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10.大切な人のお見舞い。6


 奪われそうになった荷物を取り戻すために屋根に上り。
 無事に取り戻したことだし、さっさと配達に戻ろうと屋根から飛び降りた結果、橘 恭司(たちばな・きょうじ)は着地に失敗した。
 運悪く両足骨折、おまけに左手の義手にも影響が出た。衝撃吸収に利用したせいでガタがきてしまったのだ。
 義手のメンテもしなければならないということで。
「右手しか使えないのは不便だな……」
 ベッドの上で恭司は呟いた。
 両足にはギプスが巻かれ、左腕は何もない状態。右手は自由に動かせるといっても、こんな状態じゃ却ってそれがもどかしい。
 残っていた書類仕事もてきぱきと終わらせてしまうと、本当にやることがない。院内は禁煙だし、とにかく暇である。
「まったく……荷を取り戻すために屋根に上り追いかけるだけでもおかしいというのに。飛び降りて着地に失敗するとは、修練が足りぬぞ恭司殿」
 お小言を漏らす八神 六鬼(やがみ・むつき)でもいじって遊ぼうか。
 ――いや、殺されるな。やめておこう。
 きっとこの状態じゃ抵抗もろくにできないし、瞬殺も良いところだ。
 物騒な未来を想像したところで、こんこん、と病室のドアがノックされた。
「誰か来たみたいだな」
 ドアに目を向けると、そこに立っていたのは影野 陽太(かげの・ようた)のパートナー、ノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)だった。陽太の姿はなく、ノーン一人きりである。
 手には『Sweet Illusion』というロゴの踊る箱があり、
「恭司ちゃん、お見舞いに来たよ! これお土産!」
 にこにこ笑顔で、その箱を差し出した。
「ノーンか。ありがとな」
 来てくれたことに礼を言うと、ノーンがはにかんだ。やや照れくさそうである。
「む……これはまた可愛らしい客人だ」
 六鬼がほうっと声を漏らす。いつもの六鬼らしくないが、口は挟まないでおく。
「陽太は?」
「今、別の場所で忙しいみたいだから。ワタシ一人で来たの」
 箱から数々の洋菓子――定番のショートケーキや、フィナンシェやマドレーヌなど多種多様である――を出し、恭司や六鬼に手渡しながらノーンが答える。
「なるほどな」
 受け取った菓子を食べ、
「そうだ。確かりんごがあっただろ、剥いてやってくれ」
 思い出したので六鬼に頼む。
 素直に頷いた六鬼が、果物ナイフを手にし、
「どのような形が良いかな? うさぎか? それとも他の動物が良いか?」
「うさぎ以外にもできるの? すごいな、見てみたいな」
「よかろう、少し待っていてくれ」
 ――六鬼、いつもと性格が違うな。
 ダダ甘というか、なんというか。
 器用に手を動かして、切るというより彫って形作る。その様子にノーンは目を奪われていた。
「さあ召し上がれ」
 出来上がった様々な動物型りんごを前に、ノーンが感嘆の息を吐く。
「こんなに素敵なものを食べるなんて、なんだかもったいないね」
「ノーン殿のために剥いたのだ。食べてやってくれ」
「じゃあ、遠慮なくいただきますっ」
 笑顔でノーンがりんごを食べる。
 その姿を微笑ましそうに六鬼が見ていた。
 ――まあ、こんな六鬼もたまには良いか。
 珍しいものが見れた、と恭司は少し口元を緩ませた。


*...***...*


 教導団の用事で、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と共に空京に出張していた。
 用事を終えて、宿泊先のホテルへ戻ろうと街中を歩いていたら。
 ――あれ……?
 急にひどい立ちくらみに襲われて、足を止めた。
「セレン?」
 セレアナの声が、妙に遠くに霞んで聞こえる。立ちくらみが治まるのを待とうとしたが、
「――っ」
 頭痛までしてきた。我慢できないほどに強い頭痛。膝から崩れた。
「セレン? セレンっ!」
 切迫したセレアナの声は、やはりとても遠く。
 何がなんだかわからないまま、意識も遠のいていった。


 そして、次に目が覚めたとき、セレンフィリティは見覚えのない場所に居た。
 白い壁。白い天井。消毒液の匂い。全体的に無機質なここは、
「……病室……?」
 ぼんやりとしながら辺りを見回した結果、ここが病院の個室であることを知った。けれど、なぜここに居るのかがわからない。身にまとっているのは着ていたはずの国軍制服ではなく、着慣れない病院着だ。
 と、そこへノックもなしにドアが開いた。視線を向ける。
 買出しに行っていたらしく、売店の袋を持ったセレアナが立っていた。
「セレアナ」
 名前を呼ぶと、セレアナがその場にうずくまった。荷物の落ちる音が部屋に響く。
「ちょ、ちょっと。どうしたの?」
 慌ててベッドから出て寄り添うと、涙に濡れたセレアナの瞳がセレンフィリティの瞳を見た。
「……セレン……本当に、目を覚ましてくれたの……?」
 ぽろぽろと、切れ長の瞳から涙を流しながら問いかけられて戸惑う。
 どういう意味か把握しかねていた。けれど、
「うん。起きたよ、おはよう」
 安心する答えは、きっとこれだろう。
 優しく頭を撫でると、セレアナがしがみつくようにして抱きついてきた。
 その体勢のままで、セレアナの話を聞いた。
 セレンフィリティが、街中で倒れた日から一週間が経過していたこと。
 倒れた理由は、教導団での過酷な日々に起因するひどい過労であること。
 昏睡状態があまりにも長く続いたので、このまま永遠に目が覚めないのではないか、と考えてしまったこと。
 その間ずっと、セレンフィリティを失う恐怖と戦っていたこと。
 同時に、パートナーロストにも脅えていたこと。
 それでも看病を続けたこと。
 看病しかできない自分に不甲斐なさを感じて絶望しかけていたこと。
「失いたくないって……それしか、考えられなくて……」
「うん」
「だから、いつも通りのセレンが愛おしくて……」
 胸に顔を埋めて泣きじゃくるセレアナの髪を優しく撫でながら、セレンフィリティは声をかけた。
「ねえ、顔を上げて?」
 言われるままに、セレアナの顔が向けられる。涙で濡れた双眸。指で雫を拭った。
「あたしは、こうして生きてる」
 それから微笑みかけて。
「あたしのために泣いてくれてありがと」
 ちゅ、とキスをした。
「あ、」
 離れると、驚いたような照れたような中に、嬉しさの混じった顔が見えた。
「泣き顔なんかより、こっちの方がいい」
 言って、もう一度。
 今度は深く、口付けた。
 長く、長く。
 言葉を交わせなかった期間を埋めるように。


*...***...*


「ああ……あの最後の木の葉が散るとき、アタシの命も尽きるのね……」
「蘭丸、しっかり! 契約したばかりで、どうしてこんな……!」
 早乙女 蘭丸(さおとめ・らんまる)の言葉に、姫宮 みこと(ひめみや・みこと)は焦った声を上げる。
「みこと……ひとつだけ、お願いしたいことがあるの……」
 うわごとのような、掠れ声。一も二もなく頷いた。
「うん、ボクにできることならなんでも!」
「みこと、やさしい……。あのね……」
 何を言われるのだろう。出来ることなら良いのだけれど。どきどきしながら言葉を待った。
 結果言われたのは、
「あたしを”女”にして!」
 予想だにしない言葉で。
 ぴた、と硬直。時間さえ止まったように思えた。
「ねえ、いいでしょ〜? ちょっとアレをコレするだけじゃな〜い?」
 引き気味のみことに、蘭丸が擦り寄る。
「……あのね、蘭丸? そういうのは、あんまり病人がするお願いじゃないんじゃ……」
 頬をひくつかせながら、みことはやんわりと拒絶する。が、
「あ〜っ! みことひっど〜い! こんな病人の、最後のお願いも聞いてくれないの?」
 蘭丸は途端にベッドから起き上がり、頬を膨らせ口を尖らせた。
 急に元気になった様子に、
「……さては仮病?」
 みことは疑いの目を向ける。と、ショックを受けた様子の蘭丸が、
「そんな……あたしの言葉を疑うの……?」
 よろりとベッドに倒れ込む。
「え、あ。あの、蘭丸……? その、ごめん……」
 さすがに言いがかりだったかな、と蘭丸の頭をなでようとしたら、がしりと腕を掴まれた。
「あ、わっ」
「やった〜! つっかまっえた〜! ぬへへ、こうなりゃあたしがみことを”女”にしてやるもんね〜!」
 それから服に手をかけて――
「うわっ、服脱がさないで! あうん、変なところに手が……だっ、誰か……あ〜れ〜」
 艶かしい声が、響く。


 病室でその後何があったのか。
 当人たち以外に、知る者は居ない。