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【四州島記 外伝】 ~ひとひらの花に、『希望』を乗せて~

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【四州島記 外伝】 ~ひとひらの花に、『希望』を乗せて~

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序章

「あ、いたいた。包!」
「ああ、リカイン。どうしたの?」

 リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)に声を掛けられ、猪洞 包(ししどう・つつむ)は読んでいた本から顔を上げた。

「どうって、そろそろお昼の時間だよ?」
「え!もうそんな時間!?早いなぁ〜」
「随分、一生懸命読んでたみたいだけど、何の本?」
「これ?四州島の歴史について、まとめた本だよ」
「勉強熱心だね、包」
「うん。僕が死んでからのコト、少しでも知っておきたいから……」

 包は、はにかむように言った。

 包が、「登山に参加する代わりに、知泉書院(ちせんしょいん)で勉強がしたい」と言った時には、リカインをはじめ、アストライト・グロリアフル(あすとらいと・ぐろりあふる)ソルファイン・アンフィニス(そるふぁいん・あんふぃにす)も、(本当に勉強になるんだろうか……)と心配したものだったが、今は東野に残って良かったと、しみじみと思っていた。

 先日、かつて自分が住んでいたという洞窟に入ってからと言うもの、急に何歳も歳をとったように見える(実際、身長や体重は増えている)包だったが、成長したのは身体だけでは無いらしく、精神的にも格段の成長を遂げていた。

 口調や話す内容が一気に大人っぽくなったし、教えたこともないのに読み書きも急に出来るようになった。
 初めてあった時はせいぜい小学校の高学年くらいに見えた包が、今ではもう中学2、3年生位に見える。

「他のみんなは?」
「もう、先に外で待ってるわよ」

 読みかけの本に栞をはさみ、席を立つ包。
 彼の机には、既に読み終えたと思しき本が数冊、山積みにされていた。
 みな、四州の歴史に関する本だ。
 包の弁によると、死んで首塚明神に祀られた後も、日々の祀りを行う神職の報告(要するに祝詞)から、四州島の変遷についてはそれとなく聞いていたはずなのだが、さっぱり覚えていないのだそうだ。
 それで四州の歴史を学んでいるのだが、包は地球で言えば、ようやく中学校の社会科を終えたレベルの知識が身についたところだ。

「みんなは、どんな本を読んでるの?」
「アストライトは、『怪異と資源の関連性』について調べてるわ」
「ナニ、それ……?」
「う〜ん、『貴重な資源のある場所に人を近づけさせないために、わざと怪談を流したようなケースがあるんじゃないか』って言う事らしいけど……」
「な、なんだか難しいね……」
「ホンネを言えば、『首洗い』を探したいらしいわよ」
「ま、まだ諦めて無かったんだ……」

 苦笑する包。
 首洗いというのは、アストライトが実在を主張する妖怪である。
 これまで色々と調べてきたが、その実在は証明されていない……というか、それについて言及した文献すら見つかっていない。

「ソルファインは?」
「なんだか毒とか薬草について勉強してるみたいよ。御上先生のコトもあるしね」
「ふ〜ん。でもそれって、例の本に大体の事が乗ってるんじゃないの?」
「例のって……、本草秘経(ほんぞうひきょう)?アレね、今行方不明らしいのよ」
「行方不明?」
「ウン。あれを見つけたレイカ・スオウ(れいか・すおう)たちが戻したっていう場所にはもう無くて、書庫外に持だされたっていう記録も無いの。司書の人たちも一生懸命探してるんだけど、見つからなくって……」
「誰かが盗んだとか?」
「その可能性も否定出来ないって話になってるわよ」
「また、何かの陰謀絡みじゃないといいけど……」
「そうねぇ……」
「おい、遅いぞ!」
「もう、待ちくたびれましたよ!」

 書院の出口で待っていたアストライトとソルファインが、不機嫌そうに声をかける。

「ごめん、包探すのに手間取っちゃって!」
「待たせてゴメン!さぁ行こっ!さあて、今日のお昼はナニかな〜」

 調査団用の食堂に向けて、ウキウキしながら歩いて行く包。
 広城にいる間、お昼は賄いが出ることになっている。
 その日によって地球の食べ物が出たり、四州の食べ物が出たりとバラエティに富んでおり、調査団の中でも人気が高い。

「包ってば、給食を楽しみにしてる中学生みたい」
「ナニ、給食って?」

 四州の事に限らず、最近の包は好奇心が強い。

「ん〜、給食って言うのはね……」

 包の変化を好ましく思いながら、リカインは、まるでお姉さんにでもなった気分で、包の疑問に答えるのだった。




高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)にございます。景継様のご尊顔を拝し奉り、この玄秀、恐悦至極に存じ奉りまする」

 玄秀は恭しくそう述べながら、目の前の由比 景継(ゆい・かげつぐ)の顔を、まじまじと見た。

 なるほど、確か真っ当な人間ではない。
 顔に走る大きな刀傷や、常に人を見下しているような独特の表情ももちろんだが、それよりも圧倒的なのは、その身から発散される負のオーラである。
 まるで死人か怨霊そのものが目の前にいるかのような禍々しさ。
 これなら、たとえ全く霊感を持たない人間でも、一目でその異様さに気づくだろう。

(コレが、由比景継……。まさか、ここまでとは……)

 これまで、こうした負のオーラを常に隠して生きてきた玄秀は、それを隠そうともせずに発散し続ける景継に、ある種の畏敬の念を抱きつつあった。

 陰謀渦巻く四州島に、立身出世の道を求めやって来た玄秀は、松村 傾月(まつむら・けいげつ)という謎の男が『あのお方』と呼ぶ存在に興味を覚え、彼の誘いに乗った。

「あのお方に会い、己が望みを述べる」

 たったそれだけのために玄秀は『調査団の実質的な統率者である御上 真之介(みかみ・しんのすけ)を呪詛せよ』という景継の依頼を果たしたのだ。
 あのお方が一体誰なのかも、いかなる報酬が得られるのかもわからずに、である。
 狂気の沙汰、と言っても言いかもしれない。
 しかし、玄秀をその狂気に走らせるだけのモノを、確かにこの男は持っていたのだ。
 こうして対面してみて、玄秀にはその事がよくわかった。


「呪詛の件、ご苦労だった。褒美を取らす。何が望みだ?」

 景継は、表情一つ変えずに言った。

「我が望みは、景継様の大願成りし後、陰陽頭として、お取り立て頂く事にございます」

 玄秀は、兼ねてから用意してあった通りのセリフを述べた。

(まずは穏当な要求を出して、相手の出方を見よう)

 というのが玄秀の狙いだったのだが、景継の返答は、彼の予想だにしないものだった。

「貴様は、馬鹿か?」
「は……?」

 呆気にとられた玄秀は、そんな間抜けな声を上げるのが精一杯だ。

「貴様は馬鹿か、と聞いている」

 景継はそれこそ玄秀を取り殺しそうな目で、睨みつけている。

「貴様も聞いているだろう。この儂が怨霊の力を使って、世界に破滅をもたらさんとしていることを。その儂が、陰陽頭などを置くと、本気で思っているのか?」
「そ、それは――」

 景継の険を含んだ声に、玄秀の額を、冷や汗が伝う。
 
「もし本当にそう思っているなら、今この場で貴様を殺す。儂は馬鹿には用はない。もしそうでないなら――さっさと、貴様の真の望みを言え。貴様の猿芝居に付き合ってやるほど、儂は暇ではない」

 そう言い放つ景継の周りに、ぼおっとした幾つもの影が現れる。
 それが数えきれないほどの怨霊の群れだと分かり、玄秀は慄然とした。

 ゴクリ、と玄秀の喉が鳴る。

(こ、この男……。これ程の量の怨霊を御しながら、顔色一つ変えないは……。この男なら、あるいは……)

「僕の望みは、安倍 晴明(あべの・せいめい)をこの手で殺す事だ」

 玄秀は、腹を決めた。

「その地位に相応しき才も力も持たぬにもかかわらず、ただ血統のみで陰陽宗家の地位に居座る安倍 晴明を、その座から引きずりおろし、僕のこの手で殺す。それが、僕の真の望みだ」

 玄秀の淡麗な顔が、憎悪に歪む。
 その玄秀の顔を見つめる景継の顔もまた、醜く歪んだ。
 景継は、自分と同じく、怒りと憎しみにのみ生きる者を見つけた喜びに、笑っているのだった。

「良かろう。貴様の望み、叶えてやる」

 景継は、そう断言した。

「儂について来い。そして、儂の役に立て。貴様の望みを叶えられるだけの力を、儂が与えてやろう」
「――いいだろう。僕のこの身体、好きに使うがいい」

 深々と頭を下げ、景継に臣下の礼を取る玄秀。
 景継は、その大きな傷の走る顔に凄惨な笑みを浮かべ、満足気に頷いた。 




「長谷部様、お茶をお持ちしました」
「うむ、入れ」
「失礼致します」

 九能 茂実(くのう・しげざね)子飼の将、長谷部 忠則(はせべ・ただのり)気に入りの女給、ひかり――その実体は、《桃幻水》で女体化した南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)――は、スッと音もなく障子を開くと、一礼して、書斎に入った。
 長谷部の元にいるようになってまだ数週間だが、光はすっかり長谷部のお気に入りとなっていた。

 御狩場(おかりば)で秘密裏に養った軍勢を率いて、茂実の屋敷に入った長谷部は、それ以後目立った動きを見せていない。
 主君九能 茂実が首府広城に赴いてる間の留守居を命ぜられた長谷部は、部下の鍛錬と軍勢の見回りに出る以外は、一人鍛錬や読書をして過ごす日々である。

「お手紙ですか?」

 今長谷部が目を通しているのが、書物ではなく書簡だという事に気づいたひかりは、それとなく長谷部に訊ねた。
 お茶を出しながら、横目で書簡を盗み見ることも忘れない。

「ああ。広城の茂実様からだ。こちらの様子に変わりは無いかと、わざわざ文を送ってこられた。留守中の領内の様子に変わりがないか、心配しておられるのだ。儂もまだまだ信頼されておらぬ、ということかな」

 ひかりは一度だけ茂実に会ったことがある。
(確かに有能かもしれないが、ひどく尊大で、神経質なヤツだ)
 というのが、光一郎の抱いた印象だった。

 一方茂実の方は、ひかりの容姿をいたく気に入り、「自分の側仕えにならないか?」と声をかけてきた。
 その時は長谷部が、「未だ行儀見習中の身ゆえ、とても御側仕えは務まりませぬ」と言って断ったのだが、ひかりは「長谷部は内心自分に気があって、茂実に差し出すのをためらっているのではないか?」と勘ぐっている。

「私は、そうは思いません。だって茂実様は、長谷部様の事をとても信頼していらっしゃいますもの」

 ひかりは、かつて見た茂実と長谷部のやり取りを、思い出しながら言った。

 聞いたところによると、長谷部は元々は東野公直参ながら少祿の侍の次男坊で、武芸の腕を買われて茂実に抜擢されたらしい。
 当時の長谷部からすればまさに夢のような高祿での抜擢に対し、生来生真面目な長谷部は、文字通り犬馬の労を厭わぬ忠勤で応えた。
 それが茂実の歓心を買い、今では茂実は、軍事に関する事は何事も長谷部に相談するようになっていた。 

「茂実様は、ただ心配性なだけなのではないでしょうか」
「だといいが」

 長谷部は、ひかりの差し出したお茶を一口啜って、自嘲気味に笑った。

「お殿様は今、次の藩主を決める会議に出ていらっしゃるのですよね?西湘藩の、水城 隆明(みずしろ・たかあき)様を推していらっしゃるとか」
「そうだ。……気になるか?」
「それはもう。今の私は、長谷部様と一心同体。隆明様が藩主になるか否かに、その長谷部様のご主君様の運命がかかっているのですもの」

 さり気なく、「長谷部様」という所に力を込めるひかり。
 それに気づいているのかいないのか、長谷部は顔色一つ変えず続ける。

「いかに部屋住みとは申せ、隆明様の政務手腕は確かだし、お家柄も申し分ない。素性の怪しいご落胤を藩主に据えるより、余程藩のためになるという意見を持つ方も、藩内には多くいらっしゃる」 

 長谷部の人脈がどの程度の広さをもっているのか怪しいところだが、ともかくも隆明を推しているのは茂実だけ、という事は無さそうだ。

「素性の怪しいと言えば、あの外国人たちも同じだがな」

 長谷部が、胡散臭そうに言った。
 『外国人』というのは、茂実が呼び寄せたという金鷲党(きんじゅとう)の事だ。
 金鷲党というのは元々開国に反対する葦原藩士の集まりだったのだが、いつからか、パラミタ排斥運動を行う地球人と手を結ぶようになった。
 今では構成員の半数近くが、契約者となった地球人で占められているらしい。

「そういえば今日はまだ、あの方たちを見かけませんね?どこかに行かれたのですか?」
「そうだ。詳しい事は儂も知らぬが、なんでも北嶺藩に行ったらしい」
「まぁ、北嶺藩に?」

 ひかりは、わざとらしく驚いてみせる。
 北嶺藩に行ったということは、ミヤマヒメユキソウを手に入れる登山行を妨害するつもりなのだろう。
 ひかりは長谷部に怪しまれぬよう、さらに二、三世間話をした後、部屋を後にした。

「もしもし。鯉、聞こえるか?」

 ひかりは人目につかない場所に移動すると、《腕時計型携帯電話》でオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)と連絡を取った。一日一回行なっている、定時連絡だ。

「おお光一郎。今のところ、バレずに上手くやってるようだな。どうだ、今日は何か収穫があったか?」
「屋敷にいた金鷲党の奴等が、昨日から姿が見えない。どうやら、北嶺藩に向かったようだ」

 普段女言葉で話していても、オットーの声を聞くと、自然と男言葉に戻るから不思議だ。

「やはり茂実は妨害してくるか……。長谷部は動かないのか?」
「ああ。金鷲党以外には、長谷部の軍も他の連中も動く様子はない」
「そうか。まぁ雪山での戦闘は、十分に訓練を積んでいないと難しいしな」
「そういう事だ。そっちはどうだ?」
「今朝、五十鈴宮の姫さんたちが出発したぜ。予定通りだ」
「なら、お前から姫さんたちに伝えといてくれ。『昔馴染みがわざわざ会いに来るそうだ』ってな」
「昔馴染みねぇ……了解した」

 電話の向こうから、オットーの笑い声が聞こえる。

「隠し撮りの方はどうする?明日も続けるのか?」
「いや、やめておこう。金鷲党が撮れなかったのは残念だが……いなくなっちまったもんは仕方ねぇ」

 ここ数日、オットーは【式神の術】をかけた【デジタルビデオカメラ】を屋敷内に潜入させて、茂実派の主要な人物の隠し撮りを行なっていた。
 金鷲党が寝泊まりしていた修練場とその周辺は警備が厳重で撮影できなかったが、茂実や主だった配下の映像は確保できた。

「わかった。じゃ、また明日、この時間に」
「ああ」

 光一郎は、必要なことを話し終えると、電話を切る。
 手早く電話を隠し、物陰から出てくると、自然と歩き方が内股になり、歩幅が落ちる。
 光一郎は建物の角を曲がった時には既に、いつものひかりに戻っていた。



「それは、本当なのですか?」

 エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)は厳しい顔で、目の前の男に訊ねた。
 男は、エリシアが《裏社会》のコネで渡りをつけた、情報屋である。

「おいおい、こう見えても俺様は仕事の正確さでは定評があるんだ。何人もの人間――半分は侍で、残りの半分は外国人だそうだ――が、遠野から北嶺に密入国してるのは間違いない」
「半分は侍、半分は外国人……」

 男の言葉を、もう一度繰り返すエリシア。

(侍と外国人が半分ずつと言う事は、契約者とみて間違い無いですわね……)

 これは二子島で戦った金鷲党の残党の中にも見られた組み合わせだ。
 おそらく、地球からやって来た人間と、攘夷派の東野の侍が契約したのではないだろうか。

「どこに向かったかは、分かりませんか?」
「生憎と、俺が分かるのはここまでだ。北嶺には、あまりツテが無くてな」
「分かりました。あとは、こちらで調べます。これは、今回のお礼です」
「いや、いらねぇよ」

 エリシアが差し出した情報料を、男は、手のひらで突き返した。

「いらない?どうしてですか?」
「今回のコトは、東野の殿様を助けるための登山に関係してるんだろ?なら、貰う訳にはいかねぇよ」
「――あなたも、豊雄公を慕っているのですね」
「豊雄様がコメを出してくれたお陰で、里の家族は飢えずに済んだんだ――ま、俺なんかに慕われても、いい迷惑だろうがよ」
「そんなコトは、ないと思います」
「えっ?」

 エリシアの言葉に、男は虚を突かれたような、キョトンとした顔をする。

「いくら裏の社会に生きているとはいえ、あなたも東野の人間ではないですか。豊雄公なら、誇りに思いことすれ、迷惑に思ったりはしないと思います」
「そうか……。そうかもな……。へへっ、有難うよ」
「えっ?」

 今度は、エリシアがキョトンとする番だった。

「そんなコト言ってくれたの、あんたが初めてだぜ」
「い、いえ。そんな私は別に――」
「また、何かあったら呼んでくれ。殿様のためなら、なんでもする――だから、必ず殿様を助けてくれ。頼む」
「はい、必ず」
「期待してるぜ」

 男は、エリシアに一つウィンクをすると、素早い身のこなしで路地裏に消えていった。




 上弦の月が投げかける優しい月明かりの中を、数機の飛空艇が、夜の闇を切り裂くように、音もなく飛行していく。
 その飛空艇の上には、雪山用の白一色の装備に身を包んだ兵士たちの姿が見える。
 飛空艇は、四州島北部に位置する北嶺藩(ほくれいはん)を、南北に縦断する北嶺山脈の中でも最も高い標高を誇る山、白峰(しらみね)の上空に差し掛かると、一気に高度を落とす。
 その飛空艇の動きが、急に止まった。
 と、思うと、飛空艇の左右と後方から、地上めがけてロープが投げ下ろされた。
 続いてそのロープを伝って、兵士たちがスルスルと懸垂下降で降りてくる。
 よく訓練された、無駄のない動き。
 地上からの合図を確認すると、飛空艇は、再び夜の闇の中に消えていく。
 兵士たちは、隊長と思しき男の元に集まると、点呼を済ませ、先ほどの吹雪で積もったばかり新雪の上を歩き出した。

 彼等は、地球からやって来たプロの軍人である。
 皆、契約を済ませているか、強化人間手術を受けているので、行動に支障はない。
 故あって、九能 茂実(くのう・しげざね)に協力する彼等は、ミヤマヒメユキソウを手に入れ、広城 豊雄(こうじょう・とよたけ)を再起させようとする今回の登山行を妨害するべく、この白峰へとやってきていた。
 
「妨害があるものと思っておりましたが……。思いの外、上手くいきましたな」

 副官が、隊長に声をかける。

「ああ。こうして無事白峰に降下出来た以上、あとは予定の地点に爆薬を仕掛けるだけ。懸念していた天候も、吹雪が収まってからは申し分ないし、作戦はもう成功したも同然だ」
「はい。『先回りして白峰に爆薬を設置。一行が通りがかかったら一気に点火し、大雪崩を起こす』というこの作戦が成功すれば、連中の計画が頓挫することは間違いありません」

 作戦の成功を確信し、隊長と部下の顔に笑みが浮ぶ。
 だが彼等はこの時、予想外の事態が進行していることに、まるで気がついていなかった。


「……む?ここはどこだ?……おかしい。確かにこの方角であっているハズだが」
「何言ってるんですか兄さん!方角も何も、さっきの吹雪で道に迷ってからずっと、現在位置すら把握出来てません!!」

 『解せぬ……』という顔をしているドクター・ハデス(どくたー・はです)に、高天原 咲耶(たかまがはら・さくや)が全力でツッコむ。

 四州島征服、ひいては世界征服を狙う秘密結社『オリュンポス』の大幹部ドクター・ハデスとその部下たちは、先ほどの武装集団が降下するよりも更に前に、この白峰へとやって来ていた。
 誰よりもミヤマヒメユキソウを発見し、独占するためである。

 しかし、『急がば回れ』とか『急いては事を仕損じる』とか『慌てる乞食は貰いが少ない』といった先人の教え(?)に一切敬意を払うことなく、雪山の装備を整える事も当日の天候も全て無視して山に登った結果、吹雪に見舞われ、危うく遭難しかけた。
 そんな彼等が今無事でいるのは、一重に咲耶のお陰だった。
 「こんなコトもあろうかと」雪山登山マニュアルを熟読していた咲耶が、吹雪の中の前進を主張するハデスをなだめすかしつつ、【レックスレイジ】で遮二無二雪洞を掘り、一行をそこに避難させたのである。
 
「まあいい」

 ハデスは妹の咲耶のツッコミをいつも通り完全に無視すると、大仰な仕草で振り返った。

こんなこともあろうかと、我がオリュンポスが誇る最新鋭の人造人間・ヘスティア・ウルカヌス(へすてぃあ・うるかぬす)を連れてきておるのだ!さあ、ヘスティアよ!お前の探査機能で、周囲の状況を探るのだ!」

「かしこまりました、ご主人様……じゃなくてハデス博士。周囲の状況を探査します。赤外線センサー、起動」

 何時まで経ってもメイド型機晶姫だった頃のクセが抜けないヘスティアは、いつも通りにハデスの呼び名を間違えつつ、探査を開始する。

 そして、数秒後――。

「ご主人様……じゃなくてハデス博士。ヘスティアには、赤外線センサーは搭載されていません」

 そう、実はヘスティアは、その華奢な身体に似つかわしくない大仰な武器が搭載されている以外は、メイドロボットのままなのである。
 全ては、『攻撃は最大の防御』『大艦巨砲主義』の二つを座右の銘とするハデスの好みによるモノだった。

「ならば、GPSで現在位置を検索するのだ!」
「GPSは……圏外です」
「なにィ、それではどうにもならんではないか!やむを得ん、あんなヤツでもいないよりはマシだろう――我が呼びかけに答え、召喚に応じよ、悪魔デメテールよ!」

 ハデスは、契約を結ぶ悪魔デメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)を召喚すべく、右の手を虚空に突き出した。
 その甲に刻まれた紋章が、眩い光を放ち――。

「……何も、起きませんね。兄さん」
「何をやっているのだ、デメテール!ええい、召喚に応えんか、デメテール!!」

 二度、三度と召喚を繰り返すハデス。
 しかし、デメテールはまるで姿を現す気配がない。
 それもそれはず――。


「んー!やっぱり冬は『こたつミカン』に限るよね〜。ハデスっち達も、このクソ寒いのに良く雪山なんて行くよね〜」

 起きた時そのままのパジャマ姿で、掘りごたつでミカンを頬張るデメテール。
 ニートスピリット全開のデメテールは、ハデスに召喚されないように、予め【召喚】スキルを外していたのだった。


「さてはデメテールのヤツ、【召喚】スキルを外したな!」
「兄さん、前にも同じような事ありませんでしたっけ……?」

 まるで学習能力の無い兄に、冷たい視線を向ける咲耶。

「ええい、どいつもこいつも当てにならん!誰か何とかしろ、何とか!」

(一番当てにならないのは、兄さんの計画性の無さよ……)

 地団駄を踏むハデスを、ただ静かに見つめる咲耶。
 最早ツッコむ気力もないらしい。

「何とか――……。了解しました。では、アクティブソナーを使用します」

 それまでじっと何事かを考えていたヘスティアは、そう言うと、「ガキョン!」という音と共に、背中のウェポンコンテナを展開した。
 そのまま中腰になり、《六連ミサイルポッド》3基、計18発の発射体勢に入る。

「ちょ!まっ!待って、ヘスティアちゃんっ!ソナーの意味、わかってるっ?!いや、絶対分かってないわよねっ?!」
「大丈夫です。咲耶様。ヘスティアの計算によれば、これで万事解決します」
「どんな計算すればそうなるのよっ!!」
「アクティブソナー、発射します」

 発射時の爆音と白煙が、悲痛な叫びを上げる咲耶を、彼女の姿もろともかき消す。
 ミサイルは、闇夜に白い弧を描きながら、白い山肌へと吸い込まれていった。


「……なんだ、今の音は」

 部隊を率いて雪原を進んでいた武装集団の隊長は聞き覚えのある音に、その歩みを止めた。

「音ですか?自分には、何も聞こえませんでしたが」
「シーッ――……。全員、周囲の警戒を怠るな」

 不審げな顔をする隊員を手で制し、隊長はどんな小さな音も聞き逃さないように、全神経を耳に集中した。
 果たして、その一瞬の後――。

「飛翔体、多数確認!こちらに接近してきます!!」

 山の下の方を双眼鏡で確認していた隊員が、金切り声を上げた。

「ナニっ!」

 頭上を振り仰いだ隊長の目に、まっすぐにこちらに向かっている飛翔体の群れ――ヘスティアの発射したミサイルだ――が映った。

「いかん!総員散開――いや、伏せろっ!」

 逃げる時間は無いと判断した隊長は、咄嗟にそう指示を変えた。
 しかし、たとえ伏せた所で身を隠すモノ一つ無い雪原である。
 隊長は、死を覚悟した――が、それは何時まで経っても訪れる様子がない。
 おかしい、と思って顔を上げた隊長の耳に、遠くに着弾したミサイルの爆発音が響く。
 どうやらミサイルは、一行の頭上を通りすぎていったらしかった。

「な、なんだ……?」
「助かった、のか……?」
「貸せっ!」

 隊長は部下から双眼鏡をひったくり、ミサイルの飛んでいった方向を確認する。
 今彼等がいるところから随分と上の山肌に、いくつも煙が上がっていた。

「あんな遠くを攻撃するとは、敵は随分と間抜けなようですな。まぁそのお陰で助かりましたが」

 やれやれと言った顔で立ち上がり、全身についた雪を払う副官。
 隊員たちもみな安堵の表情で、副官にならう。
 だが――。

ゴゴゴゴゴゴ――……

 腹の底から響くような、激しい地鳴りの音に、全員の顔が一瞬で凍りつく。
 雪山に響く、地鳴りの音。それが意味するのはただ一つ――。

「雪崩だ――!」

 隊員の一人が、上を指さして絶叫する。
 轟音と共に、山肌を滑り降りてくる白い奔流。
 それは、一刻ごとにその早さとその大きさを増し、まっしぐらに一行の方へと向かってくる。

「全員、伏せろ――」

 隊長はそう叫ぼうとしたが、恐怖にひりついた喉からは、かすれた息以外何も出ない。
 もっとも、例え指示が出た所で、この膨大な質量の暴力の前では、結果は何も変わりはしなかっただろう。
 
 雪崩は、進路上に存在する全てを飲み込みながら、山肌を駆け下りていった。


「ハデス博士。私のソナーが異常を感知しました。巨大な雪崩が、こちらに向かって来ます」
「そんなモノ、ソナーで無くても肉眼で十分確認できます!!」
「なにィ!おのれ調査団め、正面からではこのオリュンポスに叶わぬと見て、雪崩を起こすとは卑怯な!!」
「違いますっ!ヘスティアさんのミサイルのせいですっ!」
「ミサイル?いいえ咲耶様。アレはミサイルではなくアクティブソナーです」
「どっちでもいいわよっ!もうっ!」

 そう叫ぶと、咲耶は鬼のような形相で、ハデスたちの方にズカズカと歩み寄った。

「な、ナニをなさるんですか咲耶様っ!」
「咲耶!お前一体ナニを――」
「頭から落ちないで下さいね、兄さんっ!ヘスティアさん、兄さんを頼みます」

 咲耶は、突然ハデスとヘスティアの襟首を「むんず」と掴むと、その秘められた力を開放した。

「どっせーーーい!!」

 咲耶はハデスとヘスティアを掴んだまま、ハンマー投げよろしくグルグルと回転すると、気合の声と共に二人を力一杯放り投げた!

「う、ウワアアアァッーーー!」
「きゃあァァーーー!」

 長い悲鳴の尾を引いて、遠い彼方へと飛び去っていくハデスとヘスティア。
 全身の力を使い切り、その場にバッタリと倒れる咲耶。
 【レックスレイジ】の副作用で混乱しきった咲耶の耳に、雪崩の轟音がドンドン大きくなりながら近づいて来る。

「兄さん……無事でいて……」

 その言葉を最後に、咲耶の姿は雪の中へと消えていった。