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ホタル舞う河原で

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ホタル舞う河原で
ホタル舞う河原で ホタル舞う河原で

リアクション

 夜祭りからの帰り道。
 遠野 歌菜(とおの・かな)は夫の月崎 羽純(つきざき・はすみ)と2人、浴衣姿で並んで土手の道を歩いていた。
 かすかに地面とこすれて鳴る下駄の音。
 上機嫌な歌菜の鼻歌。
 手には、屋台で買ったいか焼きやわたあめ、りんごあめなどが握られたりぶら下がったりしている。
(食べ物ばかりだな)
 それらを下げて歩く歌菜がとてもかわいく見えて、手にした団扇に隠した口元で羽純は声をたてずくすりと笑う。
「お祭り、すっごく楽しかったね、羽純くんっ」
「ああ」
 見つめあう2人の間を、そのときすうっと小さな光が流れていった。
 最初は何か分からなかったのだが。
「あっ、見て羽純くん! ホタル……!」
 目で追った歌菜が、河川敷にたくさん舞い飛ぶホタルの光を見て、きゃあっと喜びの声を上げた。
「すごーい。あんなにいっぱい!」
「ほう。みごとだな」
「こんな所あったんだね、全然気づかなかった」
 昼間は何度も通ったことのある道だったが、夜はめったに通らないからだろう。
「ね? 下に行こ。ちょっとだけだから。ねっ?」
 歌菜にねだられると、いやとは言えなかった。
「蚊に食われるぞ」
「少しだけなら平気っ」
 いそいそと河川敷へ下りて、宙を舞い飛ぶホタルを見上げた。
 弱々しい光を放ちながらふわりふわりと草の波間を飛んでいるその素朴な姿はいくら見ても飽きない。
「ホタルかぁ。ホタルを見るのは久し振りかも。
 たしか4年前の夏休み……以来、かな? 羽純くんと日本の田舎の旅館に泊まりで旅行に行って、そのとき一緒に見たよね?」
「ああ、そんなこともあったな」
 歌菜に言われて当時のことを思い出し、軽くうなずく。
「あれからもう4年経つのか」
 当時、羽純はとある理由から記憶喪失に陥っていた。ちょうど恋人同士になったばかりだった歌菜は、失われた分、新しい記憶、思い出を私がつくってあげるんだと意気込み、羽純をいろんな場所へ引っ張り回していて――そのうちの1つが地球の日本だったというわけだった。
 ホタルの群れの中央まで歩を進め、くるっと回る。
「ふふっ。こうしてると、あのときに返ったみたい。そう思わない?
 あー、でも今思うと、ちょっと羽純くんには迷惑だったかな? 私、強引だったし」
「そんなことはない。そうやって歌菜が連れ回してくれていた分気がまぎれて、深刻に悩みすぎずにすんでいた。ありがたかった」
「羽純くん?」
 その言い方に何かひっかかるものを感じて、肩越しに振り返ったところを引き寄せられる。気づいたとき、歌菜は団扇の影で、羽純のあたたかな唇を唇に感じていた。
 全然予期していなかった突然のキスに、歌菜はボンッと一瞬で真っ赤になる。
(……ち、違った。前はこんなに距離は近くなかったっ)
「どうした?」
「な、なんでもないっ」
 赤く染まった顔を見られたくなくて、歌菜はくるっと背中を向ける。しかし耳の先まで赤くなっているせいで、羽純には丸分かりだった。くつくつと背中越しに羽純の笑う声が聞こえる。
「おかしなやつだ。キスなど、もう何百回としてきているじゃないか」
「し、してきてたって……。
 それとこれは、違うの!」
 何千回、何万回したって、絶対慣れたりしない。
 羽純くんに触れられてドキドキするのは、夫婦になってもずっと変わらないの。
「どう違うんだ?」
 …………ううううううう…………っ
「ほ、ほら! せっかくだから、ホタルを見ようよ!
 川の水面(みなも)にも光が映ってるよ! すごくく幻想的できれい……!
 人工の明かりには真似できない、優しい光だねっ――って、羽純くん? ちゃんと見てる?」
「見ているさ」
「ほ、ホタルを見てるって訊いたの! 私じゃなくてっ」
「見えているよ、おまえの周りを飛んで照らしていて。
 とてもきれいだ」
「……!」
 歌菜はやっとほてりの治まったばかりの顔を、先まで以上に真っ赤にして、あわててきょろきょろと周りを見渡した。
「どうかしたのか?」
「や。だれもいないなと思って」
「いない。ずっと俺たちだけだ」
 ふわりと包み込むように羽純の両腕が歌菜の両肩を越えて前に回り、指を組んだ。羽純の両腕のなかに閉じ込められた歌菜は身動きできず、頭の頂点にキスをする羽純の唇を感じる。
「も、もうっ! 羽純くん、わざとやってるでしょ! こんな、ひとのことからかってっ」
「からかってなどいない」
「嘘!
 い、いいから離れてっ」
 もがいて腕のなかを抜け出る歌菜を、羽純は強引に引き留めようとはしなかった。
 一歩前に出て振り返った歌菜はひと言言おうとし……そこで少し悄然となっている羽純の姿を見ることになる。
「羽純くん?
 あの……私、羽純くんのこと本当に嘘つきとか、嫌とか、そんなの思ったこと1回もないよ!」
 今のは、触れられていると、もう羽純くんしか感じられなくて、羽純くんのことしか考えられなくなって、ホタル見るどころじゃなくなっちゃうから……!
「私、羽純くんのこと、すごくすごく好きだしっ。
 …………羽純くん?」
 無言でうつむいてしまった羽純を見て、さっきの拒絶はそういう意味じゃないと必死に弁解する歌菜だったが、あせらずによく見れば羽純は傷ついているわけでも何でもなく、むしろ失笑しているのだと分かって、ぱっと身を退いた。
「だ、だましたのねっ!」
「だましてなどいない。おまえが勝手にしゃべりだしただけだ」
「ひどいっ! 羽純くんなんか知らないっ」
 くるっと背中を向けて走って行こうとした手を、次の瞬間羽純が掴まえた。
「走るな、危ない。
 いいからここにいろ」
「放して! 私、怒ってるんだからねっ」
 暴れて引き離そうとするもう片方の手も取って、束ねて胸のところへ持ち上げる。
 力ではどうやっても羽純には勝てないし……それに、本気で振り払うことなんてできない。
 ううう、と歯噛みしていると、持ち上げた手の内側に羽純が唇を寄せてぺろりと舐めた。
「は、羽純くん?」
「赤くなっている。蚊に食われたな」
「え? あ、ほんとだ」
「ここも」
 羽純の顔が迫ってきて、少しかがんだと思うと浴衣をずらして鎖骨の上のあたりに触れた。
 指を追うように唇が触れ、あたたかな舌を感じる。舌はそのまま首の根元まて這ってきて、首筋を上った。
「……あ」
 思わず漏らしてしまった小さな声を聞かれたのは間違いなかった。
 顔を上げた羽純と目と目が合う。
 羽純はそうなると思っていたと言わんばかりの微笑を浮かべていて……振り払おうとしても、両手はまだ羽純の手のなかだ。
 そっと、もう片方の腕が腰に回って、歌菜を引き寄せる。唇が、キスをしようと下りてきて――。
 いつの間にかはずれて、自由になっていた手を、歌菜は羽純のうなじへと回した。自分から身を寄せ、密着させる。
 どんなに腹を立てていても、羽純を拒絶し突き飛ばすなんて考えられなかった。
 長く情熱的なキスのあと、ほおに小さなキスをつなげて、耳元でささやいた。
「俺もおまえが好きだよ。愛している」
 蒸気したほおで自分を見つめる歌菜を見下ろしながら、自分はあのホタルたちと同じだと、羽純は思った。
 歌菜の元に集まり、離れがたい思いで周りを舞い飛ぶホタル。
 歌菜は俺に勝てないと思っているかもしれない。だが歌菜に勝てないのは俺の方だ。こうして引き寄せられて、離れることなど考えることもできない。
 しかし歌菜の方は違ったようで。
「……羽純くん、ずるいっ」
 ぐい、と胸を押しやって、さっさと前を歩いていく。
「ずるくない」
 ぱたぱた小走りで先を行く歌菜にくつりと笑って、羽純は返す。
 ごまかしだと思って、信じていない様子の歌菜に、さてどうやって先の言葉が真実だと信じてもらおうか?
 そのための努力は厭わない。たとえひと晩じゅう、朝までかかったとしても、歌菜に信じさせよう。あのやわらかな体のいたる所にキスをして、その都度愛をささやくか。
 歌菜が信じると言うまで、何度も、何度も……。
 そのときが待ちきれない。
「羽純くん、もう家に帰ろう?」
 家に戻れば甘い拷問が待っているとも知らず言ってくる歌菜に、羽純はうなずいた。
「そうしよう」