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胸に響くはきみの歌声(第2回/全2回)

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胸に響くはきみの歌声(第2回/全2回)

リアクション

「だれも戻らないねぇ」
 カツンカツンと靴音を響かせて階段を下りた先の通路を歩きながら、ルガトは後ろの面々に向かってつぶやいた。
 だれ、というのは強化人間たちのことである。
 一緒に入ってきた5人の強化人間たちは、うす暗がりにまぎれて突貫してきたゆかりマリエッタの襲撃を受けた際に、撤退する彼女たちを追って行ったままになっていた。
 最初のうち、銃撃の音が聞こえたり、走り回る気配がかすかにしていたが、今はそれも途絶えている。
「これは全員やられちゃったかな? まあ、もう用済みだったし。いいけど」
 彼らはルドラを釣り、ここへ導かせるための仕掛けの一部だった。古王国時代を崇める主義を利用させてもらっただけ。
 彼らは主義を同じくしながら非暴力を訴える【Saoshyant】の者たちにいらだっていた。変わらない現状を無為な日々と考え、あせりに支配された頭で、変えられるだけの力を欲していた。
 ルガトはその力を与えてやった。体を改造し、強化して、彼らが盗み取ってきた――彼らからすれば、発掘隊こそ犯罪者なのだろうが――聖遺物という武器を扱えるようにしてやったのだから、ギブ・アンド・テイクだ。
 どうせ、ルガトの本来の目的を知れば激怒してアストレースを殺そうとするに違いなかったやつらだ。その前にアエーシュマに処分させようと思っていたのだから、むしろ今コントラクターが始末してくれるのだったら手間がはぶけるというものだった。
 そんな彼らの前に、やがて立ちはだかる人影が現れる。
 夜刀神 甚五郎(やとがみ・じんごろう)とそのパートナーの草薙 羽純(くさなぎ・はすみ)ブリジット・コイル(ぶりじっと・こいる)だ。
「……強化人間たちの姿はないようですね」
 ブリジットが仲間に聞こえるだけの声でささやいた。
「おまえか、ジンゴロウ」
 無言で立つ甚五郎を見て、アエーシュマはどこかうれしそうに笑う。
「きみの友達?」
「奇縁の相手だ。前の俺を砕いた」
 それまで全く無関心そうだったルガトが、その返答に、へえ? と少しだけ関心のある素振りを見せる。しかしそれもほんのわずかで、すぐに右の側路へ視線を移した。
「じゃあね」
「彼を置いていくんですか」
 あっさりと別れて先を行くルガトにためらいがちに鉄心が訊く。
「もともとそういう約束だからね。ぼくの「命令」には服従する。そのかわり、「彼の望む戦い」には一切口を出さない。
 ぼくたちはべつに、仲間というわけじゃないんだよ。ぼくは彼の力が、彼はぼくの財力と頭脳が目的を達成するのに便利だから一緒にいただけ」
 彼を強化人間と変えたのはルガトだ。その際、アエーシュマとしての記憶がよみがえったのは意外だったが、そのせいで反抗的になり、かつ操りやすくもなった。
「禍福は糾える縄の如し、とはよく言ったものだよねえ」
 つぶやき、肩を揺すってくつくつ笑う。ルガトは、前方にぼうっと浮かび上がった2人を見つけた。
 椎名 真(しいな・まこと)原田 左之助(はらだ・さのすけ)だ。
 護衛者は自分たちしかいないと、鉄心は腰の魔銃ケルベロスに上から手を添える。しかしルガトはそれを制するようにぽんと鉄心の二の腕を手の甲でたたき、そのまま進んで2人の横をすり抜けた。
 ルガトを目で追う左之助とミラーサングラス越しのルガトの視線がすれ違いざまちらとだけ合う。左之助には見えなかったが、ルガトも彼を見ていたことを確信していた。
 左之助はルガトを知っていた。
 かつてマナフの結合を解き、彼を殺した男。マナフの目を通して、彼を識っていた。
 真はそれと因縁に気付けなかったが、左之助の気がビリビリと張りつめたことには気付いていた。
「兄さん」
 息をするのもためらわれるほどの張りつめた邂逅が終わりを告げる。
 ルガトたちが去ったあと、真は何がどうなのかも分からないまま、ためらいがちに左之助を気遣う。
 その瞬間、それまで一切微動だにしなかった左之助が突然全力で壁を殴りつけた。
「くそが……」
 壁につけたままの手に額を押しつけ、うめくように小さくつぶやく。
「……自分の人生は、自分で決める……。
 俺ぁもうごちゃごちゃした思いはしたくねぇんだよ、畜生が……」



「なんだ? おまえも残ったのか」
 アエーシュマは七刀 切(しちとう・きり)を振り返った。
 切は自在刀を抜き、具合を見るように軽く振ったあと、ぴたりとその切っ先をアエーシュマへと向ける。
「驚かないんだ?」
「その方がずっと面白いだろう?」
「そうだと思った」
 ふっと息を吐く。
「もともとワイは、協力するなんてひと言も言ってないからねぇ」
 ただ成り行きで一緒にいただけで、協力者と誤解したのはそっち。それを正さなかっただけだと事もなげに言う切に、アエーシュマは同意するように軽く右肩をすくめて見せる。
「ねえ。博士もいなくなったことだし。1つ訊いてもいい?」
「なんだ?」
「恋人のタルウィを復活させるって、ようはアストレースって人を殺して、その体を奪い取るってことだよね? そんなことできんの? あの博士」
「最初の質問には、そうだ。あとの質問には、2つの答えがある。「そう」と「いいや」だ」
「つまり?」
「技能でいうなら、能力はあるだろう。昔もたびたびドルグワントを使って脳改造やら解剖やらしていたからな。しかしあいつはアンリを知らない。勉強不足だ。あの外見や温和で人懐っこい態度に騙されるやつもいるだろうが、それは錯覚だ。あいつはからっぽで、あの目には何も見えちゃいない」
 なぜなら、タルウィ以外のものなどどうでもいいという身勝手な性根だからだ。
 興味がないから理解しようとしない。理解できない。
「ある意味、ドルグの原型となった人間らしいと言える。あいつはドルグを嫌悪しているが」
「ひとは、見たいものを見る、と」
 鉄心はこのことを知っているんだろうか? ふと、そんなことを思う。
 ルドラの側には教導団の者もいる。教導団での自分の立場を少し悪くするかもしれないという危険を冒すだけの価値はあるのだろうか?
(まあ、この際ひとのことはどうでもいいか)
「じゃあ行くねぇ」
 体勢を低くかまえた切の首元で、銀色の懐中時計奇構機『フリューゲルブリッツ』が揺れた。
 光が流れるような動きで一瞬のうちに間合いを詰める。この桁外れの瞬発力はフリューゲルブリッツだけではない、秘宝の知識、ウェポンマスタリー、一騎当千などで身体スペックを極限まで上げたことに裏打ちされたものである。
 振り下ろされた刃はアエーシュマの影を切ったにすぎなかったが、すぐさま返した刃は逃げたアエーシュマを着実に追い、腕をかすめるように斬り上がった。
「うおおおっ!!」
 そこに甚五郎が勇ましく咆哮をあげて霊断・黒ノ水とロイヤルソードの二刀で飛び込む。
 振り返らず、脇からビュッと突き出されたマチェットが甚五郎の真芯を捉えたが、魔鎧となって甚五郎を包んだホリイ・パワーズ(ほりい・ぱわーず)がその切っ先を退けた。それだけでなく、ホリイ自身の能力、潜在解放が甚五郎のなかに眠る力を一時的に開放して底上げし、速度を上げる。
 切と2人、アエーシュマを前後ではさみ、真空波やグラビトン砲を使う暇を与えないよう、全力で斬りつけた。特に切は自在刀をふるい、ほかの剣にはあり得ない、刀身を伸縮させることで攻撃に幅を持たせ、かつ間合いを読ませないことでアエーシュマに揺さぶりをかける。
 ギィンと鋼同士がぶつかりあう音が高く響き、その音が宙に消えさる間もあけず、次の剣げき音が鳴り響く。切も甚五郎も無言で、ひたすらアエーシュマを追って斬りつけるが、切っ先がたまに服や皮膚1枚を切り裂くだけで、ほとんどが空を斬るだけに終わる。そしてカウンターとして、風の速さで振り切られるマチェットや巨大なこぶし、壁をも砕く蹴りが彼らを襲った。
「甚五郎……」
 わずかでもスピードが衰えれば命とりだ。ブリジットは甚五郎たちに向かい、ゴッドスピードをかけ続ける。
 そんなブリジットを、羽純が呼んだ。
「ブリジット、こっちへ来い!」
「どうかしたのですか?」
 振り返ったブリジットは、羽純の見ているものを見てハッとなる。
 アエーシュマたちが来た方の通路から走ってくる2人の強化人間の姿があった。
「どうやら地上組が殲滅したというわけではなかったようじゃな」
 羽純はラブアンドヘイトで呼び出したヤドリギを伸ばして攻撃するが、強化人間たちが宙につくり出した光刃のチャクラムが彼らに届くはるか手前で切り裂く。真空波も用いたが、彼らのまとった強化装甲には刃が立たなかった。
「ここは地下じゃ。生き埋めになりかねん威力の高い魔法は使えん。そなたが行け」
「分かりました」
「援護する」
「お願いします」
 甚五郎の背中に向け、ゴッドスピードをかけてから、ブリジットはリターニングナイブズを手に強化人間たちに特攻する。チャクラムが投擲されたが、疾風迅雷で駆けるブリジットを捉えることはできなかった。また、ブリジットの動きに合わせて羽純のヤドリギが通路の壁や天井を這うように伸びていき、とがった先端が彼らを串刺しにせんと迫る。
 2人の強化人間はどちらに対処すべきかとまどっている一瞬のうちにブリジットに装甲の継ぎ目からリターニングナイブズの刃を押し込まれ、斬り裂かれた。
「ぐあっ!?」
 よろめき、傷口を押さえる強化人間たちをヤドリギが壁に押しつけ、磔にして身動きを奪っていく。
 アエーシュマが高笑った。
「はーーーーっはっはっは!! おまえたちの相手は、やはり面白い」
 そして切と甚五郎を同時にバリアではじき飛ばすと、壁に背中をぶつけた切の肩を壁ごと斬り裂いた。
 マチェットは肩を斬り落とすまであと少しというところで止まる。壁の抵抗がなければ完全に断ち切られていただろう。
「うわあああああっ!」
 自らの肩の惨状に切は目を瞠り、悲鳴を上げる。
「切!
 ……ぬう。やはりわしたちだけではやつを止められんのか」
 前の折り、アエーシュマを止めるのにコントラクター4人がかりだった。もちろんこのアエーシュマは前回のアエーシュマと違うが、やはり2人では荷が勝ちすぎるのか。
「……いいや。わしらもあのときから修行を重ね、さらに成長をしている。かなわぬはずはない」
 思い直し、刀を握る手を強める。
 マチェットを引き戻し、アエーシュマは静観していた。いくらでも攻撃を仕掛ける間はあっただろうが、基本的に彼は切や甚五郎が動くのを待っている。彼らがどんな技でくるか、その出方を楽しみにしているようである。
 だが、自分たちにあとどれほどの手が残っているのか……。
 そのとき、壁に背を預けたまま気絶しているかに見えていた切が、むくりと身を起こした。
「……んなとこで、死んでたまっかよ……」
 ぼたぼたと血の塊を落としながらも、壁を支えにして立ち上がる。
「ワイはなぁ……あの泣き虫で、謝ってばかりの女の子に、言ってやんなきゃいけないことが、あるんよ……。笑顔で、ありがとうって言う方が、ずっと、ずっと、いいって……。
 そっちの方が、アストー……には、似合うって……あんたも思うだろ……?」
 血と汗にまみれ、息絶え絶えのくせに、ニッと笑って見せる。
 アエーシュマは切を無言で見つめる。その脳裏をかすめたのは何だったのか……。かつて「妻」と呼び、その胸に抱いた、今はもういない女性の幻影なのかもしれない。

「おいそこの4人! こっちだ!!」

 突然側路から鋭い言葉が飛んだ。
 左之助が手を振って合図を出している。否と拒むものはない。
「走るのじゃ!!」
 羽純が召喚獣フェニックスをアエーシュマに向かわせた。炎の鳥がその身で視界を覆っている隙に、ブリジット、羽純、甚五郎は走り出す。甚五郎は途中、走れない切を脇に抱きかかえて運んだ。
 アエーシュマはフェニックスを一刀両断し、4人のあとを追う。
「来たぞ、真」
「うん」
 4人がとおり過ぎた直後、真は不可視の糸を飛ばして側路じゅうに張った。幾何学的なクモの巣だ。追って入ってきたアエーシュマはうす暗がりに張られた見えない糸に弾き返される。驚き、動きを止めたところへ、糸と壁を足場にして跳躍し、糸を飛び越えた左之助の全体重を乗せた忘却の槍の一撃が、アエーシュマの大腿部に突き立てられる。断ち切られた配線からバチバチと火花が散って、ぐらりと巨体が傾いだ。
「いまだ!」
 バランスを崩しているアエーシュマを見て、体勢を立て直した甚五郎たちが一斉攻撃を行った。
 真の霜橋が打ち込まれてよろめいたところで羽純のヤドリギが手足を壁に縫い止める。それを引きちぎる前にブリジットが渾身の力で魔障覆滅をたたき込み、甚五郎の燕返しが胸部を斬り裂いた。
 刀がミラーサングラスに当たり、はじけ飛ぶ。
「……クッ……ククク……」
 うなだれ、影となった顔で、アエーシュマは笑っていた。それは嘲りの嗤いではなく、心の底から楽しんでいる笑いだった。
「――それが、おぬしの目的、望みか」
 破損した手足、胸部の機器からしゅうしゅうと煙を上げているアエーシュマを見て、甚五郎はつぶやく。
「……戦い以外、オレに何があるんだ? 『アエーシュマ』はそのためにつくられた」
 5000年前。彼には目的があった。そのために創られた。妻を守れと言われた。そのことに異論はなかった。たとえ博士たちに刷り込まれた意識でも、彼はアストーを愛していたし、反発する息子ドゥルジをそれなりに気に入っていた。
 だが再び目覚めたここに、それはなかった。
 守るべき何もなかった。
 目的もなく。ただ戦いへの衝動しか残っていなかった。
「博士は彼を守れと言った。たしかにそれは『アエーシュマ』が生みだされた目的の1つでもあった。それに従うのは道理だ。5000年前でも、今でもな。気乗りはせんかったが、まあ、目的にはなる」
「そうか」
「しかし、機械の体なんて、つまらんもんだ。たかが線が切れたくらいで、指1本満足に動かせんとは。どうせ戦うなら、前の体の方がよかった。5000年も経つのに、博士はいまだ気が利かない」
 アエーシュマはくつくつ笑うと、いうことをきかない腕に眉をしかめつつもどうにか動かして、ポケットから親指サイズのスティックを取り出す。キャップをはずし、突起に親指を乗せる。
「離れていろ、ジンゴロウ。巻き込まれるぞ」
 甚五郎が後ずさりし、距離をとったのを見て、アエーシュマはそれをした。
 爆縮。
「それがおぬしの存在意義というのなら、二度とおぬしがよみがえらんことを、おぬしのために祈ろう」
 かつてアエーシュマであったものを見下ろしながら、甚五郎は静かに告げた。