薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

Zanna Bianca II(ドゥーエ)

リアクション公開中!

Zanna Bianca II(ドゥーエ)

リアクション


●22

 ラムダは身を捩って逃げた。人質をとって契約者たちを後退させたので、距離を取るのは容易かった。
「イヒヒヒ……死んじゃったんだよ! タニアって子があんまりムカつくことばかり言うもんでね! あんたらだって、気に入らないオモチャはそうやって壊してきただろう!?」
 また会おうよ、と捨て台詞を残し彼女は指を鳴らした。機能を停止していた機械犬が数頭、飛びかかって弥十郎と八雲の動きを妨害した。脱兎とはまさにこのこと、そこから、赤毛を振り乱して彼女は逃げた。すでに凶相に変貌している。口は乱杙歯、涎すら零しながら走った。しかも、
「ボクの勝ちだ! 勝ちだ!」
 と、自画自賛しながらラムダは走っていた。
「勝ちじゃありません! あなたが勝てるはずないわ!」
 その声の主は、ラムダの斜め前方から躍りかかり、組み付いた。怪物のような顔になったラムダが冷凍線を浴びせるも、組み付いた八本の腕は離れなかった。木製の腕だった。
「なにこれっ!」もんどりうってラムダは前のめりに倒れた。そこは斜面になっており、彼女は来た方向に滑り落ちた。「なに、なによ……この人形っ!」
「名前は順番に、リーズ、ブリストル、クローリー、エディンバラ……私の人形です!」言葉とともに、目視できないほど細く、クランジの突進を止められるほどに強い糸が、ひゅっ、と風鳴りした。茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)だった。彼女と、彼女が繰る四体の人形だった。「パイとあなたの情報が入った後、万が一のことを考えてこの方面から包囲の輪を狭めていたんです」衿栖が少し、指先を動かすだけで、名指揮者に指揮されるオーケストラのように、四体の人形が巧みに動いてラムダを囲んだ。「もう逃げても無駄です。この糸が届くすべての場所が私の間合ですっ!」
「この場所で遭遇できたのは最良だった。こちらは斜面の上、そちらは下だ」衿栖と並んで立ち、レオン・カシミール(れおん・かしみーる)は冷徹に告げた。「地の利はこちらにある。いずれ、後方からこちらの味方勢が追いつくだろう。諦めたほうが良さそうだな」
 転がって立ち上がったラムダは、クローリーのタックルを凌ぎ、抜いたナイフでリーズを追い払った。「ボクが、こんな! こんなものに!」
「こんなものじゃなかったら、どんなものが良かったの!?」たとえば、と頭上からラムダを強襲したのは小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)だった。美羽のみならず、美羽が乗るものの重量がラムダにのしかかる。グギャッ、と奇声を発してラムダは押し潰され、ほうほうの体でそこから這い出した。荒天に突っ込ませた小型飛空艇ヴォルケーノだった。美羽はこれに乗り、敢えて墜落したのだった。ラムダ目がけて。
 美羽は逃がさない。調子が狂い始めたラムダの凍結息(フリージングブレス)をスウェーしてかわし、雪の中でも地上のようなフットワークでジャブを叩き込む。一発、二発、一撃一撃は軽いが、着実に効いている。
「こんな寒い場所だからこそ、使ってみたいアビリティだよね」美羽は言った。「これぞ盛夏の骨気っ!」湾曲の大きなフックで、ラムダの体を吹き飛ばした。
「油断しないで美羽さん!」ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が声を上げた。ラムダが落ちたナイフを拾い、斬りつけて来たのだ。ナイフがなんらかの活力を与えているのか、ここまで痛めつけられた存在と思えないほど、際どい速度でラムダは凄まじい突きを放つ。
「死ね……死ねっ! 殺してあげる! あの小娘みたいに耳も鼻も削いで、目玉をひとつずつほじりだしてやる!」
 だが背中に強烈な一撃を浴び、ラムダのラッシュは終わった。
 超音波だ。強烈な周波の音が、塊のような力と化して破壊力を有す――クランジΠ(パイ)に搭載された特殊能力である。
 ラムダは牙を剥いた。その顔は、ヒステリックな笑みと怒りが入り交じったような表情を形作っていた。「裏切ったね! 塵殺寺院を裏切った! これでもう、キミは、かつてキミが非難してたユプシロンやオミクロンと同じさ! 人間に負けたんだ! あいつらの甘さに蕩(とろ)かされて!」
 イヒヒとラムダは笑った。ここが喜劇の舞台で、自分はその観客であるかのように笑いこけた。エキストラキャストのつもりか、機械の犬が数頭、半壊した姿ながら現れていた。
 恥じる姿を期待してのラムダの嘲笑だったのだろうが、パイはただ、呆れたような顔をしただけだった。
「信じられない……あたし、こんなのと同類だったわけ?」
「パイ!」美羽は清んだ蒼い瞳を輝かせた。「この前は一緒に戦ってくれてありがとう。そして今回も!」
 パイだけではなかった。朝霧垂、橘カオル、仲瀬磁楠、東園寺雄軒、水無月睡蓮、ローザマリア・クライツァール――この場だけはこれまでのいきさつを忘れ、学校同士の枠も超えて、ラムダと戦っていたメンバーが次々と姿を見せていた。榊朝斗やアリア・オーダーブレイカーのように、倒れたパートナーを介抱するため追っ手に加われなかった者もあるが、ほぼ勢揃いといったところだろう。
 パイは美羽をちらりと見ると、自分の立場を明らかにするように声を上げた。「誤解しないで。私はあんたたちに荷担したつもりはないから。個人的にこいつが許せないだけ。こいつに怯え、塵殺寺院という名前に怯えていた自分もね」
「だが少なくとも今は、俺たちの目的は同じだ……パイ。俺は共に戦う」グレン・アディールが宣言した。
「久々に本気ではらわたが煮えくり返ってるよ。タニアの無念を想うと……。兄さんも同じ気持ちだよね」弥十郎が問いかけると、「うるせぇ」と八雲は短く応えた。だがそれは否定を意味しなかった。
 冷静であれ、と鬼崎朔は己に言いきかせていた。(「……いくら、復讐心で頭がいっぱいになってても、冷静でいられなくなったら負けだからな」)
 その隣に立つスカサハ・オイフェウスは寒気を覚えていた。それは、また降り始めた雪のせいだけではないだろう。
「確かにクランジの皆さまは許されない過ちを犯したかもしれないであります……。でも……ファイス様や美空様は………お友達になれたであります。ロー様もそうでありますし……パイ様だって、ほら! きっと最後は他のクランジの皆様ともお友達になれるはずなのであります!」こらえきれなくなって、スカサハは彼女のマスターに嘆願していた。「だから……ラムダ様も壊そうとしないでください!」
 どん、と鬼崎朔はスカサハの肩を押しのけた。こんなに赫怒した朔を、これまでスカサハは見たことがなかった。
「お前は! やつの発言を聞いて何も感じなかったのか! 無力な少女の耳鼻を削ぎ、眼球を抉ったと言っている。あれは嘘や軽口じゃない。一笑に付すことができたらどれだけいいか…………だけど、あの外道の言っていることは明らかに本当だ!」
「でも……」
「でもじゃない! もう少し大人になれ!
「で、でも……でも……」
「邪魔しようとするならスカサハ、私はお前相手でも本気でキレるぞ」
 そのとき、ラムダへの一斉攻撃が始まった。対峙に耐えきれなくなったか、パイが戦端を開いたのだ。
「ラムダ! あんたを倒して、あたしはあたしを取り戻す!」パイは超音波を飛ばす姿勢に入った。
「口だけ一人前、手を汚したこともないガキが! クズぞろいのタイプIIIの中でもとびきりの出来損ないが! そんな無様さらしてボクに逆らうか!」
 ラムダの攻撃のほうがパイより速かった。ラムダのナイフがパイの二の腕を抉ったのだ。しかし浅手だ。パイの背を、エディンバラと名づけられた人形が引っ張り、ダメージが通るのを防いだから。
「パイ、あなた一人でも私一人でもラムダには勝てません。だから……私たちで倒すのよ!」人形を操るは茅野瀬衿栖、閑かに、されど力強く、その言葉でパイを勇気づけた。「朱里、今よ!」
「忍びに忍んできたからね! この一撃は外さないよ!」
 これまでずっと、霧隠れを発動して身を隠し、意識すら殺してひたすら風景に同化していた暗殺者が、満を持してラムダに奇襲を決めた。茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)であった。「衿栖が覚悟決めてるならもう朱里は何も言わないよ。全力で決めて!」
「その間合いだ!」レオンが告げたとき、銃弾、エネルギー銃、剣から放たれる真空波……様々な攻撃がラムダを襲った。その中には、衿栖の四つの人形の繰り出した攻撃、パイの超音波も勿論加わっていた。
「イヒヒ、効かない……効かな……」まだ強がるラムダの顔面に、小さな手が叩き込まれた。美羽である。彼女の燃えさかる手である。「そのいやらしい笑い方……気に入らないのよ!」
 美羽はその腕を高く上げた。ラムダの足が雪から離れた。つり上げられたのだ。凄まじい握力に臂力だ。
 美羽は手に力を込めた。想いも、込めた。それと同時に、美羽から力の波動が注ぎ込まれていった。大量に、大量に、大量に……無限の勢いで!
 四方に破裂音をあげラムダの鼻から上が爆発した。それは花火のような、不思議に幻想的な光景だった。
 頬から頭頂にかけ、その頭部は消失し、機械の配線が枯れ枝のように剥き出しとなった。
 ラムダは、どっと尻から雪に落ちた。そして異様な裏声で悲鳴を上げたのである。
「嫌っ……許して…………許して……!」
 もうラムダにプライドはなくなっていた。頭が砕けたので立つことも叶わない。彼女は地虫のように雪の上に這いつくばっていた。短い一瞬で彼女が失ったのは頭部の四分の一だけではなかった。膝から下の両脚が落ち、右手も肘の辺りが砕け、手はぶらぶらと揺れるだけになっていた。
「……痛いよぉ……もういい子になるから許してよぉ……」悪魔のようなあのクランジが、今は子どものように、ボロボロと泣きじゃくっていた。
「また演技だろう」騙されるな、と誰かが言った。
 ローザマリアは黙って銃の撃鉄を起こした。
 グレンも銃の引き金に指をかけていた。
 九頭切丸が飛び降りて、いつでもクランジの頭部を踏みつぶせる位置に立った。
 しかしラムダの右側だけになった目は、その誰のことも見ていない。「……お母さん……帰ってきて…………帰ってきてよぅ……」いつしかラムダの言葉は、うわごとのようになっている。口からぼたぼたと赤いオイルが溢れていた。死期が近いのだ。
 このときスカサハがラムダのそばに立って、両腕を拡げ立ちふさがった。
「あんなに……あんなになっているラムダ様を、これ以上攻撃するのはやめてほしいであります! 可哀想であります!」九頭切丸に両腕をかけてスカサハは首を振った。「もう許してあげて……」
「断る」
 応えたのは九頭切丸ではなかった。九頭切丸は無言だ。
「この鏖殺寺院のクランジは……殺すべきだ」
 鬼崎朔だった。
 彼女は十字剣をクランジの額に突き立てた。柄まで押し込んで串刺しにした。
「……お母さん…………お、お父さん…………」
 許して、と短く呟いて、クランジΛ(ラムダ)は活動を止めた。
「みんな、下がったほうがいいわ」睡蓮が言った。「きっと爆発する」
 数秒後その言葉は現実となり、ラムダがこの世に存在した痕跡は、いくつかの部品だけとなった。