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【DarkAge】空京動乱

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【DarkAge】空京動乱
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リアクション


●ロー

 空京を代表する建築物、先端医療センターの敷地内。
 普段は患者のリハビリ等に用いられる庭で、クランジρ(ロー)はその高い戦闘能力をフルに発揮していた。
 ローの拳は、量産型の装甲を一発でぶち抜いている。蹴りを放てば金属をへし曲げ、電磁鞭であろうと軽く引きちぎる。銃弾は跳ね返し、刃はたたき折ってしまう。まさに鬼神のごとき暴れぶりだ。
「ああもうたまらないなあ、この強さ!」
 柚木桂輔は感極まったような声を上げた。
 レジスタンスが行動を起こすのに乗じ、桂輔らは空京に乗り込んだのである。潜入には、レジスタンスが使ったルートをそのまま利用した。そうして量産型クランジとの戦闘はできるだけ避け、他の『銘入り』クランジを捕獲しようと動いたのだった。
 しかし、そう上手くはいかなかった。
 空京内部は量産型クランジと謎の蜘蛛型機械ばかりだ。いくら身を隠そうと一行はすぐに見つかり、そのたびに小規模な戦闘を繰り返すことになった。そのような状況であろうとも、柊真司とヴェルリア・アルカトルは不平ひとつ言わず協力してくれている。
 そしてついに、避けようがないほど大量の量産機に囲まれた状態で桂輔は決意した。
「さぁ出番だよ、ロー!」
 ここまでずっと温存してきたローを、ついに戦場に投下したのである。ぽいぽいカプセルから彼女を出して、桂輔は敵の一掃を命令したのだった。
「マスター……凄まじいですね」
 アルマ・ライラックは目の前の光景を、あっけにとられたような顔で見ていた。昔の映画を観ているような気分だ。それも、ハリウッド製のアクション映画を。
 長身のローには、白い天御柱学院の制服は憎らしいほど似合っている。大きな体に似合わず動きも俊敏で、ひとつ、またひとつと機械的に量産機を処理していた。ローが拳を振るうたび、あるいは脚を旋回するたび、硬いものが砕ける音が小気味良いリズムのように爆ぜた。量産型とはいえ同じクランジを相手にしているのというのに、ローは良心の呵責など感じないのだろうか。
 しかしアルマは知っている。ローに良心があったとしても、今はそんなものが出てくる隙はないということを。桂輔特製の調律機晶石の効果はそれほどに強力だ。今のクランジρは、桂輔からの命令にだけ従う戦闘マシンなのだ。
 ほとんどの敵はローに集中している。だから桂輔もアルマも、ほとんど傍観者のようにローの戦いを眺めていられた。
「あー、もうローをお披露目しちゃったよ。銘入りクランジとの戦いまで取っておくつもりだったんだけどなぁ」
 と、ぼやきながらも桂輔の口調は嬉しげである。自分が調律したローが、無敵の強さと抜群の美しさを存分に発揮しているからだろうか。
 そればかりか――アルマは思った。
 桂輔の目には光があった。頬は紅潮し、呼吸も早くなっている。動悸も高まっているだろう。まるで――
「……まるで、恋しているみたいに」
「なにか言った?」
 桂輔がふとアルマに顔を向けたので、アルマは慌てて首を振った。
「なんでもありません……えっ!?」
 視線をそらせたその先に不吉な影が映った。
 天を覆う黒い塊。岩のような。
「あれ……エデンじゃないですか!?」
「エデンだと」
 真司も眼前の敵を斬り倒し、その圧倒的な光景に息を呑んだ。たしかに頭上にあるのは、あの日乗り込んだ天空の要塞だ。あの岩場、あの砦、すべて、真司があの日に踏破した場所だった。
「エデンが動いている……誰が……誰が動かしているのですか」
 ヴェルリアは、足がすくむような感覚にとらわれている。あれが落ちてくれば、少なく見積もっても空京の三分の一は破壊し尽くされるのではないか。たとえ三分の一にとどまったとしても、都市が都市として機能することはたちまち不可能になるだろう。
 空京のどこかにエデンの操作装置があるとヴェルリアも聞いていた。それをレジスタンスが占拠したのだろうか、それとも、総督府側がレジスタンスを威圧するためにエデンを動かし利用しているのだろうかか。
 エデンは接近を続けてはいるものの、墜落するとしてもそれはまだ先に見えた。
 この隙に、真司は視線を桂輔とアルマ、そしてローへと素早く動かす。
 ――もともと、量産型クランジとの戦闘は極力避ける方針だった。
 だからこそ、真司は桂輔と行動をともにしているのだ。
 桂輔が求める『銘入りクランジの捕獲』という目的に真司は賛同していない。ただ、賛同しているふりをしているほうがなにかと都合が良かった。
 銘入りのクランジを探し出し、破壊するためには。
 真司の考える破壊標的には、レジスタンス所属のクシーらも含まれている。
 もちろん、ローもだ。
 闇の時代を生み出したあらゆる元凶は彼女らにある――これが真司の考えだ。私情ではない。使命として彼は、彼女らを破壊する意志だった。
 そのためには行動を起こす直前まで、桂輔と行動をともにするのが得策だったのだ。銘入りクランジを探すという目的だけに限れば同じなのだから。
 しかしそろそろ頃合いかもしれない。
 ――騙したようで悪いが。
 エデンの接近で生まれた影のなか、返した真司の剣が鈍い光を放った。
 ローは真司に背中を見せている。エデンの上空出現で動きを鈍くした量産型たちを、これ幸いと撃破している。
 ――いくら最強の接近戦能力のあるクランジρ(ロー)であっても、今なら……!
 このとき真司の頭上、病院の踊り場から飛び立った姿があった。
 白い服をはためかせ矢のように飛び降りてくる。
「クランジは……殺し尽くす!」
 その男の持つ剣は常識では考えられないほどの規格だった。大きい。とてつもなく大きい。形状は野太刀。幅広で刃先は鋭く、長さは二メートルに達する……!
 剣の使い手は七番だった。かつて七刀切と呼ばれていた剣士、だが今は狂戦士と呼ぶべき存在かもしれない。
 いま、七番は目を血走らせ全身からは、周辺の空気が歪むほどの濃い闘気を発している。彼が剣を持つというよりは、七番が剣そのものになったかのよう。
 七番は量産機を見ていない。桂輔のことも真司のことも見ていない。
 彼が狙うはローの頸、ただそのひとつのみ。いくら見た目が変わっていても、あれがクランジであるという事実に変わりはない。
「最初はローだ! 次はオメガか、オミクロンかクシーか……ユプシロンか!」
 開いた七番の口には、剣先のような歯が切り立っていた。
 ――遅れを取った!
 真司は身を強張らせた。
 真司にとっては、自分がローを討つことが最優先事項ではない。誰が手を下すにせよ、ローを破壊することができるかどうかこそが問題である。だから七番が手を下したいのなら妨げることはない。それにもうこのタイミングでは、真司が手を出そうと届くまい。それでも、なにか釈然とせぬものは残った。
 ――間に合わない!
 桂輔は七番の考えを理解していた。桂輔は自分の中にある闇を理解している。それゆえ、七番にも深く濃い闇があることを知っている。七番の刃には、心に闇を抱く者特有の迷いのなさがあった。心が惑うから闇が生じるのではない。ためらいのない心にこそ、闇は宿りうるのだ。
 この決定的な瞬間に、間に合ったものがあった。
 怯懦のカーマイン、そう名づけられた漆黒の銃だった。
「当てることが目的ではない」
 グラキエス・エンドロアは弾丸を放つ。次々と発射する。七番の視界を遮る方向へ。七番が弾を避けようとして、ローとの距離を離してしまう方向へ。
「ッ!」
 七番は着地した。彼の太刀はローから大きく外れ、リハビリ場の石畳を地割れのごとく両断してようやく止まった。
 ローは驚いたような目をして二三歩後退した。後退ついでに、量産機の最後の一体を肘で破壊している。
 七番は顔を上げた。
 ――初撃は外れた。だがここからならまだ狙える……!
「ぬうっ!」
 しかし果たせない。それどころではなかった。石でできた十字架が、七番を狙い振り下ろされたからだ。
 鰐そっくりの肌、瞳孔の細い爬虫類の目、鋸状の歯、先端の割れた赤い舌。鎧を着たその男は、ドラゴニュートの古参兵、グラキエスのパートナーことゴルガイス・アラバンディットその人である。ゴルガイスの打ち下ろした十字架は、寸前まで七番のいた場所を激しく打擲していた。
 転がって一撃を避けた七番だが、突然のことに動揺を隠せない。
「なんだ……こいつらは……」
 地を蹴ってさらに距離を取った状態で立つと、七番は野太刀を肩に担ぐようにしてつぶやいた。
「道を遮る障害物だ」
 七番の魔鎧、すなわち黒之衣音穏が呼びかける。七番にだけ聞こえる声で。
「障害……そうだな」
「迷うな。惑わされるな。これはお前が選んだ道だ。なら、我は最後まで共に行くまで。修羅の道でも、死への旅路でも構わない。さぁ、進もうぞ。お前の求める道を」
 音穏は知っている。この道がもはや、狂気の道でしかないことを。
 すべてのクランジを殺す、七番はそう決めた。これが七番の進む道である。彼もまた、レジスタンスの蜂起に乗じてこの街に進入し、あらゆる銘入りクランジを求めて移動していたのだ。
 確信をもって契約者が歩もうというのであれば、パートナーとしての自分はそれを扶けるだけである――そう音穏は考えていた。
 だがここで生じた七番の短い逡巡は、ゴルガイスにとってまたとない機会だった。
 ――あの男にはあの男の事情があろう。だが我にも、
 ぐっと握ると、ゴルガイスの腕から立ち昇った雷光が、石の十字架を茨のように覆った。
「我にも、ローを守るべき理由が……ある!」
 石の破壊力に電撃を混ぜて振り抜く、これぞ迅雷斬だ。ゴルガイスは撲った。
 しかし雷光は七番を覆うことなく、彼の大剣に受け止められて四散した。
「道を開けろ! 女の子の笑顔を奪うものは殺し尽くす!」
「そうはいかぬ……ッ!」
 このときローは七番を見ていなかった。桂輔のことも見ていない。もちろん真司のこともだ。
 彼女は、グラキエスだけを見ていた。
「END=ROA……」
 ローは言った。生き別れていた恋人に、ようやく巡り会えた乙女のように。
「ああ。『エンドロア』、そう名乗った。グラキエス・エンドロアと呼ばれることもある」
 グラキエスは静かに応じた。エデン襲撃時に存在したローとの短い邂逅、それをグラキエスはありありと思い出すことができた。
 あのときのローと、今のローは別人のように外観が異なっている。うなり声をあげるのがせいぜいだったのと比べれば、言葉を発することができるようになっているだけでも驚きだった。それでも、ローはローだ。同じだ。
「俺はあなたを迎えに来た。ロー」
「ワタシを……?」
「そうだ」
「どうして?」
「やっと会えたのに、まだ話してもいなかったから。俺はもっと、あなたのことを知りたい」
「ワタシ……ワタシも」
 ローは言った。
「ワタシも、エンドロアのこと、知りたい」
 二人の会話は中断された。
「やめろ……やめろよ! そんなの、意味わからないじゃないかぁ!」
 割って入ったのは桂輔だった。『シュヴァルツ』、『ヴァイス』の銃をそれぞれ左右の手に握り、足元を狙うようにして射撃する。
「俺オリジナルの調律機晶石が働いている限り、ローの人格も記憶も、抑えられているはずなんだ! 俺の命令しか聞かないはずなんだぁ! さぁロー、そいつを攻撃しろ! アルマも!」
「マスター……」
 アルマは一瞬、悲しげな表情を見せたものの、すぐにライフルを構えてグラキエスに向けた。
 そしてローも、
「……!」
 いつの間にか開いていた瞼が半分下り、そこから再起動したかのように、グラキエスに殴りかかったのである。
「独自の調律機晶石だと!?」
 グラキエスはローの拳を両腕で受け流し、そればかりか伸びきった彼女の腕を支えにして跳躍すると、桂輔の眼前に着地した。
「それでローをコントロールしているというのか」
「許されないことだ、とか言うつもり? あんたはローの過去を知らないからそんなこと言うんだ!」
「知って……いれば認められるとでも?」
「そのほうが彼女にとって幸せなんだ。過去の記憶が完全に蘇れば、ローはきっと……」
「きっと?」
 このとき大きな音がして、桂輔とグラキエスは同時に振り返った。