューお嬢ちゃん。……もしかして、聞こえちまったか? いやー、恥ずかしいとこ見せちまったな。
祭りに来たんだよな? めいっぱい楽しんでってくれよ」
アルティアからたわしを受け取って、男性が気さくに微笑み、窓を閉める。
「……このくらいのケンカは、きっと、どこでも日常的なものだよね」
「喧嘩するほど仲が良い、と言いますしね」
「うむ。そうして互いに、絆を深めていくものだろう」
「ふふ、そうですわね」
街のこれからについてを語り合いながら、一行が通りの向こうへ歩き去っていく――。
「はー、回った回った。馬宿君、見かけによらず体力あるね」
「鍛えでもしなければ、おば……豊美ちゃんの無理に付き合えないからな。リカインこそ、女の身でありながら優れた身体能力だ」
「あはは、女としてはどうかな、って感じだけどね。評価してくれたことは嬉しいよ、ありがと」
二人の間に、一時の沈黙が降りる。昼間の熱いくらいだった空気も、夜になれば爽やかな風となって二人の間を吹き抜ける。
「……私はね。馬宿君のこと、その……異性として、思ってるよ」
「…………」
リカインの言葉に、馬宿はどう答えるべきか戸惑う。いつかこんなことを言われるかもしれないと心のどこかで思いながら、けど実際に口にされると何て答えていいのか分からなかった。
「あ、あはは……うん、それだけだから。
じゃあね、今日は楽しかったよ。おやすみ」
馬宿が引き止める間もなく、リカインは通りの向こうに消えて行き、夜の闇の中に馬宿だけが一人取り残される。
「リカイン……俺は……」
届ける相手の居ない言葉が、地面に落ちて消えて行く――。
「讃良ちゃん、眠っちゃいましたねー。めいっぱい楽しんだみたいですから、疲れちゃったんですね」
すやすや、と寝息を立てる讃良ちゃんを背負って、豊美ちゃんが隣で荷物を持ってもらっている神代 明日香(かみしろ・あすか)に話しかける。
「すっかり、子守が板につきましたね」
「えへへー、そうですかねー」
なんだか嬉しそうな豊美ちゃんから視線を外して、明日香はこの場に居ないエリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)のことを思い浮かべる。彼女は残念ながら、やるべきことが多過ぎてイルミンスールから抜け出せずにいた。
(エリザベートちゃん、今頃は不満たらたらでしょうね)
帰った自分の顔を見たらきっと、「遅いですぅ〜」と頬を膨らませながらやって来て、そして買ってきたたくさんのおみやげに機嫌を直して。今日あったことを話して、寝る準備をさせて、そしてまた明日からいつも通りの一日が始まる――。
(そう、これが私の平穏。讃良ちゃんのこととか、姫子さんという方のこととか、色々あるみたいだけど……)
もしかしたら、この街を舞台に何か大きな事件が起きるかもしれない。でももしそうなったとしても、そこにエリザベートが関わっていなければ、きっと自分は本気になって事に当たれないだろうな、と思う。
(もちろん、本当にそんなことがあったら、親身になって取り組みますよ? 手を抜くわけじゃないですよ?)
誰に言うでもなく呟いて、明日香は豊美ちゃんへ向き直る。ちょっぴり、軽口を叩いてみたくなった。
「新しい衣装にぴったりの、新しいぱんつも用意しないといけませんね」
「べ、別にいいですよー。そういえばこの服もサイズぴったりでしたし、私もしかして色んな人にサイズを把握されちゃってますか? そ、それはそれで複雑な気分ですー」
うぅ、と唸る豊美ちゃんに、明日香はくす、と笑う。
こんな平和が続けばいいなと願う――。
●イルミンスール魔法学校
「……ふぅ。これで、完成ですかね」
筆を置き、完成した2冊の書物を前にエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)が一息つく。自身の研究成果を『クトゥルフ魔術の効力、その副作用』『心身の侵食、異形化の治療法』(それらは確実に、自分自身の体験に基づいている)にまとめたのは、イルミンスールがこれらの書物を活用し、クトゥルフ魔術の進歩に向かってくれることを期待するのと共に、自分自身のけじめをつけるためでもあった。
「校長は……あぁ、そういえば今日はイナテミスでお祭りだとか。そちらに行ってるでしょうかね?」
そう思いながら、エッツェルがエリザベートの所在を確認する(イルミンスール魔法学校内であれば分かる仕組み、最近になってそのような仕組みが導入された、これもエリザベートがイルミンスールの長としての責任を自覚したが故であった)と、意外なことに校長室にいるようであった。
「おや、どうしたことでしょう。……まぁ、いらっしゃるのでしたらこれから伺いましょうか」
本を手に、エッツェルが立ち上がり、校長室へと向かう。本を渡すのと、とある話を切り出すために――。
促されて中に入ると、エリザベートは机に向かっていた。目の前には白紙の本が置かれ、ページがひとりでに無数の文字で埋まっていく。エリザベートほどの魔法使いになると、そうやって文字を書いてしまえるようだ。
「どうしましたかぁ?」
作業の手を止めて、エリザベートが振り向く。書物の内容が一瞬気になったものの、今更仕方ないと切り替え、エッツェルは手元の書物を差し出す。
「この度、私の研究成果を書物にまとめました。ぜひ今後の研究に、役立てていただければと思います」
「そうですかぁ。ではありがたく受け取らせてもらうですぅ」
受け取り、中を物凄い速度で検閲するエリザベート。こういう所に、彼女の稀代な才能が見て取れようか。
「……校長。私が今日ここを訪れたのには、もう一つ理由があります」
エリザベートが2冊目の本をパタン、と閉じた所で、エッツェルが話を切り出す。
「誠に勝手ではありますが、私、イルミンスールを退学しようと思います」
エッツェルの言葉を、エリザベートは黙って聞く。彼女にも、研究者が研究成果を差し出すことの意味は何となく理解しているだろう。自分でもう研究を続けられなくなるからこそ、差し出すのだ。
「アーデルハイト様に拾われてより、私は恩を返すため力を尽くしてきました。
そして今、ザナドゥとの戦争が終わり、ある程度の恩は返せたと思いまた、戦力としての自分の必要性が薄くなったと感じています。……何より、私自身がそろそろ限界であるというのを、私は最近強く感じているのです。私が完全に侵食されれば、学校に迷惑がかかるだろうと思います。学校としてもこれ以上、危険な存在が生み出されるのはマズイと思いますし」
言い終わり、エッツェルがエリザベートの言葉を待つ。しばらくの沈黙の後、エリザベートがため息と共に言葉を吐く。
「色々考えましたけど、私はこのままあなたを送り出すしかないんだと思うですぅ」
それは決して、エリザベートが非情だということにはならない。各人が負える責任には限度があり、またエリザベートの立場からいって、確からしいように思われるエッツェルの予想を考慮しないで引き止めることは出来ない。
「私のために考えてくれただけで十分ですよ。
出立の期日は追って連絡差し上げます。……それでは、お忙しい中失礼致しました」
深々と頭を下げ、そして背を向け、エッツェルが校長室を後にする――。
「さあ、今日は特別なメニュー、イベントを沢山用意していますわ。
皆さん、どうぞ目一杯楽しんでいってください」
『居酒屋【わるきゅーれ2号店】』では、厨房に立つシャレン・ヴィッツメッサー(しゃれん・う゛ぃっつめっさー)が普段の営業では行なっていない飲み放題プランやタイムサービスを企画し、訪れた客を陽気に盛り上げようとしていた。
「ええと、翌日の5時まで営業となると、光熱費は……。飲み放題プランにスペシャルメニューの経費と回収率は……。
うーん、よほど客の入りがいいか、食べ物で稼がないと赤字だな」
店の裏では、ヘルムート・マーゼンシュタット(へるむーと・まーぜんしゅたっと)が帳簿と向き合いながら、今回のイベントで採算が取れるか思案していた。
『滅多に無い掻き入れ時なんですから、いつもより派手に行かないとチャンスに乗り遅れてしまいますわよ。
大丈夫、投資した分に見合うだけの利益は挙げられます』
プランを提案してきたシャレンの、妙に自信ありげな言葉が過る。
(何故あれほど自信ありげだったのか……。新しく街に入って来た魔族をアテにしているのか?)
前にウィール砦で魔族と対峙した際、彼らの食欲と陽気ぶりは目にした。彼らが常連になってくれれば、安定した収入が見込めるかもしれない。その意味でも、今日色々な催しを行なってアピールすることは効果があるだろう。
(それに、祭りともなればいつにも増して様々な人々がこの街を訪れるわけだから、『グループ本社』が欲する類の情報も集まりやすくなるはず)
そこまで考えて、果たして『本社』の連中が今日の赤字を見逃してくれるだろうか、と不安になる。やはり、なるべくなら赤字にならない努力をすべきだ。
(とはいえ、最近は人々の財布の紐も固い。どうなるか……)
「すごいねせっちゃん、あれだけあった食べ物が一瞬でなくなっちゃったよ」
デザートのアイスを口にしながら、ユーリ・ユリン(ゆーり・ゆりん)が隣の同人誌 『石化の書』(どうじんし・せきかのしょ)の食べっぷりに感心する。
「それほどでも……。……あら、あちらにもお店があるようですね」
指差した先、人と精霊、魔族が揃って賑わいを見せる居酒屋らしき建物があった。
「わー、すごい賑わってる。なんか面白そう!
行こう、せっちゃんっ」
ユーリが先走って行くのを、『石化の書』(こう書くと本人が凹みそうだが、『せっちゃん』と書くのも憚られたので妥協)が付いて行く。店の中に入ると、それぞれ10席ほどあるテーブルとカウンターの8割程度が既に埋まっていた。2階からも楽しげな会話が聞こえるのを見るに、上も相当の客で賑わっているようだ。
「せっちゃんは何にする? 僕はお酒でも飲んでみちゃおうっかな〜」
「……私は、この『わるきゅ〜れ盛り』を」
その言葉が聞こえた途端、周りからどよめきが起こる。『わるきゅ〜れ盛り』は本日限りのスペシャルメニューで、鶏肉を揚げたものを重ねた品である。これを制限時間内に食せば、店内の全てのメニューがタダになるというおまけ付きで、これまでに十数名が挑戦したものの、制覇した者は一人もいなかった。
「はい、おまちどうさま。それじゃ今から……スタート!」
山と盛られた鶏肉が『石化の書』の前に置かれ、タイマーがセットされる。
「では……いただきます」
ぺこり、と一礼して、そしておもむろに食べ始める。最初は「あんなペースで間に合うのかぁ?」なんてヤジが飛んでいたが、段々と皆、石化したように声を発さなくなる。
何せ、ペースが一切変わらないのだ。一枚目、二枚目、三枚目……と、いっそ優雅に平らげていく。
「……ごちそうさまでした」
そして、制限時間まで数分を残して、完食してしまう。一時呆然としていたギャラリーが、どっと沸き始める。
「お、俺も負けてられねぇ! 姉ちゃん俺にもわるきゅ〜れ盛り!」
「俺は飲みで勝負だ! 強いのをストレートで頼むぜ!」
特に男性からの注文数が増え、『石化の書』が頼んだ分を差し引いてもゆうに収益が上がるまでになった。
「う〜ん……僕は男の娘ぉ……むにゃむにゃ」
そしてユーリはというと、調子に乗って酒を注文したはいいものの、よほど強かったのか飲み慣れていなかったのか、最初の一口でバタンキューだった。
「……こんな所で寝ていると、風邪を引いてしまいます」
そんなユーリを膝に寝かせてやりながら、『石化の書』はなおも食べ続ける――。
「この料理は何の食材を使っているのかしら。料理自体は見たことがあるものだけど、素材が違うだけでこうも味が違うものなのね」
賑やかな雰囲気の中、アーミアが目の前に置かれた料理を観察し、写真を撮って早速ブログにアップロードする。その後アーミアのブログを見たユーザーが興味を持ち、『居酒屋【わるきゅーれ2号店】』の名が広く知れ渡ることになるのだが、今は誰も知ることなく、楽しい時間が過ぎていく。
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