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―アリスインゲート2―

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―アリスインゲート2―

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 ジュノン。
 その都市名の由来はギリシャ神話の妻神ヘラ、つまりはユノ、ジュノからくる。
 嫉妬深い母性の女神に因んでか、首都は山岳の上に聳えていた。寒々しく荒々しい山肌の様子はふくよかな女性の丘陵には程遠いが、女神の内面の刺々しさは良く現れている。
 吹雪く山頂のテーブルに幾つもの天蓋を持った皿と皿を繋ぐ入り組んだチューブが山を貫く。なるほどこの寒いお茶会のテーブルに熱い紅茶は欠かせない。
 天蓋に穴が開き、輸送機は垂直移動にて内部に収納されて着陸する。
 山は大きく内部までくり貫かれており輸送機はその深くまで沈んでいく。麓の高さまで降りたような感覚を覚えて、ようやく輸送機はエンジンを停めた。
 降り立った者たちを迎えるのは無数の光と鉄の柱。
 山岳要塞都市、そして要塞基地。その内部。ここがミネルヴァ軍ジュノン中央基地。
 輸送機から降りると兵士たちが敬礼して搭乗者が降りるのを待っていた。主に元空軍大将への歓迎の念からなるものだが、彼の後ろに続く奇妙な風体の者達に兵士たちの目が行かないはずもなかった。セパレートにレオタードの水着にロングコート、パワードスーツに露出した肌、学生服、白衣、ゴスロリ。仮装パーティーの手品師でも連れてきたのかと思ってしまいそうだが、彼らが異世界人だと聞かされているのでそれで納得する。
 軍は彼らのことを大将の名付けた呼称に因んでこう呼んでいる。“ストレイド(迷い人)”と。


 長い廊下を歩き多くの認証、身体検査と武装解除を経てようやく一室へと通された。
 広い部屋の奥にアルダー材の加飾な机が佇む。その高級デスクに組んだ両足を載せて、天井のエアティスプレイを眺める女性がいる。その傍らには二人の男女。
 胸を飾る大量の勲章と階級章を煌めかせ、カーリー・レイブラッドは椅子から立ち上がった。机越しから出てくる青白い髪に隠した右目の眼帯と機械化された左腕。肩に紫のコートを羽織って現れる。
「ご苦労だ元大将。長い長い休暇はさぞ退屈だろう」
 自分より一回りも若い総統の女の嫌味にフィンクスが敬礼と謝辞を述べる。
「十分に堪能させていただいております」
「それはなによりだ。で、この気味の悪いやつら(スプーキーズ)がストレイドか?」
 カーリーは彼らを一瞥すると生身の右手で眉間を抑えた。彼女が異世界人を見るのは初めてだが、こうも奇妙な格好をしている集団だとは予想もしていなかったようだ。ふしぎの国から現れたのだから仕方ないと無理やり納得する。
 納得の有無に関わらず、この奇っ怪な集団に軍事的に政治的に助力を求めなければならない。
 まずは自己紹介だ。
「ミネルヴァ軍大総帥兼グリーク国総統兼ジュノン基地統括のカーリー・レイブラッドだ。忌々しい話だがこれより貴様ら異世界人に助力を申し立てる」
 蔑みの冷えた左目が彼らを反射した。


 カーリー総統に会うにおいてフィンクスが皆に喚起した注意のうちの一つ、
――下手な発言を控える。でないと首が飛ぶ。
 彼女は前政権のトップの首を刎ねて主権を握り取った残忍な革命家だ。その恐怖的政治主導権の掌握の仕方が反乱的民衆に旗を振らせない圧力になっている。
 必要と有らば部下ですら斬る。ならこの世界にはもともと存在しない彼らの首を刎ね飛ばした所でなんの政治的不安はない。さらに、ここは軍の中枢の彼女の部屋。部屋から出て行く人数が合わなくても市井には気づかれない。
 その話を聞いてリューグナーが「イカれてますわね」と笑っていたが、この場では笑いにもならなかった。
 武装は解除されており、彼らは下手に暴れることも出来ないだろうと高を括るところだろうが、そんな二流はここにはいない。侮蔑的ではあるが建設的に話が進められる。
「まずは貴様らに開示出来るだけの情報を与える。それを元に脱走者とそいつの持つ兵器を確保しろ」
 部屋の中央に立体映像が浮かび上がる。各人の目の前には資料としてのエアディスプレイの束が整列する。
「この資料は先に配っているAirPADにファイリングしておけ、市販の端末へのコピーは禁じる。機密資料を有するため漏洩の危険がある場合は物理的に破棄しろ。このデータを元に説明していく」
 ヒールを履いた研究者の全体像が開示される。件の脱走者の全身映像が回転する。
「技術開発局所属レイラ・ザネ・フォール。バーデュナミスのインターフェイスシステム開発担当が一週間ほど前にカテゴリーF―code020712―、スティレットを持って逃亡。現在に至っている。このヒール女(ラビットフット)を探しだして捕まえるのが貴様らの仕事だ」
「ちょっといいか?」
 シリウスが手を上げて尋ねようとする。
「なんだ、質問があるなら後で答えてやる。ひと通りの説明の後にな。手は挙げなくていい」
 小さく「わかった」と上げた手を降ろす。説明が続けられる。
「逃亡者は内部から認証を無効化、及び偽造IDを複数使って首都圏から逃亡。移動には短距離転移装置と公共交通機関を使ってだ。本人のIDと生体認証データは消去されている。ラビットフットが自ら消したのだろう。宿直の部屋に生体デコイが置かれていた。計画的な逃亡だ。
 持ちだしたスティレットは彼女が開発研究していたバーデュナミス搭載の兵器だということだ。詳しい話は開発局の連中に聞け。資料として開示することはできない機密情報として扱われている。口頭のみの情報になる。詳細データはラビットフットに寄って破棄されているため、本人の口から聞くしかないだろうが――では質問を答えてやる。可能な範囲でだ」
「これって国全土から脱走者一人を探すってことになるわけだよな? 人海戦術になるのは仕方ないとしても足取りとか掴めてないのか?」
「追跡(トレース)は発覚が一日遅れた分、完全には追いついてはいないが足取りは掴めている。奴が痕跡を残した海上都市ポセイドンとそこから予想される逃走経路のリストアップは資料にファイルしてある。幾つかのポイントで待ち伏せすることになるだろうが、今のところうまく隠れている。よりにもよって国内で兵器を使用して軍部に足止めをさせてだ」
 一瞬憎らしく歯噛みするのが見て取れた。
「総統は戦略兵器がどんなものか知ってるの?」
 サビクの問にカーリーは「しらん」と短く答えた。《嘘感知》に小さく引っかかる。
「それがどんなものであれ、機密の回収は必要だ。特に今回の足取り(トレースライン)から察するにラビットフットが国境線を目指している可能性がある」
 イーリャが察する。
「兵器を手土産に亡命ですか」
「向こうでおしゃべりされるとこっちとしても困る。首都脱走を完遂したウサギだ。【ノース】のスパイ(スプーキー)どもを招き入れることになりかねない。そうなれば酷い損失になる。東の奴らはこちらの情報をひどく欲している」
 企業間の技術格差はそれほどではないにしろ、国、軍事的な技術水準は【ノース】よりも【グリーク】が優っている。【ノース】は【グリーク】の軍事的情報を欲しているのは当然の事だ。この格差が【ノース】が【グリーク】を取り込めない大きな壁なのだから。
「とにかく、【ノース】の奴らには情報の一欠片も渡すな。ラビットフットの確保については状態の一切を問わない。必要と有らば殺せ――いいな」
 ストレイドキャットにウサギ狩りが言い渡される。しかし、これを受けた所で今のところ恩を売るということ以外に猫たちには得がない。ジヴァが要求する。
「それで、あたしたちがこれを受けるメリットはあるの?」
「――この国での行動の自由と必要分の活動資金の提供、技術取引の公約をしてやる。成功したの時のみだ。無論、これまで起こした国境での馬鹿騒ぎに関しては受領を気に目をつぶってやる。どうだ」
 決定意志を問う。決定の矛先はアリサへと視線が向く。
「……分かりました。受けましょう」
 以後、基地内のブリーフィングルーム一室と備品を提供され、作戦が開始された。