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【特別シナリオ】あの人と過ごす日

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【特別シナリオ】あの人と過ごす日
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リアクション


【炎のバラーハウス】

 空京郊外の、とある一角。

 漆黒の闇に彩られた夜のカーテンの向こうで、そこだけがまるで別世界であるかのように、燦然と輝く幾条もの光の帯が渦を巻いている。
 美しさと尊厳の、相反するふたつの性質を完璧に体現する巨城――即ち、バラーハウスの威容が今宵もまた、幻想的な淡い空気をその場に醸しながら、静かに佇んでいた。
 地上階では多くのホスト達が、ひと晩の甘い夢を求めて来訪する女性達を穏やかな笑顔で出迎える。
 そして地下では、ともすれば命をすらやり取りする壮絶な地下闘技場が熱い歓声に包まれているのだが、今夜に限っていえば、この地下闘技場の出番は無い。
 何故ならば、この日、バラーハウスを訪れた雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)には、地下闘技場で戦いを繰り広げる男達の姿を遠目から観戦する、という気分は無かったのだから。
「あら……いつの間に、バラーハウスなんかに来ちゃったのかしら」
 そもそもリナリエッタは、何の気無しに空京の街中をぶらぶらしていた筈だったのだが、日が暮れてからの記憶が、幾分曖昧である。
 多少のアルコールが入っていた為、どこをどう歩いてきたのか、自分でもはっきり覚えていない。
 ただ何となく、彼女の気分が男を求めていただけなのかも知れなかったが、ともかくも、今リナリエッタは、開店前のバラーハウス正門付近に、漫然と佇んでいた。
「まぁ、良いわ。折角久々に来てみたんだし、ちょっと遊んで行こうかしら」
 そんな訳で、リナリエッタはオープンまでまだ多少の時間があるものの、バラーハウス正門へと足先を向けていった。


     * * *


 正式な開店時間前ではあったが、バラーハウスのスタッフは快くリナリエッタを迎え入れてくれた。
 もともと、営業時間にはややルーズなところのあるバラーハウスである。多少時間が前後したところで全く問題無いというのが、スタッフ全員の共通した意識なのかも知れない。
 ところでリナリエッタは、このバラーハウスに最近、数名程度の新人が採用されたという情報を聞きかじっていた。
 その旨をオーナーに訊いてみようと思ったのだが、生憎この夜はオーナーは不在であった。その代理として応対に現れたのは、何故か蒼空学園の現校長兼理事長の馬場 正子(ばんば・しょうこ)だった。
「あら、馬場さんじゃないの。どうして蒼空の校長さんが、バラーハウスの支配人なんかやってるの?」
「一応これも、公務なのでな」
 正子が地下闘技場の審判を時折務めているのは、リナリエッタも知っている。
 しかしまさかバラーハウスの方にまで仕事を抱えていようなどとは、正直なところ、予想外であった。
 今宵の正子は、その巨躯をタキシードに包み込み、長い黒髪を総髪にまとめ、襟元で一本に括っている。その強面には化粧っ気は無く、その辺の男達よりも余程に精悍で男前に見えた。
 正子の説明から、まぁそういうこともあるのだろうと適当に納得したリナリエッタは、早速本題――即ち、新しいホストの卵達の存在について、支配人正子に質問をぶつけてみた。
 訊かれた正子は別段秘密にする程のことでもないとして、中央ホール奥のVIP用個室を顎で軽くしゃくりながらリナリエッタに答えた。
「中々活きの良さそうな輩が入店したらしいぞ。見ていくか?」
「あら、良いの?」
 リナリエッタは嬉々とした調子で二度三度頷きながら、支配人正子に案内されるまま、VIP用個室へと足を運んだ。
 と、そこで彼女が目にした光景は――。
「……って、ちょっと……アッシュちゃん!?」
 思わずリナリエッタは、小声で叫んだ。
 それまでの嬉しそうな顔色から一転して、とんでもないものを見てしまったという全くの素の表情を浮かべてVIP用個室内をじっと眺めた。
「うわー……そうなんだ、アッシュちゃん……うわー……」
「何もそこまで、ドン引きせんでも良かろう」
 支配人正子が隣で苦笑する程に、リナリエッタがここで見せた反応は、日頃の飄々たる態度が多い彼女からは到底かけ離れたものであった。
 と、ここでリナリエッタはふと、あることを思い出して小首を傾げた。
「……ねぇ、確かアッシュちゃんって、つい先日、自分の本来の姿を取り戻して、ちょっとしたイケメンに成長した筈じゃなかったっけ?」
 リナリエッタの問いに、支配人正子も幾分不思議そうな面持ちではあったが、静かに頷き返してきた。
「うむ。わしの情報によれば、炎を操る者としての記憶を呼び覚まし、それまでの灰を撒く者というふたつ名を返上した筈だったのだが……しかしどういう訳か数日前、このバラーハウス近くで全身ズタボロになっているところを、うちのスタッフが介抱してな。その時に目を覚ましたアッシュは、再び以前の、灰を撒く者に先祖返りしておったそうだ」
 あら、そうなの――リナリエッタは納得したのかしていないのか、自分でもよく分からないといった曖昧な表情で頷くしかなかった。
 だが実際、こうしてVIP用個室内でホスト研修を受けているアッシュ・グロック(あっしゅ・ぐろっく)は、リナリエッタもよく知っている、所謂俺様アッシュそのひとであった。
 少なくとも、炎を操る者としてのイケメンに覚醒したアッシュなどでは、断じてない。
「まぁ、良いわ。どういう経緯があったのか知らないけど、ここに居るアッシュちゃんが今の本人なら、それはそれで楽しめそうね」
「……何をするつもりかね?」
 支配人正子の問いかけに、リナリエッタは意味深な笑みを返した。


     * * *


 数分後。

 VIP用個室内でホスト研修を受けていたアッシュの前に、臨時ホスト教官として支配人正子の承認を得たリナリエッタが、妖艶な笑みを湛えて登場した。
 アッシュは恐ろしく緊張した面持ちで、ほとんど直立不動に近い姿勢を見せている。
 先輩ホストから指導を受けていた時は随分と活きの良い返事を放っていたのだが、リナリエッタが教官として姿を現すと、まるで蛇に睨まれた蛙のように、脂汗を流しながら竦み上がってしまっていた。
「あらやだ……ちょっと、何も取って食おうって訳じゃないんだから」
「は、はいッ! 恐れ入りますッ!」
 どうやら、初めて女性客を担当するのだと勘違いしている部分もあるらしい。
 こういう頓珍漢なところは、矢張り以前の灰を撒く者アッシュのお馬鹿さ加減であろう。
 リナリエッタは、イケメンホストに癒して貰うつもりでこのバラーハウスを訪れた筈であったが、アッシュを前にして、逆に出来の悪い息子の子守りをする破目となった母親のような気分になってしまった。
(……まぁ、良っか。非日常を楽しむ空間っていう意味じゃあ、母性をくすぐられるのも悪くないわね)
 内心で苦笑しながらも、リナリエッタはすらりとした美脚で仁王立ちになり、胸を反らせて、がっちがちに緊張しているアッシュを見下ろした。
「じゃあアッシュちゃん。早速テストさせて貰うわね……まずは、服装チェックよッ!」
 リナリエッタの声に反応し、アッシュは慌てて己の服装をチャックし始めたのだが、ここでリナリエッタは違う違う、そういう意味じゃないと一喝した。
「んもう、そうじゃなくって……私の服とか化粧とか、髪型の話よ。今夜の私がどんな服を着てるのかを確認して、そこから私の気分を当てるのよ」
 ちなみに、正解はクラシックな気分、である。
 果たしてアッシュは、リナリエッタからの課題を無難に突破出来るのか。
「え、えぇっと……そッ、そうだッ。その服装から考えられるのは……世紀の凡戦といわれた某日本人プロレスラーvs某ボクシング世界ヘビー級チャンピオンの異種格闘技戦を最初から最後まで観戦して、ちょっとメランコリックな気分に陥っている女性ッ! きっと、そうに違いないッ!」
 リナリエッタは眩暈を覚え、思わずその場でよろめきそうになった。
「あ、あのね、アッシュちゃん……その回答ね、私以外の女のひとに対していっちゃうと、絶対ぶん殴られるから、以後、気を付けなさいね」
 アッシュは何故駄目出しを喰らったのか、まるで理解出来ていない様子だった。
 この様子では、先が思いやられる――リナリエッタはホストクラブで遊ぶつもりだったのだが、本腰を入れて仕事に取り掛かる気分になってきてしまった。
「さぁ次は……シャンパンタワーの構築ね。新人ホストには必須の技能よ。今は組み立てることしかやらせて貰えないでしょうけど、ここで必死に頑張る姿勢をアピールすれば、好感度が上がって、誰かの目に留まるかも知れないから、一所懸命やるのよ」
「は、はいッ、師匠ッ!」
 既にホストと女性客ではなく、師弟関係が出来上がってしまっている。
 これもまた、バラーハウスか――リナリエッタはどういう訳か、全てを達観した仙人のような思いで、シャンパングラスを運んでくるアッシュを眺めている。
 だが、ただ普通にシャンパンタワーを組み立てるだけでは、ホストの星は掴めない。
 リナリエッタは支配人正子から借り受けていたある物を取り出し、タワー組立作業に取り掛かろうとしているアッシュの目の前にすっと差し出した。
「師匠、これは?」
「ふふふ……これこそはバラーハウス名物、大ホスト養成ギプスよッ!」


     * * *



 < 大ホスト養成ギプス >

 古くは、古代シャンバラに於いて王室の姫君達の心を安らげる為に、親衛隊や貴族の子弟等が、自らを慰め役に任じて彼女達の周囲に侍っていた。
 しかし多くの政敵を抱える王室にとっては、慰め役は同時に、護衛役をも務めねばならなかった。
 そこで慰め役の者達は自らを一流の侍者とする為に、日頃から全身に強固なスプリング式のギプスを巻きつけて己を鍛錬し続けていたのだという。
 しかも、そのギプスを身に着けたままで常に王室の姫君達にいつもと変わらぬ優雅な仕草と笑顔で接することが義務付けられていた。
 現代に於いては、その精神はバラーハウスに受け継がれており、大ホスト養成ギプスとしてその形を残しているのだという。

                   白百合書房刊 『パラミタの愉悦、その歴史』より


     * * *


 アッシュは、リナリエッタから手渡された大ホスト養成ギプスをタキシードの下に着込み、物凄い形相でシャンパンタワーの構築に着手した。
 その必死に頑張る姿を、リナリエッタはソファーに腰掛けてじっくりと眺めている。
 大ホスト養成ギプスがアッシュの肉体に与える負荷は、相当なものである。
 熟練の先輩ホストですら為し得なかったことを、今アッシュは、灰を撒く者としての人格でありながらも、何とか完成へと辿り着こうとしていた。
 そして――。
「よ、よし……やったぞッ! 遂に俺は、シャンパンタワーを完成させたぞッ!」
 大ホスト養成ギプスによる張力の為、幾分ぎこちない所作になってはいたが、それでもアッシュは全身汗だくになりながら脚立の上でガッツポーズを作った。
 いつの間にか周囲には、開店前の準備を終えた大勢のホスト達が集まってきており、アッシュが成し遂げた偉業に対してどよめきや歓声、或いは拍手などを贈っている。
 リナリエッタは満足そうに頷いた。
「よくやったわ、アッシュちゃん。私も鼻が高いってものよ」
 いいながら、リナリエッタはソファーの上で組んでいた美脚を組み直した。
 アッシュは誇らしげな表情で脚立の上からリナリエッタに笑みを送っていたものの、その時、アッシュの顔が変な色あいで固まった。
 丁度脚を組み替えたリナリエッタのスカートの中身が、アッシュの視界の中に飛び込んできてしまったのである。
 この日、リナリエッタは下着を身に着けていなかった。
 要するに、ノーパンだったのである。
「うッ……ぶっはぁッ!!」
「あ……ちょっと、アッシュちゃんッ!?」
 噴水のような勢いで鼻血を撒き散らしながら脚立から転落するアッシュに、流石のリナリエッタも慌てた。
 灰を撒く者アッシュは、女性の柔肌にはまるで免疫が無かったらしく、ましてやぱんつを履いてないスカートの中身ともなれば、尚更である。
 派手に昏倒したアッシュを先輩ホスト達が慌てて介抱する輪の中に、リナリエッタも飛び込んでいった。


     * * *


「うっ……僕は、ここで何を……?」
 しばらくして意識を取り戻したアッシュの表情や仕草に、リナリエッタのみならず、他の先輩ホスト達も違和感を覚えた。
 妙に落ち着いた口調と、穏やかな表情――灰を撒く者アッシュとは完全に別人であると、リナリエッタは即座に理解した。
(あらん、残念……何の拍子か分からないけど、炎を操る者の意識が、目覚めちゃったのかしら?)
 リナリエッタのこの推測は、正しかった。
「確か、ヴァルデマール配下の魔人と戦って……そうだ、記憶を逆流させる秘術を浴びて、そこから意識が無くなってしまったんだ。奴を倒したのは間違いないけど、その後、どうなったのか……」
 自らの記憶を手繰り寄せるように、ひとつひとつ、己の身に起きた事象を確認してゆくアッシュ。
 リナリエッタや支配人正子は、アッシュの独白に成る程、と小さく頷き合った。
「あぁ、そういうことね……だから、灰を撒く者が復活してたんだ」
「しかしどうやら、炎を操る者としての意識が戻ったらしいな。最早、大ホスト養成ギプスを装着したままシャンパンタワーを完成させたレジェンドホスト・アッシュは幻と化した訳だ」
 正子の結論に、リナリエッタは少しばかり残念そうな面持ちを見せたが、しかしイケメン・アッシュと触れ合うのも、それはそれで悪くないと思った。
「ねぇアッシュちゃん……私のこと、覚えてる?」
「ええっと……どちら様でしたっけ?」
 矢張り、覚えていないか――リナリエッタは残念ではあったが、逆をいえば、これからこのイケメン君と色々知己を得てゆく機会を持つことが出来た、ともいえる。
 リナリエッタは悪戯っぽい笑みを湛えて、百合園で学んだ礼儀作法に則り、自己紹介の口上を述べた。

「初めまして、炎を操る者さん……私は雷霆リナリエッタ。レジェンドホストの師匠ってところね」