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クライム・イン・ザ・キマク

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クライム・イン・ザ・キマク

リアクション


<part4 路地裏>


 商店街の裏手にある路地は、荒んだキマク市内でもさらに荒廃していた。
 昼間だというのに一年中薄暗く、崩れかかったバラックがもたれ合い、潰し合って建っている。壁という壁はペンキで卑猥な落書きをされ、サイケデリックなアートまで描かれている。
 路地の其処此処には怪しげな商売人が寄りかかっていた。ウィザードの装束をまとい、頭巾で顔を隠した薬の売人。獣人や悪魔の売春婦は、裸体と見紛うほどの下品な装束を身に着け、憔悴しきった顔で葉っぱを吹かしている。住人たちはボロに身を包み、痩せこけた体は垢にまみれている。
 そんな退廃と堕落の集積所である路地裏に、天使のような女性が降臨していた。
 橘 舞(たちばな・まい)である。
「たくさん用意してありますからー、慌てないで並んでくださいねー」
 母性あふれる笑顔を見せながら、大鍋からスープを注いでは、パンと共に路地裏の住人たちに配っている。炊き出しだ。彼女の前には、血の気の悪い住人たちが目だけを輝かせて列を作っていた。
 これは舞の発案だった。エリスのことも心配だが、路上生活者たちの健康も心配だ。だから、まずは食料をプレゼントして、ついでに情報源を集めようと思ったのである。病気の人が来たときは治療もできるようになっている。
 彼女の狙いは当たり、路地裏のかなりの住人たちが炊き出しの列に並び、そうでない者も騒ぎに釣られてやって来た。

 そんな路上生活者でごった返す路地裏で、春美から「行方不明は路上で起こっている」と連絡を受けたブリジットとマイト・レストレイド(まいと・れすとれいど)は聞き込みをしていた。
 すると、吸血鬼の男が一人、野卑な笑みをたたえてマイトに擦り寄ってくる。
「旦那、いい情報がありますぜ。最近の神隠しのこと調べてんでしょ。買いませんかい?」
 こいつは嘘を言っている、とマイトは瞬時に悟った。刑事の勘という奴だ。具体的にどの言葉が嘘なのかは分からないが、嘘の響きがする。
 恐らくこの吸血鬼は、情報を高く買い取らせては暴利を貪る手合いなのだ。そんな相手とまともに交渉していては、捜査が進まない。
「ふん、いいだろう。10Gやる」
「は……? はい? いい情報ですぜ。とびっきりの上ネタですぜ? 10Gってのは冗談でしょ?」
「冗談などではない。ほら、受け取れ」
 マイトは小銭を吸血鬼に放り投げた。
 ちっぽけなプライドを傷つけられ、吸血鬼の額に青筋が浮き上がる。
「てめえ、ざっけんなよ! 10万だ10万! さっさと渡しやがれ!」
 吸血鬼がマイトに稲妻を放った。
 マイトはとっさに回避。飛びかかってくる吸血鬼にゴルダを投げる。吸血鬼の視界が奪われた。マイトは吸血鬼の体を一本背負いで地面に叩きつけ、羽交い締めにする。
「いてててて! すんませんすんません! ちょっと腹が立っただけですって!」
 すぐに音を上げる吸血鬼。
「もう腹は立っていないな? ならば、行方不明事件について知っていることを教えてもらおうか」
「さ、31人」
「なに?」
「行方不明者は全部で31人です! 名前も知ってます!」
「教えろ」
 マイトは吸血鬼を解放する。吸血鬼は懐から小汚い手帳を取り出すと、行方不明者の名を並べ立てた。マイトはそれを自分の手帳にメモする。
「協力感謝する。……迷惑料、って訳じゃないが、そこのゴルダは好きにしてくれ」
 マイトは散らばったゴルダを拾うことはせず、颯爽とトレンチコートを翻して立ち去った。
 携帯電話で泉 椿(いずみ・つばき)を呼び出す。
「もしもし」
「おー、なんか分かったか?」
 椿が元気な声で電話に出た。
「ああ。これから被害者のリストを連絡する。メモの用意を」
「おっけー」
 マイトが読み上げる一覧を、椿は記録していく。多分、後でこれは役立つだろう。

 ブリジットが聞き込みをしているのは、舞のすぐそばだった。治安が悪いのに、あまり離れたところにいると、舞の身が心配だ。
 それにここなら、舞から炊き出しをもらったばかりの人たちと話せる。
 ブリジットは、スープを味わっている路上生活者の女に訊いた。
「私の知り合いが行方不明になっててね。この辺で見かけたって人がいるんだけど、なにか心当たりない?」
「……あの噂か。悪いけど、あたいはそういうとこを目撃したわけじゃないから」
 女は見るからにやせ衰えていたが、意外としっかりとした口調で応えた。
「なんでもいいわ。関係ありそうなことでも、なさそうなことでも」
「そういえば……、行方不明が増えたのって、あの薬が出回り始めてかなぁ……」
「なに? なんの薬?」
「不思議と心が落ち着く薬、らしいんだ。自分の失敗とか、後悔とか、そういうのをぜーんぶ忘れちまうんだってさ」
 良心を消す魔法薬に近いニオイを感じ取り、ブリジットは身に緊張を走らせる。既に試作品が出ているのかもしれない。
「……その薬はどこで買えるのかしら?」
「ブラックマーケットだよ。スラムの方」
「ありがとう。これは取っておいて」
 ブリジットは女の手にゴルダの札束を握らせた。驚く女を残し、歩きながら椿に電話する。
「有力情報が入ったわ。魔法薬はブラックマーケットで売られてるみたい。調べてみて」
「了解!」
 椿はうなずいた。椿は友達の和希に連絡する。
 和希は酒場にいた契約者たちと情報を共有する。
 さらに情報が回りに回って、佐野 和輝(さの・かずき)に届いた。
「……なるほど。これは重要な情報だ」
 感慨深げに唸る和輝。
 今日の彼はテレパシーを用いて、情報交換のハブとして働いていた。次々と入ってくる情報を分析し、評価し、重要度の高いものから優先して連絡する。
 面識のあるエリスにもテレパシーを送ってみたが、密室に監禁されているエリスからはあまり多くの情報は得られなかった。
 和輝は直ちに魔法薬に関する情報をできる限り拡散する。
 情報を受け取った契約者たちの中には、御神楽 舞花(みかぐら・まいか)も含まれていた。父親の御神楽 陽太(みかぐら・ようた)から一人旅を許された舞花は、見聞を広めるためパラミタを行き廻っているのである。
「ブラックマーケット、ですか……。これは私が向かった方が良さそうですね」
 そうつぶやき、舞花はレストランのテラス席から立ち上がる。読んでいた新聞をテーブルに置き、コーヒー代の硬貨も残した。


 ジャジラッド・ボゴル(じゃじらっど・ぼごる)は今回の事件を憂えていた。
 ヴァイシャリーにある百合園の生徒がキマクの者に誘拐され、百合園のトップ二人が解決に乗り込んできたのだ。このまま放っておけば、キマクの自治手腕が疑われる。
 キマクにはキマクの法と秩序が存在していることを証明し、ヴァイシャリーに恩を売っておくためにも、キマクの力で事件を解決しなければならない。
 そう考えながら、ジャッジラッドは路地裏を歩いた。ポケットには目立つ長財布を突っ込んでいる。
 すると、小さな少年がジャッジラッドにぶつかってきた。
「あ、ごめんおっちゃん!」
 少年は朗らかに謝って走り去るが、ぶつかった瞬間に財布をすられたことを、ジャッジラッドが見逃すわけもない。
「……ちょっと待て」
 アダムスキーの戦輪に飛び乗り、少年を追う。
「うわあああ!? なんで追いかけてくるんだよぅ!」
 少年は逃げ惑うが、ジャッジラッドは家々の壁をチャクラムで豪快に削り取りながら少年を追いかけ回す。
 すぐに少年は捕獲され、すっかり観念して縮こまった。
「な、なんだよ、殺すのかよ……」
「殺しはしないがな」
 その前にジャッジラッドがアダムスキーの戦輪で浮かび、サルガタナス・ドルドフェリオン(さるがたなす・どるどふぇりおん)が淫靡な笑みを浮かべる。
「あなたたちスリの元締めに会わせて欲しいだけですわ。駄目とは言わせませんわよ」

 十分後。
 路地裏に近い邸宅の執務室に、ジャッジラッドとサルガタナスはいた。
 スリたちから搾り取った上納金で買った安楽椅子に腰かけ、元締めが二人を迎える。
「……なんの用かね」
「紅鶴の組織について、知っていることをすべて教えて欲しいんですの。あなたのホームグラウンドで起きている行方不明事件、知らないはずがないでしょう?」
 サルガタナスが元締めの机にスーツケースを乗せ、開いた。中には黄金がみっちりと詰まっている。悪魔の能力で土から造り出した偽物の黄金ではあるが。
 元締めはそれを一瞥し、鼻を鳴らした。
「私は紅鶴と協力関係にある。金を積まれても、理由もなく裏切るわけにはいかない」
「百合園の生徒まで巻き込まれたから、ヴァイシャリーのトップが事件解決に乗り込んできているんですのよ。このままではヴァイシャリーがキマクの浄化作戦を始めるかもしれませんわ。そうなったら、戦争ですわよ?」
「……ヴァイシャリーが?」
 元締めは初耳だったらしく目を見張り、椅子にきちんと座り直した。
「恐竜騎士団とキマクの自治が抜かりないことを示すためにも、今回の事件は早く解決しなければいけませんわ。ですから……、紅鶴の組織はスケープゴートとして差し出すのが、キマク全体にとっての最善手だと思いますの」
「それは……」
 元締めは苦渋に満ちた表情で思案に暮れた。
 やがて、大きくため息をつく。
「……仕方ない。訊きたいことはなにかね」
 やっと紅鶴サイドの一柱が崩れた。
 ジャッジラッドは得たりと思い、質問する。
「紅鶴の目的はなんだ?」
「最強の暗殺集団の創造。それを利用した、対抗する諸勢力の制圧、支配だ」
「他の組織を潰そうというのか?」
「そうだ。彼女は自分に逆らう存在を許さない。裏切りもな」
 元締めは神経質そうな顔で窓の方をちらちらと見やった。
 ジャッジラッドはさらに続ける。
「紅鶴の家族構成を知りたい」
「両親、祖父母、親戚縁者はなし。浮気した夫は紅鶴が殺した。唯一の身内は五歳の娘だ」
「その娘はどこに?」
「幼稚園に通っている。東の広場の近くだ」
「紅鶴の家はどこだ?」
「彼女の家は……」
 元締めが話そうとしたとき、窓ガラスを割って紙飛行機が飛んできた。紙飛行機は空中で独りでにギロチンの刃に変形し、回転しながら元締めの首に刺さる。
 首が飛んだ。元締めの目は己に起きたことを悟らず、ただ宙を見つめている。
 安楽椅子に座っている彼の首から、血の噴水が上がった。
 紙の刃は方向を変え、ジャッジラッドに向かって飛んでくる。
「ふん!」
 ジャッジラッドは刃を掴み、握り潰した。
 サルガタナスが元締めの死体を眺めてため息をつく。
「口封じされてしまったみたいですわね」
「ああ。しかし、有益な情報は手に入った」
 ジャッジラッドはさして落胆することもなく、HCで和輝にメールを送る。
『紅鶴の五歳の娘が、東の広場に近い幼稚園に通っている』
『了解』
 和輝は返信し、テレパシーで仲間のブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)に連絡する。
「手は空いているか? 紅鶴の娘を東の広場の方の幼稚園で探して欲しい。五歳だ」
「分かった。行ってみるよ」
 ブルタ・バルチャは応じた。