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リアクション
この件はイバートの町へ着いても立ち消えることはなかった。
かなり遅めの昼食を終えたあと、出されたミントティーをすすりながら「しかしさぁ」とあらためて切が切り出す。
「バァルってばいくらなんでも鈍すぎじゃね? ふつー分かるよねぇ、ティエンが女の子だって」
「まあ、今までだれも間違えた者はいなかったな」
「だろ? どう見たってティエンはかわいい女の子だよ」
「ふむ。声も小鳥のさえずりのようだしのう。しぐさ、表情も邪気がない。あれは愛らしいおなごよ」
「そーそー。なのになんで分かんなかったのかねぇ?」
「しかたないですよ、あのバァルさんなんですから」
遙遠の説得力あるひと言に
「「「だよねえ〜〜〜」」」
切、陣、義仲がうんうんうなずいて熱いミントティーをすする。
「……おまえたち、まるでわたしがここにいないようにしゃべらないでくれるか?」
これもまた時間の力は偉大ということの表れか。経過とともに少しずつ立ち直ってきたバァルが、のろのろと言葉を発する。
とはいえ、まだ顔色は悪く表情も冴えなかったが。
「そうだよ! お兄ちゃんたちひどいよ!」
お茶を飲む気力もないといった様子でぐったりしたバァルの横で、ティエンが一生懸命援護に奮闘した。
「僕、しゃべり方こんなだし、髪だって短いし、手足だって竹竿みたいだし、胸だって真っ平らだし!」
「――いやティエン、おまえ自分で言ってて悲しくならないか?」
「バァルお兄ちゃんが間違えるのも当然なんだからっ!」
陣のツッコミにもティエンはめげない。
強く握り込まれたこぶしを包むように、そっとバァルの手が上からおおった。
「ティエン、悪いのはわたしだ。誤解していてすまなかった。なぜきみを少年と勘違いしていたんだろう? きみはこんなにもかわいらしい少女なのに」
バァルに間近から真摯な目で見つめられ、その言葉を聞いた瞬間、ボッとティエンの顔が赤く染まる。
「だ……って、僕、あの……その…」
どぎまぎ、あたふたするティエンとそれをにやついて見る切たち。
他方、バァルはそう口にしつつも、それがなぜだか分かる気がしていた。もちろん初めてティエンを見たとき、彼女がヒヨコの着ぐるみを着ていたこともある。まんまるに着ぶくれていた格好で、性別を判断するのは難しい。応援席の陣たちと話していたティエンは、彼女の言うとおり少年のような話し方をしていたし。そしてその次に会ったとき。自分を「兄」と呼びたいと言うティエンの無邪気さに、バァルは弟エリヤを見た。
己の落ち度であんな死に方をさせてしまった、最愛の弟。兄と慕ってくれるティエンの姿にその面影を重ねて、無意識的に思い込もうとしたのだ。まるで身代わりにするように。
(ひどい人間だ、わたしは…)
無意識とはいえ、己の残酷さに胸が悪くなった。それまでの自分を思い出すだけで息が詰まる。
だが正直に打ち明けることはできなかった。ティエンを悲しませたくない。――いや、それも違う。自分が、ティエンに失望されたくないのだ。ときおり英雄か何かを見るような目で見て、無心に慕ってくれるティエンを失いたくない。
「バァルお兄ちゃん…?」
黙り込み、遠い目をして見つめるだけのバァルになんらかを感じておそるおそる問うティエンに、バァルはふっと笑みを浮かべた。
「そういえば、すっかり礼を失していた。以前、黒い羽ペンを送ってくれただろう?」
「あ、あれ?」
ティエンもそのことを思い出す。文房具店のショーウィンドーに飾られていたそれは見事な彫刻の入ったアンティーク風の逸品で、目に入った瞬間ティエンはそれを握る手の先にバァルの姿が浮かんだ。そうなるともうそれはバァルのための物としか思えなくて。カナンにクリスマスがあるかどうか知らなかったけれど、クリスマスプレゼントと称して送ったのだった。
「ちゃんと届いてたんだねっ。よかった!」
「ああ。とても美しい品だ。大切に使わせてもらっている。ありがとう」
バァルの語尾に重なって、ギギギと床をこする音を立てて料亭の扉が開いた。
砂埃で白っぽく汚れたマントをまとった男が入ってくる。足を止め、だれかを捜すふうに店内を見渡して――疲労の色濃い顔色をしたその男を、バァルは知っていた。セテカがよく使う伝令兵だ。軍で一番の早馬の持ち主。
アガデで何か起きたか。バァルは瞬時に悟り、立ち上がった。
「ついて来なくていい」
バァルに合わせて腰を浮かせた別席の護衛兵や遙遠たちに指示をして、入口で立ち止まっている男の元へ近寄る。バァルに気付いた男はその場に膝をついて深々と礼をとると、即座に報告を始めた。昼食には遅い時間とはいえ、客は自分たちだけではない。さまざまな音にまぎれて、残念ながら男の声は奥のテーブルについた彼らの元までは届かなかった。
二言三言、質問を返したバァルは男をねぎらうように肩に手を添えてうなずく。そうして戻ってきたバァルの面は、固くこわばっていた。
バァルは護衛兵たちのテーブルでまず立ち止まり、すぐさま馬の交換をしている馬車の準備を急がせるように指示を出した。それと合わせて、こちらへ向かっているはずの第二第三の早馬から情報を収集するよう命じる。
「何があったんです? バァルさん」
「アガデで反魔族の大規模なデモとやらが発生したそうだ。城門が民たちに囲まれているらしい。すぐにアガデへ戻る」
「なんだって!?」
イスを蹴倒さんばかりの勢いで、一斉に全員が立ち上がる。
事態の急変に驚く面々の中、切だけが少し意味合いが違っていた。
「ここまで来て、そりゃーない!」
「だが戻らねば」
ふと思い出して、バァルは封書を取り出す。
「よかったらおまえたちのだれかがこれをテセランのエシムに届けてくれないか?」
できれば自分の手で届けたかったが、もう無理だ。デモというのが具体的に何かまでは分からなかったが、民が集団で城門前に押し寄せているというのは一大事だ。事態の深刻度によっては次にアガデを離れられるのは数カ月先になってしまうだろう。
「ああ。じゃあ俺が――」
陣が請け負おうと手を伸ばした先を奪って、切が封書をひったくる。
「こんなモン、どうでもいい!!」
力んだ手の中でくしゃりと封書がつぶれた。
「切?」
「いいか、バァル! おまえが真っ先に会わなきゃなんねーのはエシムじゃなくて、アナトさんなんだよ!!」
と、封書をポイッと陣に向けて放り出す。
「リゼ、例のやつぁどこだ!?」
「後部座席の足元に1袋1000枚入で3袋入れてありますわ」
「よし! ちょっとそこで待ってろ!!」
指をつきつけて命令し、料亭を飛び出して行った切は、ものの数分で再び駆け戻ってきた。
肩で息をする彼の手に握られていたのは数枚の紙――写真だ。それを、切はバァルにつきつけた。
「これを見ろ!」
それは、サンドアート展で隠し撮りされたバァルとアナト、2人のツーショット写真だった。肩を寄せ合って歩く2人、笑顔で見つめ合う2人……本当はその場には遙遠や陣といったコントラクターの面々や12騎士たちもいたのだが、うまくトリミングされて、まるで2人だけのデート写真のようだ。
最後の1枚は『東カナンの未来』と題された、2人が晴れやかな結婚衣装をまとって寄り添う砂像の前で、やはり同じように寄り添って写された写真である。これまた切の策略によって2人きりに仕立て上げられて撮られたものだが、見ているこちらの口元がゆるんでくるようなぬくもりの伝わってくる、いい写真だった。
「なあ、バァル。ワイは、バァルにふさわしい女性はアナトさん以外おらんと思てる。バァルだって、以前アナトさんとの結婚を決めたときに、ワイに言ってたろ? 会ったことがなくても、今まで会ってきたどの女性よりも彼女のことを知ってるって。彼女は尊敬に値する女性だって。
そりゃ、今だって何もかも知ってるとは言わんかもしれんけど、全部じゃなくても、今ならあのときよりずっと、アナトさんがどんな人か分かってるよな? それでも足りないのか? アナトさんが何かしでかしたわけでもないのにさっさと切り捨てて、閉じ込めて……自分にふさわしくない相手だったとでも言うのかよ!?」
力説する切の言葉を聞くにつれ、バァルは眉根を寄せていった。そしてようやく最後の方で彼が何を言わんとしているかを理解して、ふっと緊張を解く。
だが切はそんなバァルに気付かず、ますます熱くなって声を張り上げようとする。
「こんな風に2人で笑えなくなってもいいのかよ!」
「おまえの言いたいことは分かった、切」
微笑を浮かべたまま、バァルが言葉をはさんだ。
「だが、あの処分はしかたのないことなんだ。あそこで彼女を庇えばわたしの指導者としての資質を疑われ、反勢力につけ入る隙を与えることになる」
もちろんバァルとてアナトに何の罪もないことは知っている。だが己の甘さでアガデを崩壊させたという失態もあって、これ以上政敵に攻撃材料を与えるわけにはいかなかった。復興優先の今、東カナンの国政をこれ以上不安定にさせるわけにもいかない。これまでに盤石な基盤を築けていたのであれば、あるいは彼女を庇うこともできただろうが……公私混同は決してしないと、領主になるとき誓いをたてたということもあった。
「ただの女性じゃない! 自分の婚約者1人守れなくて、男としてこれほどなさけないことがあるか!」
ああ。その理屈も分かる。
バァルはあえてその叱責を受け入れた。
「そんなにも心配してくれていたんだな。ありがとう。彼女についてはわたしにも思うことがないわけではないんだが、そう見えていたのならすまなかった。ただ、彼女と会うにはもう少し時間を空けた方がいいと判断していたんだ」
「って?」
「アガデがあの状態だからな。以前のように、訪ねた先から門前払いをくらってはたまらない」
そのときのことを思い出してか、苦笑する。
前回旅に同行した遙遠は思いあたった。そういえばナハルの屋敷で彼女と会ったとき、ぴしゃりとやられたんだった、と。
たしかにアガデが復興していない今の状況でうかうか会いに行ったりすれば、今はそれどころじゃないだろうとまた放り出される可能性はある。
だが。
「それがどうしたあーっ!!」
切は目の覚めるような一言の下、その言い訳を切り捨てた。というか、全力ではたき落とした。
「目の前ドア閉められたらぶち抜いて入れ! 一度や二度拒絶されたからってあきらめてすごすご戻ってくんな! それだけの価値がある女だろ、あの人は!」
分かったらとっとと頭でも権力でも使ってどうにかしてこいやぁ!!
「いや、しかし…」
「バァルさん」
見かねて遙遠が助け舟を出した。
「デモというのは暴動ではありません。バァルさんたちへ自分たちの要求を訴える行進です。もしそれが暴力的なものでしたら、セテカさんもイコンか飛空艇を用いてバァルさんへ迎えを寄こすでしょう。向こうには今、コントラクターがたくさんいるんですから。
もちろんバァルさんが戻らなくてはならないというのは分かりますが、緊急性はそれほどないと思われます」
「バァル! 今から馬車でアガデへ戻るとして、帰り着くのはいつだ?」
「……明日の昼だな。じきに夕暮れになり、陽が落ちる。そうなればどうしても宿をとらなければならない」
その返答に、「よし!」とうなずく。
「来い、バァル! 飛空艇を使えば馬車でアガデへ戻るのとそう変わらないくらいの時間でテセランを往復できるはずだ!」
切はバァルを乗せ、フルスピードでアルバトロスをテセランへ飛ばした。
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