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うそつきはどろぼうのはじまり。

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うそつきはどろぼうのはじまり。
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16


 必要な荷物の用意は整った。アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は、一段落したと息をついてからテーブルの上のチケットを手にした。パラミタ発地球行きの往復チケットだ。
 実家に帰るのは一年ぶりくらいだろうか。そう思うと感慨深く、思わずチケットを見たまま黙り込んでしまった。
「何してるのよ」
 背後から声をかけられたのは、そんなときだった。振り向くと、怪訝そうな顔をしたエメリアーヌ・エメラルダ(えめりあーぬ・えめらるだ)と目が合う。
「地球に帰ることにした」
「ふうん、いつ?」
「来週から一週間後ほど」
「それでこの大荷物ってわけね」
 着替えやらなにやらで大きくなった荷物を見て、エメリアーヌは言った。「これからもっと増える」とアルクラントが答えると、彼女は肩をすくめた。
「里帰りも大変ね」
「一年ぶりだしな。ああそうだ、エメリーからシルフィアとペトラに伝えておいてくれないか? 帰省すること」
 夕べら伝えようとしていたのだが、どうもタイミングが合わなかった。ようやく里帰りの旨を伝えられたのがエメリアーヌだったのだ。エメリアーヌは「いいわよ」と引き受けてくれたので、アルクラントは安心して買い物へと向かう。
 土産屋への道すがら、家族は、曾祖父は元気にしているだろうか、と考えた。
 便りがないのは良い知らせ。齢百歳を過ぎても元気な曾祖父のことだ、それこそ何かあればすぐに連絡がくるだろう。
 だからきっと、今日も地球で元気にしている。簡単に想像がついて、ひとり笑った。
 それから。
(地球に戻ったら、あいつにも報告しにいかないとな)
 共に、パラミタの地を踏むことを目指した友。
 叶わぬまま逝ってしまったかの人の墓へ。
(言いたいことがたくさんあるぞ)
 お前の分までパラミタを冒険している。
 素敵な出会いに数知れぬほどめぐり合っている。
(自慢になってしまうな)
 だけどそれほど、ここへ来てからの思い出は明るいものばかりなのだ。
 泣いて悔しがる友人の姿が目に浮かぶ。泣け泣け、と思った。
(逝くのが早すぎたんだ、お前は)


 一方、アルクラントが出て行った家では。
「え、どういうこと!?」
 完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)が、悲しみと驚きの混じり合った声でエメリアーヌにすがりついていた。
「マスターが地球に帰るって……どうして? ねえ!」
 必死な様子に対し、エメリアーヌは冷静に分析する。勘違いしている、と。
 アルクラントが地球に帰る。
 端的にそう伝えたところ、どうやら『里帰りのため短い期間』ではなく、『永久に』帰るのだと解されたようだ。
 ねえねえ、と納得のいく説明を求めたがり騒ぐペトラとは対照的に、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)は色白の顔をより一層白くして、呆然と床を見つめている。その様子を見て、エメリアーヌは誤解をとくことをやめ、このまま見守ってみようと思った。
 あまりに進展のない、どん詰まりのような関係には何かきっかけが必要だ。
(それがこれなら、別にいいんじゃないの?)
 幸か不幸か今日はエイプリルフール。
 真実を伝えるための口を噤んでも、誰も咎めまい。


「ただい――」
「マスタァー!!」
「っと……」
 両手いっぱいの土産を買って家に戻ると、ペトラが飛び込んできた。崩しかけたバランスを建て直し、荷物を置いてから彼女の頭を撫でる。
「どうした? 落ち着いて話してみろ」
「マスター、部屋にあったあの大荷物って……チケットって……!」
「ああ」
 アルクラントは頷いた。そうか、エメリアーヌから聞いたのか。
「帰るよ。地球に」
 その一言に、ペトラの表情が凍りついた。そんなに驚くようなことだろうか? 首を傾げると、彼女は震える声で言った。
「お、置いて行かないよね?」
「ん? 何を?」
「僕のこと。……ねえ、マスター。マスターが僕をおいてどっかに行っちゃうなんてこと、ないよね!?」
(って言われても……)
 取ったチケットは一名分だ。同日の予約はもう埋まっているだろうし、こればかりはどうしようもない。
「私ひとりで帰るよ」
「つ……連れてってくれないの……?」
「ああ。私の個人的な理由だしね」
「そ、っか……」
 絶望。そんな表情で、肩を落とし顔を俯ける。何か声をかける前に、ペトラは踵を返し部屋に閉じこもってしまった。
(おかしいな)
 そんなに一緒に行きたかったのだろうか? アルクラントの故郷、ソコクラントへ? そんな、さほど面白いこともないだろうに。
 首を傾げていると、今度はシルフィアがやってきた。顔色が悪い。
「アル君……」
「シルフィア? どこか具合でも悪いのか?」
 問いに、返事はなかった。アルクラントへと歩み寄り、とん、と胸を叩かれる。抱きつく――というより、しがみつくような、すがりつくような格好のまま、彼女は細い声を発した。
「アル君、地球に帰るなんて、そんな、嘘だよね……?」
「きみも同じことを聞くんだな」
「当たり前でしょう!?」
 感情のこもった声に驚くと、シルフィアははっとしたような顔をして目を伏せた。
「……私も連れて行って」
「いや、チケットはもう……」
「嫌だよ。一緒に行きたい」
「シルフィア」
「……嫌だよ!」
 悲痛な叫びだった。その声を聞いて、どうしてかアルクラントはシルフィアを抱きしめる。こうしてやらなければいけない気がした。傍にいて、大丈夫だと安心させてやらねばと。
「シルフィア」
「……嫌だ」
 彼女の細い身体は、小刻みに震えていた。
「嫌だよ。アル君と離れて暮らすなんて……考えられない……」
 それきり、シルフィアは黙り込む。
 おかしい。ペトラの際に感じた疑問が、大きく膨らむ。
 なんだかまるで、一生の別れと対面しているような。
(いやいや、まさか)
 だって私は、ちゃんとエメリアーヌに『一週間の里帰り』だと伝えたじゃないか。
(……まさか)
「シルフィア」
「…………」
「私が地球に帰るのは、一週間だけだよ?」
「……え?」
(やっぱり)
 正しく伝えられていなかったのだ。恐らくは、意図的に。
「本当……?」
 涙の膜が張った目で見上げてくるシルフィアに、本当だよと優しく返した。
「私が君たちを――何よりも、きみを置いてどこかへ行くわけがないだろう? その……私が進むにはきみが、いないと、ね」
 気恥ずかしく、言葉の最後の方は小声になってしまったが。
 この、密着している状態なら届いただろう。
 なのにシルフィアは首を振った。
「嘘」
「どうして。……ああ、エイプリルフールだから?」
「…………」
「嘘ではないよ」
「…………」
「信じられないのなら、行動で示そう」
 顔を上向かせ、桜色の唇に触れるだけのキスを。
「……これでも、嘘かな」
 ああ、大胆なことをした。これで拒まれたらどうしよう。やりすぎだったらどうしよう。額への、親愛のキスにとどめておくべきだっただろうか。そんないまさらな考えが頭を過ぎり、様々な意味で心臓が跳ねる。
 何も言えないでいるアクルラントに、頬を赤く染めたシルフィアが口を開いた。
「……二回目だ」
「へ?」
「……アル君とキスするの、二回目……」
「二回目? え、いつ?」
「クリスマスのときに」
「マジで?」
 こくりと頷かれ、返す言葉を失った。ええと、ええと。何を言おうとしていたんだっけ。何がしたかったんだっけ。
(ああ、もう、ぐだぐだだ)
「……とにかく」
 もう、なんでもいい。信じてもらえると信じて、言葉を続けよう。
「私だって、きみがいなけりゃ駄目なんだよ」
 本当は、一週間だって離れるのは辛い。
 できることなら連れ帰って紹介したい。
 だけどそれにはステップを踏んでいかなければならない。
「好きだよ」
 ついに言葉へと変えた想いは、きみの心にどう届いた?