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第10章 感謝の気持ちを筆に乗せ

 空京のとある場所にある、小さなホール。その一室の壁や柱に、沢山の絵画が飾られていた。人の目の高さに合わせた位置にだけではなく、それぞれにもたせかけるように椅子にも飾……否、立てかけられ置かれてている。
 脚立を始めとした様々な道具も床には転がっており、そこからは、まだこの一室が準備中であることが伺える。
 その中で――師王 アスカ(しおう・あすか)は1人、順に絵を見回っていた。自分の描いた絵を、数日後には多くの人が眺めるであろう絵を、ゆっくりと見て回る。 パラミタに来てから3年が経ち、アスカの知名度も少しずつではあるが上がってきている。ここで開催されるのは、2度目となる彼女の個展であった。
「場所を借りるのには、相変わらず苦労するなぁ〜……交渉って大変。こういった事、あの人なら口八丁手八丁で簡単なんだろうな〜……」
 苦笑しながら、アスカはラグナ・G・ホークマンの事を思い出した。ラグナは、彼女が地球で芸術家『Sakua』として活動していた頃のマネージャーだ。
「ラグナ、元気にしてるかなぁ。……そうだ〜! ラグナもパラミタに誘ってみましょ〜♪」
 初日にジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)を誘おうと思っていたが、彼も誘ってみよう。ラグナは、自分を光の当たる場所に出してくれた人。ジェイダスは、彼女が画家への道を進む切っ掛けをくれた恩人。
 2人とも、アスカにとって大切な人達。
 彼等に今の自分が辿った軌跡を、頑張っている姿を、見てほしい。

 ――その夜。
 アスカはチケットを2人に送った。郵便を出し終えて、星空の下を家路につく。
「忙しいだろうけど、きっと来てくれる筈っ! ジェイダス様も来てくれたらいいなぁ……」

 そして、受け取ったチケットを手に、ラグナは空京を訪れた。小ホールに入る前に一度、立ち止まる。
「アスカと別れてから3年か……」
 いきなりの招待には驚いたが、彼女らしい、とも思う。
 アスカには可能性があった。成功、と言えるところまで行っていたと思う。だがそれを蹴って、彼女はパラミタに来たのだ。
「あいつが出した答えを見せてもらう。……俺様を幻滅させるなよ?」
 再び歩き出し、ホール内に入る。個展が開催されている場所まで行くと、無事に初日を迎えたことが伺える。アスカは、紫色の長い髪をした少年――ジェイダスの隣に立っていた。時折声を掛けてくれる人々に笑顔で挨拶を返しながら、ジェイダスを案内している。
「私の個展……どうですか〜? ジェイダス様」
「どの人物画も、特徴が良く表現されているな。君が彼等をどう思い、どう感じているのかが伝わってくる。人が笑顔になれる絵、反対に嫌悪を催す絵、私はどちらも、心に響くものとしての一つの形であり良し悪しは無いと考える。勿論、美しくないのは論外だがね」
 ジェイダスは絵から目を離し、個展会場全体をゆっくりと見回す。
「君の絵がどちらなのか。それは、この場を訪れた者達の表情を見れば一目瞭然だ」
 人々は、穏やかに笑っている。満足そうに頷いている。そこから会話が発生し、また笑顔が広がっていく。
「だが腕を磨けば、更に“君”を感じる絵が描けるようになるだろう。これは、君が今出しうる全てなのだろうが、まだ最上ではない」
 そう言って、ジェイダスは彼女に向き合った。
「美しさに際限は無い。これからも精進していくといい」
「はい、ありがとうございます〜」
 声に感謝の気持ちを精一杯のせ、アスカは彼に笑顔を見せた。恩人だからということもある。だがやはり、ジェイダスの言葉は下手な評論家より心に響く。
 彼を招待したのには仕事が大変だろうから息抜きしてほしいという理由もあった。少しでも楽しんでもらえれば、アスカは嬉しかった。
「アスカ」
「あっ、ラグナ! 来てくれたのね〜」
「とりあえず幻滅はしなかったな。パラミタで何をしてるのかとは思っていたが、安心したぜ」
 3年前と同じおっとりとした笑顔に迎えられ、ラグナは手始めに、と、絵を幾つか見た感想を述べた。その途端、アスカは思わずといったようにくすりと笑う。
「……ラグナはこっちが言わなくても、言ってくれるから楽だなぁ」
「は? 何がだ? ……ああ」
 そういえば、彼女はジェイダスに「どうですか?」と言っていた。彼は、訊かなければ答えない相手だったのだろう。
「マネージャーだから、癖みたいになってんだよ。今日のテーマは『繋がり』だってな?」
「そう。今まで出会った人達の人物画を沢山描いたのよ〜。育ての親、一緒に住んでいた子供達、絵や他の技術を教えてくれた師匠達、パラミタで出会った仲間や友達……ジェイダス様も描きたいですけど、『約束』があるからお預けですね」
 ラグナとジェイダスを連れて歩き出しながら、ひとつひとつの絵を見ながら、アスカは言う。ジェイダスを振り返った時は、少し肩を窄めて困ったような笑顔をしていた。描きたくて描きたくて仕方がないという笑顔。
 やがて、彼女達は最後の絵に辿り着いた。それは今ここにいる、人物の絵。
「アスカ、これは……」
「タイトルは【道標】……ラグナだよ〜。ラグナには、一杯感謝してるんだぁ」
 そしてアスカは嬉しそうに、絵の人物――かつての自分のマネージャーに向き合った。
「だから……ここに精一杯のありがとうを贈るね〜?」
 この気持ちを伝えることができて、良かったと思う。

「私は幸せだよ、ありがとうっ」