校長室
黄金色の散歩道
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腕の中の『世界』 「あの……ここは? 勝手に入って、いいんですか?」 結崎 綾耶(ゆうざき・あや)はおずおずと周囲を見渡した。 シャンバラのとある小さな教会。 パートナーであり恋人の匿名 某(とくな・なにがし)が綾耶を連れて来たのは、見知らぬ場所だった。綾耶は訪れたことはなく、彼女の記憶にある限り某が行ったという話も聞いた事がなかった。 そもそも某と教会にどんな関係があるというのだろう。 ……実際、某が両開きの扉を開ける仕草も慣れていないように見えた。 「ああ、大丈夫だ」 「そうですか……」 某の返答に綾耶は一応頷いたものの、納得し切れていない。声音は違和感と不自然さ、そして思い当たることがあるような、ないような不安と緊張がないまぜになって心ここにあらずといったものだった。 某もそんな彼女の気持ちに気付いてはいたものの、それよりも自身の中の緊張に気を取られていた。 「こうして二人で過ごすのは久しぶりだな。最近はパラミタの危機だなんだと忙しかったからな……世界の危機を世間話レベルで語るってのも妙な話だよな」 「そうですね」 「でも、なんだかんだで世界は平和になって破滅は無事免れた。つまりはこれからはこうしてのんびりできるって事だ……」 本心だ、本心ではあるけれど。それだったら、わざわざこんなところに来なくても良かった訳で……。 そんなことを言うために、ここに綾耶を連れて来たわけではない。 (なんてごまかしてるけど、そろそろ本題に入ろう) 某はゆっくりと手を握ったり開いたりしていたが、それをぎゅっと結んだ。 (この緊張感、世界のために戦った時の方がまだ余裕あったよ……) 綾耶にそれとは見せなかったが、某の喉は渇き手は汗ばんでいる。 手が滑らないように慎重に扉を閉めて、邪魔が入らないように鍵をかける。 中は特別なものなど何もない、シャンバラ女王を祀るありふれた教会の一つだ。某にとって特別なことといったら、ここを用意することが出来たということと、これから起こること、それによって特別に変わるということ――。 綾耶はベンチの間を歩き、周りを見回していたが、サプライズはおろか変わったところなど何一つないということに気付いて、振り返って訝しげな表情を見せる。 「……某さん? ここに何かあるんですか?」 「いや、その、色々話をしたかったんだ。のんびりするっていうのも今までなかなかできなかったわけだし……」 「どうしてここに連れて来たんですか?」 そわそわとしている綾耶に、某は落ち着いてほしい、と言う。といっても、言っている某自身の方が緊張していただろう。 「……実は、そろそろ『俺達』の未来についても話し合いたかったんだ」 『俺達』の未来。パラミタの、ではなく。 ついこの前までは、世界が滅びるのを前にして、恋だの愛だの二人の将来を語り続けるような状況でも気分でもなかった。その危機が回避された今、未来といえば自分たちのことになるのは自然だった。 「以前も、パラミタでの騒動が終わったら二人の将来について話し合おうと約束していたけど、今がその時じゃないかと思う」 某は綾耶の瞳を見る。 今までにも何度も何度も見て、見つめてきた優しげな茶色の瞳は、期待と不安に揺れていたが、某には感情が読み取れない。 読み取れないのは、自分が動揺しているせいだ――そう判っていた。 「それに、綾耶以外のパートナー達が大切な人と先の関係へ進んでいったというのもある。 別に遅れたからどうという事はないけど、そうして周りが変化していったなら俺達の関係も変わるべきなんじゃないかな?」 綾耶は呼吸が止まりそうになりながら、必死で落ち着こうとしていた。 (確かにパラミタでの騒動が解決したらと言ってましたが……このタイミングとは予想外です!) ただのパートナーから、恋人へ。そして別れ話ではないということは……その先のこと。彼女も今まで考えなかったことが、全くなかったわけではなくて――でも、いざそうなってみると、今まで想像してきたものとは違ったからだ。 某は綾耶が自分の話を聞いてくれていると感じて、懐から小箱を取り出した。 綺麗な細工が施されたそれを開くと、内側の布張りの中に二つの指輪が収まっていた。 “翼の指輪”――それを、某は綾耶の前に差し出す。 「……俺と、結婚してくれますか?」 言ってから――耐えがたいほどの緊張が某を支配する。 今までにこんなに緊張した事がない程に。 それは一瞬でもあり、永遠のようでもあり。 綾耶が顔を伏せるのに耐え難い焦燥を感じ。 彼女の指が指輪の一つを摘まむのを、ただ見ていることしかできなかった。 一方で綾耶は――状況がどのようなものであれ、返す返事はもう決めていた。 指輪の一つを取り、自分の左手の薬指にはめる。そしてもう一つの指輪を取って、箱を持つ某の左手を取った。 某が驚きで動けない、そのうちにも薬指にゆっくりとはめて、その手を包み込むように優しく握り込む。 「……こんな私でよければ、喜んで」 「……綾耶!」 声が口から飛び出すのと同時に某は思わず勢いよく抱き寄せると、そのままの勢いでキスを彼女の柔らかい唇に落とした。 「……たった二人だけの誓いの口づけだ」 「……はい」 急に抱き寄せられて驚きに目を見開いた綾耶だったが、抱かれるままに、某に身を任せる。 (だって……それだけ私を求めてくれているのですから、こんなに嬉しい事はないです……!) 喜びに震える彼女の身体を抱きしめながら、某の脳裏には綾耶との記憶が一気に蘇っていた。 地球で出会い、パートナーとなり苦楽を多々共有しあいながらも今日まで一緒に過ごしてきた彼女。 (俺にとっての『世界』そのものな存在) その背には、守護天使の象徴でもある光の翼が広げられている。 守護天使にしては歪で不自然な……けれど、翼を失くした綾耶が取り戻したたったひとつの彼女の翼。 (彼女の取り戻した意志と、夢――幸せな家庭を築く夢。それを俺が守っていく) 平凡でもいい、ありがちでどこにでもあるありふれた家族を――彼女を。 小さくて華奢で柔らかで、でも一番自分に力をくれる腕の中の暖かさを、全身で感じながら、彼は誓う。 (……パラミタという世界を守った。なら次は、この腕に包んだ『世界』を守る番だ)