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リアクション
黒い六角柱ポッドが砕け、黒煙を吹いて地に倒れる光景は松原 タケシ(まつばら・たけし)も見ていた。
「終わりの始まり、といったところか?」
背後からそんな声がかかる。
振り向くと、そこにいたのは黄金色の銃を携えた1人の青年だった。見覚えがある。アストーを迎えにダフマを出た彼に、不意打ちの一撃を入れた男だ。あれは見事だった。
「わたしは何も言ってはいないが……おまえはあれをそう見るのか」
タケシの言葉に、柊 真司(ひいらぎ・しんじ)は素っ気なく肩をすくめて見せただけだった。
赤い人工の光を放つ義眼が静かに彼を見つめる。
彼は悔いていた。あのとき、義眼にサイコメトリをかけようと思ったりせず、あのヘッドセットや義眼を破壊していればよかったのだ。そうすればタケシはヒラニプラで精神を破壊されることなく、こんな戦争が起きることも防げていたかもしれない。
(そして……あんな敵を知らずにすんだ)
『女神。博士のお仕事のお邪魔をしてはいけません』
子どもをたしなめる母親のような、愛情にあふれた声だった。
悪辣非道なだけの者など、そうはいない。争いは二者の意見の対立により生まれるもので、どんな相手にも、それをした事情というものはある。
真司の見たルドラは女神を愛していた。博士を愛していた。
だが、間違いだ。
「おまえは間違っているんだ、ルドラ!」
一瞬で呪魂道をかまえた真司は、真正面からタケシを狙い撃った。
片手銃でありながら全長55センチ、総重量8キロという、化け物じみた大きさの大口径回転式拳銃は、まるでショットガンのような爆音をたててその凶悪な牙を射出する。
まともに入れば人の体など紙のように貫いて大穴を開けるに違いない銃弾は、しかしタケシのはるか前方でバリアに当たって砕けた。
「わたしが間違っている?」
「そうだ」
答えは別の方角から起きた。
あの1発でタケシをどうにかできるとはさらさら思っていなかった真司は場所を移動して、そこからさらに銃弾を撃ち込む。
「だがおまえには気付けないだろう。だから力ずくで阻止する!」
「おまえが?」
「俺や、みんながだ!」
「――それは難しいようだな」
「!」
突然何かが真司めがけて飛来した。かすかに聞こえた空を切る音に、とっさに避けた彼の元いた位置に飛竜の槍が突き刺さる。
高所から飛び下りてきた1つの影。それは月崎 羽純(つきざき・はすみ)だった。
白銀の甲冑をまとった、騎士のような凛々しい若者。しかしその黒い瞳は輝きを失い、表情は凍りついているかのように何も映していない。
「おまえは…」
覚醒者か。
「俺はルドラさまを護る盾であり剣。彼を傷つけようとする者には容赦しない」
羽純はそう宣言すると、飛竜の槍を引き抜いて二槍のかまえをとった。そのままゴッドスピードで真司へ突き込もうとしたが、直前、矛先を側面へ向ける。
ぎゃりっと刃と刃が噛み合う音が起きた。
「ちッ!」
舌打ちをもらしたのはリーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)だった。
横手から不意打ちをかけようとしたのだが、あと一歩のところで防がれてしまった。
羽純の押す力に合わせて背後へ跳ぶ。着地した先で、ぶん、と金色の大剣を振ってかまえた。
――リーラ、あれはドルグワントではない。覚醒者だ。
金色の大剣は思念を発する。武器に見えて、その実そうではなかった。彼はソーマ・ティオン(そーま・てぃおん)。微細なナノマシンによって構成された体を持つポータラカ人である。
「だから?」
そう答えたリーラは、ソーマが納得していないのを感じ取って、さらに言葉を足す。
「そりゃあ私だって自分からはやり合いたくはないわよ〜? 面倒だし。でも、こうして売られたケンカまで買わないつもりもないわよ〜」
――そうか。だが、あまり無茶はしてくれるなよ。
不敵に笑って羽純を見る、その挑発的な様子はとても「面倒だからやりたくない」という姿には見えないのだが、ソーマは納得したらしい。
「ソーマ、槍」
リーラの要求に応じて、金色の大剣は次の瞬間十文字槍形態へと変化していた。
「行くわよぉ〜っ」
喜々として突き込むリーラと羽純の槍が、真っ向からぶつかった。互いに高速で数度の突き込みを行った末、がちりと刃を噛み合わせる。リーラはソーマ1本だが、羽純は2本。右の槍がソーマと噛み合っている間に左の槍がリーラの死角を突こうとする。それを、リーラは手で受けようとした。
穂先がやわらかなてのひらを突き破るかに思えた瞬間、彼女の手からドラゴンの首が生え、穂先を丸のみして柄を噛み砕く。ドラゴニックアームズは砕けた槍の欠片を口からこぼしつつ、その威容で羽純を威嚇さえしてみせる。
砕けた槍を投げ捨て、羽純は距離をとった。真空波とエネルギー弾が交互にリーラを襲う。この近距離でそれらすべてをかわすことはいかにリーラでも不可能。彼女は液体金属トランスブレードで必要最低限の部位だけ守ることにして、羽純への攻撃を優先させた。
「やって、ソーマ!」
突き出された槍の穂先がグンッと伸びて、飛来するエネルギー弾をかいくぐって水ヘビのように宙を泳ぐ。
迫り来る黄金の生きた刃に羽純が身構えたときだった。
「やめてっ!!」
悲鳴のように叫んで、少女が羽純とソーマの間に飛び込んだ。
――くっ…!
ソーマは身をねじり、少女の胸を貫く寸前でどうにか回避する。
今しも死ぬか、致命傷を負っていたかもしれないというのに、少女は両手を横に伸ばしたまま一歩も退かないかまえでリーラを見つめていた。
「……あの男のパートナーといったとこかしら〜?」
――だろうな。
十文字槍形態に戻ったソーマが答える。
「私はイルミンスールの遠野 歌菜といいます! 彼は月崎 羽純! 羽純くんには私が全責任を持ちます! だから手出し無用に願います!!」
――だ、そうだ。どうする? リーラ。
「ふふん。ま、特に相手に不自由はしてないしぃ? ここは彼女に譲りましょ〜」
リーラはかまえを解くと背を向けた。
彼女の言葉は正しい。タケシを護るべく、生き残りのドルグワントがここへ集結し始めている。そのうちの1体が撃ち出したエネルギー弾を避けて跳躍するなりリーラはソーマを投擲した。
ドルグワントと戦闘を始めたリーラに、彼女が納得してくれたのを確信して、遠野 歌菜(とおの・かな)は羽純の方を振り向いた。
羽純は暗い目をして彼女を見つめている。
「羽純くん。やっと見つけることができた。ここにいたんだね。ずい分捜したよ?」
笑顔で小首を傾げる動きに合わせて肩の上で切りそろえられた茶色の髪がさらりと揺れる。湖水のような静けさをたたえた青い瞳の愛らしい少女。
見つめているうち、何かが頭のなかを刺激してきて、その不快さに羽純は眉をひそめる。
「……おまえなど、知らない」
頭のなかの不快さを断ち切るよう口にした言葉。それを聞いて、なぜか少女はひるんだ。まるで攻撃を受けたかのように、胸元へ手を添える。
震える指が、きゅっとこぶしになった。
「私、歌菜だよ。ほら、見て。おそろいの指輪してるでしょ? 私たち――」
「おまえなど知らないと言っている!」
「あっ…!」
振り切られた槍の穂先が歌菜の指先を傷つけた。
彼女の指先を伝って流れた血が、さらに羽純の胸を重くさせる。まるで頭と胸にそれぞれ鉛を抱え込んだみたいに。
不快だった。なぜ見知らぬ女が傷ついたからと、こんなふうにならなければいけないのか。自分はルドラさまを護る剣だ。ルドラさまを護ることだけを考えていればいい。
大義を前に、それ以外など不要。
羽純は歌菜の持つ大空と深海の槍を指差した。
「おまえも騎士ならば、かまえろ」
「そんな……羽純くんとなんて、できないよ」
「そうか。だが俺は全力でいかせてもらう!」
羽純は歴戦の武術を発動させた。ゴッドスピードで歌菜へ突き込んでいく。
言葉のとおり、全力の攻撃だった。歌菜さえ倒せば、この不可解な重りはなくなると信じているのだ。
「羽純くん、思い出して…! 今の羽純くんは本当の羽純くんじゃない! それは羽純くんの考えなんかじゃなくて、体のなかにいるものにそう思い込まされてるだけなの!」
歌菜は懸命に訴える。
「言葉で惑わそうとしても無駄だ。俺を止めたいというのなら、力ずくで止めてみせろ。それができるならばの話だがな!」
びゅっと飛竜の槍が突き込まれた。
羽純のことは全て知り尽くしている。彼が敵にどういう攻撃をするか、その癖まで。いつも彼を見てきたから。
だからはじめのうちこそひたすら回避に努めていたものの、しかし羽純の猛攻にあってはそれも難しくなってきた。仕方なく歌菜は槍をかまえて、切っ先を捌くことにする。
手を読まれ、思うように攻撃が当たらないことにいら立ち、羽純はさらに攻撃のスピードを上げた。そうなると、読めても反応が追いつかない。びゅっと風切り音がして、穂先がのどをかすめていく。いち早く龍鱗化していたためかすり傷もつかなかったが、伝わる衝撃に、胸が痛んだ。
あんな冷酷な目をして。本気で自分を殺そうとしている…。
抑えきれない涙がこみ上げた。
「お願い、羽純くん。私たちのこと、思い出して…!」
「……っ…!」
羽純の頭のなかのしこりはいまや激痛にまでなっていた。いや、叫びだ。そこに何かがいて、火花のようにひきりなしに叫んでいる。まるでチャンネルが合っていない無線機のようで、何を叫んでいるかまでは分からないが…。
「……うる、さい……だまれ、だまれだまれ!!
おまえさえいなくなれば…!」
羽純は遮二無二全てを否定すると、振り払うように今まで以上の苛烈さで歌菜へと向かって行った。
そしてそこからそう遠く離れていない位置では、真司とタケシの戦いが続いていた。
真司は足を止めることなく移動し続け、呪魂道で銃撃をしている。大口径銃だけあってその威力は凄まじく、タケシの張るバリアなどガラスのように簡単に破砕してしまうだけの力を持っていたが、いかんせん、連射できないのがネックだった。すぐに次のバリアを張られてしまう。
「ありゃあ何かきっかけがいるなあ」
それまでパペットを相手に戦っていたメルキアデス・ベルティ(めるきあです・べるてぃ)が、2人の戦闘シーンを見て飄々とした声でつぶやいた。
「よーし! ここはひとつ俺が後ろからそーっとタケシのやつに近づいて羽交い絞め――ぐはッ!」
言い終わる前にフレイア・ヴァナディーズ(ふれいあ・ぶぁなでぃーず)のこぶしがほおにめり込む。
「もうっ! あんたってばぜんっぜん学習してないんだから!! そんなことしたらどうなると思ってるのよ!
あんたが静かに近付くなんて絶対無理! 気付かれたらエネルギー弾で撃ち抜かれるかもしれないし、でなくたって、あのバカでかい銃、タケシごとあなたを貫通するの間違いないじゃない!」
腹にもう1発ドスッ。
「がはッ!!
フ、フフ、フレイア……あの…」
胸倉掴んで揺さぶられ、メルキアデスの頭はがっくんがっくん前後に振れる。
「大体、何よ! メルキアデスのくせに、あんなに私やキルラスに心配かけて! あんたはいつからひとに心配かけられるほど偉くなったのよ!? これ以上心配かけさせようったってそうはいかないんだから! 無事戻ってこれたばかりなんだから、少しは自重したらどうなの!」
「フ、フレ…」
がっくんがっくん。
多分半分ぐらいしかメルキアデスの頭には入っていません、フレイアさん。
「もう――」
メルキアデスがほぼ目を回していることにも気づかず、まだ何か説教しようとした彼女の横を、そのとき、ひょこひょことだれかが歩いて抜けて行った。
だれかというか、何かというか。それはメルキアデスのパートナーのプロトタイプ・アクト ツー(ぷろとたいぷあくと・つー)だった。
このアクト ツー、一応機晶姫なのだが、ほかの機晶姫たちと同列視していいのかとまどうぐらいポンコツ(失礼)ロボである。
動いているのが不思議なくらいだから、当然戦闘力などゼロに等しい。
「ちょ、ちょっと…?」
フレイアに呼び止められ、ぐるん、とアクト ツーの首が回転した。
「……メルキー……息子…。
息子頑張ってる……私も頑張る。
……万歳」
万歳。
「いや、万歳じゃなくて」
両手をバンザイしたあと、アクト ツーは再びひょこひょこ歩き出した。
「だめよ、アク――あっ!」
伸ばしたフレイアの手の先をエネルギー弾が横切った。バスタードソードを手にドルグワントが接近している。
その姿を見た瞬間、フレイアはなぎ払うように手を水平に振った。振り切られた手の先から聖光の刃、バニッシュが飛ぶ。ドルグワントはこれを避けるため攻撃をいったん中止して、後方へ跳んだ。
片腕がなく、胸部にひびが入って速度が落ちていたが、その動きはまだかなり速い。
「メルキアデス!」
「わーってる! 俺様に任せとけ! 俺様強い強いつよーーーい!」
ヒロイックアサルト全開、戦闘用ドリルを手にドッペルゴーストたちとともにドルグワントへ向かっていく。
フレイアの補助でこれを仕留めたとき、なんとアクト ツーはタケシのすぐ近くまで接近することに成功していた。
(チャンスは1度だけだ)
できるか?
真司の脳裏にひらめきのように走るためらい。逡巡の果て、呪魂道を握る手をぐっと強めた。
できる。そして、やり遂げる。
直後。
――カチン。
撃鉄が底を打った。装弾のタイミングを逃したのだ。
彼の銃撃はいつしか一定のリズムになっていた。発射しない銃口、真司の表情からタケシもそれと気付いたに違いない。バリアが消えて、突き出された手のひらにエネルギー弾の光が生まれる。
「あぶない!」
それを見たフレイアが光術を飛ばした。
真司はこの瞬間こそ待っていた。
フレイアの光術にタケシが目を閉じた一刹那に呪魂道を捨てた手でアクセルギアを作動させ、一気に加速する。
横の動きから縦の動きへ。一拍遅れて放たれたエネルギー弾を跳躍でかわし、空中でワイヤークローを投擲しようとする。だがその瞬間――。
「!」
彼はアクト ツーの存在に気付いた。それまで3人が一直線上になっていて、気付けなかったのだ。タケシにばかり意識を集中していたせいでもあった。
「――ちッ」
チャンスは1度だけだ。これを逃せばない。
真司は心を決め、ワイヤークローを投げた。ワイヤークローはブーメランのように楕円軌道を描き、タケシにぐるぐる巻きついた――アクト ツーを巻き込んで。
「タケシ、どうどう。
怖くない。怖くない。私、パパ。
あなたのパパ。
タケシ、息子。
息子は助ける。
メルキー、タケシ、助ける」
タケシの背中にピッタリ密着して、アクト ツーは壊れたプレーヤーのように同じことばかり繰り返す。タケシはそれを無視し、バリアを発動させようとした。全身に張り巡らせる勢いで強引に鎖を千切り飛ばすつもりだ。
「そうくるんじゃないかと思った」
真司の放ったPキャンセラーがタケシの足に当たった。衝撃で吹き出した煙がタケシのスキルを封じる。
「そんなことをしたらタケシの体がもたないだろ」
「――こんな肉体、プロジェクト完遂までもてばいいだけだ」
「そっちはそうかもしれないが、こっちはそれだと困る――」
そのとき、彼らの頭上を巨大な影がよぎったと思うやザアアァァと突風が吹いた。
人を吹き飛ばしかねない強風。背中を押され、思わずひざをついただれもが巻き上げられた土埃から顔をかばう。
彼らを威嚇するかのように打ち込まれた水槍。
影と風の主は死龍だった。
龍珠を持っていない方の鉤爪にワイヤーを引っかけている。
「しまった、やつがいたか!」
気付いたときにはもう遅い。死龍は彼らの勢力圏を抜けていて、乗っている覚醒者たちらしき人影にタケシは引き上げられていた。
「お、おい! アクト ツー!?」
一緒にさらわれていくアクト ツーを見上げてあわてるメルキアデス。フレイアはいち早く空飛ぶ箒に乗っている。
「いいから追うわよ、メルキアデス!」
「あ、ああ!」
メルキアデスも小型飛空艇に飛び乗って、フレイアと死龍のあとを追いかけて行く。
北カナン首都キシュ、光の神殿のある方角だ。
「待って、羽純くん!」
オイレでやはり後を追おうとした羽純の背中に、歌菜がしがみついた。
「だめだよ、行かせない…!」
歌菜は羽純の背にほおを押しあて、震える小さな声でたどたどしく幸せの歌を口ずさんだ。
……覚えてる? 初めて会ったときのこと。契約したときのこと。
いろんな所に2人で行ったね。
ときどき羽純くんは意地悪だったな。けど、意地悪も全然いやじゃなかった。
全部全部、大切な記憶として……私のなかに残ってる。
気まぐれで、クールで。面倒臭がりなところがあって。
でも、本当はすごく繊細で優しい人。だから大好きになった。
「……っ。
私、羽純くんといると……それだけで、とても幸せな気持ちになれるんだ。あなたのこと、本当に好きだから…。
だから、お願い……どこにも行かないで。こうして……私のそばにいて…」
歌うことができなくなり、懇願する。
声で、彼女が泣いていることが分かった。
前に回った手を伝って、小鳥のように震えているのが伝わってくる。
「……だが、俺は…」
羽純はぎゅっと目をつぶった。
苦悩している、その横顔を覗き上げる。
「私のこと、どうしても思い出せないんだね…」
痛みさえ感じているような彼の表情に、歌菜は悟った。
思い出してほしいというのは私の願い。だけど、それで彼を苦しめたいわけじゃない。
「それでも……いい。私のこと、覚えてなくてもいいから、一緒にシャンバラへ帰ろう、羽純くん。今でなくても、いつか思い出せる日がきっと来るから。
もし思い出せなくたって大丈夫。そうしたら、2人で新しく始めるの。いろんな所へ出かけて、たくさん思い出を作って…。また恋をしよう。もう一度、愛し合おう?」
私だって羽純くんのこと忘れても……何ひとつ覚えてなくったって、きっとまた羽純くんのこと大好きになる。だから羽純くんも、間違いなくそうなる。
私たちの間にある愛は本物だって、知っているから。何も怖いことなんかない。今はこうして私を振り払わないでいてくれる、それだけで十分。
ぎゅ、と彼を抱き締める手に力をこめる。伝ってくる熱のように、お互いの思いが溶け合って、ひとつになれるように。
「私があなたを幸せにする」
それは2人だけが知る誓いの言葉。今ここで、もう一度あなたに贈ろう。
羽純の頭のなかでやむことなくはじけている火花が、ようやく1つの単語を彼に伝えた。「歌菜」と。
「歌菜」「歌菜」「歌菜」「歌菜」「歌菜」「歌菜」「歌菜」「歌菜」
「歌菜」
言葉として口に出した瞬間、羽純のなかで何かが吹き飛んだ。まるで飽和した瓶の口に無理やり栓をしていたように、次から次へとあふれ出てくる。
「歌菜」
手に手を重ね、再度、羽純は口にした。その意味を噛み締めるように。
歌菜。
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