薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

【カナン復興】東カナンへ行こう! 3

リアクション公開中!

【カナン復興】東カナンへ行こう! 3
【カナン復興】東カナンへ行こう! 3 【カナン復興】東カナンへ行こう! 3

リアクション


第4章 テセランへ

 アーンセト家直轄地・テセランの町はアガデの都より南の方角に在る。途中休憩を挟みつつ、馬車を用いて丸1日の距離だ。
 馬車の単調な揺れに身を任せつつ、そういえば、と遙遠は思い起こした。以前、リドの町へ向かうときもこうしてバァルと向かい合わせで馬車に乗っていたな、と。
(あのときも、目的はアナトさんにお会いするためでしたっけ)
 今から1年近く前、バァルはネルガルとの最終決戦を前にして、国政を安定させるために対立するおじのナハル・ハダドの要望に応じて、ろくに知りもしない女性アナト=ユテ・アーンセトとの結婚に踏み切った。ところがアナト自身の希望により結婚式は延期され、なんだかんだと今も式は執行されていない。それどころか婚約は破棄されてしまった。彼女の弟エシム・アーンセトが領主暗殺未遂犯として捕えられたために。
 エシムのことを思い出し、遙遠は表情を曇らせた。
 エシム・アーンセト。12騎士の1家、アーンセト家の当主。そうたいして彼のことを知っているとは言いがたいが、城やロンウェルで会った彼は、特に好意が持てる相手ではなかった。セテカを敵視し、何かとすぐ感情的になっては不服そうな目をして押し黙る。己の考えを隠すすべを知らないというか……分かりやすいといえばこれほど分かりやすい相手もいないが。それでもバァルには一定の敬意を払っていた。
 そんな彼が、騎士役剥奪という今度の処分についてどう考えているのか、遙遠は少し不安だった。
 いくら処分を行ったのがバァルとはいえ、まさか自国領主に敵意をぶつけてくるとは思えないが、それでも常に万が一ということはある。己の将来を悲観し、思い詰めるあまり自暴自棄になる者は少なくない。
(警戒するにこしたことはないでしょうね)
 かといって、こんなことをバァルに言うと「つくづく心配性だな、おまえは」と返されるに決まっているから、絶対口にしたりはしないけれど。
(メイシュロットでも言われてしまったし。でも、そうそうすぐにやめるなんて無理――…)
「どうした」
「え?」
 唐突に問われて、遙遠はさっと手元から顔を上げた。
「さっきから何か考え込んでいるだろう」
 いつからそうしていたのか。窓枠でほおづえをついたバァルが、穏やかにほほ笑みながら彼を見つめている。
「ええと…」
 まさか先の考えをそのまま言うわけにもいかない。数瞬迷ったのち、遙遠はその少し前に考えていた無難な話題を口にすることにした。
「1年前もこうして馬車でアナトさんに会いに向かっていたなと思い出していたんです」
「ああ、なるほど。そういえばそうだったな。しかし今回わたしが会いに行くのはエシムの方だ」
「そうなんですか?」
 軽く驚く遙遠に、バァルは1通の封書と書類を差し出した。
「これを渡しに行く」
 差し出しているということは、読んでもいいということなのだろう。先に書類の方に目を通している途中で、遙遠は「ぷっ」と小さく吹き出した。
「すみません。まさかこんな方法があるとは思わなかったものですから。面白い抜け道を考えつきましたね。
 でもこれ、セテカさんとリヒトさんの連名ですが?」
「まったく。どうせリージュの差し金だろう。あいつらはつくづくリージュに甘いからな」
 あきれた声で言いつつ、返されたそれをバァルは再びしまった。
「リージュ?」
「ハワリージュ・リヒト。リヒトのところの3人娘の長女で、セテカの元婚約者だ。おまえも見たことがあると思うが……赤い髪で、男のような髪型をしている。才気煥発な準騎士だ」
 言われて、遙遠は記憶を探ってみた。黒髪が多い東カナンで赤髪はめずらしい。女騎士ということもあり、すぐにそれらしい女性の姿に思いあたった。
「そういえば、何度か城内で見かけたことがあるような気がします」
「あの娘は父とセテカが自分に甘いのを知っているんだ。今は片鱗もないが、昔病弱で、何度となく危篤に陥ったことがある。それが関係しているんだろう。困った娘だ」
 そう口にしながらも、彼女について語るバァルの目も表情もやさしい。
 そんなバァルを見て、でもそれならエシムさんの方こそ呼び出せばすむ話では? と思ったが、口にする前に理解できて、やめた。
 結局のところ、バァルも彼女に甘いのだ。セテカの元婚約者ということは、バァルともそれなりの仲というのは想像に易い。それに、なぜエシムをアガデに呼びつけないのかも、なんとはなし想像がつく。
 エシムは実行犯だが、裏で彼を操った者がいることをバァルは知っている。証拠がないので口には出さないが、アナト奪還部隊にいた者は1人残らずそれが事実と知っていた。意識不明のバァルのそばでうずくまり、ぶつぶつととりとめのないことをつぶやいていたエシムの様子はあきらかに常軌を逸していたからだ。凶暴的な狂気に侵されていたというのとは正反対の意味で。
 そして、現場に残されていた、あの壊れたオルゴール…。
 エシムはあんな物、持ってはいなかった。しかしバァルを撃った銃が手元にあり、エシムしかいなかった以上……そして、撃ったのはエシムだという事実がある以上、実行犯として彼を裁かなくてはならないのは仕方のないことでもあった。
 セテカも言ったではないか
『公平性を欠くことは、最も避けるべきことだからな』
 と――。
 そんな彼をアガデに呼びつけるということは、重犯罪人として扱うことになる。両手足に逃亡防止の鎖をかけられ、犯罪者用の鍵付きの馬車に乗り、兵に囲まれてテセランから居城まで連行される――そんな彼の姿を見て、テセランや道中の町の人々はどう思うだろうか? アガデの民は? そしてエシムは。
 呼びつけるでなく、使者を送ってすませるでなく。バァル本人がこうして出向くのは、言葉に出せない彼なりの誠意の表れなのだろう。
(これが領主としての建前とバァルさん個人としての本音、ということですね)
 一体今まで、こういうことが何度あったのか。そしてこれから何度起きるのか。東カナンの頂点にただ1人座する限り、終わることはない。そのたび彼は沈黙し、1人胸に沈めていくのだろう。
 嘆息する。バァルに気付かれないよう、小さく、車輪の音にまぎれこませて。
 そのとき、ドアがコツコツとノックされた。
「バァル。なんか、追っかけてきてるやつがいるみたいだぞ」



 馬車を止めて降りたバァルは、後方に目を凝らした。の言うとおり、砂煙を巻き上げつつ迫ってくる物がある。
 別馬車に乗っていた護衛兵がバラバラと駆けつけた。彼や遙遠たちの周囲を固め、剣を抜こうとする。
「待て」とバァルは命じた。「馬車にしては速い」
「だねぇ。地上からも浮いてるし、ありゃあ多分飛空艇だわ」
 切の言葉が終わるか終わらないかのうちに、それが何か視認できるようになった。やはり飛空艇で、運転席にいるのは高柳 陣(たかやなぎ・じん)だ。
「バァルお兄ちゃああああーーんっ!!」
 エンシェントが完全に止まる前に飛び出してきたのは、ティエン・シア(てぃえん・しあ)だった。
「ティエン!」
 両手を伸ばして一心に走ってくるティエンの健気な姿を目にした瞬間、パッとバァルの口元がほころぶ。前をふさぐ護衛兵を脇に押しのけ、抱きとめようと広げられた腕に、ティエンはまっすぐ飛び込んだ。
「バァルお兄ちゃん! よかった、追いつけたぁ!」
 ほうっと安堵の息を吐き、ますますバァルにしがみつく。
 一方で、バァルは「あれ?」ととまどっていた。
 軽い。いや、小さいし、細身だし、軽いのは当然だが。
 抱いた肩とか、腕とか。それに、なんだか服を通じて伝わってくる腰や……む、胸のあたりの感触が……………………あれ??
「ティ、ティエン……おまえ、男の子じゃ……?」
「僕、女の子だよ?」
 いや、まさかそんな……とおそるおそる尋ねた質問に、ティエンはあっさり答える。
 両足を地面につけ、あらためてしがみつくと同時にティエンはバァルを責めた。
「ひどいよ、バァルお兄ちゃん、ちょっと到着が遅れたぐらいでさっさと行っちゃうんだもんっ。復興のお手伝いに、僕が絶対来ないはずないって知ってたでしょ? なのに――」
「おーいティエン、バァルはひとっことも聞いてないぞ」
 後ろから陣が、少々どころかかなりあきれ返った口調で言葉を投げる。その言葉どおり、バァルはうつむいて、先にティエンを受け止めた体勢のまま、わずかも動いていなかった。

 ――固。

「やっと気付いたか」
 腕組みをする陣の横、
「うーん。みごとに固まってるねぇ」
 これはこれで面白いな、と切が頭の後ろで腕を組む。
「リゼ、デジカメ持ってきてない?」
「持ってきてませんわ」
 あらざんねん。
「遙遠は?」
 素っ気なく首を振る。
「バァルお兄ちゃん? バァルお兄ちゃんってば! ねえ? 僕の声聞こえてる!?」
 下から覗き込み、あせって掴んだ両腕を振るが、バァルからの反応は一切なしだ。
 おそらくこのときバァルの頭の中を占めていたのは、これまで自分が何気なくティエンにしてきた行いだっただろう。胸に抱き込んで一緒に横に転がったりとか、髪の毛わしわしとか。少年だと思うからこそ何も考えず気軽にしてきたことだったが、年ごろの女性に対してしていい行為では決してない。
 東カナンで15といえば、扱いに一番気をつけなければなならない女性になる。2人きりで同室になってはいけない、むやみに体に触れてはいけない――なにしろ貴族の女性は16〜20が結婚適齢期とされているのだから。
「バァルお兄ちゃん〜〜〜っ」
 まるで彫像のようになってしまってうんともすんとも言わないバァルに、ティエンが今にも泣き出しそうになったときだった。
 すっと流れるような足取りで陣の後ろから歩み寄る、歳のころ10歳前後の少年がいた。
 黒々とした髪を高めのポニーテールに結い上げ、精悍な顔立ちをしている。ぱっと見ではティエンよりずっと年下に見えるのに、どこか歳に似合わぬ理知的な、大人びた表情をしていることに、だれもが彼が英霊であると悟る。
 その、妙に達観した――というか、目の座った少年は、無表情のまま近付き、ティエンの横に並ぶと、問答無用といった動作でいきなりバァルの頭を殴りつけた。
 げいん、と小気味よい音がして、バァルの体が殴られたのと反対側にかしぐ。
「よっ、義仲くん!?」
「なんだ? この程度も避けられぬのか?」
 木曽 義仲(きそ・よしなか)は少し不服そうに殴りつけた自分のこぶしとバァルを交互に見た。
「疾風とあだ名され、武術大会では連戦連勝、向かうところ敵なしと言われてきた男というからにはさぞかし素早く動けるものと思うてきたが、とんだ見込み違いか」
「違うもん! バァルお兄ちゃんは本当に風のように動けるんだからねっ!」
「うん? 何をそんなに怒っておるのだ? ティエンよ」
 義仲は本気で分かっていないようだ。きょとんとしている。
「怒るに決まってるでしょ! いきなり殴るなんて! しかも理由がそれ!? そんなことで暴力ふるうなんて!」
「いや、これは暴力ではない。手合わせだ。威力もちゃんと加減して――」
「いいからバァルお兄ちゃんに謝ってよ!」
「分かった。分かったからそう目角を立てるな。愛らしい顔がだいなしだぞ、ティエン」
 とりなすように手を挙げて見せる義仲。そうやって2人が言い争って(?)いる間も、バァルは横にかしいだまま固まっている。
 バァルのはねた髪が、ぴうーっと吹いた横からの風になびいた瞬間。
 もう耐えられないといった様子でブハッと陣や切が吹き出して、腹を抱えて大爆笑したのだった。