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1.タングートの街で
「いよいよですね。皆さん、来てくださると良いのですが……」
朝早くからタングートの料理人 花魄(たんぐーとのりょうりにん・かはく)は起きだすと、早速店内の掃除を始める。
今日は、いよいよ紅華飯店の再出発の日だ。
そのための準備も、鼠白と二人でばっちり整えてある。
「頑張りますよっ!」
ガッツポーズで気合をいれて、花魄はまめまめしく働くのだった。
「こコがタングーと?」
「そうだよ」
物珍しそうにきょろきょろとあたりを見回すカルマ・タシガン(かるま・たしがん)に、レモ・タシガン(れも・たしがん)は微笑んで答えた。
少し早めにタングートに向かったのは、パーティの前にゆっくり観光をしたかったからだ。
「誘ってくれて、ありがとう」
清家安彦(せいけ・やすひこ)が、ハルディア・弥津波(はるでぃあ・やつなみ)やエメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)たちに礼を言う。
以前ソウルアベレイターに操られて、一時は生死の境を彷徨っていたが、今は療養中ながらも体調は回復しつつある。ハルディアたちが介添えを申し出てくれたので、久しぶりにカルマと会うこともでき、清家は以前よりやつれ、無精髭も生えていたが、その表情は穏やかだった。
「あのときは、みんなに迷惑をかけてしまったから。すまなかった」
とくに、研究員志望ということで親しく言葉をかわしていたハルディアを裏切ってしまったようなものだと、清家は目を伏せる。
「済んだことですよ。それより、体調はどうですか?」
ゲートを通る際には、人によってはかなりの負荷がかかる。それを気遣い、ハルディアが尋ねた。
「少し休ませてもらったからね。大丈夫だよ」
「それならば、よかった」
ちなみに、清家は念のため、華やかな柄のストールを肩からかけている。今は女装は絶対に必要というほどでもないが、せめて気を遣うのも礼儀だからと、リュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)が用意したものだ。
「きレい」
にこにことカルマが褒めるのが、清家には面はゆいらしく、しきりに頭をかいて困っていたが。
他のメンバーも、花飾りがついたカチューシャをつけている。カルマとエメ、リュミエールは大きなリボンも腰にまとい、たいそう華やかだ。
「おーい!」
そこへ、馬車に乗ったデイビッド・カンター(でいびっど・かんたー)が、やや緊張した面持ちで一同のところへ戻ってくる。
「馬車? すごいね」
「清家さんとカルマには、そのほうが楽かなと思いまして。ハルディア君と話し合って、お願いしておいたんです」
エメとハルディアの心遣いに、レモは感心しきった顔で「さすがだね」と頷いた。
「それと……」
「……僭越ながら、案内役をさせていただく」
デイビットの後ろから姿を現したのは、相柳だった。
「お久しぶりです。相柳さん」
「貴殿らには世話になった。主上からも、もてなすよう命じられている。なんなりと、申しつけてくれ」
相変わらずの無表情ながらも、相柳はそう言うと、軽く会釈をした。
「ありがとうございます」
ハルディアが、丁寧に挨拶を返す。
「まずは、中心部を見ていただこう」
二頭の馬に曳かれた馬車は、八人がゆったり乗れるほど大きく、日よけの緋色の幌がかけられていた。端についた中華風の細い糸であまれた房飾りが、振動に時折ゆれる様が優雅だ。
「タングートの馬は、タシガンの馬よりも少し背が低くて体格が良いんだな」
「その分、荷物をひくのには適しているんじゃないかな」
感心するデイビットに、ハルディアがそう解説する。
「尋人さんなら、詳しそうだね」
彼もタングートには来るようだけど、会えるといいなと思いながらレモは馬術部の彼のことを思い浮かべていた。
「みなさま、準備はよろしいですか? 本日はタシガントラベルをご利用くださり、ありがとうございます」
相柳に並んで御者席に座ったリュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)が、茶目っ気を含んでそうアナウンスをすると、レモたちはいっせいに口元をほころばせた。
「大丈夫デーす」
カルマはそう答えながら、リュミエールにむかってデジカメのシャッターを切った。それは、この旅行にあたって、リュミエールがカルマにプレゼントしてくれたものだ。
初めての自分だけのカメラを手にして、カルマはご機嫌の様子だ。
「では、出発するよ」とリュミエールは手綱をとった。
「まずは、中心街を見ていただこう」
相柳がまず案内したのは、タングートのメインストリートだ。
飲食店や小売りの店が軒を連ね、それだけではなく、露店や物売りも往来を埋め尽くすほどだ。なにより、それだけの活気がありながら、大型の馬車でも十分すれ違うことができるほどの大きな道が碁盤の目となった都を珊瑚城にむかって一直線にのびている。
「タングートで必要なものならば、大概はここで手に入る。逆にいえば、ここにないものは、タングートにはないといっていい」
相柳がそう解説をする。
「書物に記されているより、実物の方が数倍素晴らしいですよ」
「まさか、自分の目でここが見られるなんてね」
ハルディアと清家が、感動もあらわにそう口にする。
「美味しそうな匂いもしてるけど、それは後でのお楽しみだからね。少し待ってて」
リュミエールがそうウインクし、レモは「そうだね」と笑った。
「戦いで半壊したときいていましたが、もうこんなに復興しているんですね」
ハルディアは興味深そうに、赤や黄色の原色も艶やかな街並みを見つめている。
「なんだか、前よりも賑やかに感じるなぁ。……気持ちの問題かもしれないけど」
レモはそう呟き、微かに自嘲した。たしかに、以前ここを通ったときは、物珍しさに浮かれている心持ちではあまりなかった。
一瞬。こうして楽しく過ごしている時間が、すべて夢だったらどうしよう。そんな風にレモは思う。本当は、タングートも滅び駆けていて、自分もカルマも、暴走の果てに壊れていて。その合間に見ている、頼りない夢だったとしたら……。
「レモ」
なにかしら感じたのだろう。デイビットが、レモの手をとった。その力に、レモははっと瞬きをする。
そうだ。そんなはずはない。自分たちは、一人ではないのだから。
「大丈夫か?」
「……うん。ありがとう」
目元に手をやり、顔をあげると、カルマもレモを不安げにみあげていた。心が通じ合っているカルマには、よりレモの心情がダイレクトに伝わってしまったのだろう。
「え、えっと。ジェイダス様にも、早く見ていただきたいなと思って。きっと、お好きなんじゃないかと思うんだ」
話題を変えようと、明るくレモが言うと、エメもぱっと瞳を輝かせて頷いた。
「きっと、そうですね。お戻りになられたら、ジェイダス様やラドゥ様とも、ご一緒できたら素敵です」
「本当にそうだね」
エメとリュミエールは、そう頷きあった。
(ただ、女性しかいないけど……美しいから大丈夫かなぁ)
ちょっぴり、そんな心配もするレモだった。
そんなことを話しているうちに、相柳は広場で馬車を止めさせた。
「貴殿らに見せたかったのは、これだ」
「わぁ……!」
そこにあったのは、共工の像だ。大きさはそれほどでもないが、白い石から削り出された見事な彫刻はとても美しく、なにより、その像が手にした壺からは、透明な清い水が溢れだし、彼女の身体を水の羽衣のように流れ落ちていた。その水は、平らな円形に敷き詰められた丸石へと広がり、美しい水盤となっている。
「このところ、この地の水量も増えた。先だっての先勝を祝い、建造したものだ」
主の似姿を前に、相柳は深々と膝を突いて礼をする。見れば、通る人々も、必ずこの像に一礼をしていくあたり、共工は本当にこの都の人々にとって大切な存在なのだろう。
それに倣って、彼らも一礼をしてから、石像を見上げた。
「きらキらしてて、とてもキレい」
早速写真を撮った後、カルマが嬉しげに水に手を浸して遊んでいる。その後ろで、デイビットは落ちないようにと若干はらはらしつつ見守るハメになったが。
「デイビットさんは、本当に優しいね」
レモがその光景に、思わず微笑む。
「レモ君。君達がナラカの太陽を解放したとき、タングートにもあの雨は降り注いだそうだね。たぶん、水量が増えていることも、それに関係しているんじゃないかな?」
「そう……かなぁ」
レモは半信半疑だが、意外にも「その可能性はあるよ」と断言してくれたのは清家だった。
「君達が解放した力は、それほどに強いものなんだ。すぐには変化はあらわれなくても、ゆっくりゆっくりと、その効果は広がっていくはずだよ」
「都の周囲はまだ砂漠が多いようだけど、時が経つうちに、緑が増えていったら素敵だね」
「……うん。そうなったら、嬉しいな」
レモが頷いたとき、結局バランスを崩したカルマが頭から水盤に落ちかけ、「わー!!」と言う声が響いた。
「……あぶなかったぜ」
間一髪、デイビットが抱き上げたおかげで、なんとかびしょ濡れにはならずに済んだが。
「ありガトう。デイビット」
カルマはのんきな顔で、にこにことデイビットを見上げている。
「さすが騎士ですね」
エメもそう褒めるが、どちらかというとベビーシッターっぽくもある。
どうも、動きが鈍いこともあり、カルマはレモが人間体になったときよりも、さらに幼いのだ。
「大丈夫かしら?」
そこへ、一人の女悪魔が声をかけてきた。どちらかというとかなり美人だ。
「え!? あ、は、はい!」
「可愛らしいお子さんね。弟さん?」
「違いますけ、ど、その」
ずいっと距離が近づき、漂ってくる女性独特の甘い香りに、デイビットは途端にたじろいでしまう。
ハルディアのように、物腰柔らかくも堂々と接しているところを見習いたくもあるが、いかんせんデイビットは女性に対して免疫がなかった。
「デイビット?」
事情を察したハルディアとレモが近づくと、入れ替わりのように彼女は「道中、お気をつけて」と言い残して立ち去った。あからさまにほっとしたデイビットに、カルマが唇を尖らせて、「デイビット、イたい」と呟く。どうやら、緊張のあまり強く抱き締めすぎていたらしい。
「ご、ごめんな!」
「かオ、あカいよ?」
「や、これは……その!」
カルマに尋ねられ、ハルディアの前ということもあり、デイビットは慌てて答える。
「オ…オレは知らない女の人より、レモの方が良い! あ、へ、変な意味じゃなくて…ほら、なんだかんだでレモとの付き合いも結構長いし……」
「デイビット??」
「お、俺、ちょっと顔洗ってくる!!」
そう言い残すと、ゆでだこのように真っ赤になったまま、デイビットはその場を逃げ出してしまった。
「お水なら、ここにあるのに」
どうしたんだろう、と顔を見合わせるレモとカルマの隣で、ハルディアはくすくすと忍び笑いをもらす。
「ハルディアさん?」
「いやぁ、あの子も年相応に青春してるんだなぁって」
「???」
ハルディアの答えに、なおさら首を傾げるレモたちだった。
「まぁ、そのうち帰ってくるよ。ほら、水蜜桃が売ってるよ、一緒に食べよう」
広場を中心とした店で多少買い物をしているうちに、デイビットはようやく戻って来た。一方で、カルマと清家は、人混みにあてられたのか、少し疲労がでてしまったようだ。「少し休憩をしましょう」
エメがそう申し出て、ここで一端、休憩も兼ねて、高台にあるという花畑に向かうことにした。普段は一般には開放されていない、珊瑚城の奥の院のような場所だが、今回は共工の許可もあり、特別に相柳が案内することになっていたのだ。
ただし、レモは一人、街中に残ることにした。
「大丈夫か?」
デイビットはそう心配したが、レモは「大丈夫だよ。以前ほど危ないところじゃないし」と微笑む。
「もしかしたら、カールが来るかもしれないし……」
ぽつりと付け加えて、レモは手を横に振ってあわてて否定した。
「えっと、ごめんね。カルマのこと、お願い」
「わかりました。レモさんも、ごゆっくり楽しんでくださいね」
エメが穏やかに告げ、レモは馬車を降りて雑踏へと歩き出した。
「このへんで良いだろう」
案内された小高い丘からは、珊瑚城の姿が見える。
砂漠に残されたオアシスといった風情だが、今日はそれほど日差しも強くはなく、木陰に入れば十分に涼やかだった。
果物が枝先にたわわになり、南国の花の甘い香りも一杯に漂っている。
「みなさん、どうぞ」
エメがそう言って木陰においたテーブルに用意したのは、サンドイッチとフレッシュジュースだ。他にも、マフィンやクッキーなどの焼き菓子もたくさん用意している。
「おいシソう……!」
最近めっきり甘い物が好物になったカルマは、たくさんのお菓子に瞳を輝かせている。
「口にあうといいのですが」
お菓子はどれも、エメの手作りだ。繊細なエメらしく、素朴な焼き菓子であっても、どれも美しい形をした芸術品のようだった。
「食べるのがもったいないくらいだね」
清家が感嘆するのに、「そんな」とエメは謙遜してみせた。
ハルディアやデイビットも、ありがたくサンドイッチに舌鼓をうつ。相柳も招かれ、やや気まずそうながらも、同じようにピクニックの席についた。
「……美味だ」
甘い物が、案外相柳も好きらしい。物静かながら、もくもくと一定のスピードで食べ続けている。
「そうだ。カルマ君、私からもプレゼントがあるんです」
「?」
エメが手渡したのは、一冊の絵本だった。こちらも、エメの手作りのものだ。
「三銃士っていうお話なんですよ」
「あ、ボクだ!」
ダルタニャンの姿は、カルマをモデルにして描いてある。その他の三銃士は、物語を忠実にイメージしたデザインだ。
「よかったね。字はかなり読めるようになったからね」
ハルディアの言葉に、カルマは頷いて、さっそくページをめくっている。だが、今のところは、綺麗なイラストに夢中のようだ。
「読んであげるよ。おいで?」
リュミエールに手招きされ、カルマはデジカメと絵本を大切そうに抱えて、リュミエールの元に行くと、膝の上にちょこんと座る。
その微笑ましい姿を、清家は目を細めて見つめていた。
「本当に、カルマは愛されてるね」
「ええ。みんなに可愛がられています。私もできる限り力になりますし、仲良くなりたいと思ってます。だから、安心してくださいね」
「ああ……」
頷いて、清家は目元を拭う。
「あんな風に笑う姿を、私は想像もしていなかった。……正直、人間の姿をしたカルマに初めて会った時、私は動揺したんだ。こんな可愛らしい少年になるなんて、思ってもみなかった。それと同時に、気づいたんだよ。私は、私のなかの勝手な理想を、カルマに押しつけていただけなんだと」
「清家さん……」
何も言わない、美しい水晶の柱に、清家はただ己の夢を見ていた。誰の力でもなく、レモの力でもなく、自分が目覚めさせることができれば、それは清家の成功になるという打算もあったかもしれない。
「でも、カルマはただ、私を受け入れてくれた。かつても、今も」
カルマは、傍目にもわかるほど清家を慕っている。今日も、一緒に行けると聞いて、跳ね回って喜び、そのまま後ろにひっくり返ったくらいだ。
「……カルマのあの笑顔を見せてくれたのは、君のおかげだと聞いてる。ありがとう」
「いえ。あれは、みんなの気持ちです」
深く頭を下げる清家に、エメはそう首を横に振った。
「それより、清家さんもいつでも、薔薇の学舎へ遊びに来てください。カルマ君は、それが一番嬉しいはずですから」
「そうなのかな……いや、そうだ、ね」
清家は頷き、再び視線をやると、カルマはリュミエールの言葉を聞きながらも、うつらうつらと眠たげに目を擦っていた。たぶん、もうすぐ本格的にお昼寝だろう。それを抱き締めたまま見守るリュミエールの金髪が、木漏れ日にきらきらと光る。
優しい、穏やかな光景だった。
「……ああ。こんなに、世界は綺麗だったんだね」
己の殻に閉じこもっていた間は、気がつかなかった。
そう、しみじみと清家は呟き、微笑みを浮かべていた。
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