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第三章 地下施設の傷痕 2

 六黒の放った黒き波動の剣を、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が受け止めた。
 尋常ではない衝撃が、エヴァルトのアサシンソードに走る。みしっ……という音を一瞬聞いたような気がしたのは、きっと錯覚ではないはずだ。距離を取って、再び迫ってきた六黒が上段から振り下ろした剣を、エヴァルトはとっさの判断で避けることに成功した。
「ちっ……おっさん! ちょっとは手加減ってもんを知ったらどうなんだ!?」
 エヴァルトは逼迫した状況ながらも、軽口を飛ばした。
 自己の冷静な判断を促すためでもある。頭を冷やし、肩の力を抜いて攻撃に転ずるのだ。だが同時に、思わず出た一言でもあった。
 レインの調査に同行したのはいいものの、まさかこんな事態になるとは。これで自分が死んだら、死亡手当は出るのだろうか――などと、ぼんやり考えていた。
「小僧。その台詞は、仲間内でするのだな!」
 六黒はそう言って、横薙ぎに剣を振るった。
 剣と剣がぶつかり合う甲高い音と衝撃。が、六黒のほうがパワーは一枚上手だった。エヴァルトは壁にまで吹き飛ばされるが、寸前のところで、なんとか態勢を整えた。
(むちゃくちゃしやがるぜ、あのおっさん……!)
 今度は口に出す余裕もなくなった。
(リリアたちのほうは、大丈夫なのか……?)
 心配したエヴァルトの視線が、ちらりと横を見た。
 そこでは、リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)がドライアと戦っている姿があった。

「うらうらうらああぁ!」
 ドライアが品のない気合いの声をあげながら、リリアに槍の攻撃を仕掛ける。リリアはそれを避けながら、ソード・オブ・リリアと呼ばれる愛用の剣を使って反撃に転じた。
「脇が甘いわよ。ドラゴンちゃん」
「ぐっ――!」
 小馬鹿にされたドライアの顔に怒りが滲む。
 助けを求めるように、自分の配下のモンスターたちを見た。だが、他の契約者たちがモンスターどもを引きつけているため、こちらには加勢にくることができない。ドライアは自らの未熟さを恥じた。こんな小娘一人に、勝てないなんて……!
 いや、そんなのは認めない。
「俺は、認めないぞっ……!」
 ドライアは自分に言い聞かせるように言って、憤然と立ちあがった。
 リリアの目に、驚嘆が見えた。敵とはいえ、その闘志には感心したのだ。
「……来る」
 ぼそっと呟いたリリアの前に、ドライアが轟然と迫った。
 槍と剣がぶつかり合い、弾き合う音を立てた。

 対し、悪路はレンと互角の戦いを繰り広げていた。レンが撃ち放つ銃弾を、まるで鋼鉄ででも手来ているのかと思しき扇子でたたき落としている。
 接近した二人は、弾けるように距離を取った。
「ふっ……レン・オズワルド。時間稼ぎのつもりですか?」
 悪路は能面のような顔をにたりと歪めて言った。
「そんなことをしても無意味というものです。あの者はすでに自分の心に迷いを持っている。そして、あの装置の機晶石もまた然り。あなた方には手が届かないものですよ」
「悪路――人の心が、そう簡単にいくと思うな」
 レンは銃口を悪路に向けてから言った。
「確かに迷ってはいるかもしれないが、それでも前を進もうとしているんだ。それが、自分の妹を救うために戦ってるあいつの良さでもある。きっと、答えは見つけ出す。お前たちに心配されなくとも、な」
 レンはそう信じていた。そして、それは揺るぎない信念でもあった。
 悪路が一瞬、静かな微笑を浮かべたような気がした。
「……まあ、良いです。私は六黒の参謀として言の葉を囁くだけ。結果はどうなろうと関係ないのですから」
 そう言って、悪路は再び扇子を構える。
 レンの指が、引き金を引くと同時に、扇子がゆらりと動き出した。



 レンたちが時間稼ぎをしている間、レインたちは装置のもとへ近づき、どうにかそれを止める方法がないかと模索した。
 ダリルが装置の制御卓に手を伸ばして、コンピュータへのアクセスを試みる。
 だが――
「くそっ……制御が出来ない」
 コンピュータは謎の何者かの介入によって、すべての機能にロックがかかっていた。
 だが、ダリルは諦めなかった。なんとか方法はないかと、出来る限りのアクセスをかけて探っていく。
 ヒントになりそうなものを見つけたのは、そのときだった。

 きゅおおおおおおぉぉぉぉぉん……――――

 装置の中央に取りつけられた機晶石から現れている女性型の何かが、カプセルの中で暴れ狂っているのだ。
 まるで、何かを悲しむように――
「こいつは……」
 ダリルが呆然と呟いた。
 予感めいたもの、予想めいたものが、彼の心に過ぎっていた。それは同時に、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)が感じていたものと同じだった。
「意思でも、あるのか……?」
 無論、推測に過ぎない。
 アルクラントはしかし、それが真理を示しているのではないかという気がしてならなかった。そう、機晶石を埋め込まれた存在である機晶姫の完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)が、目深に被ったフードを外したとき、自我を失うように。目の前の女性型の発光体も、それと通ずるものがあるのではないか。そんな気がした。
「とにかく、こいつを落ち着かせてやれば、どうにかなるんじゃないの?」
 エメリアーヌ・エメラルダ(えめりあーぬ・えめらるだ)が言った。
 アルクラントのパートナーである彼女の一言に、レインたちは協力してその方法を探り始めた。勘で動くと自負するアルクラントと違って、エメリアーヌは頭脳派だ。ただ、本人は「素敵八卦にはCPUもメモリもついてないのよ」とか言って、それを否定しているが。
「……と言っても、あの子を気に入ってるのは、あたしも一緒なんだけどね」
 アルクラントがペトラのことを考えているのを察して、エメリアーヌはぼそっと言った。
 聞き取ろうと思わなければ聞こえない声だったが、アルクラントの耳には届いていた。なんのかんのと、エメリアーヌも気にかかるようだ。女性の発光体も、ペトラの暴走も。
 そのとき、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)が、
「レインさん。“月の蜜”が――」
 と、レインを呼んだ。彼女は装置の傍にある“月の蜜”を呆然と見つめていた。女性の発光体の傍で、同じように光を帯びながら花開く“月の蜜”は、まるでその発光体のより所のようだった。手を伸ばしている。求めているのだ。
 レインは、“月の蜜”が身体だけではなく心も癒す効果があるということを思いだしていた。万病に効くと言われるその花の蜜は、傷ついた人を身も心も癒してくれる。それが、“月の蜜”の伝説だった。
「九条さん」
 レインが、医療の道を志す女性の名を呼んだ。
「……なんですか?」
 ローズは訝しむような表情で訊いた。レインの目に、なにか決然としたものが宿っているのを見ていた。
「もし、“月の蜜”だったら、この機晶石を使った装置は……いや、あの女の人みたいななにかを、元に戻すことが出来ると思うかな?」
「まさか……――」
 ローズは目を見開いた。レインのやろうとしていることが、わかったのだ。それは、リィナも同じようだった。だが、彼女は、レインを見つめるだけで、何も言わなかったが。
 ローズはレインを心配した。
「でもそれを使ったら、妹さんの病気は……」
「わかってる。でも、たぶん妹なら、こうすると思うんだ。あいつは、優しい子だったから」
 レインの記憶の中に、妹は十年前の姿のままでいる。
 もう、過去の思い出へと変化を遂げている。だが、それでもレインは、妹のことを一番良くわかっているつもりだった。仮に“月の蜜”で元に戻ったとして、それが“禁じられた森”にあった最後の一本だと知ったら、彼女はどう思うだろう? それに、目の前の苦しんでいる何かを、救えなかったとしたら――
 レインは“月の蜜”のもとに駆け寄って、丁寧に花を摘んだ。そしてそこから、そっと蜜を掬う。黄金のように輝くたっぷりの蜜が、レインの手にこぼれ落ちた。
 そしてそれを、女性型の発光体の現れている機晶石にかけたとき――、それまで悲鳴のような声を発していたそれが、自らの身体を抱きしめた。

 あああぁぁ……――あああああぁぁぁぁ……――

 光が、強くなった。輝くほどのエネルギーが、装置から溢れ出てくる。だがそれは、それまでの負に満ちたものではなく、周囲のありとあらゆるものを救わんとするエネルギーだった。
 レインたちにもそれが感じられた。悲鳴は収まり、代わりに、女性はにこりとレインに笑った。徐々に光が、収まっていく。女性型の発光体は、まるで吸い込まれるように機晶石へと戻ろうとしていた。
 そのとき、レインは、
“――ありがとう――”
 という、何者かの声を聞いたような気がした。