薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

冬空のルミナス

リアクション公開中!

冬空のルミナス

リアクション


●家族愛の新年会

「そういえば、こうやって人を招いて新年会をするのは久しぶりだなぁ」
 涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)はふと呟いていた。
 彼は正月らしく、新調したばかりの紋付き袴に着替えている。
 これですべての準備が整った。
 部屋の掃除は完璧だ。ぎりぎりまで時間をかけたので、料理がすべて間に合うかどうか心配だったがこれもなんとかなった。雑煮もすぐに出せる状態にしてある。
 この雑煮は、涼介が慣れ親しんだもので関東風のお澄まし仕立てである。
 鶏肉と鰹節で出汁をとり、醤油と塩と酒でその味を調えた。あとは、茹でたほうれん草、かまぼこと焼いた角餅を入れたお椀にこの出汁を注げばでき上がりだ。こう書くと簡単な料理のようだが、シンプルなだけに奥が深いのが雑煮である。料理の腕の巧拙がはっきりと出る一品で、家庭によっても大きく味が変わってくるのだから。
 ちなみに涼介の場合、出汁に使った鶏肉はそのまま具材としても使う。
「もうすぐですわね、お父様」
 玄関先から、ミリィ・フォレスト(みりぃ・ふぉれすと)のそわそわした声が聞こえてきた。
「きちんとおもてなしできるように準備をしませんと」と言って、昨日から今日までミリィは張り切って準備を手伝った。餅を焼いたり、テーブルの準備をしたり……それこそ、ミリア・フォレスト(みりあ・ふぉれすと)すらびっくりするほどの活躍だったのである。
「あの子も立派になって……なんて言ったら、年老いたお母さんみたいですか?」
 などところころ笑いつつミリアが出てきた。落ち着いた色調の和服である。台所に立つことも考えて振り袖ではないが、それはそれで目の覚めるような美しさだ。
「年老いただなんてとんでもない。ミリアさんはいつだって素敵だよ」
「お父様、お母様」
 玄関のほうから軽やかに、子鹿のような足取りでミリィが戻ってきた。
「どうかしました?」
「思い出したのですわ……新年の挨拶がまだでしたわね。お父様、お母様。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
「そうだね。おめでとう」
「今年もいい年にしましょうね」
 ちょうどここで、玄関のチャイムが鳴った。
「あけましておめでとうございます」
 開いたドアのところに立つのは、本日招待を受けた蓮見家だ。
 すなわち、蓮見 朱里(はすみ・しゅり)と、夫のアイン・ブラウ(あいん・ぶらう)。そしてピュリア・アルブム(ぴゅりあ・あるぶむ)黄 健勇(ほぁん・じぇんよん)である。
 朱里の腕には小さなユノも抱かれている。いや、もう『小さい』なんて言っては失礼かもしれない。まだ単語中心ながら、ユノは片言で話すことができるようになっていたからだ。自分の要求程度なら、十分両親に伝えられるという。もはや立派なレディーなのだ。
「いらっしゃい、お待ちしてましたよ。今日は楽しんでくださいね」
 ひときしり挨拶を交わし、五人を招き入れて廊下を歩く。
 その間、ミリィはずっとユノを見ていた。
「可愛いですわ! ユノさんは何歳になりますの?」
「二歳! 今日が誕生日なんだよ!」
 ピュリアがかわりに答えた。
「元旦が誕生日だなんて覚えやすいよなー」
 へへっと健勇は得意げに言うのである。
「『盆と正月が一緒に来たような』、って言い方があるけど、ユノの場合はマジで『誕生日と正月が一緒』に来るんだぜー」
 このときなごやかに涼介と会話を交わしていたアインだが、座敷に通されてすぐ、
「しまった」
 と額に手を当てた。朱里もすぐにアインの意を悟り、彼と顔を見合わせ苦笑いしたのだ。
「……そういえばフォレスト家は、イルミンきっての料理好き夫婦だったなと今思い出したんだ」
 アインは涼介に説明した。
 ええ、実は……と朱里が言葉を継ぐ。
「お正月、前日からおせちに加えて、食べ盛りの子供たちのために色々とごちそうを準備したのはいいけれど、子供たちにせがまれてアインとユノのバースディケーキやおせち以外の料理も作っているうちに手が止まらなくなって……ちょっと作り過ぎてしまったの」
「そんな中、ちょうどそちらの招待を受けてね。せっかくだから重箱と菓子折りを持って来たというわけさ。ところがこんなに立派なご馳走を用意してもらっていただなんて……」
 しかしそれを聞いて健勇はVサインした。
「気にすんな、って父ちゃん母ちゃん! 食べ盛りの俺がいーっぱい食べるから大丈夫、余ったりしないぜ!」
「それは頼もしいね」
 涼介は笑った。自分のところはいま、ミリィという『娘』しかいないが、息子というのもいいものだと思ったりもする。
「それでは、はじめるとしましょうか」
 ミリアが重箱を開いた。
 おせちの中身は、基本的にお正月の前から仕込んでおいたもので、黒豆、伊達巻、紅白なますに栗きんとんなど、すべて涼介とミリアの手作りだった。当日仕込んだのは雑煮と煮豚である。全体的に明るい色彩で香りも良く、見ているだけでお腹が鳴りそうだ。
「じゃあ、とっておきを開けよう」
 涼介は秘蔵の日本酒の口を切り、徳利にうつして大人に注いでいく。
 妊娠中のミリアと子どもたちはフルーツジュース、これも生搾りの高級品だ。
「それじゃ、乾杯」
 涼介の音頭で全員が杯を上げる。
「あと、ユノはハッピーバースデーだね!」
 ピュリアが笑った。
「誕生日おめでとう」
 一同唱和して、かくて杯とグラスをカチンと音を立てたのだ。ユノだけはストロー付きのプラスチック容器で中身も薄いほうじ茶だが、みんなの真似をしてきゃっきゃと声を上げていた。
 ジュースを一息で空けると遠慮なく箸を伸ばし、健勇はぱくぱくと料理を口にする。
「へーっ、夫婦揃って料理好きの一家とは聞いてたけど、うちに負けず劣らずすげー美味いじゃん! いただきまーす!」
「健勇お兄ちゃん、たべはじめてから『いただきます』は変なのよー」
 自分はちゃんと合掌し挨拶してから、ピュリアが彼をたしなめた。しかしそれを軽く聞き流し、
「へへ、ご愛敬ご愛敬♪ 俺ももう十三歳だし、たくさん食べて身長伸ばすんだぜー!」
 などと猛烈な勢いで、健勇はつぎつぎ料理を食べ始めた。食べているというより、口に放り込んでいるといったほうが近いようなスピードだ。
「健勇、行儀が悪いぞ」
 アインは声を荒げはしないが、優しく、されどしっかりとそう言ってたしなめた。
「……ごめん。お行儀悪かった。反省」
 父の言葉は素直に聞く健勇なのである。神妙な顔をしてちょこんと頭を下げ、ようやく速度を落として再開した。
「はは、そんな遠慮しなくていいよ」
 涼介が声をかけると、もう健勇はおどけたような表情に戻っている。
「そーいえば父ちゃんといい涼介兄ちゃんといい、男なのに料理上手いじゃん? 俺今まで『男はワイルド体育会系!』って思ってたけど、これからは『厨房男子』のほうがイケてるわけ?」
「そうですわね。お父様もアインさんも素敵ですもの。わたくし、その考えに全面賛成ですわよ。厨房男子、結構ではありませんか。きっと女の子にもおモテになりますわ」
 ミリィが言うと、これで俄然やる気になったらしく、
「やっぱそうか! うーん、俺、料理といえば一狩り行った後の丸焼き肉ぐらいしかレパートリーないから、ちょっとは習った方がいいのかな?」
 などと健勇は腕組みするのだった。
 やがて宴もたけなわ、いつの間にか席は、大人と子どもにわかれていた。
「今日持ってきたおみやげのクッキーも、ピュリアが焼いたの。前から少しは上達したかな?」
「とてもおいしですわ! 今度作り方、教えてくださいましね」
 ピュリアが差し出すクッキーをミリィが食べている。
「それでよー、この上にこれを置くんだ。できるか? おー、いい感じだぜ」
 案外と面倒見がいいのか、健勇は土産物の空き箱をブロックに見立て、これでユノを遊ばせていた。ユノも彼によくなついている。
 一方で、両家の両親は茶を淹れて話し込んでいた。
「こんな話を急にしてごめんなさいね。でも朱里さん、先輩ママとして教えてくれませんか? これからのアドバイスを。とくに子育てについて」
 ミリアは自分のお腹をさすりながら言った。最初は信じられなかった。でも、もう今では感じている。その場所に生命が宿っているということを。
 新たな生命に責任を持つ……それは不安なことでもあるが、喜びでもある。このときミリアの表情は、ちょうどその両感情が入り交じったものであった。
「私もまだまだ新米ママだから、教えてあげられるほどの知識があるかどうかも分からないけど……」
 と前置きして朱里は答えた。
「なによりも大切なのは『子供たちに対する愛情』を忘れないこと、かな? うちのユノも今日で二歳になって、色々と危険なことをしたり周囲にご迷惑をかけたりすることも増えて、そんな時は叱ったり注意したりしないといけない場面も出てきたりするの。そんなときは、単に叱るだけじゃなくて、ちゃんと『愛してる』ってフォローするようにしてる。まだ完全に言葉は通じていないかもしれないけど、ちゃんとわかっているのよ、子どもは」
「パパのご意見は?」
 口調こそのどかだが涼介も真剣だった。彼にとっても、これから初となる父親体験が待っているのだ。特に聞きたいのは、奥さんが困っているとき夫として父親としてできることだった。
「父親の心構えか……常に妻や子供の立場に立って気遣うことだろうか」
 アインが答える。
「妊娠中も出産後も、母親とは心身共に不安定になるものだ。育児と共に家事もこなすということは、男には想像もつかない重労働なんだ。そんなとき少しでも支えてやれること。女性では困難な力仕事や、育児が加わる事で手の回らなくなった家事を手伝うだけでも、随分助けられたと朱里は言っていた。なによりも相手への愛情と気遣いを忘れないことだと思う……おっと、説教臭くなってしまったかな」
「あと、これは父親でも母親でも同じだと思うけど、困ったときには自分一人で抱え込まずに、誰かに相談すること」
 朱里が付け加える。
「家族や友人、行政と、今は色々と相談できる場所はあるし、私自身、今でもアインや他の友達に助けられてる部分がたくさんあるの。
 私でよければ、色々と相談に乗るから、遠慮なく言ってね」
「ありがたいお話、ありがとうございました!」
 感激したのか、ミリアは思わず拍手していた。
「まったく!」
 涼介も同じだ。自分たちもいつか、アインと朱里のように『後輩』にアドバイスできる両親になれるだろうか――そんなことを思った。
 なぜか拍手をはじめた彼らを、きょとんとした目で健勇、ミリィ、ピュリアは見ていた。
 一人、ユノだけが興に乗って、手をぱちぱちとやりだした。