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リアクション
★ ★ ★
「むにゃむにゃむにゃ……」
朝のけだるい微睡みの中、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)はベッドの隣のスペースを手でまさぐった。
暖かい、けれども、誰もいない!
慌ててベッドの上で跳ね起きると、部屋の戸口に、すでに完全武装した水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)がいた。ロングのスカートに長袖のブラウスにジャケット。頭には帽子まで被っている。暑くはないのだろうか。いや、それよりも、露出と呼べるような場所が一つもない!
「さあ、デートに行きましょう。今日はいい天気よ。健全なる精神は、健全なる肉体に宿る!」
なんだか、晴れやかな声で水原ゆかりが言った。
いや、いい天気すぎて暑いのだが。
むしろ、せっかくエアコンを大家さんが直してくれたのだから、こんな日はガンガンにエアコンで室内の温度を下げて、寒いなら私の身体で暖まってごっこをする方が……。
「さあ、行くわよ。来ないのなら、おいていっちゃうから」
「ああ、待ってよ」
一人でいるくらいなら、水原ゆかりと一緒にいたいと、マリエッタ・シュヴァールが慌てて着替えだした。
「お待たせ♪」
すかさず、腕を組む。
うーん、汗に輝くパートナーの首筋も色っぽいものだ。
思わず唇を近づけようとすると、水原ゆかりが大股でドンドンと先に歩きだしてしまった。そのため、引きずられるようにしてマリエッタ・シュヴァールの欲望が空振りに終わる。
「さあ、せっかくだから、ショッピングモールに行きましょう!」
元気すぎるほど元気に、水原ゆかりが言った。
だいたいにして、最近の水原ゆかりは、マリエッタ・シュヴァールの欲望に襲われっぱなしである。元はといえば、よくある酔っぱらって朝起きたらどうしてこうなったなのではあるが。一線とは、踏み外してしまえば脆いものである。
とにかく、自業自得とはいえ、こう毎日所構わずでは身がもたない。そこで考えた結果、こうもパートナーが悶々としているのは、きっとエネルギーを発散する機会と場所がないからだという単純な結論に、水原ゆかりは辿り着いたのである。
さすがに、ショッピングモールの中はエアコンが効いていて、噴き出していた汗もあっという間に引っ込んでしまう。
やたらクンクンして、でへへという顔をするマリエッタ・シュヴァールは放っておいて、まずは買い物である。綺麗なおべべを買えば、少しはおしとやかになるかもしれない。
「そうねえ、こんなのはどうかしら?」
しきりにランジェリーコーナーとか、セクシーな寝間着コーナーへとむかおうとするマリエッタ・シュヴァールを引っぱっては、水原ゆかりがおしゃれ着のコーナーに連れ戻す。
「じゃあ、カーリーが選んでよ」
言われて、ほとんど会社訪問の学生みたいなスーツを選ぶと、なぜかマリエッタ・シュヴァールは喜んでいた。水原ゆかりからのプレゼントであれば、なんでも嬉しいらしい。
「じゃあ、今度は、私が選んであげるね」
そう言って、またもやセクシー下着売り場にむかおうとするマリエッタ・シュヴァールを連れ戻す。誰に着せるつもりだ、誰に。
「そうだ、きっと、パフェ分が足りないのよ、きっとそうよ!」
そう言いだすと、水原ゆかりはマリエッタ・シュヴァールをカフェへと引きずっていった。甘い物を摂取すれば、きっと欲望も満たされるはずだ。そうに違いない。そうであってほしい。
「うーん、美味しいー。はい、カーリーも、あーん」
ダメだった。食べ物はダメだ。完全に餌付けする気満々である。
溜め息をつきながら通路の方を見ると、何やら紙おむつやら子供用ベッドやらをかかえたジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)が通りすぎていく。新米パパさんだろうか。
水原ゆかりのマリエッタ・シュヴァールの間には、さすがに子供はできないが、それがホッとするようでもあり、淋しくもあり……。
「ああ、美味しかった。今日はありがとうね。なんだか元気でちゃった。さあ、か・え・り・ま・しょ・う。ふふふふふ……。楽しい夜が待ってるわよ♪」
なんだか元気いっぱいのマリエッタ・シュヴァールが、水原ゆかりを引きずっていった。
★ ★ ★
「ただいまー」
「お帰りなさい」
買い物から自宅に帰ったジェイコブ・バウアーをフィリシア・バウアー(ふぃりしあ・ばうあー)が玄関まで迎えに出てこようとした。
「ああ、わざわざ出てこなくてもいいから。今、そっちに行く!」
それを見たジェイコブ・バウアーが、買ってきた品物の山を玄関に放り出して、慌ててリビングへと駆け込んできた。
「転んだらどうする!」
まるで風体に似合わないほど狼狽しながら、ジェイコブ・バウアーが言った。まったく、男というものは、家庭ではほんとに可愛い生き物に成り下がる。
「もしかして、こんなにたくさん買ってきたの?」
玄関に散らばった物を拾い集めてリビングへと運んでくるジェイコブ・バウアーを見て、フィリシア・バウアーがちょっと目を丸くして驚いた。
まあ、よくもこれだけの物をかかえて運んで来られたものだ。
フィリシア・バウアーが紙袋を開けてみると、中からは「幸せになる子供の名づけ辞典(男の子編・女の子編)」と、「ニャンルーでも分かるイクメン入門」なる本が出てきた。なんだか、本屋の育児書の棚の前で腕組みしながらじっと本を睨んでいるジェイコブ・バウアーの姿が目に浮かぶようで、ちょっとクスリと笑ってしまう。
他にも、でっかい板のような箱は、組み立て式の子供用ベッドだろう。派手な写真の箱は、見たままのメリーゴーランドだ。他にも、ほ乳瓶や、靴下や、紙おむつや、ニャンルーのぬいぐるみや、アルバムや、もうしっちゃかめっちゃかである。
「いったい、どれだけ成長した姿で赤ちゃんが生まれてくると思っているの?」
まだあまり目立たないお腹をさすって見せながら、フィリシア・バウアーがジェイコブ・バウアーに言った。
「いや、だって、すぐに必要になるだろう?」
ジェイコブ・バウアーが必死に弁明する。なんだか、放っておいたら、小学校のランドセルさえも今買ってきてしまいそうな勢いである。
「大丈夫だ。娘が結婚するまではオレは死なん。むしろ、相手を殴り倒す!」
「娘と決まったわけじゃ……。それに、それは死亡フラグよ」
どう切り替えしていいか言葉に困って、フィリシア・バウアーがジェイコブ・バウアーに言った。
「大丈夫だ。そんなことにならないように、身体は鍛えている。そうだ、めざしを食え。親子共に丈夫になるぞ。よし、すぐに焼いてやろう。待ってろ!」
そう言うと、ジェイコブ・バウアーがキッチンにすっ飛んでいった。
しばらくは、退屈しないでもすむ……のかなあと、フィリシア・バウアーが微笑んだ。早く、子供にも、こんなおとうさんの姿を見せてあげたいものだ。
★ ★ ★
「右よし、左よし、正面よし、ええと背後も、多分よし!」
フレンチコートの襟を立て、サングラスをかけたセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)が、電柱の陰から次の電柱の陰へとカサカサと移動していった。目深にソフト帽も被り、見た目には、完全にセレンフィリティ・シャーレットとは分からない……つもりである。
今日こそは、今までの分を取り返すのだと、セレンフィリティ・シャーレットは燃えている。
軍資金は、先日こそっと買った競竜券一枚が大穴になった一万ゴルダのみ。これで、今度こそ、パラミタサマージャンボの夢再び!
なにしろ、お財布の紐をすべてセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)に握られてしまったので、もはや飴玉一つ自分では買うことができない。競竜券だって、拾ったお金で買えたなけなしの一枚だったのだ。だが、国家神はまだセレンフィリティ・シャーレットを見捨ててはいなかった。ありがとう、ネフェルティティ・シュヴァーラ(ねふぇるてぃてぃ・しゅう゛ぁーら)……。
適当な祈りを捧げると、セレンフィリティ・シャーレットは宝くじ売り場で宝くじを買った。
「はいはあい。それ全額で籤を買うんですねえ。どうぞお」
にまっと、営業スマイルをたたえている大谷文美から籤を買う。どうやら、売り子のバイトをしているらしい。
籤を大切そうにかかえると、セレンフィリティ・シャーレットは帰宅した。
「ただいまー」
いつもの姿に戻ってセレンフィリティ・シャーレットが玄関を開けると、そこにはセレアナ・ミアキスが三つ指ついて待っていた。
「お帰りなさいませ」
それだけで、セレンフィリティ・シャーレットは、反射的にドアを閉めてしまいそうになる。
「落ち着け、あたし。何もばれているはずがない、何も……」
そう自分に言い聞かすと、セレンフィリティ・シャーレットは、努めて平静を装ってセレアナ・ミアキスを見た。
「おう、今帰ったぞ」
なんだか、コントのやりとりになっているような気もする。
「はい」
そう言って、セレアナ・ミアキスがセレンフィリティ・シャーレットにむかって手を差し出した。
「はいっ?」
なんのことかなと、セレンフィリティ・シャーレットが聞き返した。
「はい」
再び、手を出したままセレアナ・ミアキスが言った。
「あれのことかな?」
「多分違う」
「じゃあ、あれ……」
「それも違う」
「ええっと……」
「はい」
「ごめんなさい」
観念して、セレンフィリティ・シャーレットがセレアナ・ミアキスに宝くじを渡した。鬼嫁に隠しごとはできない。しっかりと、宝くじ売り場にスパイでも放っていたらしい。
後日、またしても宝くじは大当たりしたのだが、そのまま定期預金口座に直行したという。
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