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仇討ちの仕方、教えます。(後編)

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仇討ちの仕方、教えます。(後編)

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第三幕


「元々、野木坂殿とはそれほど付き合いのある方ではありませんでした。仕事は同じでしたが、私は下っ端でしたからね。あの人は、いずれ上へ行く人でした」
 十内は、そういった野心など欠片も持ち合わせていなかった。
「千夏さんは? 幼馴染……だったんだよね?」
 期待に満ちた秋日子の目に気付き、十内は苦笑した。
「幼馴染ですよ、ただのね。子供の頃は、そりゃあ一緒に遊びもしましたが」
「恋仲じゃなかったってことか?」
と、ベルク。
「全然」
 十内はあっさり答えた。「そりゃあご近所の綺麗な娘さんですから、少しは考えましたよ。夫婦になったらどうなるだろうと。でも、ちょっと思っただけです。後は、幸せになればいいなあとは思ってました。相手が野木坂殿と知れば尚更でした」
 十内の耳にも、琢磨の悪評は届いていた。だからといって、どうこう出来る立場でもなかったし、力もなかった。
「じゃあ、本当に何もなかったの? 真っ白な清い仲?」
「ええ。――そのはずだったんですが」
 十内の声に、困惑が混じった。
 あの晩のことはよく覚えている。主催したのは上役だ。十内は幹事を命じられ、琢磨以外の参加者から金を徴収した。ケチな上役で、部下と同じ額しか出さなかった。主役であるにも関わらず、自分の分を出そうとした琢磨の方が、その点、好感を持てたほどだ。
 もっとも、それは酒が回るまでのことだった。
 十内は幹事であるし、下戸に近いこともあって一滴も飲まなかったのだが、琢磨は杯を重ねた。酌をしていた芸者を抱き寄せ、注げ、飲め、俺の酒が飲めないのか、と矢継ぎ早に命じた。
 酔った同僚たちは囃し立てたが、十内は乗れずに、微かに眉を顰めた。琢磨はそれを見咎め、『何か文句があるのか?』と声を尖らせた。
『いえ、別に……』
 琢磨はふらりと立ち上がると、十内の隣りに移動し、どっかと座った。そして言った。
『お前、千夏と寝たのか?』
「寝たのか?」
「ただの幼馴染と言ったでしょう」
 ベルクの問いに、十内は呆れたように返事をした。
「どうしてあの人がそんなことを考えたのか分かりませんけど、とにかくそれからずっと絡んできました。それで閉口して、厠へ行くふりをして逃げ出したんです」
 だが琢磨はすぐに追い掛けてきた。刀を持って出たのを怪しんだらしい。酔ってはいても、そこは大したものだった。そして同じ会話の繰り返し。うんざりした十内は、つい、こう言ってしまったのだ。
『千夏殿の方は、その気があるかもしれませんね』
 それがいけなかった。激昂した琢磨が斬りかかってきた。――その辺の記憶はあやふやだが、揉み合っている内に琢磨の刀を奪い、逆に殺してしまった。気が付いたとき、琢磨が血の中に倒れていた。
 とんでもないことになった――真っ先にそう思った。慌てて蘇生を試みたが、既に事切れていた。次に目付への届け出を考えたが、自分の言い分を聞いてもらえるか、甚だ心許なかった。何しろ野木坂家は久利生藩でも由緒正しい家柄である。対する十内は、下級武士だ。
 迷ったのは一瞬のことだった。懐に入れっぱなしの金――店に払うのを忘れて持ってきてしまった――も、背中を押した。幸い、十内には家族はない。親戚に咎めがいくかもしれないが、それは心の中で謝った。
 そして千夏――。
「幼馴染が夫を殺す。私が嫉妬に駆られてと世間は思ったでしょうね。千夏さんには、せめて真実を伝えたかったのですが、そうもいきませんでした」
 恋仲だったわけでもないため、千夏を連れていくことは考えなかった。刀は捨て、侍の姿もすぐやめた。おかげで逃げのびた。マホロバからシャンバラへ渡ったが、生活習慣の違いから馴染めず、葦原島に辿り着いた。
「一年前、たまたま一座に潜り込めたんです。下足番でしたが、元々勘定方でしたし、そっちも少し……」
 染之助が、役に立つと言っていたことを秋日子は思い出した。
「逃げるのも疲れました。とはいえ、死ぬのもやっぱり嫌なんで……見逃してもらえませんか?」
 最後の一言に、秋日子とセルマは目を丸くした。武士から出る言葉とは思えなかった。
「ここの生活は割と快適なんです。このまま旅から旅へ生きていくのも悪くないかなあと」
「あなたは、罪を償う気はあるんですか?」
とセルマ。
「私の罪って、何でしょう? 野木坂殿を殺したのが罪ならば、私が殺されるべきだったんでしょうか? 切腹を覚悟で、国に留まるべきだったんでしょうか?」
 セルマは答えられなかった。いや、今この場で答えを出せる者は誰もいなかった。
「しかし」
と、セルマが最後の札を切った。「野木坂健吾さんが、仇を討とうと葦原島までやってきています」
「そうだと思いました」
「驚かないな?」
とベルク。
「藩の者が見かけたなら、遅かれ早かれ野木坂の人間に連絡がいくでしょう。これからか、既に来ているのかは分かりませんでしたけど。――ああ、そうか」
 そこで十内は、ふっと目を伏せた。
「すると、千夏さんも来ているのか……」
 今の言葉で分かった。少なくとも十内は、千夏を誘拐した犯人ではない。もしこれが芝居なら、彼は染之助以上の演技者ということになる。
 秋日子は、何が何でも十内を守ると決めた。だがそれには、真実も伝えねばならない。
 千夏は攫われた。
 犯人は分からない。
 犯人の目的は、健吾に仇討ちを辞めさせること。そのため健吾は、十内が黒幕だと思っていること。
 それを聞いた十内の顔色が変わった。
「そんな! まさか! 私は何も知りませんよ!」
「だろうな」
「じ、冗談じゃない! 一体誰がどうして――」
「左源太――じゃなくて十内さんは、こっちにいることを友達に知らせたりしてないの?」
「誰にも教えていません。親戚にだって。そんな真似、誰がするって言うんです!?」
【幸せの歌】も効果がないらしく、十内は傍目にも気の毒なほど慌てふためいている。
 問題はそこだった。
 十内でないならば、誰が何の目的で千夏を攫い、健吾に仇討ちをやめさせようとしているのか。
「千夏さんは――無事なんですか――?」
 分からないことだらけの中、契約者たちは十内を守ることで意見が一致した。