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【特別シナリオ】あの人と過ごす日

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【特別シナリオ】あの人と過ごす日
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リアクション


【瀬島 壮太】

 午前九時半発、東京行きの新幹線に乗るために瀬島 壮太(せじま・そうた)はホームに立っていた。
 吹き込んでくる風は昨日の雨の影響で生温く、まだ雲の残る灰色の空と相俟って気分を若干重たくさせる。
 無意識のうちに息を吐くと、まさにそのタイミングで背後から声をかけられた。
「お待たせっス」
 振り返ると、いつもと変わらぬラフな格好をした紡界 紺侍(つむがい・こんじ)が立っていた。紺侍は笑って、「見つけるのに時間かかっちゃって」と続けた。
「てか髪、黒いし」
「ああ。言ってなかったっけ」
「うん」
 頷きながら、紺侍はまじまじと壮太の髪を見る。視線を向けられると落ち着かなくて、壮太は自身の短い前髪を引っ張った。黒髪だ。つい先日、髪の色を戻しておいた。
「戻すつもりだったんですっけ」
「うん。実習増えるから、どの道」
「で、このタイミングで」
「いくらなんでも金髪で行けねえよ」
「金髪の壮太さん、好きだったけどなァ」
「残念だったな、もう金髪にはしねえよ」
「あァ大丈夫、黒髪の壮太さんも結構」
「おまえ、なんか今日チャラい」
「テンション上がってンでしょうねェ。お恥ずかし」
 軽く肩をすくめ、飄々とした様子で紺侍は言った。こういう仕草も久しぶりに見る。本人が言うように、多少変なんだろう。それは、きっと、お互いに。
 他愛のない会話を交わしていると、新幹線が間もなく到着するとのアナウンスが流れた。ややして滑り込んできた新幹線に乗り込み、席を確認して座る。
 奥側に座った壮太は、窓辺に肘をついて外を眺めた。空いた手は、紺侍の手に重ねておいた。ゆるく握られたので、同じくらいの力で握り返しておく。
 体温が馴染む頃に、新幹線は発車した。窓の向こうの景色が、あっという間に流されていく。遠ざかっていく空京の街を、壮太は心ここにあらずの状態で眺めた。頭の中にあるのは、この後のことばかりだった。
 これから向かうのは、東京、阿佐ヶ谷にある紺侍の実家だ。事後報告となってしまったけれど、一度きちんと挨拶に伺うべきだと思い、連休を利用して家を訪ねることに決めた。
 格好は変じゃないだろうか。どう見られるだろうか。紺侍の母親は、どういう人なのだろうか。紺侍が母親の話をすることはあまりなかったので、ほとんど想像ができない。かつて一度聞いた時は、軽い調子で放任主義だと答えていたっけ。
 いつの間にか、新幹線は停車していた。考えている間に随分と進んでいたようだった。
 今、どこなのだろう? あと、どれくらいで着くのだろう? 緊張して口の中が乾いてきた。ふう、と長く息を吐く。
「緊張してます?」
「しねえ方がおかしい」
「そっかなァ」
「うん」
「そっかァ」
 取りとめのない話をして、繋いだ手をぎゅっと握る。
 紺侍は何も言わず、ただ握り返していた。


 こうして、東京までの旅はあっという間に終わった。人が行き交う東京駅を、紺侍に手を引かれる形で壮太は歩く。
 改札を抜け、丁度やってきた快速電車に乗り、揺られること二十分あまり。機械的な声が『阿佐ヶ谷』と告げた。
「着いた……」
「ンな、『うわぁ』って顔しないで」
「おまえんちまであとどんくらい」
「十五分くらい?」
「うわぁ……」
「うわぁ言うなし。こっちスよ」
 ああ久しぶりだなァ、と懐かしそうに喋る紺侍に相槌すら打てず、壮太はひたすら足を動かす。
 そしてきっかり十五分後、ふたりは二階建てのアパートの前にいた。
「ここ?」
「ショッボい家ですが」
「悪かったね、ショボい家で」
 背後からの声に、文字通り飛び上がりそうなくらい驚いた。ぎこちなく振り返ると、三十台半ばくらいの美人が立っている。若ぇ、と思うのと同時に、紺侍が「真理子さん」と彼女に声をかけた。
「どっか行ってたの」
「煙草買いに」
「オレ帰ってくるっつったじゃん」
「何。買ってきてくれたの」
「そうじゃなくて。……まイイや。壮太さん、この人がオレの母親。真理子さん」
「まだ
「は、はじめまして」
 ぺこりと頭を下げる。視線を感じた。頭が上げづらくなって、腰を折ったままの姿勢で硬直する。数秒して、ふうん、という吐息のような声がした。それからすぐに、「はじめまして」と返ってきた。
「まあ、なんだ。とりあえず、おかえり。立ち話もなんだから、中入ろうか」


 脱いだ靴の踵は揃えた。
 慣れない正座に足が抗議を上げているが、ひとまずそれは無視をする。
 淹れられたお茶に口をつけずにいると、「飲まないの」と言われたので、それ以降定期的に口をつけつつ、壮太は紺侍と真理子の話を聞いていた。どうやら紺侍はパラミタへ行ってから年に一度程度しか連絡はしていなかったらしく、ふたりの話はただの近況報告にも関わらず、なかなか終わらなかった。
 やがて、真理子の視線が壮太に向いた。形のいい、紅の引かれた唇が「で」と声を発する。
「こちらのお兄さんは?」
「瀬島壮太さん。同じガッコで同じ学年で、バイト先も同じだったり違ったり」
「何その距離感。近い」
「うん。いや、わかってるでしょ」
「わかってるけどね」
 ちゃんと本人たちから聞こうか、と真理子が言外に言った。言われなくともそのつもりだ。そのつもりで来た。壮太は居住まいを正し、背筋を伸ばす。
「紺侍くんとは、お付き合いをさせてもらってまして」
 真理子は、何も言わずに壮太を見ている。一瞬、頭が真っ白になった。ああ、なんて言おうか。いや、言うべきことはひとつなのだけれど。なのだけれど。ああそうだ。ひとつだから。言うしかないから。
「その……結婚を、前提とした付き合いを」
 結局、直球で伝えた。心臓がいやにうるさい。表情筋が上手く動かない。予定では、好青年らしさをアピールするためにニコリとするつもりでいたのに。
 真理子は相変わらず、何も言わない。ただただ黙って、壮太を見ている。ああもう怖い。何を考えているのかわからない。道中でもう少し、どういう人なのか聞いておけばよかった。後悔先に立たずとはよく言ったものだと心の中で叫ぶ。
 けれども、伝えなければ。
 心臓が飛び出そうなほど緊張していたとしても、笑えなくても、声が震えても。
 伝えるために来たのだから。そのために来たのだから。やるべきことを、しなくては。
 真理子の目を見た後に、壮太はすっと頭を下げた。頭を下げたまま、ありのままの気持ちを伝える。
「オレには今でこそ後見人と呼べる人はいますが、実の両親はいませんし、今までの素行も決して良いものではありません。
 社会的にもまだ未熟で、独り立ちできないままの学生だという自覚もあります。
 そんなオレでも紺侍くんは一緒にいたいと言ってくれました。
 オレも同じ気持ちです」
 ここまで言って、一旦、顔を上げた。真理子はやはり、変わらぬ姿勢で壮太のことを見ていた。紺侍も、じっと壮太を見ている。が、壮太と目が合うと視線が泳いだ。恥ずかしさでも感じたのだろうか。ほんの少しだけ、緊張した気持ちが和んだ。
 さあ、あともうちょっと、頑張ろうか。
 息を吸って、吐いて、残る言葉を紡ぎ出す。
「大学卒業後には幼稚園教諭になるという目標があります。
 それが適った時には、紺侍くんとの結婚を許していただけないでしょうか。
 今日はそれをお願いに上がりました」
 言い切って、壮太は改めて深く頭を下げた。
 返事はない。
 沈黙に、時計の秒針の音が大きく響く。
「……拙い言葉を最後まで聞いてくださって、ありがとうございました」
 再び頭を下げて、壮太は立ち上がる。もうこれ以上、沈黙に耐えられそうになかった。
 紺侍は、一瞬困惑したような顔をして、それから壮太を見て真理子を見た。次に「あー」と不明瞭な声を上げ、次いで「じゃあ」と声をかけた。「また」と言いながら立ち上がり、玄関にやってくる。
 家を出ると、空が青いことに気がついた。空京は淀んだ空を見せていたけれど、こちらはなんと澄んだ青を見せるのか。綺麗すぎていっそ、へこむ。
 無言のまま駅まで歩き、予約しておいた駅近くのホテルにチェックインした。荷物を下ろして、ベッドに腰掛ける。隣に紺侍が座った。身体を傾け、肩に寄りかかる。
「なんか、しくじったかなあ」
「やァ。全然」
「返事もらえなかった」
「アレは真理子さんが悪い」
「オレが悪いのかも」
「なんで壮太さんが悪いの。ねェわ」
「でも返事」
「なくてもイイよ」
「あった方がいいだろ」
「そりゃねェ。でもなきゃ駄目ってこともねェっしょ」
 だけどなあ、と思考をループさせていると、紺侍が「あ」と言った。何、と視線を上げる。紺侍は携帯を見ていた。笑いをこらえているような顔をしている。
「……?」
「真理子さんから」
「何」
 追い討ちか。いやそれにしては、紺侍の顔が愉快である。期待と不安で、先ほどよりも心臓がキュッとした。
「驚いちゃって、なんも言えなかったんだって」
「……へえ。……それで?」
「うん。えっとね。お幸せにってさ」
「……マジで?」
「マジで。見る?」
 渡された携帯を受け取って、開かれたメール画面を見た。口語体で書かれたメールは戸惑いを顕わにやや読みづらく、けれども言いたいことは簡潔にまとめられていた。
 おめでとう。
 お幸せに。
 最後に添えられたその二文に、壮太は深く長く息を吐いた。
「お疲れ様でした」
「……うん。疲れた」
「ねェ。最後ドッキリ調だしねェ」
「本当だよ。……あー。でも。……良かった……」
 泣きそうだ、と思った。思った時には視界が滲んで、やべ、と慌てる前に一粒零れた。隠すように、目を擦る。
「なんか。安心したら。出た」
「出たって」
「出た」
「うん。そっスね」
「……良かった」
「はい」
「良かったー……」
 繰り返し、良かった、と呟いてベッドに突っ伏した。頭を撫でられる感触に目を閉じる。
 良かったけれど、ここで終わりじゃない。むしろまだ始まったばかりにすぎないのだ。
「オレさ」
「はい」
「ちゃんと先生になるから」
「わァ。プロポーズされてる」
「うん。してる」
「……わァ」
 照れたように目を逸らす紺侍に笑いかけ、好きだよ、と呟いた。
 優しい目が、こちらを向いた。