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願いが架ける天の川

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願いが架ける天の川

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第1章 七夕の宵


 七月七日。
 朝からの晴天は天気予報通り、夕暮れを過ぎても雲一つない空を見せていた。
 オレンジ色の空はさあっと丘と野原を染め上げる。同時に東の空は徐々に藍色に染まり、それと共に参加者が少しずつ集ってきていた。
 笹は勿論、願い事の星型短冊や折り紙や文房具、それにベンチ、毛氈、お茶とお菓子……。準備を終えた白百合会の役員たちとお手伝いの生徒たちは、一足早く、願い事を書いて結びつけていた。
 忙しくなる前に、でもあるし、何もない短冊に参加者が結びつけるのは抵抗があろう、という理由からだった。
「綺麗に晴れて良かったですね。日本にいた時は、天の川が見れるほどよく晴れることのほうが珍しい気がしましたよ」
 村上 琴理(むらかみ・ことり)は、きゅっ、とペンで最後の文字を書き上げると、黄色の短冊から持ち上げた。星形をしたその短冊を紐で大きな笹の、目立たない場所に結び付ける。
「何を願いましたの?」
 アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)に問われ、彼女はちょっとだけ真面目な顔になって、
「『ヴァイシャリーと百合園が今までのようにあること』……ですね」
「あら、お店の事かと思いましたわ」
「それも考えましたけど、自分でできる範囲のことですから。……今まで何度もあったように、世界の大きな流れは自分一人では変え難いものですから」
「琴理さんこそ、自分の事は願ってないんですね」
 隣で願い事を書いていたフェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)が口を挟む。先程彼に言った言葉は、パートナーを心配してのものだったのだろう。
「うん……でも、自分のことでもあるの。ヴァイシャリーのことは第二の故郷だし、永住するつもりなのよ。
 ……フェルナンはなんて書いたの? 見てもいい?」
 横から覗き込めば、黄色の星には、『シャントルイユ商会の発展を願って』とある。
「何よ、フェルナンだってやっぱり……」
「私の幸せも含まれている、ということですよ」
 フェルナンは笑った。控えめではあるが屈託はない。
「今まで仕事から離れたところに個人の自由を求めていましたが、普通の家庭を持って、普通に仕事をして、平穏に暮らしていけたらと……まぁ、仕事はともかく家庭はいつになるか見当も付きませんが」
「そう」
 以前に比べれば随分前向きになったな、と琴理は思った。それからアナスタシアを振り返って、
「それで、会長は?」
「ふふ、後のお楽しみですわ。探してくださいな」
 アナスタシアは思わせぶりに微笑むと、友人たちの方へと歩いていった。
 ベンチや草地に敷いた毛氈にはもうちらほらと人が集まって、笹飾りの前のコーナーも人出が増えてくる。
「フェルナン、お茶出しの前に笹飾りの作り方教えてあげるわ。まずはこうやって折って――」
 笹の前に用意されたテーブルに、色とりどりの折り紙と、ハサミとのり。小さな子供に戻ったような気持ちで、ザクザクとハサミを入れていく。
 卒業までもう一年もない。
 お互い忙しくなって、ヴァイシャリーにいても会う機会が減るだろう。その前に思い出を少し、作りたかった。





 笹飾りの用意された星を見る会の海上に向かう道を、天苗 結奈(あまなえ・ゆいな)はのんびりと歩いて……いや、手を引っぱられるように歩いていた。
「……いんぐりっとちゃん、早いよ」
「あ……済みませんわ、つい……」
 結奈の恋人であるイングリット・ネルソン(いんぐりっと・ねるそん)は、武闘家だ。いついかなる時でも修行中であり戦闘モードに入れる。きびきびとした性格と動作は、のんびりお散歩、には若干早かった。
 イングリットは謝ってペースを落とす。
 用意された「のんびりコース」はその名の通り、緩やかな傾斜と開けた土の道が続くコースで、のんびり星と景色を眺めながら歩くことが出来た。宵の道は暗いけれど、想像以上に月と星明りが明るく、さやさやと木の葉を揺らす風がよく見えた。
 丘の上遠くにぼんやりと、提灯の明りが寄り集まっている。
 最近あったことなどおしゃべりしながら、昼間のような気楽さで二人歩く。
「いんぐりっとちゃんはどんなお願いごとをするの?」
「『強くなって、ラズィーヤ様を無事に百合園へ取り戻したい』ですわ」
 イングリットは力強い瞳で応える。ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)の死――いや生死不明、かつその状態での失踪――は少なくない衝撃を百合園と生徒たちに与えていた。
「ラズィーヤ様は百合園女学院にとっても、わたくしにとっても大事な方ですから」
 イングリットにとってもそれは同様なようだ。
「あなたは何を願いますの?」
「えっとねー、まだ何を書くとは決めてないけどー……いんぐりっとちゃんともっと仲良くなるとか、かなぁ?」
 お喋りを続けながら歩く姿は、恋人というより、傍目には友人というか……女の子が仲良く手を繋いでいるようで微笑ましい。ただし、その身長差は姉と妹にも見えた。
 結奈は道の端にちょうどいい高さの岩を見付けると、ひょいと飛び乗った。
 イングリットは歩みを止める。
 二人の頭が並ぶ。
「いんぐりっとちゃんの背の高さだとこんな風に見えるんだねぇ」
 結奈は手を額に当てて、ぐるっと周りを見回しながら――不意打ちで、唇をイングリットに近づけた。
「え?」
 残念。振り向いたイングリットの唇は外れて、ほっぺにキスが当たる。
「……まあ」
「……えへへ」
 二人は顔を赤らめて、微笑し合った。





 一方、「どきどきコース」では。
「……何だか怖くなってきたような気がしたりしなかったり、やっぱりしたりするんですが、どんどん強く」
 コース名の命名主・守護天使の青年がどきどきしながら、岩の影で呟いていた。
 「のんびりコース」に比べ、こちらは道こそ整っているものの幅は狭めで、緩急あり、比較的密度の高い木々と茂みあり、近場に岩場と沢あり、故に薄暗い……という、肝試しにぴったりの道になっていた。
 イベント参加者なら自分で明りを用意したり、二人一組になっていちゃいちゃしたりしたり、脅かし役がいるということも解っているのだから、怖さも和らぐというものだろうが……。
(自分で選んでおいてなんですけど……脅かす方は明り付けちゃまずいんですよねぇ……)
 守護天使は、すっぽりかぶった白いオバケの衣装の位置を、落ち着かなげにいじくっている。目だけが開いていて、よく見ようとしていたのだ。見た目には子供だましもいい所なくせに、被っている人間にとってはこれも目に届く光量を減らして視界を狭める原因となっている――つまり、自分が怖い。
(……ちょっと次の休憩時間にトイレにでも行ってくるか……)
 時間を待って、彼はよっこらせ、と立ち上がって、被り物をしたまま会場まで歩いて行くことにした。


「きゃっ、オバケ!」
 高原 瀬蓮(たかはら・せれん)は小さな悲鳴を上げて岩陰を指さした。
「あそこにすーって通ったよ!」
「えっ、どこどこ、瀬蓮ちゃん?」
「あっ、もういなくなっちゃった……」
 ほっとしたような、残念そうな表情の瀬蓮に、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)はくすっと笑って肩を軽く押した。
「じゃあ、また突然会えるかも! 瀬蓮ちゃん、道案内お願いね」
「え、ええっ?」
「だって私たちよりヴァイシャリーに詳しいもん。大丈夫だよ!」
「うん……頑張るよ! 行こう、美羽ちゃん!
 二人は顔を見合わせて笑い合う。笑顔の下ではそれに負けず劣らず、オバケなんて追い払ってしまいそうな、賑やかな向日葵が浴衣に咲いていた。美羽がオレンジ、瀬蓮がピンクの――以前美羽がプレゼントしたお揃いの向日葵柄の浴衣だ。
(せっかくボブさんが肝試し用意してくれたんだから……楽しまなきゃね!)
 美羽はちょっとした暗がりや、躓きそうになった石に驚く友達を励ましつつ、賑やかに道を歩いていく……つもりだったが――。
 瀬蓮がまた立ち止まって、怯えた表情で立ち止まる。
「何か物音がするよ」「だ、大丈夫だよ、風の音だよ!」
 風の音にしてはリアルな音。じっと息を詰めて待っていると、急に暗がりから大きな猫が飛び出したり……。
「美羽ちゃん、あれ、バタバタしてるよ、コウモリの大軍!」「ほんとだ、伏せて、瀬蓮ちゃん!」
 湧きあがる蝙蝠の雲をかわすため、肩を抱き合って必死に伏せたり。
 お化けなんかに負けないよ! と、二人は手を繋いで肝試しに立ち向かった。
「……結構本格的……だね」
 美羽の夫、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は驚きつつ、それでも元気よく突破していく二人の背中を見ながら、呟くように言った。
 彼は美羽と瀬蓮、二人から少し距離を置いたところを、彼は瀬蓮のパートナーアイリス・ブルーエアリアル(あいりす・ぶるーえありある)と歩いていた。
「だけど二人とも、すごく楽しそうだね」
「そうだね。来て良かった。今日も誘ってくれてありがとう」
 答えるアイリスは、律儀に礼を言う。
「今は百合園を離れたけど、母校のことは気になっているみたいだからね」


 丘に到着すると、急に頭上が開けた。今まで気付かなかったが、それはそれは綺麗な星空が広がっていたのだ。その夜空を背景に大きな笹が傾けて立っており、ぽつぽつと灯る提灯の明りが辺りをぼんやり照らしている。丘から見える川も心なしかちらちら光っているようだ。
「わぁ、ヴァイシャリーにこんな所があったんだね」
「瀬蓮も始めて来たよ。ね、美羽ちゃん、願い事書きに行こうよ!」
 元気よく走り出した二人を見守りながら、コハクは隣のアイリスを誘う。
「……よかったら僕たちもかけてみない?」
「そうだね。叶うといいけど」
 4人は早速、好きな星を選んで願い事を書いていった。
 美羽は、『瀬蓮ちゃんやみんなと、いつまでも楽しく過ごせますように』。
 コハクは、『いつまでもパートナーたちが幸せでありますように』。
 コハクは背の低い二人に代わって、丁度良さそうな高さに願い事の星を吊るしてあげる。
「ねえ、瀬蓮ちゃんは何をお願いしたの?」
 美羽が尋ねると、瀬蓮はえへへ、いっぱいあるんだ……と照れくさそうに頬をかいた。
「『ラズィーヤさんが無事に戻ってくるように』、ね。あとね、『皆が無事でありますように』、って!」
「うん」
「それからね、『新しい、元気のいい世界がぽーんって産まれる』こと!」
 まるで安産祈願のようなことを言う。
「アイリスは何をお願いしたの?」
 美羽と瀬蓮は、高い位置に吊るされた願い事を首を伸ばして見上げた。
「……そうだね、僕も瀬蓮と同じだよ。『ラズィーヤさんの無事。それに新しい世界が無事に誕生すること』かな」
 彼女はどこか遠い目をした。ラズィーヤとは別の誰かの事も考えているようだった。
「……彼の夢……『理想の世界』……か。……ああ、ちょっと思い出しただけさ」
 アイリスは微笑して首を振る。
 瀬蓮は不思議そうに首をひねったが、友達に会えたことが嬉しかったのか、早速次に楽しむ場所を見付けていた。
「ね、あの辺でお星さま見ようよ! アイリスは場所取っておいてね」
「うん、私たちお茶とお菓子を貰ってくるね!」
 美羽と瀬蓮は、再び肩を並べて駆け出していった。



 『来年もこうして星が見られますように』……。
 願い事を書き終えた水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)がちらり、と隣を見ると、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)もまたペンにキャップをはめたところだった。
「何を書いたの?」
 ぺらり、とマリエッタが無言で突き出した水色の星には、『今年の夏が暑くなりませんように』と堂々たる字で書いてある。
「相変わらずね……」
「あら、カーリーだってあたしと変わらないごく普通の願い事よ」
 ゆかりは反論しようと思ったが、不毛な議論になりそうなのでやめておいた。
 ゆかりのために弁明するなら、ゆかりは(マリエッタもだが)教導団の一員。今日だって、用事でヴァイシャリーに来て、七夕に休暇が取れたからここにいるのであって……有事があればいつでも任務に戻らなければならない、そもそも来れないかもしれない立場である。
「……そうね……ねぇ、どこで星を見る?」
「うーん、あっちになんか屋台も出てるし、しばらく歩き回ってからでもいいけど……うん?」
 短冊を吊るし終えた二人は、少しずつ濃くなっていく空と、増えていく星を見ながら歩き回ろうとしていたが、マリエッタは何かを見付けたようだ。
 きらきらりん☆ と暗がりに緑の瞳が輝く。
 その輝きの中にゆかりは、黙ってさえいれば可愛らしい女子中学生にしか見えないマリエッタの悪戯心(鬼畜な)を感じ取った。
「また始まった……」
(しかも、このイベントにはあの人が来ている、と言うことは……)
 ゆかりの懸念は当たった。マリエッタは守護天使の方に一目散に駆け出すと、よれた被り物を胸に抱いた彼に(流石に明るい会場でお化けはナンセンスだ)少々サディスティックな笑顔を向けた。面白いおもちゃを前に、どう遊んでやろうかと考える子供の顔、とも言う。
「あら……堕天使さんは今度は何をたくらんでるのかしら?」
「……あ、あ、マリエッタさんじゃないですか……。……た、企んでなんかないですよ! 企みじゃなくて、企画、です。肝試しをしてるんですよ、皆さんに楽しんでいただくように! 盛り上げ役です、盛り上げ役!」
 蛇に睨まれた蛙。ゆかりは内心同情した。
「……殺雪だるまにお花畑大虐殺と悪逆非道の限りを尽くしても、まだ足りないのかしら? 今度はお化けを殲滅するの?」
「ち、違いますよ!」
「そうね、堕天使からお化けのみなさんを守る必要があるわ」
 マリエッタは抗議は聞き流しつつ文字通り黒歴史(病気のせいだが)をさらっと暴露しながら、動揺する守護天使の後ろに回った――かと思うと、突然守護天使を羽交い絞めにする。
「これからあたしたちも肝試しに行くの。というわけでまた盾になってね」
「いや、今は休憩時間ですから……すぐにオバケに戻らないと。って、固い! 強い! 痛い! ですよ!」
「あら、淑女に失礼ね。……うん、何、サボリ? まぁいいわ、どっちにしても今は暇ってことよね?」
(……鬼だ。鬼がいる)
 ゆかりは、しかし二人をじーっと見比べた。
(からかうことに人生をかけているような気がするけど……まさかと思うけど、マリーの好みのタイプって守護天使なんじゃ……)
 一瞬そう思うが……さすがにそれはない、と思い直す。
 いくらマリーでもあんな楽しそうに好きなタイプに羽交い絞めしないだろう。
 ゆかりは積極的に止めはしないものの(守護天使は助けを求めていたが)、これ以上マリエッタが悪ノリしすぎて大事になっても面倒なので、見張りを兼ねて付いていくことにした。
 肝試しなんてカップル用の子ども騙しかも――なんて思わなくもなかったが、なかなかどうして本格的だった。
 せっかくだから楽しもうと、盛り上がろうと。わざと悲鳴を上げたりもしてみるけれど。
(……あんまり怖くないわよね……良くも悪くも軍人としてそれなりに経験積んだってことかしら?)
 まぁ理由はそれだけではなくて……、
「ぎゃー!」
 ……目の前であんなに怖がっている人がいたら、子どもだってそんなに怖がれない。むしろ引く。
 そう、オバケ役の配置だの中身だのを知っているはずの守護天使が一番悲鳴をあげていた。
(もしかしたらお化けにじゃなくて、マリーに対してなのかもしれないけれど)
「ほらほら、次は蛾の大軍よ〜!」
「もう、ゆ、許してくださいー!」
 ……ゆかりは、もう考えないことにした。